不安8割の分野こそ勝機がある!経営者に必要な本質とは

今回のゲストは前回に引き続き、宮崎県で多数の事業を展開されている株式会社オファサポートの服部幸雄社長です。前回は事業全般についてお話しを伺いました。今回は服部社長の経営哲学や、地元である宮崎への貢献などについてお話しいただきます。

経営者は運が50%!自分の直感を信じて行動

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住谷:前回に引き続き、宮崎県でさまざまな事業を展開している株式会社オファサポートの服部幸雄社長にお話を伺います。事業を展開している宮崎県への思いをお聞かせください。

服部:宮崎にはいい思い出も悪い思い出も両方あります。「恩返ししたい」が50%、「見返したい」が50%です。自分はそんなに優等生ではなかったので、後ろ指を指されたこともありました。そういう人たちを見返してやりたいです。でも人様に迷惑をかけながらも応援してくれた人たちと、最後まで温かかった宮崎には恩返ししたいです。

最近の事業のお話しをしますと、実は、コロナ禍で移動式のPCR検査場をつくりました。あれは自分でも本当によくやったと思っています。当時、PCRの検査場は全国で徐々にできていました。

有事の際の機動性が大事だと考え、移動式での検査を検討しました。しかし、当時の法律では移動式の検査場が認められておらず、保健所からの許可が下りなかったんです。

でもこのパンデミックにそんなことをずっと言い続けられる状態ではないだろうから、これは絶対に緩和されると思い、法律が緩和される前に移動式の検査場をつくり上げました。車を買って、車両用の検査機器がないのでそれ用にカスタマイズして組み立てました。そして、その2か月後に国がOKを出したんです。

認可がおりてからつくるのでは遅いと思い、何の保証もないですが絶対必要になると信じて取り組みました。このような事業の進め方、スタイルが正しいとは思わないですが、経営者も運が50%必要だって言うじゃないですか。僕はたまたま運を持ち合わせていたのかなと思います。

住谷:ベースボールアカデミーはどういう経緯で立ち上げたのですか?

服部:純粋にジャイアンツの大ファンなんです。巨人は宮崎にずっとキャンプに来ているし、巨人戦はテレビで必ず見ていました。小学校の頃、ソフトボールをやっていたのですが、背番号は3でしたからね(笑)。もうひとつの理由は、故郷が一緒でお世話になった先輩から、やってくれないかと言われたことです。

ジャイアンツアカデミーをやる前は、介護の仕事をしたり、運転技能検査を支援する『セフモ』を提供するなど、シニアに対しての貢献はできていたけど、子どもに対しては何もできていないと感じていました。

でもジャイアンツアカデミー事業を立ち上げたら、子どもに対しても社会貢献というか、育成みたいなことができそうだと思いました。収益としては難しい事業ですが、野球だけを教えるということではなく、礼節や協調性なども学んでもらいます。小学校でもベースボール型授業というものがあるくらいですが、育成事業としても良いと思っています。

大事なのは人間性。対話しながら資質を引き出す

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住谷:これからの時代・社会を生き抜いていくためには、何が求められると思われますか?

服部:人材でいうと、大事なのは人間性だと思います。会社の採用の際には、今は面接をしていません。なぜかというと、面接の時はみんな問答を用意して、履歴書や経歴書もみっちり書くじゃないですか。

でも対峙したとき、「この会社のここが魅力で志望しました」とかのきれいごとではなく、「次に転職したら嫁から離婚されるんです。だからとりあえず働きたいです」とか「家が近いんで」とか、その人の素が出る不純な理由が好きなんですよね(笑)

普通は学歴、経歴で見ることが多いと思いますが、中卒も大好きですし、うちの幹部にもいます。ベースは0でいいんです。これができていないから不採用ってよくありますが、できるようにするのは我々の仕事で、最初からそこを求めるのはおかしいとずっと思っています。

だから素でぶつかってきてもらいたいし、面接官は素を見抜いてほしい。面接にねじりはち巻きして来てもいいんです。うちで働いてもらって最終的に3年後、スーツを着ているかもしれないですからね。大事なのは人間性です。

一生懸命に勉強して大学も出ているような優秀な方は、大手企業に行った方がいいかとも思いますが、ローカルの中小企業に来てくれるのなら、もっと違うぶつかり方がいい気がします。極端な話、「仕方ないから来てやったよ」ぐらいの感じでもいいと思うんです(笑)

僕が会社で大事にしているのは、対話しながら資質を引き出すということ。年齢や役職などは関係ないと考えているので、こういう話を1年目の人間にもしますし、「管理職にお伺いを立てなくていいから、若手だけでアイデアを出してそれをやりなさい」とか言ったりもします。対話しながら本人たちの資質を引き出すという、育成会もやっています。

不安8割でやるからこそ勝機がある

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住谷:最後に、これから新しいことに挑戦する人たちに向けて一言お願いします。

服部:市場調査をして、事業計画や戦略をびっしり立ててやることもひとつの選択肢で、そこで成功している方たちもたくさんいらっしゃいます。そのようなやり方を否定することはありませんが、僕はある意味、不安8割でやってほしいと思っています。

不安8割ということは、将来がはっきりしない、ままならない状態です。マーケティングしても勝ち戦ではなくても、この不安8割でやるからこそ勝機はあると思います。だって他に誰もやっていないわけですから。ここに手を出した人が、最後に残存者利益を得るんじゃないでしょうか。

市場調査も大事だけど、最後に残るのは勇気だけだと思います。ではどうして僕は割り切れたかというと、0から始まった人間だからです。失敗して失っても0に戻るだけなので覚悟はあります。

たとえば3代目、4代目だと、祖父母から受け継いだものを自分の代でどうにかしてしまうとか、すごいプレッシャーですよね。授かったものを守らないといけないのは大変です。創業者も大変という人はいますが、創業者は0に戻るだけなのである意味では楽です。だから覚悟と勇気が大事なのです。

多角経営成功の源は事業と事業のコラボレーションに!行政までを動かした情熱とは?

今回のゲストは、宮崎県で多数の事業を展開されている株式会社オファサポートの服部幸雄(はっとりゆきお)社長です。自動車教習所の経営から介護、タクシー、子どもの福祉、ジャイアンツアカデミー、IT関係、ペット、ホテル事業などを行っています。マーケティングはせず、自分の目と耳、体験で感じた社会的な必要性を情熱で訴えかけ、行政も動かした人。社会貢献や地域活性化に力を注いでいるその原動力についてお伺いしました。

事業計画やマーケティングはせず、事業と事業を掛け合わせて新しいものを展開

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住谷:宮崎県でさまざまな事業を展開していらっしゃる株式会社オファサポートの服部幸雄社長にインタビューさせていただきます。まずはどんな事業をされているのかお伺いさせてください。

服部:今は自動車学校、タクシー、介護、子どもの福祉、ジャイアンツアカデミー、IT関係、ペット、ホテル事業などをやっています。メインは自動車学校なのですが、それを始めたきっかけは、以前、自動車学校に勤めていたからです。国家資格である教習指導員の資格を取り従事していましたが、若かったこともあって組織にそぐわず辞めてしまいました。

僕は高卒だったので、勉強をあまりしてこなかったこともあり、せっかく取得した国家資格がうれしくて、その資格を生かしたいと思ったんです。そこで、オートマニュアルの中古車を2台購入してコースを間借りして、自動車教習所を立ち上げたんです。

教習所のコースを賃貸で借りるなんてなかなかない発想、全国で見てもないと思います。でも当時、若いながらにいろいろな努力をして、どうやったら貸してくれるかとか、誰に言えば話を聞いてもらえるかとか試行錯誤をしました。

自動車学校の経営をしていた方や、警察OBの方などそういった人たちに熱意だけを伝えて、コースのオーナーを紹介してもらいました。その結果、借りることはできたのですが、賃貸の値段もけっこう高くて、当時はお金も大変で必死でしたね。

そして、教習所を始めて3年くらいたつと、軌道に乗ってきたので、介護事業と医療のリハビリを提供する事業を福岡で立ち上げました。15~6年前ですが、ある程度は自動車学校でシェアを取れていましたが、少子化ということに非常に危機感を持っていました。次第にシニア向けの仕事をしたいと思いはじめました。

住谷:なぜ福岡で事業を始めたのでしょうか?

