にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之
コーヒー&ビアスタンド
『にじのわ』代表
おそらく日本一不器用な珈琲屋

自身の壮絶な半生を綴る平田泰之(ひらた やすゆき)さんのコラム第8弾です。逃げ場のない絶望の中で、平田さんが見出した「真人間」への渇望と、生き残るための葛藤とは。平穏な日常の裏側に潜む「見えない暴力」は、決して他人事ではありません。
2020年8月に、僕がコーヒー活動をしていく上で今もこれからも大切なパートナーである『みるっこ』を、『汚いもの』と母から侮辱・罵倒され、その半年後、2021年2月に母から言われたのは『コーヒー活動をしているのは素晴らしい』。そのダブルスタンダードに僕はもう耐えられず逆上。言い訳ばかり繰り返す母の歪んだ論理を徹底的に打ち負かし、心を折り、そして65歳になった彼女から、彼女に入る年金を原資として一人暮らしをすることに成功しました。
本来なら僕が実家という『出口のない牢獄』で完膚なきまで踏みにじられ、自ら命を絶つまでに追い込まれていても全くおかしくなかったにも関わらず、僕のメンターなど、「平田さん、良かったやないですか!!!」と僕の一人暮らしを心から喜んでくださる方々もいてくださったことは、今もこれからも感謝しかありません。
しかし、一人暮らしを開始しても全てが順風満帆だったわけではありません。
まるで、執拗に、しつこく繰り返される『呪い』のように、一人の僕を苦しめ続けるような出来事も何かとありました。 特に、僕が大きな幸せを感じている時に、非常に強い不快を伴うインシデントが、まさに『絶妙』としか言いようがないタイミングで起きるのです。それも毎回です。それが起きる度に、母の、人生で一番イキイキとした『イッヒヒヒヒ!!!ウッヒヒヒヒ!!!!』という笑い声と満面の笑顔(それと、父のどや顔と見下しをたっぷりと伴った陰湿な笑い)が頭をがっちりと支配し、僕の尊厳と心を脅かし続けるのです。
僕の心や尊厳に破壊的な攻撃を加え続け、不毛の大地にさせ、トラウマという『放射能』でいっぱいにさせることを、彼らは『愛情』と呼びました。
彼らは、僕と肉体的に距離を置いてもなお、その凶行が止められずにいたのでしょう。

2021年5月の一人暮らし以降も、フラッシュバックがあまりにも強く、その時々、母に電話をかけ、激しい言葉をぶつけまくったことがあります。いつも、どんな時も、言い訳の達人である母ですから、その言い訳を完全に論破するくらいの覚悟で臨まなくてはなりません。そして僕は、彼らが僕を虐待していたのが快楽だったように、母に感情をぶつけでもしないと、もうどうしようもないくらいのトラウマを抱えさせられていました。母との論争の過程で、これまでさんざん僕を精神的に追い詰めてきた母は『泰君は私たちを脅かしてくる!!』と僕に罪を擦り付ける言動もありました。
そのうちの1回は、“2”ばっかりつく日時―――2022年2月22日午後2時22分頃、だったもので、この時のことはよく覚えています。 この時の母は、自分が今までしてきた悪魔のような言動や態度は差し置いて、このように吐き捨てたのです。
『私は泰君のことを一番に思ってる!!!!』
まるで愛情を持っている親であるかのように振る舞いだしてきた、加害者が被害者に絶対に言ってはいけない言葉を、正義丸出しで言いだしてきたのです。 はっきり言って、呆れて言葉も出ません。
ただ、この言葉もこう解釈すれば『あっ、なるほど』となるかもしれません。
『私は泰君のことを一番に ”滅ぼしたいと” 思ってる!!!!』
我ながら凄まじい解釈……ですが、こうでも思わないと、もうやっていられないのです。
『信じる者は救われる』という言葉がありますが、平田家においては違います。
『(両親を)信じる者は滅ぼされる』のです。
それも、いったい何人もの罪なき人たちを嬉々として滅ぼせるのだろうという圧倒的な狂気と絶望の中で…。

