難病を乗り越えた経験からクリニカルサロンを経営。現役尼僧が説く「利他の精神」

小鷺 眞美

小鷺 眞美

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 小鷺さん_尼僧

小鷺眞美さんは経営者の家系で育ち、高校3年生で起業。23歳の時に原因不明の難病が発覚しましたが、独学で克服しました。ご自身の経験と免疫学や医学などで学んだことを活かし、『クリニカルサロンKOMACHI』を経営しています。また、現在は出家されていて人を救済するために尽力し、阿闍梨(あじゃり)になられました。たくさんのことを経験されてきた小鷺さんに、これまでの経験や現在地について語っていただきました。

経営者の家系に育ち高校生で起業

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 小鷺さん_プロフィール

私は18歳で起業したのですが、何かビジョンがあったり、やりたいことがあって起業したわけではありません。元々、家系が経営者だったこともあり、幼い頃から自分で会社をやることが当たり前の感覚で育ちました。

高校2年生でモデル業を始めたのですが、所属していたプロダクションの社長からご縁があって、関西の情報誌の編集を担うことになりました。当時はまだ高校生で世の中のことは右も左もわからないまま、まずは大阪の堀江にあるアパレル会社へプレゼンに行きました。

出資してもらえないことには会社が作れない状態でしたが、高校の制服を着て臨んだプレゼンがOKとなり、あっという間に雑誌を作ることに。原稿を書いたこともなければ、出版や雑誌の作り方もわからないまま、見よう見まねで進めていきました。

正直、何度も「できるわけがない」と思いながら仕事をする毎日。それでも編集のプロの方から「とにかく本を読め」と言われ、企画書の作り方からプレゼンの仕方まで、片っ端から猛勉強しました。

難病を独学で克服し、サロン事業を経営

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 小鷺さん_サロン施術

編集者として独立してやってきましたが、23歳の時に一度仕事を離れて留学を考えていました。しかし、その際に受けた健康診断で腎臓病だとわかり、そのまま入院しました。原因不明の難病と医者から伝えられ、治し方がわからない状態でした。

それならば自分で研究するしかないと思って、手術を受けずに退院。独学で免疫学や食事療法など人体のことを研究しまくりました。結果的に、難病を克服することができ、医者からは妊娠できないと言われていたにも関わらず、2人の子供まで授かりました。

現在は、サロンを経営していますが、難病になって勉強をしていなければ、リンパや整体の事業はしていなかったと思います。実体験に基づいて、原因の分からない病気でも克服できるようなサロンにすると決めて、自らも現場に出ています。

サロンは10年以上続けていますが、その他にもガールズバーを経営したり、破産した父の工務店を再建したりもしました。30歳の時はとにかく稼ぐことだけを考えていましたが、今では境地に達してサロン経営を一本化しながら出家をしました。

阿闍梨となって人の救済へ

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 小鷺さん_阿闍梨

今後は、さらなる境地に至るために、阿闍梨になりました。今は人の救済にしか興味がありません。困っている人、悩んでいる人、幸せじゃない人が圧倒的に多い世の中です。問題にしない思考をつくらない限り、幸せにならないと考えます。

人が不安を感じるのは、不安になる要素を自分で作りだしているだけです。理想が高すぎて、お金がいくらあっても幸せではない人もいます。それでも、食べるお金がないのも幸せじゃありません。考え方や捉え方を変えない限り幸せにはならないと思います。

自分のお客さんには、幸せになる価値観や捉え方を伝えています。そうでなければ、自らこじらせ、不幸になる人が多くいます。育った環境でゆがみが生じるので、テコ入れをする必要があります。

テコ入れをするうえで、仏教哲学の一部を取り入れた方がやりやすいこともあります。女性はスピリチュアルな方が好まれるため、理論ではなく感性で訴えるようにしています。伝える方法として、占いを含めあらゆる手段を持つようにしています。

反対に、男性はエビデンスを持って伝える方が理解されやすいので、科学的とか物理的な話し方の方が納得されます。そのため、いろんなことを勉強しています。

内容が同じでも、伝え方が異なる場合解説が難しいので、どんな表現でもわかるような知識をつけています。特に30歳未満の相手だと伝えると改善できる可能性が高いですね。30歳を超えてくると、なかなか変えることができない人が多いので、全部捨てる覚悟が必要です。

結局は、「利他の精神」が欠けなければ、全部うまくいきます。計画するときに相手がいかに幸せになるかを考え、ゴールに設計をすると失敗しません。相手の利点、幸せを考えることが重要となります。

今はもう仕事しなくても生きていける状態ではありますが、残り40年近い人生のなかで、困った人のサポートをしていこうと決めています。今でもサロンの現場に入るのも、「一生辞めないで」と言ってくださるファンの方がいるからです。そういった心を動かされることのために、今後は生きていきたいと思います。