服部:介護事業と医療のリハビリなどの仕事を教えていただいた方が宮崎で事業をやっていたので、そのシェアを取ってはいけないと思ったんです。また、単純に九州のなかで、人口が一番多い場所が福岡でした。

実は、僕はマーケティングは意味がないと思っているので一切やらないんですよ。人口が多ければターゲットの絶対数が多いけれど競合他社もたくさんいます。競合他社が少ない場所へ行けばターゲットの絶対数も少ないから、どっちにしても一緒なんですよね。

他の事業の展開も、特に綿密な事業計画があったわけではないんです。ただ、ずっと危機感を持ち続けていました。たとえば、介護をやるにしても、介護施設はすでにごまんとあるし、自動車学校もベテランの方がたくさんやられています。

タクシー業者もいっぱいいるわけで、僕はすべてにおいて後発組なんです。僕が唯一勝てる要素があるとすれば、事業と事業を掛け合わせて新しいものを展開すること。そうすれば僕が一番先になれるんじゃないかと考えて、そのような事業を興していったらいつの間にかこうなったという感じです。

マーケティングもまったくやらないので、自分でもこんなにうまくいくとは思っていませんでした。少子化だからシニアの仕事をしたいという動機から始まったけど、介護施設は飽和状態のなか、どうやって勝ち組として残るのか。それなら掛け合わせで何か新しいものを生みだそうと思い、自動車学校のコース敷地内に介護施設を建てて、利用者に車のリハビリを提供しました。これは全国で初めてでした。

そんなふうに新しいシナジーで介護業界でも後発ながら、新しい試みを繰り返し、勝ち組として残れたんだと思います。これも最初から意図したわけではなく、掛け算して新しいものをつくるしかなかったんです。財力もないし、僕ひとりで始めたので歴史があるわけでもないし、介護の見識もありません。唯一我々が残る手段は、新しいものを生み出す企画の力でした。

逆境を乗り越え、自治体施策にも採用された高齢者向けのカーリハ

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住谷:事業と事業のコラボレートについて、詳しくお聞かせいただけますか。

服部:教習所内で車の運転ができるプログラム『カ―リハ』は、現在では、いろいろなところからの依頼や協力をいただいています。初めての取り組みでしたが、今の社会情勢の諸問題を解決するひとつの希望の光になったと思います。

ちょうどこのプログラムを立ち上げた当時、高齢者の交通事故や免許返納の問題がクローズアップされていたのですが、宮崎で車を取り上げるとどこにも行けないんです。この問題は全国でたくさんあると思います。もちろん交通事故は問題だけれど、簡単に車を取り上げていいのか、そこを解決する役割も担っていました。

要は運転技術のトレーニングもできるし、現在の運転技術を客観視することで自ら免許返納するかどうかを決められます。そうすれば事故防止にもなりますし、生活範囲を狭めないので車を持っていることで趣味もできますし、認知症にもなりにくいのです。

そういった問題を解決していくことができたので、さまざまなところから協力を得ることができました。県や自治体の施策ともコラボレートできたのが、大きかったですね。

住谷:新しいことをやるときは逆風もあったのではないでしょうか?

服部:やはり新しいことを始める時には、反対もありました。僕は運転のリハビリを介護保険でまかないたかったんです。たとえば実費で5,000円取るなら行政にお伺いをたてなくてもいいんですよね。

でも介護算定に運転のリハビリを入れたいと行政に訴えたら、全国で例のないものを基本的にはやりたがりません。最初はすごい勢いで「何を言ってるんだ君は」「介護でやらなくても自動車学校でやればいいだろう」と言ってきました。

もちろん自動車学校でもやっています。でも自動車学校で教習指導員がつくと1時間5,000円くらいもらわないと人件費などの採算が合いません。1カ月に10日もやると5万円ほどかかるので、トレーニングしたい人への負担が大きいです。でも、介護保険に組み込まれれば、生活弱者の方も交通弱者の方も助かるんだと、当時は熱意だけで訴えていました。

介護施設で折り紙とか習字をしてもらうのももちろんいいと思いますが、僕は運転がリハビリになると言い続けたんです。運転って、認知・判断・操作の繰り返しなので、我々でも疲れるじゃないですか。

飛び出してくるかもしれないとか予測して、信号も標識も歩行者も見ないといけません。体を動かしてブレーキを踏む必要もあります。要は脳機能から身体機能まですべてを使うので、こんなにいいリハビリはないんですよ。

でも当時はそういう医療文献がないので、ただ熱意だけで運転のリハビリを認めてくれと、半年ぐらい市役所でプレゼンをしました。そしてようやく認めていただいて、今では市が表彰してくれたり、補助金を出してくれたりしました。

その後、車の運転をやめると認知症の発症率が2倍になるとか要介護率が8倍になるなど、そういう医療文献も出てきました。最初はなかなか理解していただけなかったことが、今やっと広く認知されたので、動いて良かったと思っています。

できる前提で物事を考えていくと、必ず道筋はできる

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住谷:諦めずに逆風を乗り越えてきたその原動力は何ですか?

服部:僕は18歳から20歳くらいの頃、大阪で過酷な営業職に就いていました。基本給がなく、売れなければ0円。ボールペンひとつ買う経費も全部自分持ちでした。宮崎から出てきた田舎もんが大阪のど真ん中でそうやって生きて培ったのが、「とりあえず、できる」と言う精神です。

営業として駆け引きをするなかで「こういうことはできますか」とか「こんなことしてくれたら、それ買いますけど」と言われたら、とりあえず「できます」と言って、言った後に考えます。それが経営に活きている気がしていますね。

行政と話していると「こんなことができるんですか」とよく聞かれます。何事もできる前提で物事を考えていくと、必ず道筋はできると思うんです。人様に迷惑をかけないこと、法から逸脱しないこと。このふたつを守れば、僕はなんでもできると思います。それが諦めずに逆風を乗り越えてきた原動力ですし、事業経営のベースになっている大切なマインドです。

チャレンジ精神を大切にオンリーワンの価値をつくる

今回のゲストは、なにわのものづくり企業『エーディエフ』代表取締役の島本敏さんです。
独創性と提案力をモットーに、お客様のあらゆるニーズに合わせたアルミ製品をオーダーメイドで製造されています。国際的なスポーツ大会においても、独自開発の同時通訳ブースが話題となりました。

父と一緒に会社を設立し、弱冠22歳で社長に

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住谷:本日のゲスト・島本敏さんは、創業から一貫してオーダーメイドでさまざまなアルミ製品を生産しています。
開発から市場にリリースするまでにこだわっている点などを教えてください。

島本:『エーディエフ』はアルミフレームのメーカーで、フレーム自体はホームセンターなどでも売っているものです。創業当初は材料を売ることから始まったので、製品はなくて「このフレームを買ってくれたら何でもできますよ」みたいな売り方でしたが、それだとなかなか買ってもらえなかったんですよね。

だから自分たちでアルミフレームを使ってワゴンを作ってみたり、トイレのタンクの上のちょうどはまるようなものを作って、写真を撮り、「こんな実績ありますよ」と宣伝しました。

そうしているうちに、看板屋さんから看板用のフレームに使えるんじゃないかと提案され、市場を広げていきました。未経験のジャンルだったので、当初はとにかくお客様のニーズに耳を傾けて試行錯誤をしながら商品を開発していきました。

しだいに、オーダーを受けて作るのではなく、こんなものがあった方がいいんじゃないかという商品をメーカーとして企画し、打ち出していくようになりました。お客様の声や業界の動向も見て、「将来的にこうなりそうだから、こういう商品があったらいいね」という発想から繋げていった感じです。

元々、うちの会社は父が私のために作ってくれた会社でしたが、0から1を生むことができなかった私は、1つの製品を違う業界に横展開して、新たな市場を創っていきました。

住谷:現在、25期目ということですが、続いている理由はなんでしょうか?

島本:なんなんでしょう……。誤解を招く言い方かもしれないけど、奇跡だと思っています。どこかの下請けや大型受注があるということではなく、イチから自分たちで商品を企画製造し、それが売れなければ利益にならないんですよね。

1品作りだけで25期というのはもう奇跡的だなと感じています。これからの目標としては、25期から30期で「自社のブランド力とは何ぞや」を追求していき、確立させていきたいと思っています。

元々は父も自分でアルミの加工会社を経営していたんです。わりと有名な会社でマンションによくある、ドアを開けたらもう1枚、玄関網戸があるのはご存じですか?あれを日本で最初に作ったのがうちの親父なんです。

発想して開発して商品を生み出すアイデアマンでした。ただ、私が高校生のとき、メーカーを志す道半ばで会社が倒産しまして、家族全員、真っ昼間に夜逃げするっていう事態があったんです。この場面は妙に覚えていますが、「はい、解散」となったのが昼間だったんです。「これ、俗に言う夜逃げだな、夜逃げなのに昼なんだ」とか思っていました(笑)。

その後、2年ほどして父が戻り、一緒に新しい会社を設立することになりました。私は父の会社を継ぎたいということを常々言ってきていたので、「お前が会社を継ぎたいと言っていた思いと、俺のメーカーになるという夢を合わせて、新しい会社を設立しよう」という流れになったんです。

それで設立したのが『エーディエフ』です。設立当初の20歳からずっとやっているんですが、当時は若すぎるから私は社長ではなく、父の友達が2年ほど社長をやってくれて、3期目から私が代表になりました。現在、代表歴は21年ぐらいですね。

テーマは「どうやったら社員が輝く会社になるか」

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住谷:22歳で社長というのは重責だったのでは? 