当時僕が通っていた大阪市某所にあるメンタルクリニック(診断を受けたクリニックとはまた別)が、言葉を選ばずに言えば全く機能していなかったため、折しも、僕が引っ越した先に、最近できたクリニックがあるということでそちらに転院。転院に伴い障害等級の引き上げと障害年金の申請(数ヶ月後に無事通りました)を行うと同時に、ずっと行われなかった服薬治療も始まり、かなりQOLが向上。2026年の現在、引っ越してきた当初に比べればかなり落ち着いたと思われます。 ありがたいことに、僕の受けてきた虐待がひどすぎたという認識を、『ステルス虐待』という見えづらい形だったにも関わらず、持ってくれる人も、大阪市内に引っ越してきてからかなりの勢いで増えてきているように感じます。きっと、両親は、内心ではこの現状が悔しくて仕方ないでしょう。
そんな母も、池田市の実家にいながら、お隣の兵庫県川西市のメンタルクリニックに通い始めたのですが、彼女は医師の前で自分の罪は棚に上げ、僕を責めてくること、自分の罪と向き合わないことも常套手段化しています。 メンタルクリニックに行くのも、世間的には家庭の問題としっかり向き合うフリをしながら実際はそれをせず、大好物でたまらない『世間体』を保つためです。自分の異常なサディズムなど、自分の問題を自分で向き合うことは、金輪際しないと思います。
また、ここで初めて話しますが、発達障害は遺伝することがあると言われています。
これは僕の私見ですが、父はアスペルガー症候群、そして母はADHD(注意欠陥多動性障害)の可能性はかなり高いと思われます。そして、その特性の負の側面を、たとえ彼らに発達障害の自覚が無くても、僕を追い詰めるために多用してきたフシがあるのです。1つ前のコラムで書いた、僕が失業状態にあることや、『みるっこ』を汚いものと笑ってきたのも、ADHDの『衝動性』ととらえれば合点が行くところもあります(※これはADHD当事者の方々を一般化する意図はありませんが、この『衝動性』に平田は度重なる精神的蹂躙レベルで苦しめられてきており、悪意と結びついた際には非常に破壊的になりうる部分だと感じています。逆にここを通院などでうまくコントロールできているADHD当事者の方とは仲良くなれる傾向も高いですが、そうでない方々とはまず「戦争」になることも多いです)。 特に母は、僕の障害特性を知り、僕の特性の弱点を突いて僕が自ら滅びるように追い込もうとしましたが、もし彼女自身に障害の自覚があったなら、その特性さえも僕を追い詰める、最終的には僕をこの世から削除するための『道具』として利用した可能性は、非常に高いと思います。

僕が一人暮らしを始めて1年になろうとするその日は、とても澄んだ、きれいな青空の日でした。
この日、僕は実家に帰らざるを得なくなったのですが、そこでとある異変に気付きました。
僕の部屋にあるはずの学習机が、姿を消しているのです。 何か知らないか母に聞いたところ、僕の許可を得ず、勝手に廃棄したとのことでした。そして、その母からは信じられない言葉が出てきました。
『前に泰君が「お前らが金出して買ったもんはお前らの好きにせぇ」って言ったから……』
…確かに、僕の学習机は当時の僕がお金を出して買ったわけではなく、両親です。
だからといって、僕の思い出も詰まっていて、僕の所有物がまだ引き出しの中にも残っている僕の机を、僕の許可なく、勝手に処分しようというのでしょうか。僕の知り合いの虐待サバイバーの方で、彼女の母親に、使っていた学習机をのこぎりで真っ二つにされたという人もいますが、その喪失感と絶望感は、もはや言葉で表現しきれないほどです。 そういえば、実家に僕がいた時の母は、僕のことはお構いなしに、あれもこれも捨てるかどうかと一方的にまくしたててきたことが過去何度かありました。
このような『所有権』、もっといえば『境界線』の崩壊ぶり(前のコラムでも、僕が中学時代のクラスメートたちなどから度重なるいじめ行為を受け、その際に母が、自分の尺度だけで暴言を吐いてきたことも書きましたが)は、すぐにInstagramのストーリーズ等で書いたところ、遠方にいる僕と同年の友人が『君のお母さんはやっぱり境界線のおかしな人。君は悪くない!』と励ましたりしてくれたことで、かろうじて小康状態を保つことができました。
