なぜ“アフリカ”だったのか?日本人起業家が魅了されたワケ
外資系コンサルティング会社からアフリカに渡り、バイク便の事業を起業した伊藤淳さん。日本人としてはまだ未開拓の地であったアフリカにおいて、事業を順調に成長させて売却に成功。なぜアフリカを選んだのか、事業売却やそこに渡るまでの経緯をお伺いしました。
アフリカとの出会い
私は大学卒業後、外資系コンサルティング会社に8年半勤めていました。仕事はとても楽しく、通信や製造業の業務改革案件など、戦略プロジェクトを中心に携わっていました。転機が訪れたのが入社4年目。休暇中にスノーボードで背骨を折ってしまい、そのまま入院。プロジェクトからの離脱を余儀なくされました。
怪我を機に考える時間ができたことで、これまでの自分を振り返りました。会社を辞めようかという考えも頭をよぎりましたが、「海外で面白いことをしたい」という気持ちが湧きあがってきました。
実は入社して1年目のときに、先輩から海外の発展途上国に行くプロジェクトに誘われたのです。そこに応募をしたものの英語の能力不足で残念ながら落選。それでも海外に行きたいという気持ちは諦めきれませんでした。
当時勤めていた会社には、途上国のソーシャルセクターへのボランティアへの参加を支援する制度があり、通常の業務では行く機会が少ない途上国にいける貴重な機会が得られそうだったので、制度を利用して海外へ行くことにしました。
世界中にボランティアの案件があり紹介を受けるのですが、現地のニーズと自分のスキルがマッチしたところが、東アフリカのケニアでした。マサイ族を支援するケニアの民間NGOで、会計システムの構築支援をする仕事でした。
当初は、ケニアの首都ナイロビにあるオフィスだと聞いていたのですが、現地の団体と齟齬があり、配属されたのはマサイの村でした。一番近いお店から7キロも離れていて、国立公園から近いこともあり、敷地内にシマウマが来るような場所。古いラップトップパソコンが一台あるだけの小さな団体で、そもそも会計帳簿すらつけていませんでした。
そこで会計の仕組みを作るところから、様々な新しいプロジェクトの立ち上げなどをしたのですが、それがとても面白い仕事で、自分のコンサルタントとしてのスキルも向上したと実感しました。海外で働くイコール先進国だと思っていたのですが、発展途上国の方が面白いと感じたんです。
当時は、アフリカで今のようなスタートアップの起業をする人がほぼおらず、日本に帰国後、興味のある人を募ってアフリカ起業勉強会などを開催していました。また、社会起業支援をする団体にも所属し、多くの社会起業家にも出会いました。その中で起業することのイメージが湧くようになりました。
「世界の中で、一番深刻な問題を抱えているのはアフリカ大陸。そこには、イノベーションの種があるんじゃないか」アフリカから世界を変えるイノベーションを生み出したい。と起業を決めました。
アフリカで成長させた事業の売却に成功
当初は事業アイデアを明確にしてから起業しようと思っていたのですが、なまじアフリカでの仕事の経験があった私は、「日本で考えていても仕方ない。」と考え、ゼロベースで現地に行き、調査を重ねる中でニーズを見つけていくことにしました。
最初は合計1年半住んでいて土地勘もあるケニアに行きました。その後、ご縁があり隣国のウガンダに行きます。ウガンダはケニアと比べて経済レベルは一段劣ります。私は個人の貯蓄で事業を始めたので、個人の貯蓄程度でも勝負できるのはウガンダかなと思い、ウガンダから始めることにしました。
最初は、いろいろな人に取材しながらウガンダの抱える課題を探しました。現地のビジネス環境を知るにつれて、企業で働く人材の育成にニーズがあると気づきました。ウガンダ人の失業率が高く人材は余っているのに、企業の中間管理職層は外国人が占めている状況でした。