島本:その話をするとコメディみたいになりますが、私が若すぎるので、「社長を名乗らせると世間的によくないんじゃないか」という考えがあったんです。取引相手に「お前が社長なら今ここで判断しろ」とか迫られることもあるかもしれないと心配したのと、私が調子に乗るんじゃないかっていうふたつの理由で、父から苗字を変えろと言われたんです。

もちろん「いやだ」と言ったんですが、そんなときヒグチという社員が、名刺を100枚作ったのに退職したところだったので、「この名刺もったいないからお前が使え」と父に言われたんです。「会社が生き残るためだ」と説得されたのもあって、僕はそこから10年強、ヒグチで過ごしました。

社長になってからもヒグチだったので、大事な取引先との交渉の時は、事情を伝えていました。今振り返ると、「そんなことあるの?」と面白おかしく聞こえるかもしれないですけど、当時は本当に必死でした。

名前を戻す時も、人によっては「これからもよろしく、ヒグチさん」なんて言ってくれる方もいたり、「え、婿養子?」って混乱する人もいました(笑)。その当時を今振り返ると、「何でも全部ひとりで背負ってやろうとしている」という感じだったと思います。

住谷:そこからどう変わったんですか? 

島本:父が思いや理念を持って作ってくれた『エーディエフ』がすごすぎて、私ひとりじゃどうにもならないと思う時があり、「社員や他の人と協力していこう」と思ったんです。ひとりでできることってたかが知れているし、逆に言うとひとりでできるレベルのことをこの会社でやりたい訳ではありません。

社員さんがいてこその会社だと思ったし、自分が独りよがりに色々と言うだけじゃどうにも変わっていかないということに気付かされた出来事があったんです。

実は当時、父とケンカ別れしたんですよね。ちょうど32、3歳のときに新社屋、自社工場を建てたのですが、父は全く認めてくれないし、いろいろと口出しもされました。そしてついに「やれるんなら勝手にせい」と、父が出て行くことに。

いなくなって初めて、自分は父に依存していたんだと気づきました。それから、社員さんをもっと大切にしようと、社員一人ひとりとその人の誕生日月にサシ飲みをするようにして、話を聞くようにしました。向こうが選んだお店に行くので、どんなお酒だろうが一緒に飲んで、仕事の話は基本的にしないようにしています。

最初は社長とサシ飲みなんかと嫌がる社員もいましたが、「どんなお店でもいい、予算もいくらでもいい」と言ったら、社員のさまざまな個性が出たんです。すき焼きのすごい高級店に連れて行く社員もいたし、気を遣って個室にしてくれた結果、それがカップル席で、社内で一番体格が大きい人とカップルシートで飲んだり、立ち飲みで2時間半、飲んだり。

そうすることで打ち解けて、話しやすくなったと言われます。やはり、社員さんが輝かなかったら会社をやっている意味がないと思いますので、コミュニケーションを大事にしていますね。

特徴的なのはチャレンジ精神・結果的終身雇用・究極の多角経営

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住谷:アルミ製品以外にも、いろいろチャレンジできる環境があると伺いました。

島本:はい。弊社は『結果的終身雇用』という考え方を大切にしています。20代、30代、40代…80代まで全世代いるので、各世代でやりたいことができたらやればいいし、前例がないことなら作ればいいと思っています。

だから、やりたいと提案してくれたことには基本NGは出しません。結果的終身雇用とは、たとえば70代とかで振り返った時に、「いろんなことをしてきたからひとつの会社にいたとは思えないけど、実は同じ会社だった」みたいなことなんですよね。

具体的な例を出すと、ウェブ事業部を立ち上げてくれた社員がいまして、それを見た他の会社さんから、「うちのホームページも作ってくれませんか」と頼まれて仕事を受けることもあります。究極の多角経営ですね。会社としての可能性がどんどん広がるし、社員本人がやりたいことを重視していくと、それが結果的終身雇用につながるというわけです。

もともと会社の理念は『創意工夫』です。「世界をあっと言わせるものづくりをしよう」というビジョンは、うちの父が設立当初からずっと言ってきたことなので、その次元のことをやろうと思ったら、ひとりじゃできません。そこでいろんな人のいろんな発想力が必要なんだと思います。

住谷:ありがとうございます。ワクセルは20代、30代で起業したいとか自営でチャレンジしたいとか、好奇心旺盛な人が多いので、島本さんからメッセージをいただけますか?

島本:自分の志にちゃんと自分で火を灯せる思いを持って起業してほしいと思います。世間からの評価とか売上とかではなく、たとえ独りになったとしても心が折れないような、自分で自分の志に灯をつけられるビジョンを持っていてほしいですね。

それぐらいの気概を持って起業してくれる人がひとりでも増えると、中小企業が不要だとか言われることもないと思います。それこそうちも50期目ぐらいに、大手企業になる可能性だってあるだろうし、社員さんと一緒にもっと企業規模を大きくしていきたいですね。

目指すは海外進出!愛知発・伝統ある親鳥の魅力を世界に発信

今回のゲストは、親鳥専門の焼肉居酒屋『ばかたれ』を経営している禹在賢(ウ・ザイケン)さんです。禹さんは地元愛知県で親しまれている親鳥をより広めていこうと活動されており、海外進出も計画中とのこと。ワクセル総合プロデューサーの住谷が、詳しくお話しを伺いました。

10人中8人が絶賛した看板メニューの親鳥

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住谷:本日のゲストは、株式会社ばかたれの代表取締役・禹在賢(ウ・ザイケン)さんです。2016年に鶏専門の焼肉居酒屋を五反田にオープンし、現在は五反田に2店舗、 箱根に1店舗、親鳥専門店を展開しています。

禹在賢:親鳥のおいしさに衝撃を受け、親鳥専門を経営しています。親鳥は通常は流通していないのでご存知ない方も多いかもしれません。親鳥は卵を産むために育てられた採卵鶏という鶏のことを言い、他の鶏とは飼育期間が大きく違っています。

通常売られているのは若鶏と言われるもので、卵から孵化してから約40日で出荷されます。お店に並ぶのは、このピンク色の若鶏です。一方の親鳥は卵を産ませるために2年間飼育され、卵をあまり産まなくなったときに出荷されるもの。なので、通常はお店では手に入れることができないものなんです。

住谷:なぜ親鳥専門店を開こうと思ったのでしょうか?

禹在賢:私は愛知県出身の韓国人なんですが、実は幼い頃から親鳥を食べていたので、慣れ親しんだ味でした。年に2度、法事をする際に必ずお供えとして丸鶏を出すのですが、それが親鳥だったんですよね。法事の後は家族でおいしくいただきますが、スーパーに売っているから揚げにするような若鶏とは味が全然違います。

最初は、若鶏も親鳥も両方メニューに出していたところ、お客さまの10人中8人くらいは親鳥のほうがおいしいとおっしゃるんです。五反田は飲食店も多いので、看板となる商品が必要だと思っていたので、皆さんがおいしいと言ってくれるものを出していこうと思い、親鳥専門店にしました。

親鳥は屠殺されてから3日以内に食べなければ、身が固くしまり、においもきつくなってしまいます。結果、市場に出回ることなく、安価で加工品の食材に使われるという用途しかなかったんですよね。でも、それはもったいないし、親鳥の本当の美味しさを日本中の人々に伝えたいという思いがあります。

名古屋での失敗を経て、再起をかけ東京に出店

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住谷:お店を立ち上げるときの苦労などはありましたか?

