経営者対談

『エーディエフ』代表取締役
島本敏 × ワクセル

今回のゲストは、なにわのものづくり企業『エーディエフ』代表取締役の島本敏さんです。
独創性と提案力をモットーに、お客様のあらゆるニーズに合わせたアルミ製品をオーダーメイドで製造されています。国際的なスポーツ大会においても、独自開発の同時通訳ブースが話題となりました。

父と一緒に会社を設立し、弱冠22歳で社長に

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住谷:本日のゲスト・島本敏さんは、創業から一貫してオーダーメイドでさまざまなアルミ製品を生産しています。
開発から市場にリリースするまでにこだわっている点などを教えてください。

島本:『エーディエフ』はアルミフレームのメーカーで、フレーム自体はホームセンターなどでも売っているものです。創業当初は材料を売ることから始まったので、製品はなくて「このフレームを買ってくれたら何でもできますよ」みたいな売り方でしたが、それだとなかなか買ってもらえなかったんですよね。

だから自分たちでアルミフレームを使ってワゴンを作ってみたり、トイレのタンクの上のちょうどはまるようなものを作って、写真を撮り、「こんな実績ありますよ」と宣伝しました。

そうしているうちに、看板屋さんから看板用のフレームに使えるんじゃないかと提案され、市場を広げていきました。未経験のジャンルだったので、当初はとにかくお客様のニーズに耳を傾けて試行錯誤をしながら商品を開発していきました。

しだいに、オーダーを受けて作るのではなく、こんなものがあった方がいいんじゃないかという商品をメーカーとして企画し、打ち出していくようになりました。お客様の声や業界の動向も見て、「将来的にこうなりそうだから、こういう商品があったらいいね」という発想から繋げていった感じです。

元々、うちの会社は父が私のために作ってくれた会社でしたが、0から1を生むことができなかった私は、1つの製品を違う業界に横展開して、新たな市場を創っていきました。

住谷:現在、25期目ということですが、続いている理由はなんでしょうか?

島本:なんなんでしょう……。誤解を招く言い方かもしれないけど、奇跡だと思っています。どこかの下請けや大型受注があるということではなく、イチから自分たちで商品を企画製造し、それが売れなければ利益にならないんですよね。

1品作りだけで25期というのはもう奇跡的だなと感じています。これからの目標としては、25期から30期で「自社のブランド力とは何ぞや」を追求していき、確立させていきたいと思っています。

元々は父も自分でアルミの加工会社を経営していたんです。わりと有名な会社でマンションによくある、ドアを開けたらもう1枚、玄関網戸があるのはご存じですか?あれを日本で最初に作ったのがうちの親父なんです。

発想して開発して商品を生み出すアイデアマンでした。ただ、私が高校生のとき、メーカーを志す道半ばで会社が倒産しまして、家族全員、真っ昼間に夜逃げするっていう事態があったんです。この場面は妙に覚えていますが、「はい、解散」となったのが昼間だったんです。「これ、俗に言う夜逃げだな、夜逃げなのに昼なんだ」とか思っていました(笑)。

その後、2年ほどして父が戻り、一緒に新しい会社を設立することになりました。私は父の会社を継ぎたいということを常々言ってきていたので、「お前が会社を継ぎたいと言っていた思いと、俺のメーカーになるという夢を合わせて、新しい会社を設立しよう」という流れになったんです。

それで設立したのが『エーディエフ』です。設立当初の20歳からずっとやっているんですが、当時は若すぎるから私は社長ではなく、父の友達が2年ほど社長をやってくれて、3期目から私が代表になりました。現在、代表歴は21年ぐらいですね。

テーマは「どうやったら社員が輝く会社になるか」

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住谷:22歳で社長というのは重責だったのでは? 

島本:その話をするとコメディみたいになりますが、私が若すぎるので、「社長を名乗らせると世間的によくないんじゃないか」という考えがあったんです。取引相手に「お前が社長なら今ここで判断しろ」とか迫られることもあるかもしれないと心配したのと、私が調子に乗るんじゃないかっていうふたつの理由で、父から苗字を変えろと言われたんです。

もちろん「いやだ」と言ったんですが、そんなときヒグチという社員が、名刺を100枚作ったのに退職したところだったので、「この名刺もったいないからお前が使え」と父に言われたんです。「会社が生き残るためだ」と説得されたのもあって、僕はそこから10年強、ヒグチで過ごしました。

社長になってからもヒグチだったので、大事な取引先との交渉の時は、事情を伝えていました。今振り返ると、「そんなことあるの?」と面白おかしく聞こえるかもしれないですけど、当時は本当に必死でした。

名前を戻す時も、人によっては「これからもよろしく、ヒグチさん」なんて言ってくれる方もいたり、「え、婿養子?」って混乱する人もいました(笑)。その当時を今振り返ると、「何でも全部ひとりで背負ってやろうとしている」という感じだったと思います。

住谷:そこからどう変わったんですか? 

