還暦プロダンサー!SAMさんが生涯現役でいるための習慣とは

今回のゲストは有名ダンスアンドボーカルグループのメンバーであるSAMさんです。SAMさんは『いつまでも動ける。年をとることを科学する、ジェロントロジー』という加齢学についての本を出版され、老化がネガティブなことばかりではないことを伝えています。

還暦を越えてもなお現役ダンサー・ダンスクリエイターとして活動しているSAMさんに、ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢一葉(しぶさわいよ)さんと、総合プロデューサーの住谷が、第一線で活躍する秘訣を伺いました。

ワクセルコラボレーターページ(SAMさん)

高校時代にディスコダンサーに魅了され、プロを目指す

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

渋沢:本日のゲストは1990年代から日本に旋風を巻き起こした有名ダンスアンドボーカルグループのメンバーで、ダンス界のレジェンドであるSAMさんです。SAMさんはダンサーの活動はもちろん、ダンススクールの設立、専門学校のダンスパフォーマンス科トータルプロデューサー・講師、健康寿命を延ばすためのダンスプログラムの作成など、ダンスクリエイターとしても多方面で活躍されています。まずはダンスを始めた経緯を伺いたいです。

SAM:ダンスを始めたのは15歳のときでした。学校の友達と初めてディスコに行ったんですけど、白いスーツを着たダンサーがフロアに出てくるとお客さんが盛り上がって、その人を中心にサークルができるんです。その中で踊るダンサーを見て「めちゃくちゃカッコいい!」と思い、次の日から学校で「こんなことしてたよね」って友達とまねしていました。

それからディスコにハマって、数カ月に1回行く程度だったのがいつの間にか週1回になり、高校3年生のときには毎晩になっていました(笑)。もちろん年齢制限はあったと思うんですけど、当時はそこまで制限がうるさくなかったんです。

「何になってもいいから真面目にやれ」医者である父からの激励

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

住谷:ディスコがきっかけでダンスに目覚めたんですね。それから本格的にプロダンサーを目指し始めたのはいつ頃ですか?

SAM:高校2年生くらいでしたね。僕らの世代ってダンスがうまい人はいましたが、ディスコダンサーとしてご飯を食べている人がいなかったんです。「なんでこんなにうまいのにプロにならないんだろう?」って不思議に思っていて、「だったら俺たちがプロになろうぜ」って、ダンス仲間と毎晩のように何時間も語り合っていました。

住谷:SAMさんは医者の家系と伺ったのですが、ご家族からの反対はなかったのですか?

SAM:医者の息子だったので医者になるように育てられていました。けれど、それが本当に窮屈で、高校2年生のときに家出をしたんです。でも2週間くらいで見つかって、そのときに初めて父親と母親に思いをぶつけました。

父親から「何がしたい?」と聞かれたので、「自由になりたい」と伝えました。するとちゃんと学校に行くことと、居場所を連絡することを条件に、自由にしてもいいことになったんです。父親から「何になってもいいから真面目にやれ」と言われ、「ダンスを真面目にやろう」と決意しました。

「メンバーそれぞれがリスペクト」結成30年の絆

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

渋沢:ダンスボーカルグループが結成されて30周年になるそうですね。これまでさまざまなことがあったと思いますが、30年も継続してきて率直にどのようなお気持ちでしょうか?

SAM:30年間ずっと走り続けてきたというよりは、割とのんびりやってきているので、気づいたら30年もたっていた感覚です。デビュー当初は忙しかったですが、その後に6年くらいまったく活動していない時期もありました。

2000年から2006年まではまったく新曲をリリースせずに、それぞれがほぼ個人活動をしていました。その頃の僕は『V6』や『東方神起』など、他のアーティストのライブをプロデュースしたり、別ユニットを組んでライブをやったりしていましたね。

渋沢:音楽活動をされていると「方向性の違いでもめる」ということをよく聞きますが、そういったことはなかったのですか?

SAM:割とみんな同じ方向を向いていたと思います。デビューしたとき、僕とDJ KOOが同い年の31歳、他のメンバーも25歳くらいと、そこそこみんないい大人なので、けんかはあまりなかったですね。

最初の頃は僕とDJ KOOがぶつかることもありましたけど、男同士で同い年なので、ちょっと話せばすぐに和解していました。そういうことを繰り返しているうちに絆ができて、メンバーそれぞれが相手をリスペクトする良い空気が出来上がってきたと思います。

現役で活躍する秘訣は「少しだけ」気を使った生活習慣

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

渋沢:SAMさんは生涯現役を宣言して、実際に還暦を越えた今でも現役で活躍されています。ダンスはすごい運動量だと思うのですが、どうしたらSAMさんのようにずっと現役でいられるのでしょうか?

SAM:常に踊っていられるために体と向き合っているので、自分の体調には割と敏感な方だと思います。でも、食事制限などストイックな健康管理は全然していないんですよ。

20代はダンスの基礎をつくっている時期だったので、ストレッチや筋トレ、食事にも気を使っていましたが、段々そういう生活が板についてくると、「これくらいはいいだろう」とふり幅がわかってくるんです。食事が偏ってきたら戻すとか、体を冷やさないようにしようとか、最低限のことが当たり前にできるので、長年のいい生活習慣の蓄積だと思います。

「老化はネガティブなことばかりじゃない」加齢学についての本を出版

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

渋沢:SAMさんは『いつまでも動ける。年をとることを科学する、ジェロントロジー』という本を出版されています。「ジェロントロジー」とはどういうものなのでしょうか?

SAM:ジェロントロジーとは加齢学といって、老化していくことを科学する学問なんです。人は20歳くらいで成長過程が終わって、そこから老化が始まります。老化と聞くとネガティブなイメージを持つと思いますが、「ネガティブなことばかりじゃないよ」ということをこの本で伝えています。

たとえば絵を描いたり、小説を書いたりといった創造力というものは50代から60代がピークだと言われていて、年をとるほど創造性は豊かになるんです。

年齢を重ねるってことは、それだけ経験値を積むということです。60年生きた人と30年生きた人の間にある「30年の経験値の差」って埋められないですよね。どんな経験をしたかは人によってもちろん違いますが、30年長く生きている、僕はそれだけですごいことだと思います。

年齢にあらがうことももちろん必要かもしれませんが、あらがうことばかりじゃなく、ポジティブなこともいっぱいあるということを知っていただきたいですね。

能とストリートダンスのコラボレーション、新たな舞台を目指す

ダンスクリエイターSAM×ワクセル

住谷:ダンス業界でこれまで多くの功績を残してきたSAMさんですが、還暦を越えて今後どのような目標を持っているのかとても興味があります。

SAM:60歳になってからもやりたいことがたくさんあります。僕は3、4年前から最古の伝統芸能と言われる「能」を始めました。50歳を過ぎたあたりから自然と興味が湧いてYouTubeで見たり、自分で研究したりしていたときに、雑誌の対談で宝生流(ほうしょうりゅう)の能楽師の先生と出会ったんです。実はうちの先祖にも宝生流の能楽師がいて、まったくの偶然ですがすごい巡り合わせを感じましたね。

いろんな話をするなかで「能」と「ストリートダンス」のコラボレーションをすることになり、すぐにその方に弟子入りしました。いまの最も大きな目標は、「能」と「ストリートダンス」がコラボレーションした新しい舞台を作ることです。

他にも、認知症など高齢者が抱える疾患に効果が期待できる『リバイバルダンス』というダンスプログラムがあるので、それを全国にもっと広めていきたいですね。規則正しい生活とコミュニティがあれば誰でも楽しく老化していけます。多くの人が持つ老化に対するネガティブなイメージを変えていきたいですね。

「辞める選択肢はなかった」必要とされる声に応え車いすアイドル誕生

猪狩ともか(いがりともか)さんは、地下アイドルグループ『仮面女子』のメンバーです。不慮の事故で脊髄を損傷し車いす生活を送ることになりましたが、アイドル活動を継続し現在は作詞まで手掛けています。

ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢一葉(しぶさわいよ)さんとワクセル総合プロデューサーの住谷が、アイドルやパラ応援大使など、精力的に活動する猪狩さんの素顔に迫りました。

就職活動に苦戦して21歳からアイドルに挑戦

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

渋沢:本日のゲストは「誰かの夢見る気持ちを後押しできるような存在になりたい」と地下アイドル『仮面女子』のメンバーとして活動する猪狩ともかさんです。まずは、猪狩さんがなぜアイドルを目指し、仮面女子になったのか聞いていきたいと思います。

猪狩:小学生のときに『モーニング娘。』が大好きで、アイドルに対する憧れはずっと持っていましたが、特にアイドルに挑戦することはありませんでした。

21歳のときに管理栄養士の専門学校に通っていて就職活動を始めたのですが、働きたいと思うような心ときめく場所が見つけられなかったんです。そのときに「あっ!アイドルに挑戦してみよう」と突然思いつきました。きっと就職活動につまずいたことによって、心の奥にずっと持っていた願望がポッと出てきたんだと思います。

通常のアイドル事務所は「16歳まで」「20歳まで」などと年齢制限が設けられていることが多く、21歳でオーディションを受けるチャンスがあったのが今の事務所だけだったんです。地上の輝かしい事務所に入れるような存在でもないので、結果的にちょうど良かったと思っています(笑)。

「仮面女子でしかできない表現をしたい」とアイドル卒業を撤回

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

渋沢:猪狩さんは仮面女子からの卒業を発表されましたが、そこから卒業を撤回されて現在も活動を続けています。どのような心境の変化があったのでしょうか?