禹在賢:本当にかっこつけているわけではないですが、私は苦労を苦労とは思わないんです。イヤなことも基本忘れますし、繁盛させたい一心で集中していたので、苦労というよりも楽しかったです。開店してから8年目ですが、あっという間に8年という感じです。

そういう私も実は、一度愛知県でお店をたたんだ経験があります。もともとは10年間営業職の仕事をしていて、そのころに飲食経営者の姿に感銘を受け、私自身もその道を目指そうと思い、3店舗で修行を積みました。

2013年に独立第一号店の『バースデーチキン』を名古屋で開業したものの、想定していたほどの結果が得られなかったので2年で閉業しました。それから結婚を機に移り住んだ東京都で再起を誓い、2016年に五反田に出店したという経緯です。

おかげ様で今では有名人の方も多く来店していただけるようになりました。オープンして4か月くらいのときにいらしたのが、ケンドーコバヤシさんでした。今、振り返ると、オープン仕立てで試行錯誤の時期ですから、本当においしい料理を出せていたかは記憶にないくらいですけど、その後もリピートしてくださっています。それからお知り合いの芸能人の方も一緒に来られるようになりました。

住谷:それはすごいですね。では、親鳥の味の特徴を教えていただけますか?

禹在賢:食感と旨味が違いますね。親鳥は肉が硬いと思われがちですが、当店が使う親鳥のこだわりは柔らかさです。おすすめの部位は全体の1割しかないといわれる親鳥の首皮で、脂がありとてもジューシーです。若鶏は40日しか飼育しないので皮に脂がつかないんですが、親鳥は2年間飼育することによって、皮にしっかり脂がのるんですよね。他の焼肉でいうと、牛肉のシマチョウの味に似ていると思います。

一番のおすすめは『幻の鶏ホルモン』です。親鳥の胸の皮なんですが、首の皮よりももっと柔らかく弾力があって、脂自体に旨味がのっているんです。

親鳥の味を日本中、そして世界に向けて発信

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住谷:では、これからのビジョンを教えていただけますか?

禹在賢:2022年9月に箱根湯本駅前にばかたれをオープンしました。箱根に出した理由は、インバウンドで来た海外の方に親鳥を知ってもらうためです。海外の方に広く親鳥の味を宣伝して、ゆくゆくは海外にも出店したいと考えています。

世界を見ると、宗教や生活習慣的に豚や牛を食べられないところはありますが、鶏を食べられない民族や国籍、宗教は聞いたことがないですよね。どんな国の方にも受け入れられるチャンスがあるんじゃないかと思っています。愛知伝統の親鳥の味を日本中に広め、さらに世界に発信していきたいと考えています。

「SDGsは一人ひとりの意識改革が大切」ファッションを通じて海ごみを減らす活動とは

今回のゲストは、サステナブルブランド『AfterBlue』代表・渡邉駿さんです。原材料にごみや廃棄衣類などを利用しており、ビーチクリーンの活動もされています。海ごみのことをひとりでも多くの人に知ってもらいたいと、地元湘南で立ち上げたきっかけや今後の展開についてお話しを伺いました。

海ごみを利用したサステナブルブランド『AfterBlue』の立ち上げ背景

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渋沢:今回のゲスト渡邉さんは、2021年にアパレル商品を中心としたAfterBlueを地元湘南で立ち上げ、現在は会社員として働きながら、同ブランドのオンラインショップを運営し、海ごみのことをひとりでも多くの人に知ってもらうために活動されています。

住谷:海ごみにはいろいろあるそうですね。ペットボトル以外のものも落ちているとか。

渡邉:そうなんです。こんなものが?と思うほど、いろいろなものが落ちています。入れ歯が落ちていたときもありました(笑) どこから来たごみなのかなとか、意外にごみにもストーリーを感じたりします。

渋沢:では、今回はアパレルブランドのことを中心に聞いていきたいと思います。

渡邉:私は地元が湘南で、地域ブランドのような形で立ち上げました。基本的には再生素材やオーガニックコットンなど、できるだけ環境に負荷のないものを使って服を作っています。

サーフィンが趣味でビーチクリーン活動もしているのですが、毎日拾ってもごみがなくならず、「拾うだけじゃもうダメだ、知ってもらうしかない」と思ったんです。

ただ、言葉で言っても興味がない人には伝わらない。興味を持ってもらうにはどうしたら良いかと考えたときに、服だったらみんな着るし、興味を持つ人がいるんじゃないか?ということで、アパレルブランドを立ち上げたというわけです。

コロナがあったことでごみ拾いをする人が増えて、ビーチクリーンの仲間とも定期的に会っていました。ある時、僕が再生素材の服の話をしたら、彼らは全く知らなかったんですよね。その反応をみて「あれ?これチャンスがある?」と思って立ち上げました。

湘南は海が観光資源の街だからこそ、やるならここから発信することに意味があると思ったんです。一度就職で外に出たんですが、また湘南に戻ってきたタイミングでビーチクリーンやサーフィンを始めて、やっぱり海の側っていいなぁと、この海を大切にしていきたいと感じました。

魚網・再生ポリエステルなど原材料はサステナブルを徹底追求

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渋沢:立ち上げるまではどんなところが大変でしたか?

渡邉:一番はやっぱりお金ですね。服なので、先に仕入れが発生するんです。今、会社員をしているのはそれが理由でもあります。あまりコストをかけないように、デザインはイラストレーターなどを使って自分でやっています。

ブランドを知ってもらえると、その背景にあるごみのことも伝わると思うので、ブランドロゴをポイントにして、なるべくシンプルにデザインするということを心掛けています。

今、渋沢さんに着ていただいているパーカーは漁網を再生したもので、魚網の再生素材と、再生ポリエステルとかポリウレタンを混ぜて柔らかく仕上げています。漁網にアザラシやカメがからまっている写真を見たことがあるかもしれませんが、そういう漁網をリサイクルして混紡しています。そして、パーカーは廃棄衣類から作られているものもあります。回収した服をいったん樹脂に戻して、また糸にして編んでいきます。

住谷さんが着ているTシャツはオーガニックコットンです。そのTシャツを作るときに知ったんですが、コットンとオーガニックコットンって基本は同じなんですよ。何が違うかというと、オーガニックコットンは3年間くらい農薬を使っていない場所で育てられるので、大量生産がしにくいのです。

普通のコットンは農薬を使っているので大量に作れますが、農薬を使うと農家さんが吸い込んでしまったりと害もあります。農薬によって悪影響があるので、作るならオーガニックコットンじゃないとダメだなと思いました。

ロングTシャツも出していますが、捨てられた服を回収して作っています。化学繊維なので乾きも早いのが特徴で、洗濯から脱水して出すと半分ぐらいもう乾いているくらいです。

今、いろんなところで再生資源のために服を回収してくれるので、再利用できる仕組みができるんです。こういうシステムをまだ知らない人が多いので、少しでも知ってもらえると、変わってくるかと思います。AfterBlueの製品を買うことで、「自分はごみ拾いはできてないけど、サステナブルな活動に参加している気になれる」と言ってくださる方もいます。

行動を変えるには、“自分ごと”にすること

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住谷:絶対やった方がいい活動なのに、なぜ広がっていないと思われますか?

渡邉:AfterBlueにしろ、こういう素材にしろ、自分ごとになっている人がまだ少ないと思います。僕はそれこそ海の街に住んでいてサーフィンをするから、ごみが浮いているとイヤなんです。汚いなあと思いながら海に入りたくないじゃないですか。

湘南の海は汚いってよく言われますけど、たまに来るだけの人はやっぱり汚いで終わっちゃうんですよね。住んでいる立場からすると、海は遊び場です。子どもの頃、遊んだら片付けましょうって言われていましたけど、そんな感じで自分の遊び場はせめてきれいにしたい。結局、自分ごとになっているからやれているんですよね。

徐々に『SDGs』という言葉がいろいろなところで使われるようになり、興味を持ってくれる人は確実に増えています。それでも自分の行動を変えるところまでできている人は、そんなに多くないかなと思います。

行動を変えるというのは、捨てられたペットボトルを拾うということももちろんですが、たとえばマイボトル買って、毎日買っていたペットボトルを2日に1回しか買わないようにするとか、そういう意識を変えることが大事だと思っています。購買行動を変化させないと、ごみは減っていかないからです。

渋沢:個人個人の意識改革や小さな行動の積み重ねが大切なんですね。

渡邉:そうですね、AfterBlueも「サステナブルって特別なものじゃない」というのを掲げています。1日の行動をちょっと変えるだけでいい。ペットボトル2日に1本にするとか、ちっちゃい変化を無理なく続けることが大事かなと思っています。

今後の目標としては、引き続きAfterBlueの活動をやりながら、地元のビーチクリーンで集めたごみを使って何かをやっていきたいと考えています。

ビューティーフードを取り入れ身体の内側からキレイに

今回のゲストは、モデルとして長年活動し、日本ヴィーガン協会代表理事、ビューティーフード協会代表理事を務める室谷真由美(むろやまゆみ)さんです。室谷さんはセミナーや講演会、メディア出演を通し、食の大切さを伝えています。

