経営者対談

株式会社オファサポート
服部幸雄 × ワクセル

今回のゲストは、宮崎県で多数の事業を展開されている株式会社オファサポートの服部幸雄(はっとりゆきお)社長です。自動車教習所の経営から介護、タクシー、子どもの福祉、ジャイアンツアカデミー、IT関係、ペット、ホテル事業などを行っています。マーケティングはせず、自分の目と耳、体験で感じた社会的な必要性を情熱で訴えかけ、行政も動かした人。社会貢献や地域活性化に力を注いでいるその原動力についてお伺いしました。

事業計画やマーケティングはせず、事業と事業を掛け合わせて新しいものを展開

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住谷:宮崎県でさまざまな事業を展開していらっしゃる株式会社オファサポートの服部幸雄社長にインタビューさせていただきます。まずはどんな事業をされているのかお伺いさせてください。

服部:今は自動車学校、タクシー、介護、子どもの福祉、ジャイアンツアカデミー、IT関係、ペット、ホテル事業などをやっています。メインは自動車学校なのですが、それを始めたきっかけは、以前、自動車学校に勤めていたからです。国家資格である教習指導員の資格を取り従事していましたが、若かったこともあって組織にそぐわず辞めてしまいました。

僕は高卒だったので、勉強をあまりしてこなかったこともあり、せっかく取得した国家資格がうれしくて、その資格を生かしたいと思ったんです。そこで、オートマニュアルの中古車を2台購入してコースを間借りして、自動車教習所を立ち上げたんです。

教習所のコースを賃貸で借りるなんてなかなかない発想、全国で見てもないと思います。でも当時、若いながらにいろいろな努力をして、どうやったら貸してくれるかとか、誰に言えば話を聞いてもらえるかとか試行錯誤をしました。

自動車学校の経営をしていた方や、警察OBの方などそういった人たちに熱意だけを伝えて、コースのオーナーを紹介してもらいました。その結果、借りることはできたのですが、賃貸の値段もけっこう高くて、当時はお金も大変で必死でしたね。

そして、教習所を始めて3年くらいたつと、軌道に乗ってきたので、介護事業と医療のリハビリを提供する事業を福岡で立ち上げました。15~6年前ですが、ある程度は自動車学校でシェアを取れていましたが、少子化ということに非常に危機感を持っていました。次第にシニア向けの仕事をしたいと思いはじめました。

住谷:なぜ福岡で事業を始めたのでしょうか?

服部:介護事業と医療のリハビリなどの仕事を教えていただいた方が宮崎で事業をやっていたので、そのシェアを取ってはいけないと思ったんです。また、単純に九州のなかで、人口が一番多い場所が福岡でした。

実は、僕はマーケティングは意味がないと思っているので一切やらないんですよ。人口が多ければターゲットの絶対数が多いけれど競合他社もたくさんいます。競合他社が少ない場所へ行けばターゲットの絶対数も少ないから、どっちにしても一緒なんですよね。

他の事業の展開も、特に綿密な事業計画があったわけではないんです。ただ、ずっと危機感を持ち続けていました。たとえば、介護をやるにしても、介護施設はすでにごまんとあるし、自動車学校もベテランの方がたくさんやられています。

タクシー業者もいっぱいいるわけで、僕はすべてにおいて後発組なんです。僕が唯一勝てる要素があるとすれば、事業と事業を掛け合わせて新しいものを展開すること。そうすれば僕が一番先になれるんじゃないかと考えて、そのような事業を興していったらいつの間にかこうなったという感じです。

マーケティングもまったくやらないので、自分でもこんなにうまくいくとは思っていませんでした。少子化だからシニアの仕事をしたいという動機から始まったけど、介護施設は飽和状態のなか、どうやって勝ち組として残るのか。それなら掛け合わせで何か新しいものを生みだそうと思い、自動車学校のコース敷地内に介護施設を建てて、利用者に車のリハビリを提供しました。これは全国で初めてでした。

そんなふうに新しいシナジーで介護業界でも後発ながら、新しい試みを繰り返し、勝ち組として残れたんだと思います。これも最初から意図したわけではなく、掛け算して新しいものをつくるしかなかったんです。財力もないし、僕ひとりで始めたので歴史があるわけでもないし、介護の見識もありません。唯一我々が残る手段は、新しいものを生み出す企画の力でした。