猪狩:卒業を一度決めたのは27、8歳の頃です。仮面女子としてやり切った気持ちがあり、年齢的に考えても新しい道に進むときだと思いました。そして、「ソロ活動を頑張っていこう」と、2020年2月に「今年の秋ごろに卒業する」と発表しました。

秋に仮面女子のワンマンライブが開催される予定だったので、そのライブに出てひと区切りをつけようと思ったんです。でも、コロナウイルスが蔓延してワンマンライブが延期になり、ライブに出ないまま卒業することは嫌だったので、卒業も延期することにしました。

その後、私が作詞した曲が入ったファーストアルバムが出ることが決まりました。「私が作詞した曲が出るのに卒業するのはおかしくない?」と考え、ファーストアルバムが出るまで卒業もさらに延期。

そうこうしている間に「車いすの私が当たり前のように一緒に舞台に上がっている見せ方は、仮面女子にしかできない」と気づいて、「私にしかできない表現をもっとしていきたい」という気持ちが強くなり、卒業を撤回することにしました。

「やっとなれた仮面女子」わずか1年で事故に遭遇

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

渋沢:先ほど“作詞”という話が出ましたが、作詞活動もされているんですよね。作詞することになったきっかけも伺いたいです。

猪狩:作詞に対する憧れはずっとありました。事故に遭って入院しているときにプロデューサーに「作詞がしてみたい」という話をしたら、「やってみてよ!」って言ってくださって、病院のベッドの上で初めて歌詞を書き始めたんです。

『ファンファーレ』という曲なんですが、私が事故に遭ったとき、さまざまな方からの応援に背中を押してもらったので、「次は私が曲でお返しするぞ」という気持ちで作詞しました。

渋沢:『ファンファーレ』を聴かせてもらったのですが、「いくぞ」という内に秘めた思いがストレートに書かれていると感じました。猪狩さんはご自身のつらい経験を笑顔でお話しされていて、その姿に本当に勇気づけられます。でも、事故に遭われたときは相当に苦しい思いをしたのではないでしょうか?

猪狩:仮面女子としてデビューするために、見習い生からスタートして、ようやく仮面女子になれたんです。なのに、その1年後くらいに事故に遭い「やっとスタートラインに立てたと思ったのに、これからどうしよう」と私生活のことより、仮面女子の活動への心配が大きくて、そのことばかり考えていました。

「どうやったら活動できるだろう?」と考え、事故後もアイドル活動を継続

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

住谷:仮面女子を辞めるか迷っていたということですか?

猪狩:よく驚かれますが、辞めるという選択肢はなかったです。というのも、周りの人が「車いすに乗っていても必要としているよ」って思いをすごく伝えてくれたので、辞めるか辞めないかで迷うことはなく、「どうやったら活動していけるだろう?」ということを考えていました。

住谷:事故に遭われてから何か変化はありましたか?

猪狩:今まで見えていなかったものが見えてきたように思います。例えば車いすで道を通っていると、「歩いているときには気づかなかった傾斜があるな」と気づきます。「障がいのある方はこれまでこういう苦労があったんだな」って、自分が当事者になって知ることが多いですね。

装着型サイボーグ『HAL®』を利用したリハビリで体に変化

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

渋沢:猪狩さんは現在『TRP』というリハビリに励まれているそうですが、どのようなリハビリを行っているのですか?

猪狩:TRPは『ともか・リジェネレーション・プロジェクト』の略称なんですが、私の失われた機能を回復しようというプロジェクトです。『HAL®(ハル)』という装着型サイボーグを使い、オーストラリア・メルボルンのビクトリア大学で博士をしている長野放(ながのはなつ)先生の指導の下、リハビリを受けています。

通常、人は脳から指令を受けて手や足を動かしていますが、私の場合は脊髄を損傷しているので、脳からの指令が足まで届きません。リハビリに使っている『HAL®』は、脳からの指令を皮膚に貼ったセンサーで検出して外側から体に伝えてくれるものなんです。その仕組みを使って運動することにより、神経の回復を狙う取り組みをしています。

『HAL®』を使っても動かせない人がいるなかで、私はひとつ目のステップをクリアすることができ、その時点でも大きな喜びを感じました。リハビリを始めて1年くらいたつのですが、今まで感じなかったおなかの痛みを少し感じるようになったり、整体の先生に「お尻に筋肉がついたね」と言われたり、体幹が鍛えられている実感があります。歩けるようになったなどの大きな変化はないですが、少しずつ前に進んでいる感じですね。

車いすの人をもっと身近に感じてもらうためにSNSで情報を発信

仮面女子-猪狩ともか×ワクセル

住谷:少しずつでもリハビリの効果を感じられているのはうれしいですね。今後の変化が楽しみです。最後に猪狩さんの今後の目標もお聞きしたいです。

猪狩:先ほど渋沢さんが「大変なことを明るく伝えてくれるのが良い」って言ってくださったんですが、まさに今SNSを使ってそういう発信をしています。コロナ禍では直接会ってやりとりするのが難しいので、SNSを活用してさまざまな発信を今後も続けていくつもりです。

障がい者が不便に感じていることも知ってもらいたいですね。車いすだからって敬遠されるのが嫌なので、私の発信で車いすに乗っている人をもっと身近に感じてもらえたらうれしく思います。

若きファッションデザイナー若生隆人さんが語るファッション哲学

若生隆人(わこうたかと)さんは、ファッションの名門校の文化服装学院在学中に数々のコンテスト入賞の実績を持つ、期待の若手ファッションデザイナーです。ブランド『Pablo Griniche』を立ち上げ、2022年2月にはコンセプトストアをオープンするなど、精力的に活動をしています。

今回は、ワクセル総合プロデューサー住谷とメディアマネージャーの三木が、ファッションの道にのめり込んだ経緯やイギリス留学など、若生さんのこれまでの経験を伺いました。

グランプリ受賞し、イギリスへ留学

新進気鋭のデザイナー若生隆人×ワクセル

三木:若生さんは専門学生だった頃に数々のファッションコンテストに入賞されていたそうですが、どのようなコンテストに参加されたのですか?

若生:有名なものでは『装苑賞(そうえんしょう)』があります。コシノジュンコさん、山本寛斎さん、山本耀司さんなど、日本を代表するデザイナーが受賞している賞です。僕はファイナリストに選出されましたが賞は取れず、とても悔しい思いをしました。それでも、デザインしたものがランウェイを歩くというとても貴重な経験をさせてもらいました。

三木:若生さんは、神戸ファッションコンテスト2016でグランプリを受賞し、イギリスのノッティンガム・トレント大学への留学権を取得。留学中には服飾学生を対象としたアワードでベスト20に入っています。イギリス留学でどのようなことを学んだのか伺いたいです。

若生:イギリス全土の学校から1,000人ほどの学生が集まり、コレクションが行われたのですが、20人に選出してもらって賞をいただくことができました。イギリスに留学したことで、海外と日本のファッションとの大きな違いを認識する機会になりました。

日本人は良くも悪くも同じような服を着ている人が多いと思います。「みんな同じがいい」という教育を受けてきているので、同じような服を着ていると安心するのかもしれません。現在、売れている日本のブランドは、突き抜けているデザインのものが少ないように感じます。それに比べ、海外では常に新しさを求めている印象があります。「人と違ったほうが素敵」という考え方は、日本人とは根本的な差があるように感じました。

言語の壁をモノづくりで乗り越える

新進気鋭のデザイナー若生隆人×ワクセル

三木:留学中に苦労したことはありましたか?

若生:やはりコミュニケーションには苦労しましたね。最初の半年間は語学学校に通い、その後ノッティンガム・トレント大学に行ったのですが、クラスメイトは全員イギリス出身で、半年間学んだ英語が通用しませんでした。聞き取ることも伝えることも苦労し、学校には顔を出す程度で、ほとんど自宅でモノづくりをするようになりました。でも、作った作品を学校に持っていき、机に置いた時に、それまでほとんど話したこともないクラスメイトが「それどうやって作ったの?」と声をかけてくれたんです。その時に“モノづくりで人の気持ちが動く”ということを体験でき、言葉の壁を越えられたと感じました。

三木:そもそも、若生さんがファッションに興味を持たれたきっかけは何でしたか?

若生:小学生の時に、母親が絵の教室に通わせてくれたことがきっかけです。絵を見せると母親や周りの人が喜んでくれるのがうれしくて、夢中になったのを覚えています。また、その教室にアルマーニしか着ない先生がいて、真っ黒な服装に金髪というとがったファッションに、小学生ながら「カッコイイ」と憧れていました。絵だけじゃなく、料理やモノづくりという体験もさせてもらい、いつしかファッションの道に進みたいと強く思うようになりました。

自分に向き合いファッション哲学を確立

新進気鋭のデザイナー若生隆人×ワクセル

住谷:若生さんがデザインするうえでこだわっていることやテーマはありますか?

若生:カウンターカルチャーであることです。何事も主流のことに対して反対意見を持つようにしています。別の角度から物事を捉えるように意識しているので、僕のデザインは突飛だと思われることが多いと思います。僕が憧れている海外のデザイナーは、カウンターカルチャーを切り開いてきた人たちで、その人たちの影響を受けたファッション哲学を追い求めているんです。そのため僕のデザインには反骨心や戦う姿勢が強く表れているのかもしれません。

僕は自分のことを深めたいという気持ちがあったので、一人で作品を作る時間を大事にしてきました。学生時代は飲み会や友達からの誘いを断って一人の時間をつくり「自分らしさとは何か」を探していましたね。

今思うと苦しい時間でしたが、コンテストのために1日何十枚も絵を描き、努力をしてきたことが今につながっていると思います。ファッション業界は途中で挫折してしまう人もたくさんいますが、僕はうまくいかなくても泥臭く続けることを意識してきました。たくさんの人に助けてもらい、今まで続けることができたと思っています。

仲間の助けを借りながら築いたブランド

新進気鋭のデザイナー若生隆人×ワクセル

住谷:今までどのような助けがあったのか、印象に残るエピソードはありますか?

