「スベりたくない!No Plan Go!」お笑い芸人から学ぶ本番力とは

お笑いコンビ「トレンディエンジェル」の斎藤さん、たかしさんにインタビューをさせていただきました。

トレンディエンジェルは2005年にコンビ結成され、約10年後の2015年にM-1グランプリ優勝。「誰だと思ってるんだ。斎藤さんだぞ?」や「ペッ」など、思わずやってみたくなるような汎用性のあるギャグをマネされたかたも多いのではないでしょうか。現在もなおバラエティ番組やアイドルグループ吉本坂46での活動、斎藤さんはミュージカル出演など幅広くご活躍されていらっしゃいます。

今回のインタビューでは、舞台で最大のパフォーマンスを発揮するために意識していることや、「オンリーワン」の価値などについて深掘りしてお聞きしました。舞台上での意思決定のスピードや個性を強みに変える力など、実力主義のお笑い業界で結果を出されてきたおふたりだからこそ聞けるお話だと思います。

お客さんの反応や場の空気を瞬時に読み取り、ネタやトークの軌道修正や意思決定の力が長けていると感じます。それらをスピーディーに行うコツはありますか?

たかし:軌道修正や意思決定…同じネタしかやっていないですからね(笑)

斎藤:こればかりは、やはり経験と「Go」です。とにかく「No Plan Go!」というイメージでやっています。「出てみればなんとかなる!」というのを、まさに舞台上で学んでいますね。
シンプルにいちばん嫌なことは、「滑ること」じゃないですか。「滑りたくない!」というルートを次々に外していくためにはどうすればいいかを瞬時に考えてきて、おのずと結果が出てきたと思います。

インタビュアー:「お客さんを思いきり笑わせてやろう!」よりも「滑りたくない!」のほうがモチベーションが上がるのでしょうか?

斎藤:そうですね。「滑りたくない!」のほうが必死になれます。もちろん、舞台上で空気が回ってきて自分もノってきたら「笑わせてやろう」になります。ですが、やはり「滑らないこと」が謙虚さも含めて大事だと思っています。

インタビュアー:「失敗したくない」と構えて、結局失敗に繋がってしまった経験があります。

斎藤)その経験はもちろんあります。ですが、滑りすぎるとゾーンに入るのです。
僕はそれを「ネバーランド」と呼んでいます(一同爆笑)ネバーランドに入ると、何も感じなくなりますね。

たかし:15年も芸人をやっているので、滑っても何とも感じなくなってしまっている心はありますね。

斎藤:逆にそこがチャンスなのだと思います。その時にしか見えない景色というか、みんなが止まって見えるのです。文字通り止まってるんですけど…。

たかし:笑ってないからね!

斎藤:そうなると逆に冷静になり、もう何をしてもいいというゾーンに入ります。そうなると強いですよね。

下積み時代を振り返って、特に苦労したことはありますか?また、何を原動力に乗り越えてこられましたか?

斎藤:経験はやはり大事ですね。

たかし:吉本は他事務所と比べても舞台の数が多いですから、経験値の高さは大きいです。

斎藤:ただ、僕らは練習があまり好きではないので、そこに苦労しました。基本的に漫才師の方はネタの練習をするのですが、練習するとやはり…嘘というか、演技っぽくなるじゃないですか。

「コンビニの店員やりたい!」という漫才はよくあると思いますが、本当にやりたいわけではないじゃないですか。ですから、この気持ちを考えたときに、やはり練習がしんどかった。そして、自分たちに合ってないなと悩んでいた時にたどり着いた答えが「ドキュメント」だったのです。冒頭でも話したように、本番でGOしたほうが、失敗をしながらでも経験になると学びました。

インタビュアー:本当の意味でライブ、ドキュメンタリーというわけですね。

斎藤:そうですね。「とりあえずやってみる」は結構大事だと思います。(この記事を読まれるのは)経営者の方が多いと聞いています。経営とお笑いは、角度もリスクも全く異なると思うので一概には言えないかもしれません。ですが、計画することももちろん大事だと思うけれど、計画ばかり立てても仕方ないなと感じます。

本番の舞台で最高のパフォーマンスを発揮するために意識していることはありますか?

たかし:お客さんはみんなじゃがいもだと思うこと。(斎藤さんを見て)そしたら僕の隣にいました(一同爆笑)

斎藤:とにかく、落ち着いて、まずやってみること。それがいちばん上手くいくかなと感じます。焦って必死にやってもダメな時はあります。そういうときはもう、柔道と一緒で、「押してダメなら引いてみろ」を舞台で加減しながら試しています。

お笑い業界という結果重視の世界で、「トレンディエンジェル」という名前を世に知れ渡らせた結果の原因は何だと思いますか?

