にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之
コーヒー&ビアスタンド
『にじのわ』代表
おそらく日本一不器用な珈琲屋

自身の壮絶な半生を綴る平田泰之(ひらた やすゆき)さんの連載コラム第9弾です。「ステルス虐待」の猛威を生き延び、当事者として発信を続ける平田さん。今回は、冷徹な父親による支配と洗脳の記憶を辿ります。家族という密室に潜む歪みに、私たちはどう向き合うべきでしょうか。
さて、ここまでのコラムでは僕の母からの虐待について書いてきましたが、ここからは父からの虐待について書いていきます。
母と違って父は、怒鳴ったりなど感情を激しく露にする傾向は乏しいのですが、その冷徹かつ非人間的な頭脳と感性で、人間離れした知略と洗脳力を用い、僕を虐げ、破壊することを、徹頭徹尾、楽しんできた男です。
ある意味、『子どもを支配しながら壊し、子どもを壊しながら支配する』点においては、感情の暴発が激しい僕の母以上だったかもしれません。
例えば、僕は幼少期は超強烈な『ネクロフォビア(死恐怖症)』があったのですが、おそらく彼は僕にそうした傾向があったのを分かっていて、その恐怖を更にあおって、僕がパニックを起こして泣き叫ぶのをニタニタ笑うといった、そのような調子です。
父の在り方を見て、前述した母と並べてみた場合、『このような両親が地球上の親の大半になれば、この人類社会はもちろん、下手をすると地球そのものが滅びてしまう』という確信を持たれる方も多いかもしれません。
…ともすれば、『こんな歪んだ環境から生まれて育てられてきた平田(泰之)ってやっぱり……』と、僕のことが大嫌いになる人も、いるかもしれません―――この年になり、やっとそう思われる覚悟ができつつあるようです。だから今、こうしてこのコラムを書ける。
それでも、親は親でも、僕は僕ということで、僕のことを決めつけないでくださる人々のお陰様で、臆病者の僕でもわずかながら勇気を持てるのでしょうか。なのでこれからも、筆を執り続けると思います。力を下さる皆様に、感謝を!

僕に物心がついたのは4歳の頃、入園式の幼稚園の入り口の前でした。正確には、記憶には無いのですが僕は年少の頃は幼稚園に行っておらず、『進級式』になるのですが…。なので僕は年中から幼稚園に通うことになります。
この時から既に、あの当時は言葉にできなかった『この家にいてはいけない感覚』がかなり強くあり、幼稚園では『笑顔が素敵な泰之君』と先生からほめられることはあれど、家の中、鏡の中の僕は、ほぼすべての時において、ものすごいしかめっ面をしていました。
そんな中、父に対する違和感のようなものが、この当時からあったような気がします。
まるで、この世に存在してはいけない存在と共にあるような感覚---我が父という生き物に対する並々ならぬ不信感はあったと思います。
幼いころの僕がこう感じたのも、今思えばもっともなことだったかもしれません―――以降紹介する言動の一部の中でも、倫理観、道徳観、優しさ、謙虚さなど、人間として一番大切なものを軽視あるいは無視していないと決して出ない言動が、どう考えても、あまりにも多すぎるのです。
加えて父は、こうした言動への反省も一切せず、僕に対する虐待も繰り返し続けることが止められません。彼が70歳近くなった今でもです。
ちなみに母は、僕が心の奥底でそう感じているを見抜いてか、僕に対して、父が『優しい父親』だと洗脳を続けることに、かなりの力を注いました。両親ともに、僕にお金や物を与えたり、特にご馳走を食べさせるなどで、僕はすっかり懐柔されてしまいましたーーーこうした洗脳的な言質や行動も、将来、僕を精神的・肉体的に追い詰めて排除するための布石だった可能性は高いと思います_今振り返れば、これらの料理も『舌はおいしいと言っているが魂がおいしいと言っていない』そういうものばかりです。この時の料理より、例えば今のワクセル交流会などで頂く料理とかの方が、両親が僕に提供した料理より、無量大数倍おいしいです。
ちなみに、『ごちそう』をやたら食べさせられていて運動もしていなかった子供の頃は、体にもそれが顕著に表れ、いわゆる肥満児でした。当時のクラスメートたちから心ない言葉でバカにされたこともかなりありました。後日の母は、このことに対して、僕は太っていないと『事実の否定』を行ってきたことも見逃せません。
僕が不健康になればそれだけ効率的に僕の存在を消し去ることができるからでしょうか。

