今のままじゃ、嫌なキミへ~人生は変えられる①~

坂田 敦宏

坂田 敦宏

2022.07.18
アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_坂田さん人生

人生はいつだって変えられる。だけど大半の方は変えられない。いや変えようとしない。変えられる人はホンの一部の人だろう。でも多くの人は変えたいと思っているはず。なぜ変えられないのだろう?答えは簡単でシンプルなんです。「奇跡的に人生を変えてきた実話をシェアしたい」と今回から始まった、和僑ホールディングス代表取締役社長の坂田敦宏さんコラム。坂田さんご自身の実体験を交えながら、熱く語っていただきます。

野球少年が、社会のレールから外れた

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_坂田さん野球少年

東京の田舎(西東京)で生まれ育ち、小学生時代は、朝から晩まで野球に明け暮れていた典型的な野球少年だったが、中学生になると人の道から外れていった。

1980年代の東京は荒れていた。まさに漫画『東京リベンジャーズ』のような世界。多感な10代、流行りを追うように、ツッパリ(ヤンキー)が格好よく見えた。そして気が付くと、親や先生の言うことよりも、先輩の言うことが絶対と思ってしまい、社会のルールから完全に外れていくのだった。

そして人生の選択肢も、普通の人と違う状況となり選択肢がおかしなことになっていった。例えば普通の中学3年生と言えば、「どの高校を受験しようか」「この高校でやりたいことがある」など将来のことを少しずつ考え始めるころだろう。

しかし当時の僕らは違った。先輩から暴走族をやるかやらないかを毎日のように詰められるような環境だったのだ。まだ15歳の少年はそんなに精神的にも強くない。毎日頭がいっぱいいっぱいになり、よくわからなくなっていった。当然、この頃は普通の生徒とも交流がほとんどなかったため、相談することもできず毎日が苦しかった。

15歳の春、早すぎる社会人

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中学を卒業すると、すぐに働きだすことになり、社会人として早すぎる一歩を踏み出した。学校に紹介された月給8万円の工場は、なにも感じず選択せず、色々なアルバイトをしてみた。

もともと独立心が強く、親の世話になってたまるかと思っていた当時は、自分でお金を稼ぐことに感動すらしたものだ。(実際に育ててもらったことに当時は、感謝を感じていなかったのだ)

ただ、社会人デビューしたものの、想像とは違い、現実を知ることになる。お金を稼ぐこと、給与をもらうことなど、まともな教育も受けず社会人になったので、なんの覚悟もできておらず、それどころか中学を卒業すれば自由だと、素敵な勘違いをしていたので、働くことの大切さと大変さを知らず、すぐに社会との壁を感じたのだった。バイトが決まってもすぐに1日~3日で辞めてしまう日々が続いた。

こんなはずじゃなかった

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社会に出れば、自由にできたのは、遊びの部分だけだった。プライベートはやりたい放題になり、仕事に関してはクズのような状態だった。

こんなはずじゃなかった。

いつもこんなことを考えながら、過ごしていたある日、先輩から建築現場で職人として働かないかと誘われ、建築職人となった。当時ヤンチャな自分からすると建築職人の格好が、かっこよく見えたこともあり、なんとなくはまった。というか初めて仕事が続いたのだった。

成り上がり

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そして建築職人になっても日当が高い仕事を転々とし、鳶、土建屋、解体、塗装と色々なことをやってみた。そんな19歳の時、生まれて初めて買った本に衝撃を受けることになる。

矢沢永吉さんの『成り上がり』

この本に出会い、自分の中で、「ビッグになってやる」と熱くなった。特にやりたいことも、何でビッグになるとかも決まっていなかったが、とにかくビッグになってやるという感情があり、人生を変えなきゃ、なにかやらなきゃと感じたのだった。

〜次回へ続く〜