医療・福祉から見る!やりがいがあるのに、なぜ苦しいのか

塚田滉大

塚田滉大

2026.06.06
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訪問看護ステーションで理学療法士として働いている塚田滉大さんは、14歳で脳出血を発症し高次脳機能障害(失語症)・右麻痺・右同名半盲受傷。脳出血の経験を元に書籍『大切な人を、大切にするために』を執筆されています。今回は、医療・福祉のやりがいをテーマに綴って頂きました。

― 日本のエンゲージメントと、医療現場で感じたこと ―

やりがいのある仕事のはずなのに、なぜか苦しい。 人の役に立てている実感はある。けれど、どこかで消耗している。 そんな感覚を抱えながら働いている人は、少なくないのかもしれません。

「やりがい」はある。でも、エンゲージメントは低い。

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_塚田滉大_エンゲージメントは低い

仕事に対する「やりがい」や「エンゲージメント(熱意・没頭)」について、世界的な調査では、日本は低い水準にあることが知られています。

例えば、Gallupの調査では、日本の従業員のうち、仕事に熱意を持って主体的に関わっている人は約7%とされています。

一方で、内閣府の調査では、「仕事にやりがいを感じている」と答える人は約6割います。

つまり日本では、

「やりがいは感じている。でも、生き生きと働けている人は少ない」

という状態が起きています。

やりがいがある仕事ほど、苦しくなることがある

この構造は、医療や介護の現場でより強く現れます。

多くの調査で、医療従事者のやりがいの中心には、

  • 患者さんからの感謝
  • 誰かの役に立てている実感
  • 社会に貢献している感覚

があることが示されています。

一方で、

  • 人手不足
  • 長時間労働
  • 精神的負担
  • 責任の重さ

なども強く、バーンアウト に至るケースも少なくありません。

つまり、

やりがいがあることと、心身が健康でいられることは、必ずしも一致しない。

ということです。

理学療法士として感じた「やりがいと苦しさのズレ」

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_塚田滉大_やりがいと苦しさのズレ

理学療法士として病院で働く中で、患者さんやご家族から感謝の言葉をいただく機会は多くありました。
人の役に立てている実感もあり、やりがいは確かに感じていました。

一方で、やりがいだけでは続けていけない現実もありました。
やりがいはあるのに疲弊していく。目標もあったのに、それだけでは心と体が持たない。
そんな状態に、少しずつ入っていったのです。

そもそも理学療法士は、自分の夢であり目標でした。
脳出血を経験し、障害を負い、自分自身もリハビリをしてきた。
だからこそ「寄り添える側になりたい」という思いは強く、仕事の意味も、やりがいも、最初から大きかったと思います。

ただ、現場に立ってみると、理想と現実のズレがありました。

勤めたのは大きなグループ病院で、教育制度も評価基準も整っていました。
それは一見、とても恵まれた環境です。
しかし同時に、自分にとってはその「整っていること」が、苦しさにもなっていきました。

言語障害という壁が、足枷のように感じる場面が増えていったからです。

業務の覚えが遅い。要領が悪い。
帰ってからやりたいことがあっても、残業で時間が残っていない。
自分の強みだと思っていたことが、発揮できていない感覚がある。

さらに厄介だったのは、自分が大切にしていることと、評価されるポイントが一致していないように感じたことです。

患者さんに寄り添い、関係を築く。
その時間こそが自分の理学療法士としての価値だと思っていたのに、
それがそのまま評価につながるわけではない。

「自分が大切にしていることが、この環境では大切にされていない」
そんな感覚が、少しずつ心を削っていきました。

気づけば、無意識に人と比較している自分もいました。
先輩と比べて、同期と比べて、劣っているように感じる。
その繰り返しで、心が荒んでいったのだと思います。

そして一番厄介だったのは、
その状態でいる自分に、当時は気づけていなかったことです。

「自分自身を知る」「現状を客観的に知る」「現在地を知る」
そういうことができていませんでした。
社会人1年目の自分は、自分の状態を把握する余裕がなかったのだと思います。