父は、父の中での『英才教育』の一環としてでしょうか、子どもの頃から僕に、当時(1990年代前半くらい)では珍しかったパソコン、それもAppleのマッキントッシュに触らせ、僕をPCゲームに興じるのを見ていて嬉しそうでした。画面が全部英語のいわゆる『洋ゲー』もやっていました。もちろん当時は、画面に出てくる英語の意味は正確に理解していなかったですが…。
余談ですが、当時はMacと比べてシェアがかなり大きかったであろうWindowsやマイクロソフトへのこき下ろしもなかなかにひどく、マイクロソフトは酷い会社だと小学校高学年くらいまですっかり洗脳されていたのもこの頃です(そんな僕は今ではすっかりWindowsユーザー、ここしばらくでは同社の生成AIに助けられる場面もありましたが…)。
この時から15年ほどが経ち、大学に入ってからはとある英会話学校に行くことになりました。その学校の先生方は素晴らしく、語学力以外の面でも非常に多くの薫陶を受けたことはとても感謝しています。我が人生で3本の指に入る恩師(英国人女性)ともそこで出会いました。
しかし父は、これも僕に英語力を身に着けさせる、国際的な素養を付けさせるということは考えていたかもしれませんが、ましてやその先に僕に幸せな人生を歩んで行ってほしいとは粉みじんも考えていなかったでしょう。というのも…。
これは母にも言えることなのですが、例えば上の例では、英語や国際感覚を身に着けさせると言いながら、一番肝心な部分、この場合だと『諸外国の文化や歴史に対するリスペクト』などを身に着けさせることを、著しく軽視していたと思います。ちなみに父は非常に偏った思考の持ち主で、諸外国への蔑称をネットで使用したり、過去の歴史の知識を振りかざしながら、海外の人々を見下すような発言をニタニタしながらどや顔で言ったりしたこともあります(皮肉なことに、父が否定・侮辱したような国々の真っ当な方々からも、僕はたくさん助けられてきましたが…)
皆さんも、例えば日本語がすごいペラペラの外国の方がいたとしても、その人が倫理的に問題がある人だったら、関係を築きたいとは思わないのではないでしょうか。僕もそんな人はハッキリ言っていやです。
僕自身、外国で現地の方々から「日本人として恥ずべき存在だ」と思われないよう、日々精進したいところです。
父の偏った思考や差別意識は、特に飲酒後が酷かったです。母はそんな父を『お酒が入っているから…』と醜悪な弁護を繰り返しました。誠に恥ずかしい話ですが、心の境界線がバグらされ続けた僕は、この父の在り方を真似てしまったことがあり、思い出すだけで、全力で自分の顔をぶん殴りたくなります。今の僕の友人たちの中には、父が見下しの対象にした国や地域の出身の人たちも、たくさんいます。本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
父の僕に対するこれらの『英才教育』もきっと、愛情からのものではなかったでしょう。
『俺は自分の(全てにおいて自分より劣った)バカ息子のためにこれだけやってやってる器もあるし金もあるんやで!どや!!』
…口ではそう言わないにしろ、世間にそう言いたいだけのために、僕を利用していたのではないか、というのが僕の結論です。
特に、歪んだ『英才教育』の末に、僕が非倫理的・非人間的な人格を身に着け、悪魔のような人格になって自ら壊れていく様は、内心では楽しくて楽しくて、たまらなかったと思います。心がおかしくなって狂う僕をバカにして笑うことも、現に父は大好きでした。
また、この『英才教育』は、今の僕のように、その父の異常さに気づいて指摘したとしても、『それはお前が勝手におかしくなっただけや!ヒャハハハハ!』と自己弁護をして責任逃れをする上でも非常に都合がいいことでしょう。
まさに、悪魔を超える悪魔の頭脳と思念の持ち主です。