若生:たくさんありますが、神戸ファッションコンテストでグランプリを取れたのは、クラスメイトだった友人たちのおかげです。提出期限前日の朝まで寝ないで手伝ってくれました。僕は3日間くらい寝ておらずヨロヨロになっていたのですが、友人たちがタクシーを捕まえて「行ってこい!」と送り出してくれました。それでもまだコンテスト用の服が完成していなかったので、タクシーに乗っても服を作っていて、運転手さんに試着の協力をお願いするくらいの状態でした。

神戸の会場に着いても未完成のままでしたが、同じようにコンテストに参加していた他のクラスメイトが「こうやるんだよ」と手伝ってくれました。そんな状態でしたがプレゼンがうまくいき、僕のデザインを評価してもらえたので、本当に友人たちに救われたと思っています。

三木:留学から帰国後、そのご友人たちと一緒にブランドを立ち上げたのですよね?

若生:学生時代から一緒にいた4人と「いつかやろう」と決めていたんです。ただ、そのブランドはワンシーズンで終わってしまいました。その友人たちとはルームシェアをしながら、一緒にブランドを立ち上げたのですが、当時の僕は古着屋にも勤めていて、どうしても友人たちと生活が合いませんでした。結局、うまくいかずに僕は離れましたが、とてもいい経験になったと思っています。

その後、古着屋とブランドを展開している会社に入り、そこでブランドの立ち上げを任せてもらいました。ただ、その会社でもさまざまなことがあり、退職しました。僕が作ったブランドは会社のものだったので、在庫や権利を買い取る必要があり、借金をすることに……。自分自身のブランドができるまでたくさんの苦労がありましたが、仲間たちのおかげで2、3カ月で借金を返すことができ、『Pablo Griniche』というブランドを立ち上げることができました。

「古着は教科書」先人から学び取る

新進気鋭のデザイナー若生隆人×ワクセル

住谷:若生さんの今後の展望についても教えてください。

若生:2022年2月から東京・上野にあるアトリエと契約をして、コンセプトストアをオープンします。僕の哲学で選んだ古着やアンティーク、ヴィンテージ、自分のブランドなどを置くお店で、1年間限定でガムシャラにやってみるつもりです。

僕にとって古着は教科書みたいなものです。昔の人が作った服を見ると、生地や作り方から学べることがたくさんあります。どんな本を読むよりも古着から学ぶことが多く、僕のそばには常に古着があります。それが僕の人生というかスタイルなんですよね。今後は古着に専念するのか、ブランドに専念するのかわかりませんが、この1年でこれからの道を決められたらと思っています。


日本とブラジルの架け橋となるアーティスト

今回のゲストは、「日本産 ブラジル製」のアーティスト・KAUAN OKAMOTOさんです。

KAUANさんは日本人とブラジル人のMIXで、日本語、ポルトガル語を操るシンガーソングライターです。15歳から大手芸能事務所でエンターテイメントを学び、作詞・作曲だけでなく、ダンスの振り付けや演出など、多岐にわたって活躍しています。ブラジルで視聴者数3,000万人を超える人気番組に日本人として初めて出演。国内外で大注目のマルチアーティストKAUANさんに、これまでの軌跡を伺いました。

MCは、ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢さんと、ワクセルメディアマネージャーの三木が務めています。

初ステージが東京国際フォーラム

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

渋沢:まずお聞きしたいのは、15歳で芸能界に入ったきっかけは何でしょうか?

KAUAN:母がモデルに応募してくれたのがきっかけです。当時はテレビでハーフタレントが流行りだした時期だったんです。自分を表現することや、MIXであることを生かしたいと思ったときに、「モデルやったらいいんじゃない?」と母に勧めてもらいました。

また、当時の僕は音楽によってすごく救われていると感じていました。こんな雰囲気なのでビックリされるかもしれませんが、小田和正さんの曲をよく聴いていたんですよ。洋楽ではアッシャーや、ジャスティン・ビーバーが好きで、「歌って踊れるのってカッコいい」と思いました。音楽に救われる側から、音楽を“自分も表現したい”に変わった頃に、たまたまジャニーズ事務所のジャニーさんから声をかけていただきました。

急に知らない番号から電話がかかってきて、電話に出ると「ボクだよ、ボクだから」と言われました。話していてジャニーさんだとわかりましたが、最初はオレオレ詐欺ならぬ“ボクボク詐欺”かと思いました(笑)。ジャニーさんから「今すぐ国際フォーラムに来て」と言われ、生まれて初めての新幹線に乗って東京へ向かいました。

会場に着いてみるとオーディションではなく、ライブ会場でした。ジャニーさんから「YOU、今日のライブに出ちゃいなよ」と言われ、ビックリしながらも急遽ライブに出演することに。そこでジャスティン・ビーバーの『Baby』をアカペラで歌ったことでジャニーズ事務所に入ることになりました。ジャニーさんのおかげで人生が変わったので、そこから奇跡を信じるようになりましたね。

事務所から独立してソロデビュー

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

渋沢:ジャニーズで活躍した後に、今では独立してソロ活動をスタートされていますが、どのような背景があったのでしょうか?

KAUAN:日頃からジャニーさんとは方向性について密に話したり、自分で作詞・作曲をしたものを見てもらったりもしていました。カメラマンを自分で手配して、自分で監督を行い、出来上がったPVが『Fantasy Dance』です。ジャニーさんも後押ししてくれたので、何とかジャニーズの中でできる道がないか模索しましたが、なかなか難しかったですね。

「YOUが決めた道が一番いいんじゃない」とジャニーさんも言ってくれたので、悩んだ結果、20歳になる前にジャニーズ事務所を辞めて、自分の夢を追いかけることにしました。お世話になったジャニーズ事務所には、いつか恩返しできればと思っています。

その後、新たな音楽事務所に入りました。事務所と一緒になってメンバーを集め、僕もメンバーの一員として1年ほどの活動を経て2017年にデビューしました。今では完全にセルフプロデュースで活動しています。

渋沢:すベて事務所にやってもらっていたところから、自分でやらなきゃいけないって状況に変化したときに、困ったことや苦労した点はありますか?

KAUAN:それはすごくありますね。ジャニーズの頃はバラエティに出させてもらっていましたが、今日のような撮影はすごく久しぶりなんですよ。テレビでは、スタッフさん全員でいい番組を作ろうと動いてくれていますが、一人でやるとうまくいかないことばかりです。

「メイクさんがここまでやってくれていたのか」とか、「カメラは1台だと全然撮りたい画が撮れなくて、4台必要なんだ」とか、やってみて初めてわかることがたくさんあります。セルフプロデュースで活動していくには人がついて来る自分になる必要があります。そこが大変だと感じました。

目指す音楽は、ラテンとアジアンPOPの融合

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

三木:大手事務所からソロ活動になり、海外で広く活動していくなかで、周囲からの反対や逆境などはありましたか?

KAUAN:特に言われたのは、「辞めるのはもったいない」「ジャニーズにいた方がよかった」。言われるのは辛かったですし、カチンとくることもありました。それでも自分としては腹をくくって辞めたので、何かしら言われることは覚悟していました。

渋沢:アーティストとして、自分が表現したい世界観を今はやれている実感はありますか?

KAUAN:そうですね。春にはまたブラジルへ渡る予定があって、今年の目標としてはラテン要素と、J-POP、K-POPの要素を融合させるということです。何も隠さずに、僕のアイデンティティを全部出しきった音楽を生み出します。僕はカメラマンやプロデューサーなどを自分で集めてクルーを組んでいるのですが、ブラジルでのクルーと組み合わせて行ったり来たりしながら、クリエイティブ制作をしようと考えています。

ブラジルは世界最大の日系人居住地であり、アジアに対してのリスペクトも強いです。国民性としてライブや音楽を好きな人が多く、世界一大きいライブ会場があり、本当に夢を見させてくれるようなムードがブラジルにはあります。日本とブラジルを代表して世界に発信できるようなアーティストを目指したいですね。

繊細さとおもてなしの心を持つ日本。情熱的で愛情に溢れるブラジル。真逆といっても過言ではない文化ですが、僕はそれが魅力だと思っていて音楽で多様性を表現していきたいですね。地球の反対側にある日本とブラジルが、お互いを尊敬しあえる夫婦のような関係になれるのではと思います。

コロナ禍の“洞窟”で見つけたひとすじの光

アーティスト-KAUAN-OKAMOTO×ワクセル

三木:昨年にリリースされた『Cave』という曲を聴きましたが、とてもメッセージ性が強いと感じました。どのような思いを曲に込めているのか聞かせてください。

KAUAN:『Cave』は、“洞窟”という意味ですが、まさにこのコロナ禍での体験を表しています。ソロとして掲げた目標に対していい結果が出ていたのに、一度ストップせざるを得なくなり、やるせなさを感じていました。お金も時間もかけたものが一瞬でなくなり、まさに洞窟にいるような感覚だったところから、どうやって這い上がろうかなと……。

Aメロは「A loser or lover(俺は負け犬なのか愛されてるのか)」から始まり、心の奥にある思いを吐き出しています。「I’m a star(俺はスターだ)」って歌詞は、ものごとをストレートに表現するブラジル人らしさがあります。自信があるから言っているわけではなくて、「そうでも言わないとやってられない」と、自分を奮い立たせています。洞窟の中で光を探しているんですよね。

Bメロでは、「もっと優しくみんなに接していこう」という歌詞など、自分も光を灯せる人になりたいというメッセージがあります。僕の曲は、まず自分に問いかけてから、相手に伝えているところが多いんですよね。サビでは「I hope light will open your gloomy way(光が君の澱んだ道を照らしてくれるように願っている)」と歌っていますが、この“君”とは、自分のことでもあるし、相手のことでもあります。みんなが洞窟の中にいて、「一人だけじゃないんだよ」という思いを込めています。

三木:これからも世界でますます大活躍かと思いますが、今後のビジョンについて聞かせてください。

KAUAN:まずはブラジルで、ラテン・アジアンPOPの要素を取り入れた曲を話題にすることです。自分のSNSの数字を伸ばすことも目標のひとつとしてあります。数字を伸ばすということは、みんなの心に届いているということですよね。「KAUANの曲を聴いて、生きる意味を見出した」と言ってくれる人もいるので、そうやって人の心に残る曲を作りたいです。まずは自分のアイデンティティである「ラテン・アジアンPOP」のなかでどこまで表現できるか、自分との勝負です。

ワクセルのようないい番組はなかなかないので毎回出たいくらいです。今後は一緒に何かプロジェクトなどやっていきたいですね。

 


デザインの力で戦争を無くしたい

2001年に『世界がもし100人の村だったら』という絵本の広報に携わり、「デザインの力で社会課題を解決すること」を目指して多方面で活躍する石川淳哉(いしかわじゅんや)さんをゲストにお招きしました。

MCは、ワクセルコラボレーターでタレントの渋沢さんと、ワクセルメディアマネージャーの三木が務めています。”ソーシャルグッドプロデューサー”として、たくさんの人に影響を与えている石川さんに、これからの社会課題について、そして私たちが何を意識していくべきなのかについて詳しく伺いました。

社会課題の解決に向けて、「入り口」を作りみんなを巻き込む

ソーシャルグッドプロデューサー-石川淳哉×ワクセル

渋沢:
石川さんは現在『ソーシャルグッドプロデューサー』として活躍されていますが、どういったお仕事なのでしょうか?

