にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之
コーヒー&ビアスタンド
『にじのわ』代表
おそらく日本一不器用な珈琲屋

自身の生きづらさと向き合い発信を続ける平田泰之(ひらた やすゆき)さんによる連載コラム。父編の最終回となる今回は、見えにくい支配「ステルス虐待」と職場での葛藤に迫ります。逃げ場のない関係性のなかで生じる違和感にどう向き合うべきか、自分を守るための視点を問いかけます。
母に関するコラムも4つ書いてきましたが、父に関しても今回が4つ目、これで一旦最後となります(次のコラムはステルス虐待に関する総評などを予定しています)。
2011年9月に初の両親との対決、その後、泣く泣く実家に帰ることになり、そして再開された虐待、偽りの平和―――僕を消去するための『計画』は着々と実行されていたことでしょう。
その後、2012年1月に僕は発達障害の診断を受け、同年12月に障害者雇用としてとあるメーカーの工場に就職しましたが(通勤は片道90分、電車の乗り換えが2回、その乗り換えでかなりの移動があり、ずっと立ちっぱなし)、給料はずっと手取り15万円ほどで、失った人生を取り戻すために時間もお金も必要な中で父の陥穽によって背負わされた奨学金もあり、実家を出ることはずっと叶いませんでした。周囲にいる僕の支援者も、言葉は悪いですが、正直言って『役立たず』がたくさんいました―――無能どころか有害な支援者に関して、今の日本の”福祉”に関する問題も、今後のコラムでガンガン書いていく予定です。心の中の僕が血だらけになりながら闘ってきた相手は、両親だけではないのです。
父は2013~14年になっても決して謝罪も反省もせず、『虐待などない』とドヤ顔で言い切ることもあったほどです。僕はそんなサイコパス同然の父とは関わりを一切持たないようにしていましたが…。

月日は流れ、念願の一人暮らしを2021年5月から開始しましたが、それからもなお安定した就職がうまくいかない中、2022年11~12月、大阪市内にあるとある就労移行A型支援所に通うことになった僕に、母から父の会社で働くように嘆願されました。話だけでも聞いてやる&両親に関してはもはや金を吸い取るターゲット(強盗など犯罪的な行為でお金をとることはしませんが)でしかない僕にとっては、とりあえず話だけは聞いてやり、どうせ普通に就活してもまともな就職をする道すらもはや、事実上絶滅状態にまで追い込まれてしまっている僕にとっては、父の会社に入るしかありませんでした。
皮肉にも、この時が人生で一番収入があった時で、それでもこの会社の給与手取りが30万円(+自営の収入などがあった)程度でしたが、人並みの収入を、34歳にしてやっと得られた喜びがあったことも事実です―――父は、これだけ僕に与えておけば僕を懐柔できるという想いがあったかもしれませんが、とはいえこれは父の会社のベテラン&役職者に次ぐくらいの給与だったので、この給与に関しては正直今でも恐れを抱くこともあります。
いくら親に罪があれど、社員の方々には罪はありません。社員さんたちも僕のことを「社長のボンボン息子」と揶揄することなく、父は決してしてくれないような、リスペクトを払って僕に接して下さる社員さんもいたので、この方々の為にもベストは尽くそうと思いました。
体と心が壊れないようにしつつなんとか勤務を続けていました。残業がほとんどなかったこと、社員の多くとはそれほど仲が悪くなかったのも救いではありました。
そして何よりも、コーヒーやクラフトビール関係の仲間でいて下さる方々が、僕が前を向いて生きることを助けてくださいました…当初、この会社に入った時、『僕は半年ももたないだろう』と思いましたが、結局2年はもちました。

父の会社に入ってもなお、やはり、想定していたとおり、ステルス虐待の嵐、奴隷化、心に対する実に手の込んだ有害な干渉が止まりませんでした。
それをあえて毎日行わず、いつ、どこで、どのように行われるか分からないことが、陰湿性を非常に高めています。会社のロッカーの中にはボイスレコーダーを入れておき、父の虐待的な言動を拾える機会も伺っていました。いくつかは録音に成功したものがあります。
2024年、勤務2年目となり、その年のお盆が明けた頃から、異変が起き始めます。
記憶力や認識力が大きく低下し、ものを考えたり記憶したりすることにかなりの不便を覚えるようになっていったのです。コーヒーの産地やクラフトビールの銘柄などといった、好きなことを覚えることもしんどくなってきました。
