【鬱注意】『生存率1%以下の人生』:限りなく虐待に見えない虐待『ステルス虐待』の猛威を生き延びて ~父編2of4~

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

2026.09.21

自身の壮絶な半生を綴る平田泰之(ひらた やすゆき)さんの連載コラム第10弾です。激しい感情のぶつかり合いとは異なり、家庭という閉ざされた空間で静かに心を蝕んでいく見えにくい支配の構図に迫ります。家族や親子のあり方に悩むすべての人へ、自立と支配の境界線を問い直す気づきを投げかけます。

父のコラム、4つ書く予定のうちの2つ目です。母のことを書いたコラムと比較していて感じるのは、母のしてきた行いも、人間として非常に醜悪・邪悪で、もはや『人の姿をした悪魔を超える悪魔のような生き物』でなければできない行いもさることながら、父の、高いIQを行使したより冷徹で非人間的な在り方は、かつて彼が否定した『怒り』を、より純粋かつ高い次元で感じられるような気がしています。

今回は特に、何かにつけて激昂しては独善を擦り付けてくる母への不信感がピークに達し、一方で激昂してこない父に対して、幼少期は父への不信感を持っていた僕の心を、思春期に入ってから開かせ、僕を彼の手駒にすべく徹底的かつ狡猾な洗脳を行い、僕のQOLを劇的・爆裂に下げ、人生の全てを土台から壊していったかをさらに語っていきます。

非道・人外の心を持つサディストの父に、なぜ傾倒していってしまったのか?

column_Yasuyuki.jpg

母の度重なる、かついつ起きるか分からない激昂が幼い頃から何年も続いたことで、とっくに僕の心が壊れてしまっていたのでしょう。特に外食の時、僕は母があまりにも僕の外食に行く度に起きる具合の悪さに憎悪を向けてくるため、『外食恐怖症』になったことは、過去のコラムで母のことを書いた時に載せた通りです。

父と二人で外食に行ったとき、僕は父が怒ってきたりしないため、それで父を『優しい』と認識するようになりました―――でもこれも優しいフリです。実際に、母が僕を虐待するときに、その虐待を本当に止めようとしてくれたことは、一度たりともありません。二人は形こそ違えど、結果としてを精神的に追い詰める役割を共同で担っていたのだと、30代に入ってからますます痛感します。

学校の勉強だけはまあまあできたものの、自分でものを考え、決断する力を完全に破壊されていた僕は、父が、自分の思うように洗脳し、手駒にし、弄び、気まぐれで虐待するには打ってつけの『素材』だったことでしょう。

父は僕に、1つ前のコラムで書いたような、右翼的、自国中心的な思考回路、選民思想的な思考を、事あるごとに少しずつ植え付けてきました。一方で、父が出したちょっとした紙ごみを『ン』と手を出して僕に手渡し僕に捨てさせるなど、僕が『(父の)奴隷として機能するかどうか』を試す行為もさりげなく行ってきました。

健全な人間の考え方や感じ方を、多感な思春期に教えなかった、むしろその逆を教えた父

見出し1画像嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_平田泰之_逆を教えた父

ネガティブな感情、とりわけ「怒り」を徹底して否定していた父に対し、中学2年生頃から母への激しい不信感を募らせていた僕は、母の言動がいかに理不尽であるかを幾度となく訴えました。

しかし父は「イライラするのは暇人がすることや!忙しくしいや!」と、まるでそれが自分の傑作案・名案であるかのようにニヤニヤ、ニタニタと笑いながら言い放ちました。

要するに、自分の感情を徹底して押し殺せという指示のようなものだったとでも言いましょうか。

このような「事実の否定」を前に、僕の脳も心も機能しなくなるくらい、心のケアや尊厳への配慮などは一切ありませんでした。むしろ、本心では母と同様、僕を壊したかったかもしれない父のことですから、そのようなケアをすることは彼らの欲求に逆行することだったでしょう。

自分自身の感情を抑圧し続けることを強いられると、やがて他者の尊い感情にも鈍感になってしまう危険性があります。僕自身も一時期、そうした歪んだ思考・状態にしっかりと浸かっていました。特に、僕が抱えるアスペルガー症候群には、「言葉を人一倍、真に受けてしまう」という特性もあり、僕もその例外に漏れません。父のこうした言葉は、強烈な「洗脳」として僕に作用し、僕の心は毎日押しつぶされ続けていました。今思えば、地獄を超える地獄のような苦痛でした。そしてそれは、外からはほぼ全くと言っていいくらい、検知されない(まさに「ステルス虐待」の極み)のです。

その母の悪辣な言動や態度についても父に言った時に、こんなことを父は僕に言い放ったこともあるほどです。

『昔の特攻隊員の人たちはな、「お母さんありがとう!!」と言いながら死んでいったんや…』

この言葉は、実際に命を散らした隊員の皆様はもちろん、終戦を迎えたなどで運よく命を散らさずに済んだ方々、そしてそのご家族、子孫の皆様を激しく侮辱する言葉だと思わずにいられません。