石川:
クリエイティブの力を使って社会課題の解決を目指しています。社会課題はたくさんありますが、そもそもどんな課題があるのかに気づいていない人が多いので、まず入り口を作って、みんなを巻き込むようプロデュースする仕事です。

2001年に『世界がもし100人の村だったら』という絵本の広報に携わったことが、大きなきっかけになりました。それまで数多くの広告を手掛けて、ありがたいことに大きな広告賞をもらったこともあり、広告についてやり切った気持ちがあったんです。

そんな時に『世界がもし100人の村だったら』の広報に関わることができ、それを通じて社会課題の解決ができることに自分の脳が喜んでいることを体感しました。これまでの広告の仕事と比べ、圧倒的に仕事の楽しさを感じ、「もっと難しいテーマを扱いたい」究極をいうと「デザインの力で戦争を無くしたい」と考えるようになりました。

『世界がもし100人の村だったら』絵本で社会課題の解決に乗り出す

ソーシャルグッドプロデューサー-石川淳哉×ワクセル

石川:
あの絵本の内容は、もともと『世界がもし1000人の村だったら』という話が題材。非常に長いものだったのですが、わかりやすい入り口にするためにグラフを使った絵本にしました。小学校3年生の女の子にお母さんが読み聞かせるようなイメージで作ったので、ひらがなで書かれています。それまでは社会課題を絵本で解決するといった取り組みはなかったので、新しい試みでしたね。

渋沢:
『世界がもし100人の村だったら』は私も読んだことがありますが、非常にわかりやすい内容で強く印象に残っています。さらに2011年に復興支援情報ポータルサイト『助けあいジャパン』を設立されていますが、こちらではどのような取り組みをされていますか?

石川:
『助けあいジャパン』は、支援したい人がSNSを中心に情報を共有して、助けあうための新しいプラットフォームです。今日僕が着ているベストがユニフォームなんですが、何か災害が起こるとこれを着て被災地に行っています。これを着ていると、被災した人たちに「助け」が来たとすぐにわかってもらえるんです。

東日本大震災が起こった時に、地盤の揺れと同時に”時代”が揺れたことも感じました。2万人が亡くなり大きな経済被害が起こった時に、このまま元に戻ることを目指すのではなく、次の災害発生に備えて、より強靱な地域づくりをしようという「ビルドバックベター」な考え方が必要だと思ったんです。

ビルドバックベターのカギとなるのが”情報の共有”です。『助けあいジャパン』を作ったことにより、支援をしたい人たちがSNSを利用して一緒に情報を集めて、足りないものを届けたり、ボランティアを派遣させたりと、情報のマッチングが実現できました。

2018年に、女性誌を一冊丸ごとSDGs特集に

ソーシャルグッドプロデューサー-石川淳哉×ワクセル

渋沢:
ボランティアの形もどんどん変わってきているのですね。2018年には女性誌で一冊丸ごとSDGs特集をしたことが話題になりましたが、こちらも石川さんが携わっているのですよね?

石川:
2015年にSDGsが国連サミットで採択され、2030年までに17個のゴールと169個のターゲットが設定されました。今では多くの人にSDGsという言葉が知られるようになってきましたが、2018年の段階では女性の認知率がまだ14%くらいしかありませんでした。そういった背景があり 、強い影響力を持つ女性やファッションリーダーたちからSDGsを広めて世間を引っ張っていってほしいと『FRaU』という雑誌で一冊丸ごとSDGs特集を始めたのです。それが現在まで続いて、2021年12月の発行で10号になります。

三木:
雑誌を作るにあたり大変だったことはありますか?

石川:
まず、丸ごと一冊をSDGs特集で作るだけの広告主が必要ですし、読んでくれる読者がいるのかも心配でしたね。社会課題の解決に興味のある仲間を集めて、広告主に「みんなで社会課題を解決したいので雑誌に広告を出してほしい」と言うのではなく、「一緒に作りたいからパートナーになってくれませんか?」とお願いしました。

すると、賛同してくれる人たちがいてお金が集まり、無事に雑誌を作ることができました。今後も社会課題を解決していくためのバイブルとして、この雑誌を入り口としてSDGsを知ってくれる人が増えたら嬉しいですね。

みんなで集まって社会課題の解決にあたることが重要

ソーシャルグッドプロデューサー-石川淳哉×ワクセル

渋沢:
石川さんのお仕事は「届ける」仕事なのですね。2021年にはソーシャルグッドプロデューサーの育成塾を開講されていますが、育てることにも注力している理由を伺いたいです。

石川:
育成塾では、「本気で社会を変えたい」「社会が良くなってほしい」という気持ちをもち、自分がプロジェクトリーダーになりたいと思う人しか採っていません。
全国の自治体、地域プロデューサー、ソーシャルグッドの事業をやりたい方、メディア関係者、高校生など、さまざまな人がいます。

世の中を変えていくためには、ゴールに対して一人で頑張るとか、一社で頑張るのではなく、課題に対して協力できる人が集まり、みんなで解決していくことが必要です。自治体、省庁、大企業、中小企業、ベンチャー、大学、主婦など誰もが協力できるプロジェクトがあれば、お金を出す、愛を出す、勇気を出す、時間を使うなど、人それぞれのやり方で参加ができます。

これを”コレクティブインパクト”というのですが、どうやって仲間を作ってコレクティブインパクトを起こしていくかを学んでもらっています。

一人ひとりの意識が世界を変える

ソーシャルグッドプロデューサー-石川淳哉×ワクセル

石川:
2021年8月9日にIPCC(気候変動政府間パネル)からある発表がされて、僕は以前の地球とはまったくの別物になったと感じています。

三木:
最新の報告書で「気候変動の拡大が深刻化している」と発表がありましたね。

石川:
それまで気候変動は人間のせいかもしれないし、地球のライフサイクルのせいかもしれないと言われてきました。でも8月9日の発表で、産業革命以降の人類の生活が気候変動に影響を与えることが明らかになったんです。

世界中でニュースになっていますが、まだ気づいていない人は多いです。気候変動が人間のせいということは、僕のせいでもあるし、お二人のせいでもあるということです。逆をいうと僕らが何かを変えれば、途端に気候変動をストップできる可能性が広がります。

たとえば電気を作る方法には原子力発電、火力発電、水力発電、再生可能エネルギー、太陽光などがあります。福島の原発が止まっているので、東京では火力発電が使われていることが多いですよね。ただ、世界的にCO2排出削減に向けて動いているなかで、「日本は相変わらず化石燃料だよね」と言われ、COP22(第22回締約国会議)でも、COP26でも言われ続けているんですよ。

若者がこの事実を知り、こぞって家の電気が何を使っているかのかを確認して代えるだけでも、大きな変化が起きるはずです。今まで「自分にとってベスト」という自分主体の考え方の人も多くいましたが、これからは自分と他者、地球が共存していくことを考えていく必要があると思います。

三木:
ワクセルはチャレンジする人を応援することをテーマにしていますので、ぜひ石川さんと一緒に新しいプロジェクトを手掛けて、社会課題の解決を進めていきたいです。

石川:
僕は、上手くいかなくてもチャレンジし続ける自分でいれば、未来が開けると思っています。チャレンジして上手くいかなくて、打ちひしがれて諦めてしまう人もいますが、そこで諦めず継続できるような社会を一緒に作っていきたいですね。


偏見や差別のない多様性を受け入れた世の中へ

アートディレクターをはじめ、野球界(以下、球界)での通訳・渉外担当など異色の経歴を歩んだ後、男性から女性へと性転換手術を受け、現在はミュージシャン、女優として活躍するコウタさんを、今回のトークセッションのゲストにお招きしました。

コウタさんのこれまでの経歴や経験を踏まえ、現在の活動や多様性を受け入れる価値観についてお話しいただきました。

MCは、ワクセルコラボレーターでエステサロンソフュージュ代表の萩野さんと、ワクセル総合プロデューサーの住谷です。

性別への違和感、17回の転校、葛藤した子ども時代

萩野:
私はプライベートエステサロンを運営していて、仕事柄こういった表舞台に立つことはなかったので今日はとても緊張しているんですが、ゲストのコウタさんにお会いできるのをすごく楽しみにしていました。

住谷:
コウタさんはお会いした瞬間から明るく、すごいエネルギーを持っている方だと感じました。今日はまずコウタさんの経歴から、詳しく聞かせていただきたいと思います。

ニューヨークにあるパーソンズ美術大学に在学中の1984年にスカウトされ、アートディレクターになられていますが、そもそもコウタさんがアートの世界に入った理由が気になります。

コウタ:
私は東京生まれですが、父親が新聞記者で海外特派員だったため、4歳の時にロンドンに渡り、それ以降もニューヨーク、東京、インド、ロサンゼルスを転々とし、ハイスクールを卒業するまでに17回も転校しました。

さらに物心ついた時から、「僕は男じゃない、女の子なんだ」っていう思いを持っていて、あまりにも普通ではない育ち方をしたんです。

そういう背景もあり、いつしか感覚を表現する世界、何か自分で作り出す世界に入っていきたいと思い、ニューヨークの美大に入りました。

住谷:
在学中にスカウトされアートディレクターになられていますが、どういう経緯でスカウトされたんですか?