特に、ただでさえその場の状況をパッパッと理解することは(アスペルガー症候群の特性もあって)難しく、そのような僕を見て父はさらにこき下ろしをしてくるのです。
月1で通っている精神科にもこのことを相談してみたところ、『平田さんは適応障害の可能性がある。診断書も書けると思う』と言われました。
かくて、2024年10月1日---この日は『世界コーヒーの日』でもある―――、父が社長室にいる時間を見計らって、このことについて相談しに行きました。その時の父からはこのような言葉を言われる(※ボイスレコーダーに録音済み)ことになります。
『病院行かんといたらええやん』
…この時の経験とこの父の言葉は、その後何人かの人に話しましたが、中には明らかにドン引きしている人もいました。この言葉は、言うならば父の『死刑宣告』だったのでしょう。このままもっともっと父に虐待されて心も体も病んでいき、最後は僕が自ら滅びていくことを選択&実行することが、彼(とその配偶者=僕の母)の望みだったのだと思います。
そして、この『病院行かんといたらええやん』の発言の後も、僕が適応障害で心身の機能が落ちているにも関わらず、僕の仕事の速度が遅いとヤジを飛ばしたりなどもしばしばありました。
なお、この日に限らず、この発言があった時、僕がある意味特殊な仕事(社内DXを任されていた)をしていることについて、半ば選民思想的な言葉をかなり僕に投げかけてきたことも覚えています。
『あんたの仕事は他の人とは違う。他の人は日々目の前の仕事しかしてない』といった具合にです…。
その『目の前の仕事』をこなし続ける人たちのお陰で会社は回り、社会にもその恩恵が還元されていくのに?この社員の皆様もまた、一人一人、僕なんかにはできないことをパパッとやってのけるスーパーマンたちというのに?……『社長』としても、信じられない、末恐ろしくなる発想かつ発言です。
そして同年12月末をもって、僕は休職に入ることになります。その時、僕は対人ストレスからの休職ということになり、総務の人と話すことになりました。この時、総務の人から誰が原因かと聞かれて、社長のせいだとぶっちゃけましたが、この総務の人は社長=父の虐待性に全く気付いていないようでした。
今回、このコラムをもって父の冷酷無比な独裁者のような態度や言動の在り方(父の本名や顔などを出してないにせよ)世間に漏れ伝わることとなるでしょうが、この独裁者ぶりを周囲には巧妙に隠し続けていたこともまた、彼の非人間性を際立たせる側面と言えそうです。
一方で、休職前の僕と呑みに行かないかと誘ってくださった人がいたのですが、この方だけは社長=父のせいで僕がおかしくなったことに気づいてくださっていました。『休職なんか挟まなくてもさっさと辞めていいのでは?』とも言われました。見ている人はいるものです。
ちなみに、この父の経営する会社は、実は僕の父方の曾祖父が創業した会社で、戦前から歴史が続いています。父は3代目社長です。
石川県の、現在の小松市辺りで生まれ、創業者である僕の曾祖父は、『誠実石をうがつ』という言葉を残しています。
嘘をつくことが超ヘタクソな僕にとっても『誠実さ』は生きていく上で非常に大事なエッセンスなのですが、曾祖父はどのような想いで我が子を嬉々として壊す自分の孫=僕の父を見ていたのか、そこは想像に任せるしかなさそうです。

10月1日以降も、父の僕に対する虐待は止まらず、僕が労基に駆け込むための『閻魔帳』として書いていた、いつ、どこで、どのように父に虐待されてきたかを書き残したリストは、A4用紙で10ページを超えました。ハローワークのハラスメント相談窓口、弁護士の無料相談なども受けましたが、一様に『平田さんがお父様から受けている仕打ちは、ハラスメントの可能性が極めて高い』と言われました。
そんな虐待行為を続けてきた父は、11~12月頃、適応障害になってしまい、コーヒー屋としては致命傷になりかねない味覚や嗅覚の落ち込みも出てきた頃。診断書も頂き、クリスマスが近くなりいよいよ休職に入ろうとしている僕に対して、こう言い放ちました。
『これは親として大事なことを伝えるけど…』
そう言って、僕の心身の健康を気遣うような言葉を言ってきたのです―――ここまで僕のコラムを辛抱強く読まれてきた方ならば、この発言は全部、ウソだとお分かりかと思います。
僕を油断させて、僕に心を開かせて、また虐待を再開し、僕を絶望させ、僕を自滅させるための、罠です。
