自分で轍(わだち)をつくる―多様な世界を生きる川崎拓己さん

「パラレル活動家」として多角的な視点を持つ岡田慶子(おかだ けいこ)さんの連載コラム第22回です。今回岡田さんが紹介するのは、会社員として働きながら役者や地域活動など多面的な顔を持つ「パラレルキャリア活動家」川崎拓己さん。1つの場所に立ち位置を固定せず、自ら「新たな世界」を開拓し続ける生き方は、私たちに本当のキャリアの豊かさを問いかけます。
ある日、私が毎週水曜日に配信しているメルマガ【シン・ジブン主義|ユニキャリア通信】に、一通の返信が届きました。
署名は「オフィス蜂八(はちはち)/パラレルキャリア活動家」。
私自身は「パラレル活動家」と名乗っています。一語違うだけの、よく似た肩書きです。
いったい、どんな人なのだろう。
その後、直接お会いして話を伺うと、会社員として働きながら役者、ラジオパーソナリティ、地域活動、養蜂と、いくつもの活動を重ねていることがわかりました。
「これは、もっと詳しく聞いてみたい」
改めて、Zoomでお話を伺うことにしました。
一つの会社に

勤めながら、4つの世界を持つ
川崎拓己さんは、大学卒業後に入社した会社で30年以上働き、現在も平日にフルタイムで勤務する会社員です。
名刺の裏には、会社員とは別の4つの顔が写真入りで紹介されています。
役者、ラジオパーソナリティ、地域活動、養蜂家。
会社員としての一本の軸を持ちながら、パラレルで活動している様子が伺えます。
裏方のつもりが、舞台に立つことに
役者としての活動を始めたのは1999年。
地域に演劇を楽しむ文化をつくろうとしていた劇団の考えにひかれ、裏方のつもりで説明会に参加したところ、結果的に出演者として舞台に立つことになりました。初めて舞台に立ったときは、観に来てくれた会社の仲間に「棒読み」「大根役者」と言われたそうです。
劇団員の大半は、会社員や学生、自営業など、別の肩書を持ちながら活動していました。川崎さんも舞台に立つだけでなく、集客や大道具、小道具の準備まで担い、最初に所属した社会人劇団で20年近く活動を続けました。
その後、会社が副業を解禁した時期にフリーの役者となり、現在も舞台に出演しています。

次回出演作品:『善人の条件』2026年9月3日(木)~5日(土)
共演をきっかけに、ラジオの世界へ
劇団で共演したラジオパーソナリティとの出会いから、コミュニティFMの番組に出演するようになりました。
その後、番組を離れた仲間たちと、2008年にインターネットラジオ「ちょあへよ.com」を開局。一時は毎週1本、年間50本を超える番組を収録し、それを16年ほど続けました。 現在も自身の番組「匠の館(たくみのやかた)」でパーソナリティを続けています。
「面白そう」を、人と一緒に大きくする
地域活動は、地元・船橋のフリーペーパーでボランティアライターを務め、地域の店や人を取材するところから始まりました。人が企画したイベントを手伝ううちに、「自分でもイベントをやってみたい」と思うように。最初に挑んだのは、映画の自主上映会でした。
20~30人ほどを集める規模から始めることもできたはずです。しかし、川崎さんが押さえたのは、1200人を収容する船橋市民文化ホール。当初は多くの仲間から反対されましたが、「やってみなければわからない」と手を貸してくれる人も出てきました。
「せっかく大きな舞台があるなら、地域で活動する人たちにも出演してもらおう」
そんな仲間の提案から、映画の上映会は街ぐるみのイベントへと広がります。太鼓や社交ダンス、地元のバスケットボールチームの紹介など、映画以外にも約8団体が参加。最終的に約700人が来場しました。
この上映会をやり切ったことが、川崎さんにとって地域活動への自信となり、関わった人たちからの期待も高まり、「次は何をやるの?」と聞かれるようになりました。そして次に取り組んだのが、「船橋競馬場ダートランニングフェスタ」です。
趣味のマラソンの話の延長で