コウタ:
私が勤めていた広告代理店は世界中にオフィスを持っていて、国籍の違う人たちが集まって会議をしていました。

そのため、文化の違いや言葉の壁が生まれてしまい、意思の疎通が図れないことがあります。そういう問題が起きたときに、英語と日本語どちらも話せるアートディレクターを育てようとなったらしく、その条件に私がピッタリとハマりスカウトされました。

アートディレクターから球界への転身

住谷:
その後は球界に入り、通訳や渉外担当をされていますが、アートディレクターから驚きの転身をされていますね。

コウタ:
1988年に福岡ダイエーホークスに入団しています。その当時、日本の球界では、異文化を理解し合っていない、通訳を担当されている方がご高齢の方であるなどの背景から、外国人選手との関係性に色々と問題が生じていました。

そういう状況の中で当時ダイエーのオーナーだった中内さんとご縁があり、通訳・渉外担当のオファーをいただいたんです。

萩野:
突然の異業種への転身に、周りのみなさんは驚かれたのではないでしょうか?

コウタ:
ニューヨークのアートディレクターは花形の仕事だと思われていたので、みんなからは「何を考えているんだ?」「おかしくなったのか?」と言われましたね。

でも私は心の中で自分は女の子だという葛藤を常に持ち、自分が何者なのか、いつも自分探しをしていました。

大きな悩みを抱えている子どもの頃から野球はずっと大好きだったので、私が役立てるならぜひやりたいという気持ちになったんです。

住谷:
その後WBC開催のためご尽力され、通訳・渉外担当という枠を超えた仕事をされています。

コウタ:
1997年に環太平洋事業部長という立場でニューヨーク・ヤンキースに入団したのですが、通訳・広報を担当していた伊良部選手の成績が振るわなかったので、解雇されることになりました。

しかし、すぐスカウトをされ1998年にニューヨークメッツに入っています。そしてニューヨークメッツが日本で開幕戦を行った時に、読売巨人軍にスカウトされたんです。

読売巨人軍に入団後、ヤンキースとの業務提携、今でいうWBCの企画運営に取り組みました。

萩野:
全く経験のない業界だったのにすごい活躍ぶりですね!

「自分に嘘をつきたくない」性転換手術へ

コウタ:
かなり無茶な働き方をしていて、このままいけば球界で偉くはなっていけるだろうとは思ったんですが、でもやっぱりどこかで“自分は女性なのに、自分自身にずっと嘘をついている”と感じていました。

やっぱりもう自分に嘘をつきたくないと思い、安泰した生活を捨て2003年にホルモン治療を始め、その後声帯手術、性転換手術を受けました。

萩野:
それまで抱いていた葛藤を乗り越え、行動に移されたんですね。

コウタ:
私が手術したころは、私のような人はみんなニューハーフと呼ばれていました。でも今では死語になっていますよね。

今後の日本でももっと多様な生き方を受け入れて、LGBTなんて言葉もなくなって、これが当たり前になってほしいと思います。

住谷:
2008年にアメリカから帰国後、ライブハウスでウェイトレスとして働きながら音楽活動に取り組まれています。

またこれまでと全く違う活動をされていますが、これはどういうきっかけでしょうか?

コウタ:
ホルモン治療を始めると、それまで自分が慣れ親しんだ体が変わってきました。味覚も変わり、体が求めるものが変わり、脳への影響もあるのでアンバランスな状態になってしまうんです。

特に男性から女性へ性転換した人は自殺を考える方が多く、私も自殺未遂を図ったことがあり、一時期は施設に入っていました。

そこでレクリエーションの一環でギターに触れ、そのメロディが自分の琴線に響き「ようやく本当の自分になれたんだから、これからは表現者として表に立って生きていきたい」と考えるようになったんです。

「今が第二の青春」何歳からでも夢中になれる

住谷:
2010年になってからはさらに女優業に挑戦し、映画にも出演され、表現の幅をどんどん広げられていますね。

コウタ:
つい1ヶ月前、演出家の松崎悠希さんが企画した『モザイク・ストリート』という映画の撮影をしていたんですが、その映画は多様性が受け入れられた日本が舞台になっています。

萩野:
多様性が受け入れられた日本とは具体的にどのような映画なんですか?

コウタ:
私が演じた役はトランスジェンダーの探偵、そのアシスタントは同性愛の女性、もう一人のアシスタントはアフリカ系と日本系のハーフの女性。人種や障がいの有無、性的指向などが特別視されず、当たり前にある世界観になっています。

ジェンダーを越え、一切そういう言葉も使わない多様性にあふれた世界があることを示してくれる映画です。

住谷:
コウタさんは現在、音楽活動、女優業、翻訳家、講演活動、またご自身の経験からLGBTの啓蒙活動にも積極的に取り組まれているそうですが、現在特に力を入れられているものは?

コウタ:
今回の『モザイク・ストリート』という映画で松崎悠希さんに演技指導を受けて、改めて演技という分野の新しい局面を開けた気がしています。今はとにかく演技に夢中で、一番心を燃やしています。もう還暦間近ですが、私は今まさに第二の青春を生きているんです。

今回ワクセルさんに力を借りて、この歳になってもまだまだ新たなものに出会いポジティブに楽しく生きられる、人生捨てたもんじゃないってお伝えできることがとても嬉しいです。

住谷:
本当にイキイキされているコウタさんを見て、素直に素敵だと思います。

行動をしているとどうしても壁にぶつかりますが、今のコウタさんのメッセージで勇気づけられる人が多くいると思います。

コウタ:
私は海外でも日本人というだけで偏見の目で見られたり、日本に帰ってきても外人と言われたり、自分が何者なのかわからなくなっていました。

でも今になってようやく本当の「コウタ」を見いだせているような気がします。私の今までの経験は神様から与えられたものだと考えて、世の中に貢献できるメッセージを発信していきたいです。

私だけじゃなく、世の中には本当に多様性にあふれた色んな方がいますので、みんなで手を取り合って偏見や差別のない世界を作っていこうと伝えたいです。

住谷:
今後もワクセルのファミリーとして、多様性に富んだより良い社会を一緒に作っていただければと思います。


テレビ業界人の参入で編集技術がアップ!YouTubeのテレビ化が進む

テレビ業界でディレクターとしてさまざまなヒットを飛ばし、最近ではYouTubeでも活躍が目覚ましいマッコイ斉藤さんと、東京ストリートコレクションなど2万人規模のイベントを制作する株式会社GALDir Media(以下、ガルディアメディア)の小泉陽嗣さんを招いてTALKSESSIONが行われました。

今回は、テレビとイベントの制作の裏側だけではなく、今後のエンタメ業界がどのように変化していくのか、お二人の視点から話を聞かせていただきました。

インタビュアーはTikTokで活躍している「くびれ姉さん」ことタレントの渋沢一葉さんです。ぜひ最後までご覧ください。

SNSで様変わりしたイベントの集客事情

渋沢:
まず小泉さんにお聞きしたいのですが、ガルディアメディアとはどういった会社なんでしょうか?

小泉:
僕の会社は主にイベント制作を行っていまして、2019年には「Tokyo Street Collection」というイベントをパシフィコ横浜で行い、2万人を動員しています。

渋沢:
2万人!?すごい大規模なイベントですね。

続いて、マッコイさんも自己紹介をお願いします。

マッコイ斉藤:
僕はもうYouTuberですよ。

渋沢:
YouTuberなんですね!?私デビューして17年になりますが、デビュー当時から「テレビディレクターのマッコイさんといつか仕事がしたい」と思っていたんですが(笑)

まず最初に、お二人からバラエティ番組、イベントの舞台裏をそれぞれ教えていただきたいです。

小泉:
やっぱりイベントを作る上で大切なのはキャスティングです。でも、キャスティングって順番を間違えると上手くいかないので、その辺は意識してやっていますね。

集客については、最近はSNSがすごく多様化しているので、10年前といまでは様変わりしています。

渋沢:
私も規模はまったく違うんですが、イベントやショーを作っていて、集客が本当に大変です。2万人集めるなんて本当にとんでもないことです。

小泉:
いまはテレビで人気がある人をキャスティングしたからと言って、人が集まるわけではなくなりました。

一方で、認知はまだそこまでじゃなくとも、コア層に人気のあるYouTuberをキャスティングすると一気に集まることもあります。

でも協賛企業の賛同を得るためには、YouTuberだけキャスティングするわけにもいかず、
テレビで活躍している認知タレントも組み込む必要があるので、そのバランスがとても難しいです。

悪いことの先読みがテレビをつまらなくする

渋沢:
マッコイさんにもテレビ番組の裏側について伺いたいです。

私は、有吉さんと7、8年くらいレギュラーをやらせてもらっていて師匠と慕っているんですが、一番きつかったのが、その番組で雪山に水着で何時間も放置されたことなんです。

マッコイ斉藤:
僕も半年くらい前にやりましたよ。アイドルグループの恵比寿マスカッツに水着を着てもらって、真冬の相模湖に落としました。

渋沢:
そういうのっていまはコンプライアンス的にダメなのかと思っていたんですが…。

マッコイ斉藤:
みんなやらないだけで、ダメじゃないですよ。「心臓麻痺を起こして死んだらどうする?」って悪いことを先読みして、テレビがつまらなくなっているんですよ。

渋沢:
マッコイさんはYouTubeもやられていますが、いまはSNSとテレビが共存してきていますよね。

今後どうなっていくと思いますか?