そこで若手の社会人を育成して幹部候補生をつくることを目的にトレーニングのプログラムを作成し、人材育成の会社を立ち上げました。私自身がトレーナーとして研修を提供している上では上手く行っていたのですが、現地でトレーナーを育成し、彼らが提供するトレーニングで質を担保するのが難しい状況でした。何とか事業を続けてはいたのですが、1年半ほどして手持ちのお金を使い果たしてしまいました。
当時、日本への帰国も考えたのですが、「ここで終わってよいのだろうか」という心残りもあり、人材育成事業はほそぼそ続けながら、次の事業の模索を続けていました。その中で東アフリカの物流に事業としても社会課題解決としても大きなポテンシャルを感じました。当初は主流であるトラック物流に関するソリューションを提供したかったのですが、既にそれを立ち上げる資金は残っていませんでした。
色々悩んだ末、今の手持ちのお金でまずは始めてみようと、中古のバイクを一台買って、そこからバイク便の宅配サービス『CourieMate』を始めました。
バイク便は誰にでも始められる事業です。国内の大手宅配会社、DHLを始めとするグローバル企業、アフリカ最大のEコマース企業に加え、小さな零細プレイヤーも多く参入していました。バイクがあれば誰でも始められるので参入障壁は低い事業です。
バイク便サービスは多いのですが、オンラインショッピングにおいて大きな課題がありました。それが“決済”です。ウガンダのクレジットカード保有率は非常に低く、また、モバイルマネーも広く普及していましたが、送金がメインで決済の仕組みではありませんでした。
そのため、オンラインショッピングには現金代引きが必要不可欠でした。しかし、現金代引きは、後払いであること、不配率が高い事に加え、ドライバーが現金を回収するため非常にリスクが高く、多くのプレイヤーが参入しては失敗してを繰り返していました。
当然、私もリスクが高く嫌煙していましたが、外国人であり、後発の私にとっては、現金代引きしか残された部分がありませんでした。案の定、最初の2-3年は失敗の連続でした。盗難、従業員の横領が続きました。
しかし、数年間、試行錯誤を繰り返し、最終的にはウガンダ全国135県すべてに現金代引サービスを提供できる、初めての宅配会社となりました。2021年時点でも、田舎地域で現金代引できる宅配業者はCourieMateだけになります。
事業が軌道に乗った段階で、ご縁がありヤマハ発動機が興味を持ってくれました。そこからヤマハと共同で新規事業の立ち上げをするようになりました。
しかし、社内の体制など色々な課題が発生し、事業を続けるのが難しい状況に直面しました。その際に、ヤマハから「事業を買い取りたい」という話を受けました。悩んだ挙句、結果、事業をヤマハに売却・譲渡することにしました。M&Aの交渉下でコロナが発生し、最終的に譲渡が成立したのは2020年10月末のことでした。CourieMateは現在もヤマハが経営をしており、今年の4月にはタンザニアへの進出もしています。
7年続けた事業を手放した後、次に何をするか悩みました。悩んだ結果、やはり自分は「世界を変える」ことにワクワクするのだと再認識しました。そこから数年かけて世界を渡り歩いて、自分がやりたいことを探すことにしました。
インドで次のチャレンジを模索中
世界中でさまざまな現場を見たり、専門家に聞いたりしながら“廃棄物問題”に関心を持つようになりました。廃棄物の中でも、産業廃棄物ではなく、一般廃棄物。資源化可能な廃棄物ではなく、有機廃棄物(生ごみ)という、まだ世界を見渡しても、解決策が示されていない課題に強い関心を持ちました。これまでは解決が難しかった課題も、ここ数年の情勢の変化、価値観の変化の中で、何かソリューションを提示できるかもしれない。そう思いました。
廃棄物に関する調査を重ねる中で、ご縁があり、インドを訪問しました。インドでは先進国が辿ったのとは異なるアプローチでゴミ問題を解決する流れが起きていました。インドから新たな解決策を提示できるのではと考えたのです。
パイロットプロジェクトを立ち上げ、1年ほど模索を続けたのですが、結果的には上手く事業化することができませんでした。
今はまた別の領域で事業の立ち上げを行っています。