島本:父が思いや理念を持って作ってくれた『エーディエフ』がすごすぎて、私ひとりじゃどうにもならないと思う時があり、「社員や他の人と協力していこう」と思ったんです。ひとりでできることってたかが知れているし、逆に言うとひとりでできるレベルのことをこの会社でやりたい訳ではありません。

社員さんがいてこその会社だと思ったし、自分が独りよがりに色々と言うだけじゃどうにも変わっていかないということに気付かされた出来事があったんです。

実は当時、父とケンカ別れしたんですよね。ちょうど32、3歳のときに新社屋、自社工場を建てたのですが、父は全く認めてくれないし、いろいろと口出しもされました。そしてついに「やれるんなら勝手にせい」と、父が出て行くことに。

いなくなって初めて、自分は父に依存していたんだと気づきました。それから、社員さんをもっと大切にしようと、社員一人ひとりとその人の誕生日月にサシ飲みをするようにして、話を聞くようにしました。向こうが選んだお店に行くので、どんなお酒だろうが一緒に飲んで、仕事の話は基本的にしないようにしています。

最初は社長とサシ飲みなんかと嫌がる社員もいましたが、「どんなお店でもいい、予算もいくらでもいい」と言ったら、社員のさまざまな個性が出たんです。すき焼きのすごい高級店に連れて行く社員もいたし、気を遣って個室にしてくれた結果、それがカップル席で、社内で一番体格が大きい人とカップルシートで飲んだり、立ち飲みで2時間半、飲んだり。

そうすることで打ち解けて、話しやすくなったと言われます。やはり、社員さんが輝かなかったら会社をやっている意味がないと思いますので、コミュニケーションを大事にしていますね。

特徴的なのはチャレンジ精神・結果的終身雇用・究極の多角経営

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住谷:アルミ製品以外にも、いろいろチャレンジできる環境があると伺いました。

島本:はい。弊社は『結果的終身雇用』という考え方を大切にしています。20代、30代、40代…80代まで全世代いるので、各世代でやりたいことができたらやればいいし、前例がないことなら作ればいいと思っています。

だから、やりたいと提案してくれたことには基本NGは出しません。結果的終身雇用とは、たとえば70代とかで振り返った時に、「いろんなことをしてきたからひとつの会社にいたとは思えないけど、実は同じ会社だった」みたいなことなんですよね。

具体的な例を出すと、ウェブ事業部を立ち上げてくれた社員がいまして、それを見た他の会社さんから、「うちのホームページも作ってくれませんか」と頼まれて仕事を受けることもあります。究極の多角経営ですね。会社としての可能性がどんどん広がるし、社員本人がやりたいことを重視していくと、それが結果的終身雇用につながるというわけです。

もともと会社の理念は『創意工夫』です。「世界をあっと言わせるものづくりをしよう」というビジョンは、うちの父が設立当初からずっと言ってきたことなので、その次元のことをやろうと思ったら、ひとりじゃできません。そこでいろんな人のいろんな発想力が必要なんだと思います。

住谷:ありがとうございます。ワクセルは20代、30代で起業したいとか自営でチャレンジしたいとか、好奇心旺盛な人が多いので、島本さんからメッセージをいただけますか?

島本:自分の志にちゃんと自分で火を灯せる思いを持って起業してほしいと思います。世間からの評価とか売上とかではなく、たとえ独りになったとしても心が折れないような、自分で自分の志に灯をつけられるビジョンを持っていてほしいですね。

それぐらいの気概を持って起業してくれる人がひとりでも増えると、中小企業が不要だとか言われることもないと思います。それこそうちも50期目ぐらいに、大手企業になる可能性だってあるだろうし、社員さんと一緒にもっと企業規模を大きくしていきたいですね。

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