マッコイ斉藤:
YouTubeって素人さんがやっているので、編集レベルが本当に低かったんですが、最近はテレビの人がどんどん参入してきているので、YouTubeがよりテレビっぽくなっていると思います。

編集技術、テロップ技術、音を付ける技術が上がってきているので、よりテレビっぽく観られるようにYouTubeは進化していくでしょうね。逆を言うと、テレビは本当に危ういと思います。

渋沢:
この点については、色んな人がテーマとして扱っていると思うんですが、やっぱりテレビって危ういんですか?

マッコイ斉藤:
危ういですね。だからいま、若年層を取り戻すために若者向けの番組を作り始めていますよね。

昔は世帯視聴率を取ろうとしていましたが、いまはそこを捨ててテレビのコア層を作ろうしているので、3、4年前とは考え方が大きく変わってきています。

いまはYouTubeに若いコア層が取られているので、テレビに人気を戻すために、コント番組がとても増えていますよね。

SNSの台頭で好みが細分化、ターゲットを絞ったコアなイベントに

小泉:
僕は仕事柄テレビも観るんですけど、最近はどっちかっていうとYouTubeのチェックをすることの方が多いです。

さっきの集客の話になるんですが、僕が知らない子たちがものすごい集客力を持っていることもあります。

でも移り変わりがとても速いんですよね。フォロワー数が多く、ブームになったTikTokerがいても、3ヶ月経ったら全然集客力無くなっていることもあって。

あと、かなり有名になってきて、今後が楽しみだなと思っているところで、不祥事が出てしまうことも多い。

渋沢:
そういえばそうですね。。そういう方って事務所に入っていない人が多いですからね。

小泉:
大事なタイミングで不祥事もあり、人気の入れ替わりがとても速いので、大型イベントがとてもやりづらくなっています。万人受けする大型イベントってコンセプトもまったりしているので、人が集まりにくい。

いまはどちらかというと、ターゲットを絞ってやるコアなイベントがやりやすくなっていると感じます。

渋沢:
コアなイベントというと、どういったものでしょうか?

小泉:
昔はテレビでブームが生まれて、共通認識が強かったですが、いまの若者はあんまりテレビを観ず、スマホでYouTubeとかTikTokを観ますよね。

個人がそれぞれ好きなジャンルを観るようになって、好みが明確に分かれるようになったので、しっかりコンセプトを作って、ジャンルを分けたイベントをやらないとうまくいきません。

渋沢:
すごくシビアな世界ですよね。私もイベントに呼んでいただくこともあるんですけど、数字を見られているなって常に感じています。

小泉:
僕もInstagramのフォロワー数や、Twitterのフォロワー数を見て、「この子たちをイベントにキャスティングしたらこれくらい反響があるんだろうな」と予想を立てます。

でも「フォロワー数が多い」イコール「集客ができる」というわけではないので、インプレッションの数とかを見ながら、このアカウントに本当に力があるのかシビアに見ますね。そこら辺の見極めがイベントを作る上で大変かなと思います。

フィールドを変えて新たな挑戦へ

渋沢:
改めて集客を意識した活動を頑張ろうと思います。

次のテーマですが、マッコイさんがYouTube番組を始めたきっかけを聞きたいです。

マッコイ斉藤:
やっぱり時代の流れですよね。

テレビの視野の狭さというか、あれをやっちゃいけない、これをやっちゃいけないって、いい子ちゃんじゃなきゃいけなくなりました。そのうちに、ただご飯を食べて、クイズをやるっていう流れが本当に嫌になっていました。

そんな時に家に帰ると息子や娘がYouTubeを観てるんですよ。テレビのリモコンにYouTubeのボタンや、Netflixのボタンが付いているのを見た時に、もしかしてこっちのフィールドに行ったらもっと面白いことができるかもしれないと思ったんですよね。

小泉:
マッコイさんのYouTubeを初めて観た時は衝撃を受けました。力のある人がYouTubeに入ると全然違うんだなって感じましたね。

マッコイ斉藤:
ありがたいです。YouTubeと言っても、配信するということはテレビと一緒なので、そんな恥ずかしい編集や適当な編集はできませんから。

でも、どんどんYouTuberの編集技術は上がってきていると思いますよ。

渋沢:
お二人に今後の野望についても聞きたいです。

小泉:
YouTuberがこれだけいらっしゃるので、「YouTuberアワード」のようなイベントは、まだどこもやっていないのでやってみたいですね。

YouTubeにも色んなジャンルがあるので、ノウハウ系部門、バラエティ部門とか、ジャンルを分けてやったら面白くなりそうだなと思います。

YouTubeって世界中で観られますから、最終的にカンヌ映画祭みたいに世界的なイベントができたらいいですよね。

マッコイ斉藤:
YouTubeアワードジャパンとかね。それが実現した際には、ぜひ私を初代MVPあたりに……。

今後ともズブズブの関係でお願いします(笑)

いま、Hulu、Netflix、Amazonプライムとかさまざまな配信サービスがあって、全裸監督のようなシリーズドラマが世界中で観られて、どこで大ヒットが出るのかわかりませんよね。だからこそテレビにこだわらず、作品を撮り続けていきたいと思います。

僕は50歳を過ぎているんですけど、いまだに映画だけ当てたという実感がないので、映画を当てたいですね。

小泉:
楽しみです。映画のジャンルはもう考えているんですか?

マッコイ斉藤さん:
僕は北野武さんに憧れて生きてきたので、アウトレイジとか武さんの映画は全部観てますけど、やっぱり笑いなしで勝負しているのがカッコいいと思うので、笑いなしの不良映画を撮りたいです。

渋沢:
その際はぜひ渋沢もお願いします(笑)
今日は本当にありがとうございました。


どの業界でも、成功する人は義理人情を大切にしている

角田さんはTBSテレビにて、TVプロデューサー、ディレクターとして主にバラエティ番組の企画制作をされてきました。2009年にはネット動画配信会社goomoを設立、映画『げんげ』監督、音楽フェスティバルの開催など、さまざまなメディアビジネスをプロデュースされています。2020年10月14日には『天才になる方法 本当に「頭がいい」とはどういうことだろう?』(大和出版)も出版され、さらなる活躍が期待されています。

池内さんは、要潤さんや奥菜恵さんなど多くの芸能人が所属する芸能プロダクション・フリップアップの代表を務められています。元々はトラック運転手をしていたところから、波乱万丈な人生を経て芸能プロダクションの経営者になられた経緯は、とても興味深いものがあります。

今回はこのおふたりに加え、ワクセル主催の嶋村吉洋を交えたクロストークとなっています。メディアの最前線をつくられている方々の面白く、学びの多い対談をお楽しみください。

どの業界でも、成功する人は義理人情を大切にしている

角田:僕が知る限り、池内社長は芸能プロダクションの社長のなかで1番いい人です。ただ、一般的に芸能プロダクションの社長は怖いイメージをもたれていると思います。その点について池内社長はどうお考えですか?

池内:角田さんのほうが知ってると思いますが、怖い人が多いからこそ僕がいい人に見えてるんじゃないですかね(笑)

角田:芸能プロダクションの社長は「怖い」、「ムリな注文をする」といったイメージがあるみたいですね。ただ僕がテレビプロデューサーをやっていて、芸能プロダクションの社長ともめたことはないです。なので、僕はそういうイメージをもっていません。どうして世間ではそういうイメージがあるんでしょうか?

池内:閉鎖的で、まわりからすると全く内情が分からない世界だからだと思います。そのうえ、雑誌やメディアは事実以外を発信することもあるので、「コワモテの社長」のように悪者扱いされやすい気がします。
実際に会ってみるとそんなに怖い人はいないし、変なことを言う人もいないと思いますよ。ただ、仕事のスタイルははっきりしてますよね。「やることはやる、やらないことはやらない」というスタンスではっきり言います。

角田:タレントさんは人間だけど、商品という一面もあります。そこがずれている人に対しては本気で怒る印象です。

​池内:もちろんタレントを使い捨てみたいに扱われるのは怒りますし、使い手側のメリットばかり考えている人にも怒りますね。商売と一緒で、人を大切にしない人とはなかなか仕事がしにくいなと思います。結局、人が一番大事ですからね。

嶋村:わかります。僕自身も人間関係や義理人情を大事にやってきたつもりです。事業がうまくいっているときに協力してくれる方は多いと思いますが、角田さんは僕が大変な時期に協力してくださり、本当に感謝しています。そういう方と一緒に仕事ができることがとても嬉しいなと感じています。
池内社長と会食させていただいたときも、義理人情を大切にしているのがとても伝わってきました。やはり、そういう方が長期的に繁栄するんだなと確信したことを覚えています。

池内社長の独立はwin-winの関係

角田:池内社長がプロダクションを立ち上げたころの話を聞かせてください。

池内:前の会社の社長、谷口社長に出会ったのがきっかけですね。芸能プロダクションを手伝わないかと誘われ、手伝いに行ったところで要潤と出会いました。
それから社長のあと押しもあり、独立して起業しました。こうすることで、社長は「マネージャーを育て独立させた器が大きい人」、僕は「マネージャーから努力して社長になった人」となり、お互いハッピーになりました。結局、援助はお気持ちだけいただき自力で独立しました。

信頼は小さな積み重ねのうえに生まれるもの

嶋村:独立されて12年ほど、要さんと二人三脚で歩んでこられたと思います。以前「池内さんと要さんが新幹線に乗り、動き出すときには爆睡してしまっていた」というエピソードをうかがったことがあるのですが、詳しく教えていただけますか?

