職場に必要だったのは、もう一つの研修ではなく、一つの「問い」だった―「わかっているのに動けない」を、問いで日常へつなぐ―

士総合研究所を経て独立し、官公庁や医療機関等のコンサルティングを手がけ、多数の著書を持つ染矢隆彦(そめや たかよし)さんの連載コラム第1回です。行動経済学やナッジ理論を取り入れた手法で組織課題を解決する染矢さんが、「わかっているのに動けない」現場を変えるための仕組みを語ります。今回は、職場に必要な「問い」の力について綴って頂きました。
研修が終わった直後は、みんな少し前向きです。
「明日からやってみよう」「部下との話し方を変えてみよう」「今日学んだことを仕事で使おう」。そんな言葉が自然に出てきます。
ところが数日後。メールが来る。会議が入る。急ぎの仕事が飛び込んでくる。目の前の業務に追われるうちに、せっかくの学びは少しずつ日常の奥へ押し込まれていきます。
これは本人のやる気がないからではありません。私は、研修や制度そのものよりも、「学んだこと」と「いつもの日常」の間に問題があるのではないかと考えるようになりました。
研修を増やしても、日常が変わるとは限らない

企業は課題があると、研修を増やし、マニュアルを作り、制度を導入し、チェックを増やし、上司が何度も伝えようとします。もちろん、それらは必要です。
ただし、「知らない」ことが原因なら知識提供は有効でも、「知っているのにやらない」「理解しているのに続かない」という状態には、知識をさらに足すだけでは十分ではありません。
研修が悪いのではありません。問題は、研修で生まれた理解や気づきを、日常まで運ぶ仕組みが弱いことです。そこには、多忙、忘却、そして「現場でどう使えばいいかわからない」という壁があります。私はこの間にある谷を「キャズム」と捉えています。
私たちは、「研修そのもの以上に、その後の日常をどう設計するかが重要」という意味で、「研修は1割、その後が9割」と考えています。研修はゴールではなく、むしろスタートです。本番は、研修が終わったあとに始まります。
私がこの発想にたどり着いた背景には、さまざまな職場で「いいことをやっているのに、その後が続かない」場面を何度も見てきたことがあります。研修だけではありません。立派な経営理念をつくったのに朝礼で読むだけになる。健康経営のイベントを開催しても、その日の意識で終わる。1on1や新しい制度を導入しても、忙しくなると以前のやり方へ戻ってしまう。取り組み自体が間違っているわけではないのに、日常との接点が足りないのです。
そこで考えたのが、「大きな施策をもう1つ増やす」のではなく、「今ある施策を思い出す小さな接点を日常に置く」という方法でした。問いなら、数秒でも頭を起動できます。しかも、答えを押しつけるのではなく、その人の状況に合わせて自分なりの答えを選べます。
人の頭は「問い」を置くと動き始める

たとえば、「もっと主体的に動いてください」と言われるのと、「今日、自分からひとつ動くなら?」と聞かれるのでは、頭の動きが少し違います。
前者は指示です。後者は、その人自身が一瞬でも自分の中から答えを探します。「先に声をかけようかな」「資料を準備しておこう」「まず一つ着手しよう」と、具体的な行動候補が浮かび始めます。
「理念を大切にしてください」ではなく、「今日、理念をひとつ行動にするとしたら?」
「もっとコミュニケーションを取りましょう」ではなく、「今日、ひとりに声をかけるなら?」
問いは答えを教えるものではありません。注意をある方向へ向け、本人の頭の中に考えるきっかけをつくります。私たちは、この「問いによって意識を向け、小さな行動を後押しする」考え方を「問いナッジ」と呼んでいます。
1日30秒。問いを日常に置いてみる

仕組みはとてもシンプルです。朝15秒、夜15秒。出勤時に「今日、ひとつだけ前に進めることは?」という問いを見て、5択から一つ選ぶ。退勤時には「今日は、自分から動けた瞬間は?」という問いを見て、また一つ選ぶ。
問いを見る。少し考える。選ぶ。仕事の中で少し意識する。夜に振り返る。この小さな循環を、日常の中に置いていきます。
問いの届け方も一つではありません。職場の入口に置いたタブレットでもいい。メールでもいい。LINEなどスマートフォンに届けてもいい。大切なのはシステムそのものではなく、「日常の中に問いがあること」です。
毎日長い文章を書かせる必要もありません。深い内省を求める必要もありません。5択を選ぶだけでも、その問いが一度意識に上る。そこで生まれた小さな気づきが、その日の行動に少し影響する可能性があります。
この考え方の面白いところは、特別な研修時間を新たに確保しなくてもよいことです。いつもの出勤、退勤、仕事の始まりや終わりに、ほんの短い問いを置く。それだけなら、現場の負担を増やしすぎずに続けられます。
管理するための問いではない

問いナッジの目的は、社員の回答を評価することではありません。「あなたは昨日③を選びましたね」「なぜ今日はできなかったのですか」と追いかけるための仕組みではありません。
大切なのは、問いを見た瞬間に、そのテーマが本人の意識に一度上ったことです。
「今日は誰に声をかけようか」
「何を一つ前に進めようか」
「相手のためにできることはあるか」
ほんの数秒でも、自分自身に問い直す。その繰り返しが、管理される行動ではなく、自分で自分を少し整える「セルフチューニング」につながっていきます。
社員を外から動かそうとするのではなく、本人が自分で気づき、自分で選び、小さく動いてみる。その入口をつくるのが問いです。
職場の課題は「問い」に変えられる

問いを置けるテーマは、研修定着だけではありません。
社員の自発性なら、「今日、自分からひとつ動くなら?」
管理職育成なら、「今日、ひとつ任せてみるなら?」
理念浸透なら、「今日、理念を行動にするとしたら?」
健康経営なら、「今日、自分を整えるなら何をする?」
対話促進なら、「今日、ひとりに声をかけるなら?」
チーム連携なら、「今日、誰の仕事を少し楽にできる?」
職場には、「わかっているのに変わらない」がたくさんあります。そこに、もう一度説明を加えるのではなく、「どんな問いを置けば、その人自身が少し考え、少し動きたくなるだろう」と考えてみる。私はそこに、大きな可能性があると思っています。
今回は、「なぜ問いなのか」という入口のお話を書きました。
今後このコラムでは、社員が自分から動かない、管理職が抱え込んでいる、理念が現場で使われない、研修が日常で活きない、健康経営がイベントで終わる、職場で対話が生まれない、といったさまざまな企業・職場の課題を取り上げていきます。
そして、それぞれの課題に対して、「どんな問いを置けば、解決のきっかけをつくれるのか」を具体的に考えていきたいと思います。
職場に一つ、いい問いを。問いが変われば、見えるものが変わり、選ぶ行動も少しずつ変わっていきます。