これが、『あなたのことを一番に想ってる!!!』と語る人間(の姿をした化け物)がすることなのです。
僕の母は、言ってることとやってることがめちゃくちゃでも、もはやお構いなしなのです。そして、そのめちゃくちゃぶりを指摘すれば、激しくキレる、すねる、いじける、僕じゃない第3者にはしずしずした態度をして虐待を隠匿―――これが、僕の”実の母親”の本性なのです。
僕は、この歪んだ存在の遺伝子を引いて、生まれ落ちた命なのです―――その時から、僕には過酷な宿命を課せられていたのかもしれません。『人を愛することも、人から愛されることも、もしかしたらあってはいけないのかもしれない』と考えるほどに。
僕はこの人からこれからもずっと、愛情のフリをして、最も大切なものを汚され、壊され、尊厳を傷つけられ続ける、そしてそれらの理不尽な営みを『愛情』だと言われ続けることでしょう。
…こうしてコラムを書き、世間に彼らの行いを白日の下にさらすことが、もはやたった一つの僕の『救い』であり、なおかつ、与えられた『使命』なのかもしれません。
(※)ちなみに平田は特段何かの宗教に傾倒しているわけではありませんが、宮本武蔵さんの言葉『我、神仏を尊べど、神仏をたのまず』という言葉と想いは大事にしたいと思います。

一人暮らしをしてからは、まるでかつて無職が続きに続いたのが嘘のように職につくこともできたのはできましたが、様々な職に就いては長く働くことができず、挙句の果てに流れ着いた就労支援A型事業所では、その責任者から精神的な苦痛を与えられたこともあります(後日その責任者からは謝罪はされましたが、どこかパフォーマンスのような感じでした)。
追いつめられ続けた挙句、これも親のせいだと実家に談判しに行くしかなくなった僕に、母は”最後の切り札”を切ってきました。母は、こんなことを言いだしました。
『あとは泰君が●●社(父の経営する会社)で働いてくれさえすれば…!!!』
僕は、その話を聞くだけ聞いてやることにしました。ですが、僕は前々からそうしていたように母にこう宣言しました。以下は、その時僕が母になんと言ったのか、記述します。健全な、一般の家庭では絶対に出ない言葉でしょうが…。
『今まで言うて来た通り、お前らにおいてはMoney is all =金こそ全てや!お前らは金としか思っとらん!!金のためだけにお前らを利用してやってるだけや!感謝せえや!!!』
『Love is all=愛こそ全てなんて言うてたらお前らに何もかも全部踏みにじられるからな!!Money is allや!!このボケッ!!!』
…これだけの言葉を返しても、もはや僕には何の罪悪感もないくらい、僕はあまりにもこの宇宙最凶の生物たちに虐待されすぎました。 不器用な僕は、これだけ激しい暴言でも吐かないと、あの手この手で僕の心を殺そうとする魔の手から生き延びることはできなかったのです。
もちろん、普段の僕にリスペクトを注いでくださる人々などには、”Money is all”なんてとんでもありません。 彼らはお金では買えない本当に美しい絆を、僕のような血まみれの生き物とも結んでくれた勇気ある優しい人たち、本当に大切な人たちですから、この人たちには死んでもこんなことは言えません。そんな内容を、両親に対して言うことは、もはや地獄を司る神々の皆様から赦しすら与えられているのか…。
果たして僕は、2023年1月、やむにやまれず父の支配下に置かれることになります―――父の会社に入ることになりました。 皮肉にも、そこで僕の年収は初めてまともな水準になりました(手取りで大体400万少々くらいありました)。年収の多くは、今までやりたくても思う存分できなかったNISAやiDeCoにも結構充てていました。
ですが、決して過去の虐待を反省しない、そして母とは別の方法で『ステルス虐待』の陰湿化と巧妙化を進めていた父の支配下で、”Money is all”と修羅と化した僕(かといって社員の皆さんには罪はないので、業務をこなすべく尽力はしましたが)は確実に精神を病んでいき、2024年9月頃には適応障害の診断が下りました。きっと、こうなって僕が追い詰められていくことが、父のみならず母にとっても狙いだったことでしょう。現に、2024年10月1日(世界コーヒーの日、でもあります)の昼下がりに、父は、僕に向かって、「病院行かんといたらええやん」と言い放ったのですから…。