逆境を乗り越え、自治体施策にも採用された高齢者向けのカーリハ

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住谷:事業と事業のコラボレートについて、詳しくお聞かせいただけますか。

服部:教習所内で車の運転ができるプログラム『カ―リハ』は、現在では、いろいろなところからの依頼や協力をいただいています。初めての取り組みでしたが、今の社会情勢の諸問題を解決するひとつの希望の光になったと思います。

ちょうどこのプログラムを立ち上げた当時、高齢者の交通事故や免許返納の問題がクローズアップされていたのですが、宮崎で車を取り上げるとどこにも行けないんです。この問題は全国でたくさんあると思います。もちろん交通事故は問題だけれど、簡単に車を取り上げていいのか、そこを解決する役割も担っていました。

要は運転技術のトレーニングもできるし、現在の運転技術を客観視することで自ら免許返納するかどうかを決められます。そうすれば事故防止にもなりますし、生活範囲を狭めないので車を持っていることで趣味もできますし、認知症にもなりにくいのです。

そういった問題を解決していくことができたので、さまざまなところから協力を得ることができました。県や自治体の施策ともコラボレートできたのが、大きかったですね。

住谷:新しいことをやるときは逆風もあったのではないでしょうか?

服部:やはり新しいことを始める時には、反対もありました。僕は運転のリハビリを介護保険でまかないたかったんです。たとえば実費で5,000円取るなら行政にお伺いをたてなくてもいいんですよね。

でも介護算定に運転のリハビリを入れたいと行政に訴えたら、全国で例のないものを基本的にはやりたがりません。最初はすごい勢いで「何を言ってるんだ君は」「介護でやらなくても自動車学校でやればいいだろう」と言ってきました。

もちろん自動車学校でもやっています。でも自動車学校で教習指導員がつくと1時間5,000円くらいもらわないと人件費などの採算が合いません。1カ月に10日もやると5万円ほどかかるので、トレーニングしたい人への負担が大きいです。でも、介護保険に組み込まれれば、生活弱者の方も交通弱者の方も助かるんだと、当時は熱意だけで訴えていました。

介護施設で折り紙とか習字をしてもらうのももちろんいいと思いますが、僕は運転がリハビリになると言い続けたんです。運転って、認知・判断・操作の繰り返しなので、我々でも疲れるじゃないですか。

飛び出してくるかもしれないとか予測して、信号も標識も歩行者も見ないといけません。体を動かしてブレーキを踏む必要もあります。要は脳機能から身体機能まですべてを使うので、こんなにいいリハビリはないんですよ。

でも当時はそういう医療文献がないので、ただ熱意だけで運転のリハビリを認めてくれと、半年ぐらい市役所でプレゼンをしました。そしてようやく認めていただいて、今では市が表彰してくれたり、補助金を出してくれたりしました。

その後、車の運転をやめると認知症の発症率が2倍になるとか要介護率が8倍になるなど、そういう医療文献も出てきました。最初はなかなか理解していただけなかったことが、今やっと広く認知されたので、動いて良かったと思っています。

できる前提で物事を考えていくと、必ず道筋はできる

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住谷:諦めずに逆風を乗り越えてきたその原動力は何ですか?

服部:僕は18歳から20歳くらいの頃、大阪で過酷な営業職に就いていました。基本給がなく、売れなければ0円。ボールペンひとつ買う経費も全部自分持ちでした。宮崎から出てきた田舎もんが大阪のど真ん中でそうやって生きて培ったのが、「とりあえず、できる」と言う精神です。

営業として駆け引きをするなかで「こういうことはできますか」とか「こんなことしてくれたら、それ買いますけど」と言われたら、とりあえず「できます」と言って、言った後に考えます。それが経営に活きている気がしていますね。

行政と話していると「こんなことができるんですか」とよく聞かれます。何事もできる前提で物事を考えていくと、必ず道筋はできると思うんです。人様に迷惑をかけないこと、法から逸脱しないこと。このふたつを守れば、僕はなんでもできると思います。それが諦めずに逆風を乗り越えてきた原動力ですし、事業経営のベースになっている大切なマインドです。

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