たかし:僕たちがやっていることは変わっていないので、時代が追いついたのではないでしょうか。

斎藤:やはり、オンリーワンが大事だと思います。世の中には面白い人はたくさんいますし、別に僕らがいなくても回ったと思います。ただその中で、「自分たちにしかないもの」を見つけること。

たとえば、僕らコンビ仲が良いのです。たとえばダウンタウンの松本さんのような、ソリッドな笑いはできないけれど、僕らは子供が笑うようなふんわりとした雰囲気を出してみようとか。そのオンリーワンの居場所を見つけ続けてきたことだと思います。
自分の強みを見つけることは簡単なことではないと思います。

自分の強みを見つけることは簡単なことではないと思います。おふたりはどのように「オンリーワン」と言える強みを見つけてこられたのですか?

たかし:単純に剥げてたからな…

斎藤:その時点で見通しが明るかったのです(一同爆笑)何をやっても思うことなのですが、結局、個性は出てきてしまうものだと思います。

例えば、先ほども話した「コンビニの店員になりたい」という漫才や、野球のヒーローインタビューの漫才は一度は見たことがあると思います。色んなコンビがこのテーマで漫才をやっていますが、やはりみんな違うんですよ。結局、テーマが被っていても、どうやったって自分の個性が出ちゃう。

話すことが下手だったり、足が遅かったり、顔が不細工だったり、そういった個性というものは全て、芸人の世界では特にプラスに働きます。一見、マイナスと見えることを個性として、強みに変化させることが大事だと感じます。

経営のことはわかりませんが、皆さんにとってもここにヒントがある気がします。在庫をたくさん抱えているのが強いとか、スピードが命だとか、丁寧だとか、個性ってたくさんあると思います。

最後に、これからチャレンジする若手起業家に向けて一言ずつお願いします!

たかし:経営者になったことがないのでアドバイスになるかわかりませんが…
後輩と飲みに行くのが良いと思いますね。

斎藤:やはり、チームの信頼が大事ですよね。

たかし:先輩に嫌われるより、後輩に嫌われたくないという思いがあります。

インタビュアー:おふたりは頻繁に飲みに行かれるのですか?

たかし:はい、僕は割と飲みに行く方です。

斎藤:私は結婚しているので、頻繁には行かないですね。「経営をしよう」と思っている時点で、1歩リードしていると思います。色んな人がいると思うし、色んな人に会うと思います。残念ながら良い人ばかりではないと思うので、人を見る目を養いながら、俯瞰で見ることを意識することが大事だと思います。

外見は内面のいちばん外側

ファッションバイヤーのMBさんにインタビューをさせていただきました。

MBさんは、アパレルの店舗スタッフからキャリアをスタートし、店長、マネージャーとステップアップされ、現在はオンラインサロンの運営やブログ『最も早くオシャレになる方法KnowerMag』の運営ほか、『週間SPA!』を始めとする有名雑誌で多数連載を持つなど、ファッションを軸に幅広い媒体でご活躍されていらっしゃいます。

また、作家としても才能を発揮されています。著書『最速でおしゃれに見せる方法』は、お洒落が苦手な人でもすぐに実践できるように、ファッションが言語化されていると大好評だそうです。

インタビューの中でMBさんは、「内面のいちばん外側」が外見だという考えを教えてくださいました。MBさんのカッコよさは、ファッションという視覚的なものだけでなく、目には見えない、人間的な軸の部分が関係しているのだと感じました。

「好き」から始まったファッションを事業として取り組まれようと思ったきっかけをお聞かせください。

MB:実は色々なきっかけがあるのですが、大きいきっかけは、僕が好きだったブランドやお店がつぶれそうになってきたとき。7年前にはちっちゃいブランドや中小規模のブランドがどんどん元気がなくなってきて「いよいよ、アパレルやばいな」と感じました。

1990年代後半や2000年代前半は、ちっちゃいブランドがすごい頑張っていたんですよ。発売すると綺麗に在庫がなくなり、毎シーズンちゃんと売れて、だんだんとファンができてくるような状態でした。それが、ユニクロなどの量販店が質の良いものを出してきた関係もあり、だんだん縮小していきました。

デザインを頑張ってたデザイナーズブランドは、どんどん元気をなくして。洋服屋のマネージャーやショップスタッフをやっていた関係で、マネジメントしているお店を回り、スタッフの動きやお客さんが何を探しているのかをずっと見ていたのです。それが、毎年やっているうちに「あれ?なんかお客さん居なくなってきたな」と感じたんですね。

でっかいイオンモールに入っているお店は、お客さんがガンガン入らないと、絶対売上があがらない。それなのに、1日居て「今日まだ10人しか来てないぞ」という状態でした。ここまでくると、個人の力でこの状況を動かすのはすごく難しい。違う市場からお客さんを引っ張ってこないと、もうだめなレベルになってきているんだなと感じました。

今までのやり方でやっていても、僕の好きだったブランドや洋服屋さんはどんどんなくなっていってしまうのだろうなと思った時に、自分でできることってなんだろうと考えました。そして、「ファッションに自信がない人にアプローチすることで、マーケットが広がるはず」と結論づけました。

世の中は、ファッションが好きな人に対してアプローチしている。僕は逆に、ファッションに興味がない人や苦手な人に対してアプローチをするように、構造を変えたビジネスをやってみようと思ったのです。それが7年前になります。

だから本当に個人的な動機ですね。好きなブランドがどんどんなくなっていくのが嫌だった。すごく良い服をつくっているのに、それが絶対に伝わっていない。こんなの絶対におかしいと思いました。「ちゃんと伝える方法を誰かが整えてあげないと」と思い、自分一人でどこまでやれるかわからなかったけれど、やってみようと思ったのがきっかけです。

MBさんが大きな結果を出した原因は何だと思いますか?

