「過去の自分」と「流れ」にとらわれず自分の夢にチャレンジを

佐藤 由佳

佐藤 由佳

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佐藤由佳(YORIKA sato)さんは2021年9月、医学部5年目のときに「クリエイティビティを発揮する仕事がしたい」と考え、物語のついたアクセサリーブランド『Tellu』を始動。本コラムでは、大きくジャンルを変えて挑戦している佐藤さんが、仕事をするうえで大事にしていることを語っています。

医学部生からアクセサリーのブランドディレクターへ

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小学校3年生の頃から脳神経外科医を目指しはじめた私は、医学部を見据えて高校に進学し、志望大学には現役で合格できました。しかし、大学5年生で実習の段階まで来たとき、10年以上前から思い描いてきたはずの自分の将来像に違和感を感じたんです。

医学という学問自体はおもしろかったですが、実際に仕事にするとなると、自分にしか成しえないという意味でのクリエイティビティを発揮することはできないと思いました。何かもっと自分らしい道はないかと思ったときに、文章を作るのが好きだったこともあり、最初は表現力を使える司法系を目指しました。

弁護士、あるいは裁判官として判決文を書くのがいいのではないかと思い目指してみましたが、結局「おもしろい学問」止まりでした。そこで、文章を作りたい欲求と手術のような細かい作業がしたい欲求の2つを満たしてくれる「物語ついたアクセサリーブランド」を立ち上げました。

やりたいことに挑戦できないのはもったいない       

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ブランドを立ち上げて約1年になります。綿密に計画を立ててから始めることが好きなので、開業前に自分に向けて事業計画書を立てたのですが、これが大変でした。

事業計画書をつくるうえでこだわったポイントは、手仕事が命のブランドが趣味の延長線上にならないようにしたこと。そして、経営者・クリエイター・デザイナーとしての3つの立場を明確に分け、その3役を全部私が担っていると意識しました。たまたま私1人が3役担っているというだけで、それぞれが3分の1の成果で許されるわけではないということです。

順調に医学の道を進んでいたところからいきなりアクセサリーブランドを立ち上げたので、「突然いなくなったよね」と友達には言われました。あらゆる人に「もったいない」「医師免許と学歴があれば潰しがきくのに」と言われましたが、過去の自分の夢に執着して挑戦できない方がよっぽどもったいないと思いこの道に進みました。

最初は「ブランドを大きくして個展やアトリエを持ちたい」といった、自分のブランドありきの広がり方を考えていました。やってみると今まで付き合ってきた人たちと全く違う種類の人との出会いがあふれていて、考えてもみなかった世界が次々と見えてきました。

展示会などを企画する側になる、またこれまで学んできた医学につなげて義足や装具にジュエリーを纏わせるブランドを創る、といった現時点での目標すら、ブランド始動前には思い付くはずのなかったことです。まさに、目標の幅がどんどん増えていく、「見つめる先が拡大する」感覚です。

仕事を通して、人を幸せにしたい

 

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どんな仕事をするにしても核心に置いているのは、「人を幸せにする」ということです。もともと医療現場では、自分の手で手術をして人を救うという方法で「この人がいてよかった」と幸せを与える存在を目指していました。今はそのやり方こそ変わりましたが、芸術的な方面から人を幸せにするという核の部分は変わりません。


医学部にいると、人間関係を構成する人の環境が互いに似通っていることもあり、自分で道を切り開いていくのは難しいです。肩書きのパワーが強くエスカレーターに乗っていれば確実に上までのぼれる状態なので、わざわざ道を外れて身一つで知らない世界に飛び込むのは勇気のいることかもしれません。

でも、長い宇宙史の中でたった1つの星のたった1人の人間がたった100年の寿命で奇妙な行動をとったところで、いったい誰が気にかけるでしょう。やってみたらきっとたいしたことはないですし、また違ったら戻ればいい、道を変えればいいわけです。

新たな一歩を躊躇わせるのは「過去の自分」と「流れ」

とりあえず何事もチャレンジしてみたらいいと思います。

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