池内:それは独立する前の話ですね。当時、要は朝の連続ドラマとゴールデンのドラマという2本の撮影を同時にやっていました。早朝まで大阪で朝ドラの撮影をし、新幹線で東京に戻ってゴールデンのドラマの撮影をするという過酷な生活を送っていました。
大阪から始発の新幹線に乗り、8時半に東京駅に着くまでが貴重な睡眠時間でした。なので、新幹線に乗り込むとすぐ爆睡して、東京駅で掃除のおばちゃんに起こされるまで寝ていました。こういう経験を一緒に乗り越えたことが、要が僕を信頼してくれるきっかけになった気がします。

嶋村:なぜ池内さんと要さんは信頼関係を築けたのでしょうか?

池内:僕は信頼を一番大事にしています。「俺のこと信頼して!」という人ほど、信頼できないじゃないですか(笑)信頼は日々の小さな言動や行動の積み重ねでつくられるものだと思います。
最近は夢や目標をもたなければいけない、成功しないといけないという風潮がありますよね。しかし、それはノウハウの話で、人生や仕事においてはノウハウではなく心が大事だと思います。お金持ちになるのではなく、何かやりたいと思ったときに実行できる力や人脈、お金をもっていることが重要。
つまりは準備です。いきなり僕と知り合って、角田さんを紹介するよ!となったときに、角田さんをうならせるほどの準備をしているのか。

角田:僕は人脈だけあっても仕方ないと思っています。人脈が多ければ上手くいくと思っている人が多く、誰か紹介してくださいよって言ってくる人も多いです。そこで大切なのは、その人が紹介に値する人なのかどうか。
現代はSNSで繋がろうと思えば繋がれるので、紹介は必要ないと思います。その人がどんな人かはSNSを見ればわかります。なので、今までどう生きてきたかをちゃんとアーカイブする必要があります。ライブとアーカイブがあって、ライブは人生、アーカイブは歴史です。ライブは頑張っている人が多いですが、アーカイブに力を入れている人は少ないのでしっかり記載することをおすすめします。

角田:3年前、赤坂を歩いていたら池内社長と一緒にいるTBS時代の先輩に会い、その先輩の紹介がきっかけで池内社長と知り合いました。そのあともフェイスブックで繋がっていて、僕の投稿に対して、いいねをたくさんくれるんです。会ってはいなくても、僕の考えていることをわかってくれているはずなので、一緒に仕事ができるなと思いました。

嶋村:1個1個の小さな作業が大切ってことですね。

角田:そうですね。小さな積み重ねが、結果的に大きな信頼になります。

池内:いきなり大きな信頼を得るのは難しいじゃないですか。1つ1つのことを丁寧にやってきたからこそ、信頼してもらえたのかなと思います。

角田:僕がTVプロデューサーとして大事にしてるのは、相手が断れる余地を残しておくことです。オファーを受けたけれども断りたい場合、一番使いやすい理由はスケジュールNGじゃないですか。そのときに「いつなら大丈夫ですか?」と詰められると、返信したくなくなりますよね。
そこで、いったんひいて時間を空け、再度連絡をもらえれば検討しようと思えます。さらに、3~4回頼まれると、熱意に応えてオファーを受けようという気持ちになります。

池内:確かに、何回も頼まれると引き受けちゃうことはありますね。

成功者の共通点は謙虚であること

嶋村:どの業界でも、ある程度結果が出たところで傲慢になる人がいますよね。その反面、つねに謙虚な人もいると思いますが、その違いはどこから生まれると思いますか?

池内:傲慢な人も、もともとは謙虚に一生懸命やっていたはずですが、稼げるようになりどこかで感謝の気持ちがなくなるのでしょう。ある程度のステージまでいった方ならば、自分を俯瞰して見る力はあるはずなので、どこかのタイミングで気づくはずです。

角田:天才はみんな謙虚ですよね。尖っていることと謙虚は同居できないと思っている人が多いですが、同居できるんです。そこに気づいている人が天才なんでしょう。
どんなにすごいアイディアをもっていたとしても、それを世の中に広めるには他人の力が必要です。自分の尖ったアイディアを広めるには、「こいつの話になら乗ってやろう!」と思われる人になることが必要で、そのためには謙虚さが大事です。

池内:謙虚というのは自分を俯瞰で見えているということですよね。

嶋村:ダウンタウンの松本人志さんがビートたけしさんの番組にゲストとして出演したとき、収録後に深々とお礼を言われビックリした、という話をうかがいました。何かを極めている人はみなさん謙虚なんだなと確信が入るエピソードでした。

角田:明石家さんまさんは年末の収録終わりに「スタッフ何人いるの?」と聞いて、全員に1万円をくださるんです。ほかにも、スタッフが結婚したらご祝儀10万をくださることもあります。裏に「別れたら返せよ」と書いてあり、そんな受け取りやすくする配慮もとてもカッコいいんです。

ワイプ目線でものごとを見ると失敗は怖くない

角田:以前のテレビ業界は勢いがありましたが、今はYouTubeやAbemaTVの方が勢いがある。1番元気なところに優秀な人は集まるので、優秀な人はAbemaTVやサイバーエージェントなどに行ってしまいます。

嶋村:角田さんはTBSで四天王と言われていた中、時代を先読みして独立されていますよね。どのような思考で独立されたのかお聞かせください。

角田:僕はワイプ目線が大事だと思っています。ワイプは日本のバラエティにしかないものなんです。例えば、シマウマを追いかけているライオンが転んだ動画を観て、ワイプで芸能人が笑っているとします。あなたは笑われているライオンなのか、ワイプ側の人なのかが重要なんです。
ライオンだとしたら、シマウマを逃がして死ぬかもしれない。転んだことが致命傷なんです。しかし、ワイプ目線だと、転んでいる姿が面白いので、もっと大きく転んだ方がいいなと思えますよね。
僕は独立するとき、成功したら嬉しいし、失敗しても『TBSをやめて失敗した』という本を書けば売れるので成功だと思っていました。そのとき、損した金額が100万では売れない、10億、50億と大きく失敗するほど面白くなるので思い切ってやろうと思っていました。

運は努力で手に入れることができる

池内:成功するには運も不可欠ですよね。僕は奥さん・子供以上に要さんと出会えたことが1番ツイていたと思っています。コロナもチャンスで、みんなが動かない分ライバルが減っているんです。この辺は角田さんの『運の技術 AI時代を生きる僕たちに必要なたった1つの武器』(あさ出版)にも書かれていました。

角田:運の話をすると、「うん」と思ったら運がいいです。「ふーん」という人は運が悪い。ポジティブではなく、いいことも悪いことも「うん」と受け入れるんです。それがスターターや起爆剤になります。
以前、編集者さんに本の感想を送ろうとして「面白い」を「面広い」と打ち間違ったことがありました。偉い編集者さんだったのでヤバいと思いましたが、すぐに「面広い」という言葉が面白いなと思ったんです。
僕が面白いと思うものって「面広いもの」や「面深いもの」なんですよ。そこで、これから「面広い」という言葉を流行らせようと思いました。「失礼な文章を書いてしまった」と後悔するのではなく、「面白いを面広いと書いてしまったのですが、僕が面白いと思うものは面が白いんじゃなくて、広いものなので、この文章はまさに面広い文章でした。」と送りました。そうすると、編集長もなるほどとなり、さらにこうやって人に話すことで誰かが使えば、流行っていくかもしれません。

非常事態で大事なのは日々の義理人情

池内:情報を受け取るにあたって、レシーバーの能力を上げていくことが大事だなと感じます。YouTuber、セミナーなど、発信者は同じパワーで同じ言葉を発しています。ただ、レシーバーの能力が違うと同じこと聞いていても受け取り方が違ってきます。

角田:嶋村さんは新型コロナウイルスの影響下でも売り上げが伸びたとうかがいました。僕も仕事が増えたんですが、このような非常時は義理が大切になってくるなと感じました。非常時は知らない人と仕事がしにくくなり、知っている人としか仕事をしなくなります。なので、知っている人に普段からどれだけ義理を通していて、非常時でも一緒に仕事したいと思われるかが重要です。

嶋村:芸能人が不義理をしていると居場所がなくなってくると聞きます。TV業界から逃げざるを得なくなってほかの業界にいる人と、角田さんのように積極的に開拓している人が今は玉石混合になっていますが、潮が引いたら違いがはっきりわかるはずです。それは僕ら商売の世界でも一緒なので、これからもまっとうに仕事をしていこうと思います。
角田さん、池内さん、今日は貴重なお時間をいただきありがとうございました。


人生はずっと下積み期間!ブレイクしても向上心をもち続ける

ものまねタレントのりんごちゃんにインタビューさせていただきました。

2019年1月に出演した『ウチのガヤがすみません!』がきっかけとなり、ものまねタレントとして大ブレイク。

可愛い見た目と声から一転、野太い声で「武田鉄矢さん」「大友康平さん」「吉幾三さん」らのものまねをするというネタで大人気です。

2019年にはネタ中の決めポーズ「スターティン!」が「流行ポーズ大賞」で2位を獲得、また前年からの検索数の伸びによって決まる「Yahoo!検索大賞2019」お笑い芸人部門賞も受賞されています。

2020年に入ってYoutuberとしても活動の場を広げながら活躍され続けているりんごちゃんに、今回はブレイクまでの成功秘話や、大切にしている仕事の姿勢についてをインタビューていただきました。

ものまねをやり始めたのは3歳、気づいたらものまねをしていた!

インタビュアー:ものまねをやろうと思ったきっかけはなんですか?

りんごちゃん:自分では覚えてないのですが、はじめてものまねをやったのは3歳のころだったそうです。だから自分で意識してものまねを始めたというよりは、自然とやっていたというほうが正しい気がします。

幼いころからテレビが大好きで、テレビの中の人になりたいなという気持ちがありました。特にものまねや歌が好きで、とにかくテレビの中で活躍できるようになりたかったんです。

インタビュアー:大人気なレパートリーである「武田鉄矢さん」のものまねは、いつごろからされていたんですか?

