元理学療法士が独立1年強で月商300万「インフルエンサーじゃなくても叶うSNSビジネス」
現在、法人・個人起業家向けSNS PR撮影と、個人起業家向けのSNSコンサルティング事業を展開している奥山まめさんによるコラム。安定を求めて国家資格を取得し、理学療法士として8年間働いたのちに異業種で独立し、現在に至るまでの経緯を語っていただきます。
国家資格を取って安定した生活を送るはずが……
「起業なんて不安定なこと、怖くてできないよね」
正社員で理学療法士として働きながら、口癖のように言っていました。現在、33歳なので、当時は26歳前後になるでしょうか。
当時の理学療法士の界隈は、病院から抜けて整体院開業をする理学療法士が増え、外部セミナーも盛り上がっていました。理学療法士としての研鑽はもちろんのこと、病院外でも活躍する前提で技術への自己投資は、わたし自身も流れと同じようにしてきていたのでした。
同業者と顔を合わせるたびに、「独立する気はあるのか」という話題。セミナー講師も「独立は甘いものではない」ということを何度もSNSで発信されていて、一部界隈ではホットな話でした。
そんな流れの中で冒頭に戻ります。わたしは完全に独立するつもりは全くないタイプでした。父親が自営業者でありながら同業者ではなかったので、自分が何もないところから事業構築するなんて思ってもみなかったのです。
「わたしにできるわけがない」
「技術に自信のある人でも食べていけない人もいるのに」
と、何か特別なことになっていました。正社員で働きながら週末に働けていたら満足で、当時facebookを使って発信をして困らないくらいに集客できていたので、それ以上を目指すこともなく時間は過ぎていきます。
結婚を予定していた人と別れたタイミングで、整形外科領域をもっと深く学び、都心近くで週末整体をやろうと栃木から埼玉へ移り住みました。移ったときは未来の希望で胸がいっぱいで、新たな出会いと自分の活躍のフィールド拡大を夢見ていたのです。
「一生わたしは理学療法士として生きていくんだろう」と疑うこともなく、これがわたしの生きる道であると走り抜けていきました。
そんな中、転換期となったのは、所属していた整形外科クリニックでの不和でした。いろんなトラブルが起こる中で頭を掠めたことは「もしかしてわたしは、理学療法士に向いていないのかもしれない」ということ。どう頑張ってもコミュニケーショントラブルが激発し、わたし自身の心身トラブルも頻発していました。
これだけ長い時間、大切にしてきたものだったのに、それで生きてはいけないのかもしれないという恐怖で毎日震えていました。あんなに好きだったのに、続けていける自信がありませんでした。精神的に限界を迎え、8年の臨床生活に終止符を打ち、もう二度と身体の仕事はしないと決め、無職になったのです。
あれだけ正社員から離れることを恐れ、国家資格で一生安定するだろうと思っていたのに、積み上げた技術を捨て、他に何もない状態なのに業界を出てしまった。後悔はありませんでしたが、これから先が描けない状態です。
わたしに何ができるのか。事業者としての強さもない。ビジネスを学んだこともない。怖い。人とうまくやっていけると思えず、自分が社会に必要とされるイメージも湧きません。
「稼げる 職業 在宅」というワードでネットサーフィンをして、1日布団の中で過ごす日々でした。完全退職するまでの3ヶ月でもずっと帰ったら寝ていたので、廃人のような期間だったことを覚えています。
真剣に自分と向き合ったときに道が拓けた
そんなとき、友人でもあり、起業コンサルとして売れまくっていた方に、資質をみてもらえた上で「カメラで仕事したら?」と言われたのです。人と関わりたくないという根底だけで次の仕事を探していましたが、実は趣味程度にやっていたカメラがあったのでした。
今や良いスマホもあるし、アイフォンもある。わたしのカメラで食っていけるイメージは皆無だったのですが「何もない」ところから、信頼している人から「ある」世界を見せてもらい、見えるものが変わったのです。
「どうせわたしにはもう道を失うものはない」と、逆に振り切って、カメラの世界に没頭し、収入もないのにプロ機材を買い破産状態からのスタート。レッドオーシャンの「一眼レフでの写真撮影」だったからむしろ良かったのかもしれません。カメラを手にしながら、売る以前に大切な「自分ってなんなんだろう」を見つける過程に入れたからです。
わたしが撮影する意味ってなんだろう。誰に喜ばれるものなのだろう。毎日そのことで頭がいっぱいで、競争相手がたくさんいるからこそ、真剣に自分と向き合ったのです。
わたしには見えていない世界が、起業コンサルのその人には見えている。わたしが気づいていないことは何だ。クライアントワークをするたびに、わたしのことを、わたしが1番わかっていなかったから理学療法士を挫折したんだとすら気づけたのです。
ビジネスの大切な核である、差別化・独自性というのは、生き方を自分で選んでいくためのものだとわかったときに収入が上がり、才能を発揮しながら事業所得で生活できるようになったのです。