ワクセルコラボレーターの渋沢一葉(しぶさわいよ)さんと総合プロデューサーの住谷が、室谷さんが提唱されるビューティーフードについて詳しく伺いました。

ビューティーフードとは「身体の内側からキレイになる」食事法

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渋沢:今回のゲストは、身体の内側からキレイになる食を追究し、数多くのメディアで発信をしているモデル兼ビューティーフード代表理事及び、日本ヴィーガン協会代表理事を務める室谷真由美さんです。

10年前にヴィーガン食に出会って以来、ヴィーガン・オーガニックの店舗を3300軒以上食べ歩いたレポートがSNSで話題になっています。まず、ヴィーガン・オーガニックのお店が3300軒以上もあることにとても驚いています。

室谷:最近はラーメンやハンバーガーなど、ジャンクフードのヴィーガン食も増えてきました。原宿にある『THE GREAT BURGER』というお店は、普通のハンバーガー屋さんなのですが、ヴィーガンのラインアップも出していて、お肉を使っていないのにすごくジューシーでボリュームもあります。

さらにそのお店のすぐ近くにはヴィーガンドーナツのお店もあって、はしごできるくらいヴィーガンのお店ってたくさんあるんです。

渋沢:ヴィーガン食のラインアップが増えているということは、世間的にも求められているということですね。室谷さんが提唱されているビューティーフードに興味があるのですが、どういったものなのでしょうか?

室谷:ビューティーフードとは、身体の内側からキレイになれる食事のことです。ビューティーフードでは玄米を中心に、身近な気候で育った国産の旬の食材をしっかりと食べることが基本の定義となっています。

多くの方が食べる白米は、玄米を精米したものですよね。しかし実際は取り除いている皮に一番栄養があります。穀物も野菜も同じで、皮に一番栄養があるので皮も一緒に丸ごと食べることが、ビューティーフードの大きなポイントです。

「物足りない」ヴィーガン食のイメージを払拭したい

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室谷:ヴィーガンというと「ヘルシーだけどおいしくなさそう」「物足りなさそう」などイメージされる方が多いです。私はそういった固定観念をなくしたいと考え、ビューティーフードという言葉をつくりました。

「美容に良い」「食べることがダイエットになる」「罪悪感なく食べられる」そういった食べ物があったら食べてみたいと思いませんか?完全植物性の食材を食べることは素晴らしい食事法だということを伝えたくて、ビューティーフードの協会を立ち上げました。

よく「肉も魚も乳製品も卵も食べないと何を食べるの?」と聞かれますが、食べるものはたくさんあります。さっきも言ったヴィーガンのハンバーガーをぜひ食べてみてください。何も物足りなくありません。

渋沢:室谷さんがヴィーガン食に目覚めたきっかけは何でしょうか?

室谷:今はこんなに偉そうに食事について話していますけど、以前はスイーツばかり食べていて、スナック菓子など体に悪いと言われている食事のオンパレードでした。

それでもモデル業をしていたときに『ピンクリボン』(乳がん検診の推進をする運動)のイメージモデルの仕事をいただき、女性の健康や美について情報を発信する立場になりました。伝える側として何か資格を持ちたいと思ったときに出会ったのが『マクロビオティック』でした。

マクロビオティックに出会い食事を180度変える

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室谷:マクロビオティックと聞くと英語だと勘違いされるのですが、実は日本発祥の食事法なんです。いわゆる玄米採食のことで、玄米・みそ汁・納豆など質素だけど日本の伝統食をとることで体が整うという考え方です。

マクロビオティックの講座を受け大きな衝撃を受け、「これしかない!」とピンときて、180度食事を変えました。

住谷:食事を変えてから身体にはどういった変化が起こったのですか?

室谷:モデル業をしていたので「痩せてなきゃいけない」という使命感を持っていたのですが、それでもお菓子は食べたい。そのため、カロリーしか気にしていないような食事をしていました。

お菓子ばかり食べる食生活になっていて、花粉症、冷え性、便秘、肌荒れなどに悩まされていましたね。なかでもコレステロール値がひどくて、医者からは「このままだと血管詰まって死ぬよ」と言われるくらいでした。ただ、コレステロールが高くても、痛くもかゆくもなく症状がないので実感がなかったのです。

でもマイクロビオティックに出会い、食事を変えて2週間たったくらいにたまたま血液検査をしたら、コレステロール値がすとんと落ちていて、こんなに変わるのかと驚きました。食事を変えてからは、花粉症や肌トラブルといったつらい症状も改善され、食べても太る心配をしなくて良くなりました。

モデル業は「一生ダイエット」だと思っていましたが、今は好き勝手に食べたいだけ食べても体型維持ができています。

食べ物でなりたい自分をつくれる

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渋沢:「これを食べたら太るな」と心配する必要もなく、むしろ食べたら健康になるのがビューティーフードなのですね。ぜひ取り入れていきたいと思いました。

室谷:私たちの身体は、肌も髪も爪もすべて食べたものでつくられています。つまり食べ物をどう選ぶかでなりたい自分をつくることができるのです。

いま自分が食べているものが細胞になり、未来につながっていくので、お子さんに影響が出ることもあります。アレルギーやアトピーに悩んでいるお子さんが増えていると聞きますが、それも食べ物の影響が大きいのです。だからこそ、日々何気なく食べているものがとても重要だということを知って、少しだけでも気を付けるようになってほしいです。

ヴィーガン食や玄米をオススメすると「毎日やらないといけないんですか?」とよく聞かれますが、まったくそんなことはありません。本当にご自身のペースで週1回、月1回でもいいので取り入れてほしいと思います。

部屋の掃除を1年しないのと1カ月に1回するのとでは大きく変わりますよね。体もそれと同じです。ビューティーフードを取り入れると、食べながら身体のお掃除をしてくれます。デトックスをしてくれて栄養もとれる本当に素晴らしい食事法なので、ぜひ自分のペースで無理をせず取り入れてみてください。

「ウガンダのフルーツを世界中に届けたい」若きCEOの熱き想い

今回のゲストは、合同会社Fuan(ファン)のCEO石崎陸(いしざきりく)さんです。石崎さんはウガンダの孤児院でドライフルーツをつくり、日本の高校生とコラボして世界中に届ける事業を展開しています。若くして世界に向けたチャレンジを続ける石崎さんの行動力や価値観の原点を伺いました。

MCはワクセルコラボレーターの岡田拓海(おかだたくみ)さん、美谷玲実(みたにれみ)さん、総合プロデューサーの住谷が務めました。

「お金よりも仕事をつくること」と気づきウガンダで事業を始める

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美谷:本日のゲストは、日本の若者にチャレンジする醍醐味を伝えることを使命としている24歳のCEO石崎陸さんです。石崎さんは19歳のときにアフリカのウガンダ共和国で事業を立ち上げ、帰国後に会社を設立しました。「フルーツ王になる」という目標を掲げ、現在は高校生を対象に教育事業を展開しています。

岡田:19歳のときにウガンダで事業を立ち上げたという行動力に驚きました。これまでどのような経歴を歩んできたのですか?

石崎:僕は10歳のときにジョン・レノンの『イマジン』を聞いて世界平和や社会貢献に生きると決めて、ずっとそこにアンテナを張ってきました。

高校2年生のときにイタリアへ留学したのですが、毎日通っていたスーパーの入口前で物乞いをしている男性と仲良くなったんです。その男性がウガンダ人で、「ウガンダに仕事が無くて仕方なく来ている」という話を聞いてビビッときました。これまで世の中の問題は全部お金で解決できると思っていたのですが、お金より、仕事をつくることの方が大事だと気づいたんです。そして大学生になり、新しく仕事をつくるべくウガンダに渡りました。

教科書に人生の生き方は書いていない

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岡田:ウガンダで立ち上げたのが養鶏場とのことですが、なぜ養鶏場だったのですか?

石崎:ウガンダではキリスト教徒が7割、他にもイスラム教徒などさまざまな人がいて、鶏肉だと宗教的な影響を受けにくいと思ったからです。あと、ご飯を食べられない子どもたちを目にして、長い時間待たせられないと思い飼育の回転が速い養鶏を選びました。

岡田:石崎さんは思い立ったらすぐ行動に移すタイプだと思うのですが、その行動力はどのように培われたんですか?