りんごちゃん:武田鉄矢さんのものまねは小学校高学年のときからやっていました。ちょうど金八先生の第7シリーズが放送されていて、まねをするようになりました。

さらに、ものまね番組でコロッケさんをはじめ、先輩がたが武田鉄矢さんをまねするのを観て芸をブラッシュアップしてきました。

人生はずっと下積み期間!ブレイクしても向上心をもち続ける

インタビュアー:得意なものまねがヒットするまで、時間がかかったと伺っています。下積みの期間はどのような想いで過ごされていましたか?

りんごちゃん:みなさんに知って頂けるようになったのが、2019年1月です。高校を卒業して東京へ上京し、そこから数えると13年かかりました。一般的にはこの期間を下積みと呼ぶんだと思いますが、正直わたしは下積みって言葉にピンとこないんです。

どこまでが下積みで、どこからが成功なのかわからない。わたしにとって、人生はずっと下積みな気がします。世間はブレイクしてると言ってくださいますが、まだまだ下積み期間だなと思ってます。

インタビュアー:高校を卒業してからブレイクするまでの13年間で、今の活躍に生きている経験はありますか?

りんごちゃん:わたしはなんでもイエスと言うこと、そしてとにかくやってみることを大切にしてきました。それが今につながったのかなと思っています。

ひとつの芸をみがき続けた結果がブレイクにつながった

インタビュアー:ご自身では、ブレイクした理由はなんだと思いますか?

りんごちゃん:「普段は可愛いけれど、歌いだすとギャップがある」という芸をやらせていただいてますが、ブレイクする前から同じ芸をずっとやっていました。

同じ芸をやっていくなかで「どうやったら可愛さが強調されるかな?」と考え、歌いだす前に「スターティン!」と言うようになったんです。

さらに、偶然同じタイミングで、大友さんのまねをガニマタでやるという芸が誕生しました。

この2つが歌いだす前後のギャップをよりきわ立たせた結果、みなさんに知ってもらえたんだと思います。

自然にポジティブになることはない!ポジティブは日々の練習が必要

インタビュアー:お話を聞いていてとても謙虚な方だなと感じるのですが、心がけていることはありますか?

りんごちゃん:心がけていることはとても多いですね。物事がよりよく進んだらいいなと思っています。

ネガティブになったり、悩んでしまうことは私にも当然あります。そのとき、自然にポジティブになることはないので、日々ポジティブにいる練習が必要だと思ってます。

疲れていても「無理にでも口角を上げて少しでも笑顔でいよう」「少しでも相手を嫌な気持ちにしないようにしよう」など、心がけています。

ひとりでも多くの人を笑顔にするためにものまねをやり続ける

インタビュアー:ものまねを通して、これから伝えていきたいことを教えてください。

りんごちゃん:幼いころから、ものまねでまわりが笑顔になるのが嬉しかったんです。

それは今もまったく変わりません。ものまねで人を元気にしたり、笑顔にできるのが本当に嬉しいなと感じます。

なので今後も、ものまねを続けていき、ひとりでも多くの人が元気になればいいなと思っています。

悩むときはとことん悩んで立ち直ればいい!

インタビュアー:最後に、ビジネスや事業にチャレンジして成功したいと思っている人へ、メッセージをお願いします。

りんごちゃん:ありきたりなのですが「やればできる!」と伝えたいです。

チャレンジすると悩んだり、不安になることもあると思いますが、その時はとことん悩んだらいい。そして、元気に仕事をしたり遊びを楽しんで欲しいです。

日々、理想の自分に近づくために、口角を上げて毎日を『スターテイン!』しましょう!


やらないより、まずやってみるの精神でチャレンジする

キングオブコント2015覇者、コロコロチキチキペッパーズのおふたりにインタビューさせていただきました。

大阪NSCで同期だったおふたりは、2012年コンビを結成し、3年後の2015年にキングオブコントで優勝。その後テレビやライブで活躍され、現在はYouTubeでも多くの人に笑いを提供されています。

高い声と個性的なキャラクターが持ち味のナダルさんと、ナダルさんの才能を120%引き出して、笑いを巻き起こす西野さん。下積み時代から現在にいたるまで、大事にされていることを伺わせていただきました。

お笑い芸人という仕事に対して真剣に向き合っているおふたりのインタビュー、ぜひ最後までご覧ください。

成功体験が下積み時代の原動力になっていた

インタビュアー:下積み時代を頑張ることができた原動力をお聞かせください。

西野:もともと野球を頑張っていたんですが、高校で辞めたんです。そこから大学にも進学しなかったので、この先どうしようかなと考えていました。その時、文化祭で漫才をやってウケた感覚を思い出し、お笑い芸人をやってみようと大阪NSCに入りました。

NSCでも時々笑いはとれていて、その感覚が気持ちよかったんですよね。人を笑顔にできているという楽しさが原動力となり頑張ることができました。お金がなくても、好きなことだからやり続けられたんだと思います。

ナダル:テレビでお笑い番組を観ていて、芸人は簡単に売れると思っていました。ところがNSCのクラス分けでCクラス(下位成績組)になってしまい、その時期はあまりお笑いが好きじゃなくなりました。

この先どうしようかなと悩んでいた時に西野が声をかけてくれて、コンビを組んでからウケるようになったんです。それがとても嬉しくて、お笑いを好きになっていきました。

僕らは結成3年目にキングオブコントで優勝し、比較的早くに結果が出ました。お笑いの世界は結果がすべてだと思います。なので、もし結果が出ていなかったら僕は芸人を辞めていたかもしれません。

たゆまぬ努力と運が合わさったとき、いい結果が訪れる

インタビュアー:キングオブコント2015で優勝できた理由は何だと思いますか?

西野:2012年に結成して、2013、2014年もキングオブコントは出ていたんですが、準決勝にすら進めなかったんです。けれど、その間も大阪で人気なテレビ番組などに少しづつ呼んでもらえるようになってきて、自分達の中では階段を徐々に上がってきている感覚でした。

キングオブコント2015で準決勝まで進んだときは、チームコロチキ(作家さんなどを含むチーム)全員が「ここが勝負どきだ!」ってなりましたね。決勝に行けたらやっと芸人としてのスタートラインに立てると思って、今までで一番真剣にネタに取り組みました。

この時期は毎日ネタの動画を撮って試行錯誤していたんです。お客さんは毎回同じネタを観ているので段々ウケなくなるんですが、それでもキングオブコントでやるネタだからと思ってやり続けました。こだわり続けて微調整を重ねた結果が優勝に繋がったのかなと思います。

インタビュアー:ナダルさんはどうお考えですか?

ナダル:運ですね。実力もあるとは思いますが、運がよかったと思います。もちろん努力はしていましたけれど、決勝にいけるという感覚はまったくありませんでした。ただ、準決勝でめっちゃウケたので決勝に進めたという印象です。

正直、努力が必ず報われるとは思いません。面白くても売れていない芸人さんはたくさんいます。なので、僕は運がよかったと思っています。

西野:確かに、1回戦も準決勝も音響トラブルがあったんですが、それでも突破できたので運がいいなと思いました。出順に関しても、この時は絶対トップバッターにならないだろうなと思ってくじをひいて、案の定4番といういい数字が出ました。

お互いの出会いが新たな扉をあける鍵になった

インタビュアー:ナダルさんの個性的なキャラクターを活かしてオンリーワンのスタイルを確立されている秘訣を教えてください。

西野:僕は変な人が好きなんです。ナダルと組む前の相方もめちゃめちゃ変な人で、僕はめっちゃ面白いと思ってたんですが、お客さんに面白さが伝わらなかったんです。

その後コンビを解散して、ナダルと組んだときは「前の相方よりはマシだろう」と思ってたんです。ところが、ふたを開けてみたらなかなか変な人で、ますます面白いなと思いました。

ナダルは本当にマジメに取り組んでくれるんですよ。結成したばかりのころは、ナダルがセリフを間違えたりして僕がよく怒ってたんです。7歳年下に怒られても、文句言わずにやってくれてたのは大きいですね。

インタビュアー:ナダルさんはどうして素直に受け入れられたんですか?

ナダル:僕は自信がなかったんですよ。お笑いの世界は結果がすべてなので、実力のある西野に従おうと思ってました。

西野さん)でもナダルと組んでから、前のコンビではとれなかった爆笑をとれるようになったんです。「新たな扉をあけたな」という感覚があって、これはモノにしなければと思いました。ナダルとなら絶対にいけると思いました。

ナダル:西野のすごいところは、コンビの見せどころをしっかり理解してプロデュースしてくれるところなんです。こういう感じでやったらウケたっていうのを覚えているんですよ。なので、指針は西野に任せています。西野がいなかったら僕らは売れてないと思います。

互いの不足を補い合ってバディシップを組む

インタビュアー:バディシップを組むコツを教えてください。

西野:コンビ仲が悪い先輩もいますけど、僕らは年が離れているからか、あまり仲が良い悪いを深く考えたことがないですね。

世間では僕のほうがしっかりしていると思われがちですが、僕のほうが未熟なところもたくさんあるんです。そこをナダルが指摘してくれることもあって、お互いの不足を補いあっている感じです。

やらないより、まずやってみるの精神でチャレンジする

インタビュアー:最後に、これから目標に向かってチャレンジしようとしている人にメッセージをお願いします。

西野:まずやってみることが大事だと思います。僕らもうまくいかない時期があったし、先輩がたに聞いてもうまくいかなかった経験を積んで今があります。辞めてしまったらそこで終わりだと思うんで、本当に無理だと思うまでは続けてほしいですね。

「俺なんて」「私なんて」でやらないよりは、まずやってみたほうが人生楽しくなるんじゃないかと思います。

ナダル:とにかくやってみてください。正直全員が成功するとは思っていません。やってみて無理だったら違うことにチャレンジしてもいいと思います。後悔しないように生きて欲しいなと思います。