きっかけは、趣味のマラソンの話から出た「砂の上を走りたいなら、競馬場で走ればいい」という仲間の何気ない一言でした。とはいえ、船橋競馬場にとっても、ダートコースを一般の人が走る前例のない企画でした。複数の関係者から了承を得る必要があり、当初は話さえ聞いてもらえない状況でした。競走馬の安全を守るための厳しい条件も示されましたが、川崎さんたちは一つひとつ対応。企画書やプレスリリースを作り、市や地域の人たちにも協力を求め、安全に開催するためのルールを整えました。
2011年に約400人で始まったイベントは、やがて1000人を超える規模に成長。2019年までに8回開催され、競馬場を人が走るイベントは、ほかの地域にも広がっていきました。
コロナ禍で見つけた、養蜂家という世界

コロナ禍でほかの活動が止まった時期に、健康食材としての蜂蜜に興味を持ち、勉強を始めました。
「船橋産の蜂蜜をつくりたい」と考えたものの、ミツバチの巣箱を置かせてくれる場所は、なかなか見つかりません。探し始めてから約3年。ようやく市内に養蜂ができる場所を確保し、現在は船橋産の非加熱・生はちみつ「蜂八(はちはち)はちみつ」を生産・販売しています。
これまではマルシェや朝市での手売りが中心でしたが、今年から念願だった通信販売も始まりました。地元の飲食店とコラボレーションした、はちみつビールも誕生しています。

そんな川崎さんは、経営学者ピーター・ドラッカーが示した「パラレルキャリア※」という考え方に共鳴し、名刺の肩書にしたそうです。
※ドラッカーは、人生後半の生き方の一つとして、本業を続けながら第二の仕事や社会活動に取り組み、「もう一つの世界」を持つことを挙げています。
人が世界を超えていく
一見バラバラに見える川崎さんの活動は、人を介してつながっています。
ダートランニングフェスタでは、ラジオの仲間が司会を担当し、劇団の仲間が受付を手伝いました。仲間にとっても、普段とは違う場所に出ることで、自分たちの活動を知ってもらう機会になります。
川崎さんは、自分の活動がプラットフォームのようになり、そこから人の輪が広がることがうれしいと話します。そして結果的に、自分自身も多くの人に助けられている、と。
複数の世界を持つ豊かさは、経験やスキルが増えることだけではありません。異なる場所で出会った人たちが別の世界へも行き来し、新たなつながりやアイデアが生まれていく。
川崎さんが強く語ったのは、そんな人のつながりでした。
さらに、会社では勤続30年以上のベテランでありながら、養蜂の世界では50代でもまだ若手。自分は「鼻たれのひよっこ」だと笑います。
一つの世界ではベテランでも、別の世界では初心者になれる。年齢や役職に立ち位置を固定せず、何度でも学ぶ側に戻れる場を持つことが大事だと川崎さんは話します。
自分でつくった轍を歩く
インタビューの終盤、川崎さんは「人が引いてくれた轍やレールではなく、自分で轍をつくるのが好きだ」と話しました。
キャリアという言葉は、もともと車が通る道や走路に由来するといわれています。私はそれを「轍」と捉え、どんな道であっても、その人が歩いてきた跡がキャリアになると考えています。「自分でつくった轍のほうが愛着があって好きだ」と話す川崎さん。その言葉に、私が理念として掲げる「人生の後半戦は自分の手で」が、しっかりと重なったように感じました。
一つの会社で働き続ける道も、複数の活動を並列に続ける道もある。
川崎さんのように、一本の軸を持ちながら、いくつもの世界を併走するのもありです。
どの道が正しいかではなく、自分なりに納得できる轍をつくっていけばいい。
よく似た肩書にひかれて始まった今回のインタビュー。話を聴き終えてみれば、肩書だけでなく、キャリアへの思いにも重なるものがありました。
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