石崎:イタリア留学中の経験が大きく影響しています。まずイタリアの学校で初めに受けた衝撃が「ここは勉強する場所じゃない、人生を学ぶ場所だ」と言われたことです。勉強しに来た僕としては「どういうこと?!」って思いましたね。

徐々にイタリア語が読めるようになり、生徒が皆、ペン立てに名言を書いていることに気がつきました。そのなかの一つに「教科書に人生の生き方を教えてくれるものはない」というものを見つけて、そのとき「確かに!」って納得したんです。

教科書をどんなに勉強しても、どうやって生きろとは書いていない、自分で行動して見つけるしかないという考えに至りました。

フルーツ事業を通じて孤児院の子どもが学校に行けるようにサポート

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岡田:現在展開している教育事業にフルーツが深く関わっているとのことですが、どのような取り組みをされているのですか?

石崎:教育事業をしようと思ったのは、僕自身が日本の教育に合わなかったと感じているからです。というのも当時「学ぶだけで何もできないじゃん」という感覚があって、もっと実践するとかフィールドワークするとか、生きた学びをしたかったという思いが強かったんです。だから30歳までに保育園をつくり、日本の教育を変えることを目指しています。

そして、フルーツを扱うようになったのは、ウガンダで始めた養鶏場の鶏が盗まれるという事件が起きたことがきっかけです。ウガンダでは鶏は高級食材なので狙われてしまい、孤児院の敷地で運営していたので強盗が来るような事業だと子どもたちが危険なため、止めざるを得なくなりました。

ただ、募金やクラウドファンディングを通じて僕の思いを支援してくれた方々のお陰でスタートできた事業だったので、その気持ちを踏みにじりたくなかったんです。そのため「もう一度何かここでやろう」と考え、フルーツが思い浮かびました。

ウガンダのパイナップルやマンゴーってめちゃくちゃおいしいんです!でもそのことをウガンダ以外の人は知らない。だったら世界中の人においしいフルーツを届けて、それで孤児院の子どもたちがご飯を食べられたり、学校に行けたり、そういう風につながっていったらいいなと思い、ドライフルーツの事業を始めました。

高校生とのコラボレートで生まれる魅力的なアイディア

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石崎:ドライフルーツと教育がつながったのは、「フルーツ王になります」って半分冗談、半分本気で発信したのがウケて、ある高校の先生から「高校生と一緒にできませんか?」というお話をいただいたからです。

最初はサークルみたいな形で、放課後に家庭科室に集まってみんなでパイナップルを切ったり干したりして始めました。それからどんどん校内でうわさが広まって規模が大きくなり、文部科学省が2022年から実施している『総合的な探究の時間』の一環として取り組めることになりました。

生徒たちはとても楽しそうに参加しています。フルーツの色が変わったり、まずくなったり、一つひとつを実験して学びながら、「ウガンダってどういう国なんだろう」とか、「どうして貧困が生まれるんだろう」ということまで学んでいます。

また、高校生が考えるアイデアがすごく素敵なんです!パッケージ案を考えていたときに、ある生徒が「孤児院の子どもたちに絵を描いてもらえばいいのでは」と言ってくれて、愛を感じましたね。自分では思いつかなかったことを提案してくれて、コラボレートの力を感じています。

自分のなかに面白いベクトルを持つ

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美谷:石崎さんは多くの方を巻きこんで事業をされていて、仲間をつくることが得意なんだと感じます。石崎さんが人と関わるうえで大切にしていることはありますか?

石崎:僕はすごく寂しがり屋なんです。だから寂しいときに「寂しい」って言うようにしています。以前の僕はプライドが高くてツンとしていて、それが原因で徐々に仲間がいなくなってしまったことがあったんです。でも素直に「寂しい」と言うようにしたら仲間が増えました。

あと、大事にしている考えがもうひとつあります。大学生のときに飲み屋で「石崎って面白くないよな」って言われたことがあって、ショックというよりも「なぜ人は相手に面白さを求めるんだろう?」ってすごく不思議な気持ちになったんですよね。

僕は留学中、挑戦することの楽しさ、学ぶことの面白さを感じていて、人や環境に面白さを求めたことはありません。なので環境のせいにしたり、人のせいにしたりするのではなく、自分がどうやったら楽しくなるか、自分のなかに面白いベクトルを持つことが大事だと思っています。そうするともっと人生が楽しくなると思うんです。

“世界のファン”を増やしていきたい

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住谷:僕は教員免許を持っていて、もともと教育に興味があり、多くの人に夢を与えていきたいという思いで起業しました。石崎さんの考え方にとても共感し、たくさんの刺激をもらいました。今後の活躍が楽しみなのですが、どのようなビジョンを持っていますか?

石崎:僕は日本で過ごして、アメリカやイタリア、ウガンダなど、さまざまな国を見て「世界はとても素敵なんだ」ってことを体感しました。僕は僕みたいな“世界のファン”を増やしていきたいんです。「僕たちが動くことによって、より多くの人がこの大きな世界の一員であることをもう一度意識できるように、そして今より世界のことが好きになれるようにしたいです。」

著者の育成、プロデュースで日本を元気に

ソーシャルビジネスコミュニティ『ワクセル』(主催:嶋村吉洋)が定期的に開催している経営者対談。

今回は、2021年の書籍年間ベストセラーランキング総合1位(※日販調べ)を獲得した『人は話し方が9割』の著者である永松茂久さんと、投資家であり映画プロデューサーでもある嶋村吉洋が、人間力やビジネスについて語りました。

2021年ベストセラー作家として人のお役に立ち続ける

司会:永松さんの著書『人は話し方が9割』が2021年の書籍年間ベストセラーランキングで総合1位を獲得されましたが、要因を教えてください。

永松:本をあまり読まない人をターゲットにしていたからだと思います。

意外に思われるかもしれませんが、僕の周りは本を読まない人が多いんです(笑)。そのおかげで『人は話し方が9割』は、本を読まない人の心に刺さる本になりました。

世の中には普段から本を読む人より、読まない人の方が多いです。一般的にビジネス書は本を読む人向けの内容にすることが多いですが、『人は話し方が9割』は、本を読まない人向けの内容になっています。

「話し方」というテーマも良かったようです。「話し方」は家庭、友人関係、恋愛、職場、どんな場面でも必要かつ悩んでいる人が多いため、たくさんの方に読んでいただいています。

さらにテレワークも追い風になりました。オンラインでのコミュニケーションは対面より反応がわかりにくく、話し方を学びたいという人が増えています。

司会:年間ベストセラーランキングで総合1位を獲得されたいま、亡くなったお母様に伝えたいことはありますか?

永松:いま伝えるとしたら「引き続き人のお役に立てるように頑張ります」ですかね。

うちのおふくろには「本を書くのも、社長になるのも、有名になるのも、全部人の役に立つためです」と常に言われてきました。そのため、日本一になったときもこの称号を何のために使うか考えました。

そこで見えてきたのが、”次世代著者の育成”です。良い著者をたくさん生み出して、素敵な本が世の中に増えれば出版業界、ひいては日本全体が元気になると信じています。

嶋村:永松さんの著書『喜ばれる人になりなさい』を読ませていただきましたが、お母様への想いにとても感動し、全編うるうるしてしまいました。

うちの母は2年前にくも膜下出血で倒れてしまい、現在は言葉も話せず寝たきりの状態です。現在はいつでも会えるように、同じマンションの別室に住んでもらって介護をお願いしています。

母は父との離婚や祖母の介護など、いろいろ苦労をしてきた人なので、母のためにできることは何でもやろうと思っています。

『喜ばれる人になりなさい』誕生秘話

永松:『喜ばれる人になりなさい』を読んで感動したという声をたくさんいただき、とてもありがたいなと感じています。

おふくろが亡くなったときに、おふくろから何度も言ってもらった「喜ばれる人になりなさい」という言葉をテーマに本を書こうと決めました。ただし、自分で条件をひとつ決めていました。

その条件は “日本一になること” です。おふくろの言葉を世の中に伝えたいという気持ちは強かったのですが、その本のラストが「日本一を目指して頑張ります!」では締まらないと感じたのです。そのため “日本一になること” を出版の条件としました。

嶋村:コミットしてやり遂げることは、私も経営者としてとても大切にしています。「目指して頑張ります」と「コミットして達成しました」ではまったく意味が違いますよね。

永松:正直こんなに早く日本一になると思っていなかったので、読者はもちろん出版社・書店の方々にとても感謝しています。誰かが力を抜いていたら取れなかったタイトルだと思います。

著者だけの力で日本一はとれません。著者育成をしていると書き方や企画書について質問を受けることが多いのですが、一番大事なのは人間力だと思っています。

「感動」という言葉はあるが「理動」という言葉がないように、人は理屈ではなく感情で動きます。「この人と一緒に本をつくりたい!」と思ってもらえる人間力が重要なんです。

では「人間力はどう育んでいくのか?」を考えたとき、結局たどり着くのはおふくろの「喜ばれる人になりなさい」という言葉でした。

嶋村:「喜ばれる人になりなさい」という言葉は本当に素敵ですよね。多くのお母様はお子様に対してそう思っているでしょう。ぜひ多くの若者に読んでもらい、永松さんの想いが届いてほしいです。

永松:そうですね。もともと『喜ばれる人になりなさい』は、20〜30代の若者向けに書いた本です。親に感謝して、大事にしてほしいと思って書きました。ただ、ふたを開けてみると40〜60代の女性がメイン読者で驚きました。

母親が主役の本なので、母の言葉が子育てなどで悩みを抱えているお母さんたちの心を軽くしてくれたようです。

著者の育成、プロデュースで日本を元気に

株式会社人財育成JAPAN代表取締役・永松茂久×ワクセル主催・嶋村吉洋

司会:作家として頂点まで上り詰めた永松さんは、今後どこを目指して活動されますか?