振り返ると、苦しさの正体は「仕事が嫌だった」でも「やりがいがなかった」でもなく、
もっと別のところにあったのかもしれません。

記録業務など臨床以外の仕事が増え、
先輩や同期との比較が頭から離れず、
自分の強みを活かせていない感覚が強まり、
評価されるポイントとのズレを感じ続ける。

さらにコロナ禍で、仕事以外の人間関係が希薄になり、
話す内容も仕事のことばかりになっていきました。

その結果、

  • 自分で選べている感覚
  • 自分はできているという実感
  • 人とつながっている感覚

これらが大きく揺らいでいたのだと思います。

心理学の自己決定理論では、これらはそれぞれ

  • 自律性
  • 有能感
  • 関係性

と呼ばれ、人が内側からやる気や意味を感じるために重要な要素だとされています。

やりがいはある。
でも、生き生きと働けていない。

その状態を一言で言うなら、
自分にとっての「やりがいと苦しさのズレ」は、ここにあったのだと思います。

自分の不調に、自分が気づけていなかった

当時は、自分が辛い状態だとは思っていませんでした。

「まだやれる」 「もっと頑張れる」

そう思っていました。

そもそも、自分の中に精神的な不調があるという前提がありませんでした。

だからこそ、気づかないまま無理を重ね、結果として状態を悪化させてしまったのだと思います。

異変に気づいたのは、身体的な反応でした。

悲しくもないのに涙が出てくる。 電車の中や、作業中、ふと気を抜いた時に涙が溢れていました。

次第に、仕事の意味や人生の意味も分からなくなっていきました。

今振り返ると、精神的に健全な状態ではなかったのだと思います。

そしてその時、初めて知りました。

心も、体と同じように不調になることがある。

ということを。

人は「意味」より、「没頭」の中で生きているのかもしれない

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_塚田滉大_没頭の中で生きている

「なぜ生きるのか」 「生きる意味とは何か」

そんなことを考える時があります。

ただ、自分の場合、その問いを深く考えている時ほど、あまり良い状態ではありませんでした。

どこか迷っていて、人生に没頭できていない状態です。

逆に、自分が比較的良い状態の時というのは、何かに自然と集中し、時間を忘れて取り組めている時でした。

心理学では、このような状態を フロー状態 と呼びます。

これは、時間を忘れるほど集中し、自分の力を自然に発揮できている状態のことです。

研究でも、この状態は幸福感や充実感と深く関係していると言われています。

そう考えると、

「自分は何のために生きているのだろう」

という問いの沼に深く入り込んでいる時というのは、本当は“意味”を探しているというより、

「自分がどう生きたいのか」が見えなくなっている状態

なのかもしれません。

私が大切にしていること

私は「生き生きと生きる」ことを大切にしています。

そして、そのために必要なものとして、

  • 健康
  • 癒し
  • 誇り
  • 挑戦

この4つを大切にしています。

人は、ただ頑張るだけでは、生き生きとは生きられません。

安心できること。 誰かとつながれること。 自分を誇れること。 そして、自分の意思で挑戦できること。

そうしたものが重なった時、人は少しずつ、自分らしく生きられるのだと思います。

本当に大切なことは、「自分で見つける」こと

「生きる意味」は、誰かに教えてもらうものではなく、自分で見つけていくものなのかもしれません。

だから、本当に大切なのは、

“本当に大切なものを、自分で見つけること”

なのだと思います。

明日からできること

もし、明日から一つだけできることがあるとしたら、

それは、

「明日、自分が何をするかを決めること」

です。

大きな夢や、生きる意味を急いで見つける必要はありません。

  • 明日どこへ行くのか
  • 誰に会いたいのか
  • 何をしたいのか
  • 何を大切にしたいのか

そんな小さなことでいいのだと思います。

人生の舵を握るというのは、特別なことではなく、

「自分で選ぶ」

ということなのかもしれません。

最後に

やりがいは、人を支えることもあれば、苦しめることもあります。

だからこそ大切なのは、やりがいそのものではなく、それをどう支えるかです。

環境を整えること。 そして、自分自身を知ること。

自分は何を大切にしているのか。 何に意味を感じるのか。

それを知ることで、人は少しずつ、自分の人生の舵を握れるようになる。

私は、「本来の自分に還る」そんなきっかけを作っていきたいと思っています。