その悪魔的なサディスティックな傾向は、僕が幼少の頃から遺憾なく発揮されていました。
当時は僕も未診断だったアスペルガー症候群の特性の一つに『冗談や皮肉が分からない』というものがあります。今ならある程度の前提知識があるものだと冗談として笑えることも増えましたが、やはりあまりに過激すぎる、度を越した下品な冗談だと、よほど仲のいいかつ優しく聡明な心を持った友人からのそれでないと、激しく心が傷つくことが多いです。『アホ』『バカ』など、明確な罵り言葉が含まれる冗談も傷ついてしまいます。
父は、そんな僕に、僕が激しい不快や苦痛を感じる冗談を僕が4歳のころから言い続け、僕が泣きわめくと『冗談やんか!!!!』とバカにして笑い続けました。『ジョウダン、ってなあに…?』と心の中で思う僕を全て無視して…。
激しい負の感情を持ってしまう僕をバカにすることが日常的にあった父ですが、特に否定され、バカにされた感情は『怒り』です。
そんな父が、どや顔をしながら放つ口癖は
『イライラするのは暇人がすることや!!!』
でした。
子どものころからこの言葉を言われてきたため、怒り=劣った、忌み嫌われるべきもの…という考えが染みついてしまい、何かにつけてストレスをためてイライラもしてしまいやすい僕は常に自分のことが大嫌い、そして、父はわざと僕を怒らせては、
『ほぉ~ら怒りよったぁ~!!!もっと怒れ怒れ~~~!!!!!』
と、嬉々とした表情ではやし立てることも、頻繁にありました。
父のこうした虐待が積み重なり、恐ろしいことに、僕は人の感情、特に負の感情を理解し、例えば目の前の人が苦しんでいる時に寄り添ってあげたりすることができなくなっていったりもしました。感情を否定され、侮辱され、蹂躙・破壊されることで、僕は、ここまで人間的な温かみを失った生き物にさせられてしまったのです。
僕が虐待の問題と向き合う22~23歳の頃、ようやく『怒りという感情も(適切に表現することは重要だが)大切な感情の一つ』『怒りは貴方に危険が迫っている重要なサインであることもある』ということを、虐待関係の本で学び、この時からようやく父の邪悪極まりない洗脳が解け始めました。
この当時から今に至るまで、父は『弱いもの』『劣ったもの』をいじめること、見下すことが大好き、人の粗探しをして、父の独善的な理論を振りかざしてでもそれをこき下ろすことが大好きで、もはや死んでも治らない中毒レベルになっています。
本人も、世間に僕への虐待を隠しながら、この異常な性向を治す気はさらさらないでしょう。

僕は、自分が実際にそれほど受けて来なかった虐待についても機会があればできるだけ学ぶようにしています。
そのうちの一つが『性的虐待』です。なお、実親から以外のものを含む『性犯罪』全体について、それなりに勉強はさせて頂いております。
(性犯罪の多くは男性が加害者になるケースが多いとされており、僕も男として、そうした加害の構造に加担しないよう、自戒を込めて日々を過ごしています)
ここから先は僕の憶測なのですが、僕はもし男ではなく女に生まれていて、ある程度容姿に恵まれていたら、父から性的虐待を受けていた可能性は極めて高いと考えることがあります。それも、例えば性行為は正しいことだと教え込まれたりした上で、『合意の上での行為に見せかけた性的蹂躙』をされていたのではないか(そしてもちろん母はガン無視)、そして、もしそうでなかったとしても、容姿をけなす虐待も加えつつ、男に生まれた今と同じような虐待を受けていたのではないか…
そう考えることを、僕は止めることができません。このことを、自殺防止の活動をなさっている方に話したことがあるのですが、『平田さんのお話を聞く限り、平田さんがそう推測されるのも無理はない』と言われたこともあります。
性犯罪が起こる背景には、『相手を支配したい』という歪んだ欲望があることが非常に多く、その支配のために性的な接触(言葉によるものを含む)を用いるのが、加害者の特徴と聞いています。
この『支配したい』の感情がミソです。
ちなみにこれは実話ですが、僕が子供の頃、父は何かにつけて僕のことを『泰之はかわいいなあ!!』と言っていたことがあります。
ですがこれは、人としてのリスペクトを持った言葉ではもちろんなかったです。もし僕が女の子だったなら、人間としての尊厳を無視した、単なる性的な支配対象として見られていたかもしれません。
その証拠かは分かりませんが、父は仕事で何度かイタリアに行くことがあり、帰国後、僕にこんなことを言ってきたことがあります。
『向こうでは挨拶でもキスをするんやで!』
…これは僕の中で最も恥かしいカミングアウトの一つなのですが、果たして僕は、父とも母とも、『洗脳』の挙句に口を重ねてしまったことがあります。このような行為に至ったのは、当時の僕はまだ子供で、父も母も『大好き』だと思わされていましたし、先のコラムでも書いた『我が家は世界でも素晴らしい家』という旨を信じ込まされていたのも大きいでしょう。
この件は、言葉による操作からの”性的虐待”に該当しうるのではないか、そして、僕はもし女に生まれていたら、もっとひどい性的虐待を受けた上にほぼ100%自殺に至っていたのではないかという危険性に警鐘を鳴らすべく、この最も恥辱に満ちた話も明かすことを決めました。