また、先の大戦でこの特攻を受ける側であった米兵側の方々も、このような僕の情況と父の言葉を聞いたら、父の正当化や詭弁に、国家的立場はともかくとして呆れかえるかもしれません(余談ですが、僕が自分が虐待を受けていると初めて強く認識し、その歪んだ自分の心の「デバッグ」に大いに助けられたのは、アメリカ人の著者が書いた本でもありました。今の平和に重ね重ね、感謝をせずにいられません)。

一方で父は、自分の配偶者が、順調に僕を壊してくれていることに、『Good job』とでも思っていたかもしれませんね。

父の『教育』は、受ければ受けるほど、社会や人間がどんどん嫌いにさせられ、未来に全く希望を持てなくなっていく、特に『働く』こと、社会参加をすることの恐怖心が最強・最狂レベルで煽られていくという点では圧倒的でした。しょっちゅう『不景気や!不景気や!!』と言っていたのを、つい先ほどの事のように思い出します。

そんな言葉を毎日のように浴びているうちに、例えばこんな職業に就きたいとか、こんな仕事をしたいとか、仕事を通した自己実現の大事さとか……健全な職業観というものは、完全に壊されていました。そして、社会に対して、希望や夢を持って、辛いことがあっても諦めずにコミットしていく姿勢も、完全に壊されていました。

ある意味、僕は父に『究極のニヒリズム&ネガティブ思考』を植え付けられていたと思います。そうした思考を植え付けて、僕に健全な友達ができないようにさせるのに、僕の自尊感情や自分で考えて行動する自立性が完全に壊滅していた僕という汚染され、腐敗した土壌は、彼の歪んだサディズムを満たす上で打ってつけだったのでしょう。

父は完全に洗脳された僕に、上述したように、社会に飛び込むことへの恐怖など、偏った社会観などを教え込むことは嬉々として行ってきましたが、一方で、例えば健全なマネー・リテラシーや経営観、倫理観や道徳観などを教えることは、決してしませんでした。

母からの脱出・隔離を妨げた父の洗脳、働き稼ぎ生きる力を全て壊されて

見出し2画像嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_平田泰之_力を全て壊されて

今思えば、そう”教育”することで僕が一般社会に適応できないようにさせ、僕が働けない、稼げない、生きていけないようにさせること、そして、永遠に僕が彼より『親がいないと何もできない劣った・不幸な生き物』に僕を製造することが、彼の目的だったかもしれません。

そうすれば僕のことを永遠に、見下し放題、奴隷にし放題です。彼にとっては間違いなく”パラダイス”です。

高校3年生の時、実家から脱出すべく、関西圏以外の大学に行くことも少しだけ考えたのですが、父がこう喚きたてました。記憶が正しければ、僕を虐げる時によく見せる、どこかニタニタ、ニヤニヤした顔で…。

『東京は巨大地震が来るで!!』

『どこかの国のミサイル飛んでくるで!!』

極めつけは、僕は高校が進学校だったためアルバイトが校則で禁止されていたのですが、大学(結局実家を出られず、実家から通っていた)に入ってからはアルバイトはくだらないことだと教え込まれたことがあります。僕自身、高校時代から大学に入ったらアルバイトに挑戦したいと思っていたのを、完全に、それも歪んだ形で、止められてしまいました―――父の言葉を真に受けて、本当にアルバイト=くだらないこと、と思い込んで、実際大学時代はほとんど全くアルバイトはしませんでした。もしアルバイトにも打ち込めていたら、生涯年収が増えていたこともさることながら、もっと早くに健全な社会常識を身に着けることができ、父の洗脳、からの更なる虐待から距離を置けるのも、もっと早かったかもしれませんーーーもしかしたら、父は、僕はそうなるのを分かっていて、わざと健全な社会から僕を「隔離」させたのかもしれません。

一方で父は、所得が十分ある家庭にも関わらず、僕に奨学金を申し込ませました。4年間で240万円(月5万円×12ヶ月×4年)、返済が約300万円というシロモノです。60万円も利子が付くこれを、必要ない家庭であったにもかかわらず僕に背負わせたのです。

この奨学金も『アルバイトなんかしなくていいようにするため』と父は正当化していましたが、今の僕の考えはこうです。

アルバイトをおかしなことと思わせて僕にアルバイトをさせない=僕から稼ぐ力を奪い、それらの職場で健全な社会とは何かを学ぶ機会を奪うこと、それに加えて、奨学金を組ませることで『お金は勝手に入ってくる』という堕落した考え方を僕に身につけさせて実際に堕落させ、社会人になってから窮地に追い込ませて僕を飛び立てなくさせるという、時間差で僕をいじめて破滅させよう、消し去ろうとしたのだと思います。

