元アマンリゾーツのコーポレートエグゼクティブシェフ・的場圭司が世界に伝えたい「本物の和食」

的場 圭司

的場 圭司

2023.02.22
アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム _ 的場 圭司さん_

日本が世界に誇る『和食』が2013年にユネスコ無形文化遺産に登録され、海外での和食ブームがより一層高まっています。アマンリゾーツでコーポレートエグゼクティブシェフを務めた経験もある的場圭司さんは、海外に向けて「本物の日本らしさ」を日々発信しています。国内外でレストラン業に携わってきたからこそ見える現状を、的場さんがどのように捉えて行動に移しているのか、詳しくお話を伺いました。

日本のレストランを海外に発信したい

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私がシェフになろうと思ったきっかけは、高校卒業後にニューヨークに留学をしていた25年前のことです。マンハッタンのビルの中にある、水車がまわっているそば屋に行き、それを見て西洋文化と日本文化の違いがすごく面白いと感じました。そこから「日本のレストランを海外に発信したい」と強く思うようになりました。

最初は知り合いが経営している淡路島の旅館で働き、そのあとは大阪・中之島にある『リーガロイヤルホテル』で働きました。その後、海外での仕事につながりやすいと思って『ザ・リッツ・カールトンホテル』に7年ほどいましたが、なかなか海外での仕事にはつながりません。

それから『ホテルオークラ』がオランダに店を持っていると知り、30歳を過ぎてから『ホテルオークラ・アムステルダム』に5年間在籍しました。

『マンダリン オリエンタル 東京』の初代総料理長をやっていた山本秀正さんという方がいるのですが、当時日本にある外資系のホテルで日本人が総料理長を任されているところはなく、珍しい経歴の持ち主です。

山本さんの会社がシンガポールの『マリーナベイ・サンズ』にレストランを出していたこともあり、エリア担当の総料理長として私が行かせていただくことになりました。そしていろいろなプロジェクトで世界各地へ行くうちに、外国企業のレストランの実態や、飲食業界のことを知りたくなりました。

それからレストランでエグゼクティブシェフをやっていた経験が買われて、『アマンリゾーツ』のコーポレートエグゼクティブシェフとして採用いただきました。そこではアマン(AMAN)の文字を逆にした『NAMA』という和食ブランドを立ち上げました。

料理もさることながら、私たちはお客様を喜ばせるサービス業です。自分が提供するものでお客さまの期待に応えることに喜びを感じますし、究極の形の店舗がホテルだと思っています。

海外で出世するにはコネクションが必要

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海外の有名なホテルスクールを出た金持ちの子どもは卒業後、飛び級でアシスタントマネージャーからスタートします。出来レースのような世界ですが、そういう人たちが将来ホテルのGMや総料理長になっていくので、そこのコネクションがとても重要になります。

海外で和食の現場はたくさんあっても、その内部事情を知らないと現場のままで終わってしまいます。まずヘッドシェフになり、そこからホテルレストランのエグゼクティブシェフ、エリアシェフ、そして本部の統括と上がっていきます。

しかし、日本人にはその階段を上がれる人はいません。事情もわからないし、経験もなく、どうやって良いか方法もわからない人がほとんどです。私は運が良いことにそのポジションに人がいなかったのでうまく入り込み、コネクションもつくってこれました。

以前一緒に働いていた仲間がフランス―サントロペのホテルでGMになり、「そこでお店を出さないか」と誘いの声がかかりました。そして『的場』というブランドを出す形で2021年に契約をしました。

またアマンリゾーツからもお話をいただき、和食ブランドのコンサルタント契約を結び、念願のニューヨークで仕事をすることになりました。25年越しの夢がかなった瞬間でした。

私がシェフとして知名度を上げていき、海外に向けてビジネスができる形をつくりたい。そんな思いから、フラグシップ店として銀座の一等地に『まとい 銀座』をオープンしました。

『まとい』というのは、的場の“まと”と、井畑譲治オーナーの“い”から名づけられています。他にもまとい(纏)というのは、戦国時代の合戦時に大将がいるという旗の意味で、まさしくフラグシップの意味なんです。『まとい』をフラグシップとして、日本の文化や食材など全般を発信していきたいと考えています。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化の未来

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2013年に、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたときから何か変わりそうでしたが、そこまで大きく進歩はしていません。逆に中途半端な和食が増えたという印象ですね。海外では日本人シェフをさまざまな現場で採用しようとしていますが、和食の情報は広く知れ渡っているので、外国人を使った和食レストランが増えています。

もっと日本人や日本企業が現地に行って広めれば良かったのですが、寿司を握れる外国人はたくさんいるので、その人たちがやり始めているのが現状です。

その理由の一端は私にもあると思っています。海外では発信する立場にあったのにあまりできていなかったので、これから挽回しようと思っています。

海外のネットワークとレストラン事情を熟知しているので、そのコネクションを生かして、皿、装飾品、食材など、日本の文化を全部まとめて輸出できるようにしたいと考えています。

技術は個々のものですし、人も減っていくので、全部を継承するのは難しいかもしれません。それでもレシピで補うなどの形で実現できると思っています。まずは正確なレシピと、装飾品などを含めた組み合わせを海外に持っていけたらと考えています。

海外を含めて今後レストラン業がどうなるのかわかりませんが、今みなさんが考えているものと違うものになるのは間違いないと思います。たとえそうであったとしても、日本らしさは正確に伝えて輸出していきたいです。そこに日本人が携わったら、しっかり文化として守っていけるはずです。