永松:いま経営している『株式会社人材育成JAPAN』は著者育成のための会社なのですが、新たに『センチュリー出版オフィス』という出版支援オフィスをつくる予定です。

著者さんは一生懸命に出版まで行うのですが、どう売ってよいかわからず困っている人が多いです。そこで著者さんのサポート組織をつくることにしました。

この活動の認知度を上げるためにメディアに出ることも検討しています。僕らのキーコピーは「本の力で日本を元気に」なので、極端かもしれませんが「日本を元気にするのは本だ!」ぐらいのことをテレビで言いまくってしまおうかと思っています(笑)

また、ビジネス書の著者は社長であることが多いのですが、まだ本を出していない面白い社長さんも多くいらっしゃいます。そのような方々に「社長のノウハウを法則化して、世の中の困っている方を助けませんか?」という提案をしています。

社長さん以外にも、面白いことをやっている人やコンテンツを持っている人がいらっしゃいます。巡り巡ってその人自身にちゃんと返ってくるような設計とプロデュースをしたうえで、ノウハウをパッケージングして世の中に届けていくことを考えています。

司会:永松さんはワクセルのコラボレーターとしても活躍されていらっしゃいますが、コラボレートする際に大切にされていることはありますか?

永松:組んでくれた相手に利益があるかを第一に考えますね。
また、コラボレートするにはお互いが同レベルの影響力を持っている必要があると思っています。影響力に差がある場合、影響力が弱い方は単純に力を借りているだけなので、コラボレートと言うべきではないでしょう。
さらに、もうひとつ条件があるとすれば、自立していてコラボレートしなくてもやっていける人同士であることです。このような人たちがコラボレートするからこそ、本当の掛け算になり大きな結果が生まれると考えています。

嶋村:間違いないですね。レバレッジがきくからこそコラボレートには価値があると思います。永松さんとも一緒に大きな結果をつくっていけたらうれしいです。


「“おいしい”と喜ぶ顔が見たい」アイドルから実店舗経営へ

今回のゲストは、東京・上野駅の近くにある『Maze Cafe* ラーメン美谷』のオーナー、美谷玲実(みたにれみ)さんです。美谷さんはアイドルとして活動し、大人気テレビアニメ『アイカツ!』のキャラクターソングを歌うユニット『STAR☆ANIS(スター・アニス)』に所属。

ユニットの活動で埼玉スーパーアリーナや武道館などの大舞台に立ったこともあり、その経験を活かして、現在はアイドルをプロデュースする仕事も行っています。

アイドルとして活躍する美谷さんが、なぜラーメン店のオーナーをすることになったのか、異色の経歴について、ワクセルコラボレーター・岡田拓海(おかだたくみ)さんと、総合プロデューサーの住谷が詳しく伺いました。

大人気アニメ『アイカツ!』のアイドルユニットメンバーに

ラーメン美谷オーナー美谷玲実×ワクセル

住谷:本日はワクセルスタジオを飛び出し、東京・上野にある『Maze Cafe* ラーメン美谷』でのトークセッションです。店内は「本当にラーメン屋さんなの?」と思うようなかわいらしくてポップな雰囲気です。

岡田:今回のゲストは『Maze Cafe* ラーメン美谷』のオーナーであり、アイドルのプロデュースを手掛け、ご自身もアイドルとして活動をしていた実績もある美谷玲実さんです。まずはアイドルの活動についてですが、どのようなきっかけでアイドルになったのですか?

美谷:子どもの頃から歌が好きで、歌いたいという気持ちがずっとあったのですが、行動に移すことができずにいました。大学入学を機に札幌から上京し、歌への気持ちが諦めきれず、歌える場所を探したんです。

秋葉原にアイドルカフェがあり、在学中にアルバイトとして入ったことが大きなきっかけです。「アイドルになりたい」というよりは、歌える場所を探した結果がたまたまアイドルカフェだったという感じですね。

岡田:アルバイトとしてアイドルになり、そこからどのようにして本格的な仕事に発展していったのですか?

美谷:アイドルカフェを運営している会社が主催するオーディションに受かったことで、アニメの歌を歌うようになりました。『アイカツ!』という、アイドルを目指す女の子たちのアニメなのですが、劇中に登場するアイドルユニット『STAR☆ANIS』に入ることになり、アイドルとして本格的に活動をするようになりました。

歌い方を変えたり声を変えたりして、『アイカツ!』に登場する3人のキャラクターの歌を歌っていましたね。『STAR☆ANIS』で埼玉スーパーアリーナや武道館といった大きなステージに立たせていただいたこともあります。

アイドルカフェのイベントでオリジナルメニューを提供

ラーメン美谷オーナー美谷玲実×ワクセル

住谷:「歌を歌いたい」と起こした行動が、大きく発展したのですね。次は、アイドル活動とまぜそばがどうつながったのかお聞きしたいです。

美谷:札幌出身だったこともあり、子どもの頃からラーメンが大好きでした。でも札幌にいたときは味噌ラーメン・醤油ラーメン・塩ラーメンしか食べたことがなかったんです。

上京して錦糸町に住んだのですが、ラーメン屋さんがたくさんあって、つけ麺やまぜそばにも出会いました。まぜそばを初めて食べたときに「こんなに美味しいものがあるんだ!」って衝撃を受けて、それ以来まぜそばが大好きになったんです。

アイドルカフェで働いているときに、オリジナルラーメンを作ってファンのみなさんに提供するイベントをするようになりました。そのイベントが好評で50回くらいは開催したと思います。
最初は自分で作ったものを出すことにとても緊張していたんですが、ファンの人たちが「おいしい」って食べてくれました。皆さんが笑顔になってくれるのがうれしくて、「いつか実店舗を開きたい」という夢を持つようになったんです。

また、「女性にはなかなか入りづらいラーメン屋が多いな」とも感じていたので、女性でもゆっくりできる、今までになかったお店をつくりたいという気持ちもありましたね。ファンの皆さんが集える、おうちみたいな場所を目指しました。

岡田:お店を出したいと言っても、なかなか簡単にできることではないですよね。このお店はJR山手線・上野駅から歩いてすぐのとても良い立地です。資金的にもかなりの負担があったのではないでしょうか?

美谷:資金はクラウドファンディングで集めました。目標は350万円でしたが、結果的に450万円集めることができました。あとは融資を受けたり、自分たちでDIYしたり、なんとか開店をすることができました。

緊急事態宣言中や、まん延防止等重点措置の期間中はお客さんが減ってしまいましたが、ファンの方が来てくれるので、コロナ禍でもそこまで不安になることはありませんでしたね。

まるでパスタの雰囲気!?女性にも人気のまぜそばメニュー

ラーメン美谷オーナー美谷玲実×ワクセル

美谷:本日はせっかくお店まで来ていただいたので、人気商品を用意させていただきました。当店のメインメニュー『北海道のクリームまぜそば ポテチースペシャル』は、チーズ、マッシュポテト、アーモンドバターがのっています。麺は北海道の小麦を使って、オリジナルで発注しています。クリームソースが麺にしっかり絡んでいるので最初はそのまま食べていただいて、その後しっかり混ぜて味の変化を楽しんでください。

住谷:すごくおいしいです!混ぜるとアーモンドバターが溶けてよりまろやかな味わいになりました。見た目がかわいらしくてパスタみたいな雰囲気で、女性にも人気がありそうなまぜそばですね。

美谷:写真を撮ってくださる女性のお客さんもたくさんいますね。そしてもうひとつが、ランチで一番人気の『醤油まぜそば』です。トロトロの角煮がいち押しポイントです。

岡田:麺に濃いめの醤油の味がしっかり絡んでとてもおいしいです。少しピリッと辛いブラックペッパーがアクセントになっていますね。

美谷:メニューは私が考えているのですが、ドリンクやデザートメニューもあり、夜にはお酒の提供もしています。おつまみとなるコースメニューも用意しているので、飲みの場としても使っていただけます。

「人に役立つ」ことをテーマに新たなチャレンジも

ラーメン美谷オーナー美谷玲実×ワクセル

岡田:これまでアイドル活動、ラーメン店のオーナーと異色のキャリアを積んでいる美谷さんですが、今後新たにチャレンジしたいことはありますか?