この父の言葉と態度に対する僕の正直な意見は『おまえのような人間として大切なものを粗末に扱い続けてきた人の姿をした化け物に、そんなことを言う資格などない』です。
もっと言えば『さっさと遺産だけ残して、さっさとこの世から退場するように』『遺産を僕に残す気が無いならさっさと行政書士さんや弁護士さんと取り決めてからこの世から退場を』が本音です。
このような親に”Love is all”=愛こそ全て、なんて言おうものなら、命がいくつあっても足りません。もう”Money is all”=金こそ全て、としか言いようがなくなってしまいました―――とはいえ、僕にこのように思われても仕方のない結末を生んできたのは、他でもない父と、そして母なのですが。とはいえ、彼らが所持している遺産に相当する資産を、僕がびた一文と受け取れないことも、想定には入れています。
非常に激しい憎悪と冷酷さに満ちた本音をしれっと書きましたが、天の神様もいよいよ、僕にこのような『死神の役目』を果たすことをお許しになることでしょうか…(こんなことしれっと書けてしまうからでしょうか、人様から『平田さんはキレたら絶対めちゃくちゃ怖い…』『俺は君だけは敵に回したらあかんと思ってる…』と言われたこともあります。こんな物騒なことしなくて済むのがもちろん一番なのですが…)。
少し話がそれましたが、実際に、その後休職に入り、JR大阪駅の駅ナカビル「ルクア」のあたりで、父と会って退職を宣言した2025年2月20日も、僕の意見や言葉を無視し続けたり、ちょっとでも僕が感情を表に出して話すとそれを全て無視・粉砕・蹂躙するレベルで押さえつけ、否定してきたことが、僕を人扱いしていない何よりの証拠です。
そんな父は、この日の別れ際、阪急電車の大阪梅田駅にて、ふてぶてしくも握手を求めてきたのです。僕は『外交的儀礼』として握手は交わしましたが、その穢(けが)された手をすぐ、その大阪梅田駅の壁にこすりつけました。
壁に手をこすりつけて父の『穢れ』を少しでも落としてからすぐに、今僕の事を大事にしてくれている人たちのお店に呑みに行って、そのお店の人とそこにいた仲良しの常連さん(ちなみにこの人も飲食系の店舗経営をされている)に想いをぶちまけました。父、そして母と違って僕の想いを否定しないでくれるこの人たちは、僕に心からのおめでとうを伝えてくださいました。
この2025年2月20日以来父とは会っていませんし、お金など実利につながらないならもう会う気もありません。もし父がこのコラムを見つけ、僕を訴えてくるなら、裁判所かどこかで僕と会う可能性はあるのかもしれませんが。
むしろ、父が所持している実利を介して僕を激しく傷つけてくる可能性もあるため、第3者を介して会うことも、このコラムの掲載に伴い検討した方がいいかもしれません。とっさの言葉がうまく出ない特性も非常に強い僕は、頭の回転が速く、そして僕に対する非人間的・非倫理的な発言や態度、見下しにためらいのない父に一方的にリンチをされ、最悪の場合は僕が自らの手で自らを滅ぼすほどの心理的ダメージを与えてくるリスクも極めて高く、何かの時に僕の父に対してパッと言い返せる人がいないといけないかもしれません。
何かとネットサーフィンをするし、ネットでも他国の人たちを差別する言葉を匿名で書きまくったり、己の残虐さや卑劣さを棚に上げて諸外国の負の歴史を大げさに言っては(例:『〇〇人は世界で一番残虐な奴らやからな!!』『あいつらは所詮〇〇(←差別語)や!!』)、自分たちがいかにまともかを主張したりしている父のことです。この記事も父の目に留まるかもしれません。今回このような記事を僕が載せたことも、やれ名誉棄損だとか法的に訴えてくるかもしれません。遺産を僕に継がせないなど脅迫めいたこともしてくるかもしれません(遺産に関しては、もし引き継げるとしても、僕は『お金』には感謝できても、両親にはもう感謝できませんが…)。
ですが、僕にたとえ金銭などの実利が無くなったとしても、こうした『生存記録』を残すことこそが、未来の世界にとってよりプラスになることなのではないかと考え、今回のコラム掲載を決めました。
お読みくださる方々、僕の真意を曲解しないでくださる方々の、忍耐や寛容の精神に、改めて心の底から感謝申し上げます。僕なぞがこのようなことを申し上げるのは恐れ多いのですが……きっとあなたのその温かく優しい、そして勇気ある心は、この人間社会を明るく照らす、希望の光となるように、僕は思います。