しかしながら、少し明るい話をすると、僕は当初は父の会社での勤務は半年も持たないと思っていました。それでも、2年も勤務を続けられたのは、間違いなくコーヒーと、コーヒーを通した仲間たちのお陰でしょう。 父は懐柔策として僕にコーヒーの活動を辞めなくてもいいことを入社条件に掲示してきましたが、そこは徹底的に利用させてもらいました―――ですが、もはや感謝の念はありません。彼らに感謝をすればそれこそ、彼らが僕への精神的攻撃をエスカレートさせるからです。
ここまで「母編」をお読みくださり、ありがとうございました。
この先のコラムでは「父編」、そして「その他の虐待者編」と続いていき、その後はコーヒー関係で命を救われた経験などについても書いてみよう、と考えております。

僕が父の会社に入った頃から、母はなぜかおとなしくなってきた傾向があります。僕が厳しい言葉をぶつけてきたときも言い訳をせず、口先だけは素直に謝るようになってくることが妙に増えました。
そんなわけで2021~22年の言い訳のオンパレードを繰り返した母は鳴りを潜めつつあるのですが、やはり油断はできないのが実情です。また手を変え品を変え、日に日に巧妙化と陰湿化が進む『ステルス虐待』を思いつき、実行してくる可能性はとても高く、彼女とその配偶者(僕の父)に心を開くことはもう永遠にできませんし、やってはいけません。
そう、『信じる者は滅ぼされる』のです。
振り返れば、2023年12月半ば、僕の背中に500円玉くらいのヘルニアができ、救急車で病院に運ばれ、緊急入院&緊急手術になった時もそうでした。 肝心の僕が言いたいことは全部無視、かと思えば手術後、大阪市北区にある僕が入院していた病院まで、池田市から毎日毎日ストーカーのように顔を出してきました。それも笑顔で(この母の毎日顔を出してくる行動は、『えーっ!?』と困惑する人がたくさんいました)。 この2023年は、絶対母には会わないと決めていただけに、このような形で僕がどうしても受け入れられない人間の顔を見なくてはならなくなるのは、ショックでした。
僕はこうなったらもう利用できる機会は利用してやるとばかりに、母への激しい言葉をぶつけにぶつけまくりましたが、もはやなんの罪悪感も湧きませんでした。世界中の闘いや試練を司る神々がいたとしても、僕のこの防衛行動をとがめることはないのではないかという具合に…。
だから僕は、最近の母の、しずしずした態度にももう騙されません。このしずしずした態度に、いったいどれだけの人間が騙され、そして彼女の行為が隠匿されたのでしょうか? 彼女と、その配偶者が言う善意は、どこまでも疑ってかかるくらいがちょうどいい―――まさに僕の実家は、人が人ではなくなる過酷な空間なのです。
…一方で、これとは逆に、人を信じ、感謝の気持ちや謙虚さを重んじ、優しさに満ちた空間で生きていけることが、僕の両親が最も僕に望まなかったことであると同時に、今の僕が、僕の仲間たち共にかみしめる、この世に生まれてきて最高の幸せかもしれません。 それは僕の両親が奪い、破壊し尽くしてきたものであり、大人になった今の僕が、成人後の長きにわたる実家での苦しい生活を終えてからの30歳を過ぎてようやく本格的に取り戻せつつあるものです。
まだその人間らしい嬉しさの実感も、1つ前のコラムで書いた『みるっこ事件』のためにブレーキがかかっているところもそれなりにあるとは思いが、 それでもなお、彼らが『愛情』と呼びながら攻撃を仕掛けてきた歴史を乗り越え、生きてきた僕が為すべきことの一つは、心ある人たちと幸せを築いていくこと、そして僕がこの世を去った後も続くような人々の幸せの礎を築いていくこと――それが、僕の使命の一つかもしれません。
次のコラムからは毒父編です。 まだまだかなりヘビーな内容が続きますが、ここまで読んでくださった貴方の勇気に、優しさに、そして人の可能性に、エールを。