美谷:現在、アイドルのプロデュース業や育成にも取り組んでいるのですが、今後はそちらにもっと力を入れていきたいと思っています。また、まったく違うジャンルになりますが、「人に役立つことをやりたい」という思いがあるので、子どもに関する仕事や、介護に関する仕事にも活動の幅を広げられたらと思っています。

住谷:ワクセルのコラボレーターには子どもの教育に取り組んでいる人や、介護士の方もいるので、ぜひそういう方たちとコラボレートして一緒にチャレンジしていきたいですね。

「地球を守る」と自らに使命を課し、国産シルクを世界へ

高嶋耕太郎(たかしまこうたろう)さんは、日本のシルク産業を守るため、大手アパレル企業の取締役という立場を捨て、2021年に株式会社NEXT NEW WORLDを設立しました。同社は気候変動を止めるために、アパレル・コスメ産業から出る二酸化炭素の削減を目指したビジネスを展開。今後、国産シルクを世界に広めるべく、シンガポールへの移住を決断されています。

ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢一葉(しぶさわいよ)さんと、ワクセル総合プロデューサーの住谷がシルクの魅力と環境への熱い思いを伺いました。

原材料としてのシルクの可能性を見出す

株式会社NEXT-NEW-WORLD-代表取締役-高嶋耕太郎×ワクセル

渋沢:本日のゲストは絶滅寸前のシルクを守るために、支援金500万円の期待を背負ってシンガポールに移住まで決めた高嶋耕太郎さんです。今回は高嶋さんの素顔に迫ると共に、国産シルクについても詳しく伺います。まず気になるのが“国産シルクが絶滅寸前”というお話です。

高嶋:もともと日本はシルク産業が非常に盛んで、第一次世界大戦前までは世界一の輸出量でした。日本のシルクは品質が高く世界の国々に輸出され、その稼ぎを投資して工業化を進め高度経済成長を遂げたのです。当時の日本には養蚕農家が200万軒あり、人口比で言うと4人に1人はシルク産業に関わっていたそうです。ところが現在、日本に養蚕農家は200軒しかありません。当時からすると0.0001%という驚きの数字ですよね。

住谷:そんなにも少なくなっているのですね……。高嶋さんはAmazon Japanで働かれたり、大手アパレル企業で役職に就いたり、華やかな経歴をお持ちです。なぜそのような立場を捨ててまで、衰退しているシルク産業に着目したのですか?

高嶋:Amazon Japanでは色々な部署で働かせてもらい、その後のTOKYO BASEでは取締役を6年ほどやらせてもらい、長年ビジネスマンとして働いてきました。そのなかで段々と強くなってきたのが、「社会貢献がしたい」という気持ちです。今ではSDGsの活動や認知がとても広がってきていますが、私がSDGsで一番気になるのが気候変動。世の中に気候変動の影響で困っている人が多くいて、「どうにか止めることができないのか」と考えるようになりました。

生きているなかで働いている時間は長いと思います。ではその時間をお金を稼ぐためじゃなく、社会貢献に使うことができれば、自分の時間の価値が高まると思いました。「お金のために働くのではなく、お金を稼ぎながら社会貢献がしたい」そういう思いから自然原料について調べるようになり、色々調べた結果シルクの原材料としての可能性を強く感じたんです。

500万円の支援金が集まる

株式会社NEXT-NEW-WORLD-代表取締役-高嶋耕太郎×ワクセル

高嶋:まずご紹介したいのが、本日持ってきたこの白い粉です。こちらはシルクの糸を細かくしたものです。シルクってものすごく汎用性があり、糸を粉にして体内に取り入れることでたんぱく質を摂取できます。

シルクには『フィブロイン』というたんぱく質の一種が含まれていて、フィブロインにはコレステロールを抑制する作用があると言われています。そのため、この粉を飲み物や食べ物に入れて摂取することで、コレステロールを下げる効果が期待できます。

住谷:シルクからたんぱく質が摂取できることも驚きですが、さらにシルクで石けんもつくられていますよね。「絶滅寸前の国産シルクを守れ!」をテーマにシルク石けんのクラウドファンディングを行い、大きな反響があったと伺っています。

高嶋:クラウドファンディング開始直前に、俳優の窪塚洋介さんと群馬県桐生(きりゅう)市の荒木市長と私の3人で「シルク産業を守る」というテーマでトークイベントを行いました。その後、開始1時間で目標金額の100万円を達成し、最終的に500万円の支援金を集めることに成功しました。

「国産シルクを守ってほしい」「やっていることが素晴らしい」などのコメントをいただくことができ、「挑戦した価値があった」と感じましたね。

肌にうるおいを与えるシルク石けん

株式会社NEXT-NEW-WORLD-代表取締役-高嶋耕太郎×ワクセル

渋沢:このシルク石けんにはどういった特徴があるのですか?

高嶋:シルクは糸をつくる段階でお湯を使って煮るのですが、そのときにセリシンという成分が抽出されます。セリシンはたんぱく質の一種で、人間の肌の組成にとても似ていると言われています。そのため肌への吸着性が強く、高い保湿効果が期待できるんです。さらにセリシンには紫外線を吸収する効果があることも実験でわかっています。

この成分をいかした商品をつくるときに石けんを選んだのは、まずは多くの人にシルクの良さを知ってもらいたいと思ったからです。石けんであれば子どもから大人まで毎日のように使ってもらえますし、日常生活の中でシルクの魅力を体感してもらうことが大きな狙いです。

シルクは本当に優秀な原料で知れば知るほど良いことばかりで、大きなビジネスチャンスになると思います。国の研究機関とも提携して研究しましたし、調べれば調べるほど魅力が多く、どんどん知識を吸収しながらシルクにのめり込んでいきました。

「気候変動に子どもたちを巻き込みたくない」と地球を守ることを決意

株式会社NEXT-NEW-WORLD-代表取締役-高嶋耕太郎×ワクセル

渋沢:近々シンガポールへ移住されるそうですが、決断に迷いはありましたか?

高嶋:シンガポールに行く理由はシルクのためでもありますし、気候変動のためでもあります。私には5歳と3歳の子どもがいますが、自分の子どもが大きくなったときに“汚染された地球”になっていることが許せないと思ったんです。子どもたちのためにも、誰かが地球を守らなければいけません。その誰かは私だと思いました。

気候変動が起こることで地震や津波などの災害が激化すると言われています。そのようなことに子どもたちが巻き込まれてほしくないという気持ちが一番強いですね。

これまで石油からつくられたものがたくさん使われてきました。多くの人が石油由来のものを使ってきた結果、地球環境が悪くなっていることを自覚してきています。SDGsへの意識が高まっている今なら、石油由来の繊維と自然由来の繊維があったとして、「どちらを買いますか?」と聞くと、みなさん自然由来のものを選んでくれると思うんです。僕のビジネスを大きくして、自然原料のシェアを増やしていけば気候変動の改善につながると考えています。

東南アジアの富裕層に向けシルク需要の開拓を目指す

株式会社NEXT-NEW-WORLD-代表取締役-高嶋耕太郎×ワクセル

住谷:シンガポールに行くことがビジネスの拡大につながるんですね?

高嶋:私が中期目標として掲げているのが、“東南アジアに日本のシルクを売る”ことです。東南アジアには現在約6億6,000万人の人口がいて、さらに人口が増えていくと予想されています。その人口の約1億人が富裕層と言われていて、富裕層だけで現在の日本の人口ほどいるんですよ。

日本のシルクはとても高いものなので、富裕層に向けて需要を開拓していきたいと考えています。シンガポールは東南アジアのハブとなる国なので、販路拡大のために移住することにしました。私は群馬県桐生市で養蚕業をやっているのですが、桐生市でシルクの製品開発を行い東南アジアの富裕層に売る。この流れをつくることができれば日本のシルク産業を守りながら、気候変動を止めることに役立つはずだと考えました。

今は目に見えないものに価値を置く『風の時代』と言われていますけど、『競業』じゃなくて『協業』の時代になってきていると思うんです。今後ワクセルさんのようにいろんな方と協業して、日本のシルクをもっと世界に広めていきたいですね。世界に勝ちに行くために、私たちと協業してくれる方をお待ちしています。