喜界島から世界へ!離島と海外をつなぐグローカル人材の原点とは

住岡 尚紀

住岡 尚紀

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_住岡 尚紀さん

住岡尚紀さんは、鹿児島県の離島である喜界島出身で、大学2年生でウガンダへUNDPに派遣し、帰国した次の年に、世界青年の船に参加しています。2022年には、島根県の海士町(あまちょう)に島留学として参画。現在は、喜界島に戻って地元から世界に向けて発信をしている住岡さんに、これまでの経緯と今後のビジョンを伺いました。

ジャーナリストを目指して離島から世界へ

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私は鹿児島県にある離島『喜界島』の出身です。高校時代からずっとジャーナリストになりたいと思い、大学に入学するタイミングで上京しました。2014年に明治学院大学に入学後、2015年に国連ユースボランティアでウガンダ共和国の国連開発計画組織(UNTP)に参加。ウガンダを選択したのは、費用面で通常の留学ができる予算はなく、有給インターンを募集していたことが理由でした。

ウガンダ行きが決まってから出国まで2ヵ月しかなくバタバタとしたため、前情報を入れる暇がありませんでした。行ってから知ったのは、ウガンダの治安が思ったよりも良かったことです。現地の人と同じ生活をすれば死ぬことはないだろうと考えました。ただ、独裁国家で、大統領選挙があった時には暴動があって、SNSが使えなくなる事態も起きました。

ウガンダが初めての海外であり、英語しか通じない環境となって正直何もわからない状態で半年間過ごしました。暮らしの面では、離島に似ている点がいくつかあります。たとえば、人と人との距離の近さ。顔が見えるコミュニティが嫌で上京したのに、逆にそんなコミュニティを心地よく感じていました。

帰国後、2015年に『世界青年の船』に乗りました。これが人生のターニングポイントでした。ウガンダではアウェイ感やおもてなしをされる感覚がありましたが、船上は色んな国の人たちが100名以上集まっているので、国の概念がありません。ネットもつながらず、言語も多様で、自分から積極的に話しかけて将来長く付き合いたい人たちと出会えました。

ウガンダで痛感した「空っぽな人間」

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ウガンダに半年間行った留学では、語学習得や自己成長を目的としていました。いざ、青年海外協力隊の人たちと会っても、彼らも英語を得意としているわけではありません。しかし、野球の人であれば野球をウガンダに教えるために来ている人たちと比較して、自分には何もできることが無い、空っぽな人間だと感じました。

「自分には何かできないか」と自分を見つめ直した時に、ジャーナリストになる夢があったので、ウガンダの現状を日本の人たちに向けてSNSで発信することを決意しました。それまでは、英語で発信していた内容を日本語に変えて、日本に届くようにしました。

『vs ウガンダシリーズ』のようなストーリーをFacebookで発信していたら、良い反応がたくさんありました。SNSを見てブログの作成依頼がきたり、記事を書いてみないかとオファーもありました。ウガンダの野球の現状を発信した時には、喜界島の後輩が何かできないかと、島全土を上げて野球道具を寄付してくれたこともありました。

ウガンダで感じた「空っぽな人間」もそうですが、上京して出身が離島であると伝えてびっくりされた後、島のことを聞かれても答えられない自分がいました。アフリカに行った時も、日本のことを聞かれて答えられませんでした。アフリカでの上司はウガンダ人でしたが、彼の方が日本の歴史について詳しいほどでした。

英語が話せる、話せないの問題ではなく、知識として自分が持っていなかったことが原因だったので、もっと日本や自分の出身について知ろうと決心しました。

喜界島でグローカルな人材を増やす

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2022年に、島根県の海士町にて島留学をしました。海士町は「ないものはない」がキーワード。何もないからこそ、行政と民間が一体となってつくり出す文化があります。島では月に一度マルシェを開催するのですが、島の中でも遠くて来れない方向けに訪問して交流することもあり、喜界島でも取り入れようと思いました。

喜界島では、サトウキビがブランドとして有名です。サトウキビ以外にはゴマが名産です。農作物以外では、地形そのものが非常にユニークです。サンゴが隆起してできた島のため、山や森、川がありません。地殻変動が今も起こっており、新しくて珍しいサンゴ礁が見れることもポイントです。

また、サンゴ礁が水を通るので、湧水が至る所にあります。湧水ごとに集落があって、島の中だけで30以上の集落があり、しかも言語が異なっています。狭い島の中で異なる文化がひしめき合っているのは、喜界島の観光資源にできないかと考えています。

グローバル×ローカルで、“グローカル”な人になることが将来の目標です。今は、フェムテックの立ち上げをされたことがある国会議員の方と取り組みながら、喜界島の発展に貢献しています。そして、グローカル人材を世の中へと輩出し、喜界島から世界へと発信していきます。

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