実際に僕は「20代のうちに奨学金は全部返す」と決め、20代のうちに奨学金は全部払い終えましたが、その返済にはとてつもなく苦労しました。両親はこの、外から非常に分かりづらい経済的虐待を隠匿するべく僕が小さいころから養老保険も組んでおり、その養老保険で奨学金を返すように⇒これを組んでいた私たちって優しいでしょ?みたいな洗脳も、後日(僕が発達障害の診断を受けた2012年頃)行ってきました。養老保険の話をする時、「こんなことしてくれる親なんていないよ」と誇らしげに言っていたのをついさっき起きたことのように思い出します。

しかしそれならば、なぜ僕が父に洗脳されていたとはいえあの憎くて憎くてたまらなかった母から離れなかったのかということです。

僕の父はきっと純粋な悪、そして周囲から限りなく悪と見られにくい悪

見出し3画像嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_平田泰之_純粋な悪

今ならはっきり言えます。

父が行っていたのは、単なる過干渉ではなく、過度な精神的囲い込みと外部からの孤立化、そして子どもの将来的な自立を阻害する重大な権利侵害だったと捉えています。

外部や公的な機関からは問題が察知されにくいよう、家庭内という閉鎖的な空間で巧妙に行われていました。それを可能にし、そして実行に移したのは、あの父の天才的な頭脳。そしてそれは、悪魔を超える悪魔の頭脳だった。

当時の僕は精神的にも著しく不安定で、健全な自己肯定感を保てない状態に陥っていました。自立心を挫かれ、自信を失っていく僕の姿を、父は自らの支配欲を満たす都合のよい対象として見ていたことでしょう。今でも僕が話すことほとんど全てに対して無視同然の態度を取ることが非常に多いため、きっと今もそうすることで、僕を人扱いしないことで、歪んだ支配欲を満たすことを愉しんでいるのだと思います。

後日、僕が虐待を認識した時も、母は、父がこんな話をし続けるのも、『父さんはあなたに期待してたからや!』とか言い訳をしてきましたが、これも全部嘘です。

全ては僕という「不良品」をできるだけ苦しめて、彼らのサディズムを満たしながら、この世から消し去るための謀略。僕のためなんかじゃない、全部自分の歪んだ欲のため。

実際僕は、精神的な意味においても、特に大学時代はかなり壊れていました。

当時の僕は精神疾患に関する知識が皆無でしたが、振り返れば、何かしらの二次障害は必ずあったと思います。

特に実際に罹患していたと思われるのは『自己愛性パーソナリティ障害』です。実際のところ、本当の意味での健全な自尊感情が、完全に滅び去ってしまっていたあの時の僕は、全く根拠もない、謎の自信、自分が無敵であるかのような感覚(実際には異常な感覚)に、大学2~3年の頃はかなり満ち満ちていたのを今でも思い出します(もちろん、あのような異常な状態には、もう2度と戻りたくありません。自分のみならず、周りも疲弊させ、破滅させると分かっているからです)。

今思い出すのも、顔から火が出るどころか顔が火炎放射器になりそうなくらい恥ずかしい限りなのですが、傲慢不遜でえらそうな言動や態度もかなり多かったのではないでしょうか。

父は、こうして壊れていく僕を見ているのが、本当に楽しくて楽しくて仕方なかったと思います。虐げる上でもおかしくなった僕は格好のターゲットであり、本当にあの頃が父の『黄金期』だったことでしょう。

これほどの、悪。

僕が子どもの頃、僕が父に抱いた言葉で言い表せない違和感は、正しかったのでしょうか…。

その『悪』を証明するかのような言動を、僕が大学1~2回生くらいの頃に残しています。

この時期、とある女性ミュージシャンが自ら命を絶ちました。確か飛び降りだったと思います。本当に痛ましい、あの当時の洗脳されまくっておかしくなってる僕でも胸が痛くなる事件でした。特段、彼女のファンだったとかではないのですが、それでもつらかった。

その彼女のニュースに対して、父はこう言い放ったのです。

『そんなことはどうでもええねん』

ニタニタ笑いながらそのように吐き捨て、自分は選ばれた人間だとアピールするかのごとく、一人の人間の痛ましい自死については軽視し、政治の話をし続ける………それが、父です。

普通ならそこで袂を分かつでしょうが、父に洗脳されていた僕はそれでも父についていく、完全に『共依存』状態だったと思います。

人生のモラトリアムとも言われる大学時代、できること、やれること、本当にたくさんあったと思います、その大部分は、こうした父の洗脳で滅ぼされてしまい、スカスカの4年間にされてしまいました。

今これからを生きる若い人たちが、僕のような惨めな事態にならないことを、今、37歳となった僕は、切に願います。

そのために僕が受けてきた仕打ちを、こうして書き残しておこうと思う次第です。