MB:9月26日に出す新刊『もっと幸せに働こう』にも同じことを書いているのですが、僕は「持たざる者」なんです。僕は上場企業に務めたことが一度もなくて、本当にちっちゃい地方の企業勤めばかりです。学歴も無名の国立大学を出て頭もよくないし、資格は車の運転免許しかない。何も持ってなかったんですよ。

何も持っていない中で、どうして結果を出せたかというと、ファッションから教わったことが大きいです。ファッションは差別化じゃないですか。ひとと違う評価を得たければ、ひとと違う行動をしなければいけない。ファッションは権化で、ひとと違うことをやったらその分褒められる。

ただ、その「違う」もデタラメに違うと誰も見てくれなくて、客観性を伴った差別化である必要があると思うのです。「みんなが理解できる範疇の差別化」というのが洋服の根本だと思うのですが、ビジネスでも全く一緒ですよね。差別化して違う行動しないと、みんなと同じ結果しか出ないじゃないですか。

ビジネスにおいてデタラメな差別化の例えとしては、「自分はみんなとは違うから、みんなが行ってる会社にも行かない!」とか。これは違いますよね。大前提として、ビジネスには客観性が必要です。僕は客観性のある差別化をするために、「ファッションで教わったことをビジネスでもやろう」と思いました。この客観性のある差別化をしたことが、結果を出せた理由だと思います。

客観性とは、いわゆる論理的思考や合理性だと思います。
ファッションが好きな人には、画像や動画でアプローチをすれば響くけれど、ファッションが苦手な人、画像を見ても格好良さが理解できないことが多いのです。「ファッションが苦手な人でも格好良さが理解できるように説明することから始めよう、ならば文章を使おう」という論理の中の差別化をしたのです。

僕がやっていることは、基本的にすごいことってひとつもないです。スタイリストさんだったら、言語化はできていなくても感覚的には理解しているのです。

「裾を短くしたほうが、足が長く見える」
「パンツと靴の色を合わせたほうが、足すらっと見える」

このような、誰でも知っていることを言語化して、文章で説明して、ファッションに苦手意識のある人に対してアプローチする。アプローチとターゲットの合致というのが、できていただけだと思うのです。

感覚を言語化することはすごく難しい気がしますが、工夫されたことはありますか?

MB:これは本当に時間がかかりました。僕の仕事の中だと一番大変なことで、はじめから大変だったから、最初に気がついたんですよ。

ファッションが苦手で馴染みのない人に、格好良さを教えるためには、テキストベースでしっかり説明する必要があるなと。ガッツリ理論を組んで、誰でも再現できるということを提示する。そのための説明書みたいなものを作ろうと思いました。

「僕がかっこいいって思っているこの服は、なんで格好良いんだっけ?」
「今のトレンドは何が格好良いんだろう?」
「どうしてこのスタイルは足が長く見えるんだろう?」

このようにひたすら書き出して、わからないものは、名のあるバイヤーさんやスタイリストさんの知り合いに質問をいっぱい投げかけました。

「このスタイルはどうしてこんなに格好良くみえるのですか?」
「今年は、なぜこのアイテムが流行っているのですか?」

さらに、もうひとつ別軸で、お客さんの悩みを集めました。ショップスタッフをやっていた時からずっと、お客さんの声をメモしていたのです。

「足が短くて困る」
「顔が大きいから似合わない」
「あれが嫌い、これが嫌い、これが苦手、あれが好き」

ショップスタッフの頃から、お客さんの悩みや不満を解消しながら服を売るというのが僕のスタイルだったのですが、今回も同じようにやってみようと思いました。

「ファッションに精通している人の声」と「お客さんの悩みの声」。この2つの軸を洗い出し、ロジックで繋げればよかったのです。繋がったものを一つ一つネタにしていこうと思って、それからブログをスタートしました。でも僕は怠け者なので、半年で19記事くらいしか書かなかったんです。当時はありがたいことに仕事もめちゃくちゃ忙しかったので、気が向いたら書こうというスタンスでやっていこうと思っていました。

ただ、あるときアクセス解析をしてみたら、40万人も観ていることがわかってビックリしました。トップページを含めたら20ページしかない、たった19記事のブログを、40万人が見ている。これはちゃんとしないといけないなと思うと同時に、やっぱり需要があるんだと確信しました。それからブログは100万PVを越えて、メルマガも始めました。メルマガの内容は結構ディープなので、書籍から読んでいただくと良いかもしれません。

MBさんは常に新しい販路の開拓をされていると思います。メルマガやオンラインサロンも行っており、ファッションとオンラインサロンをかけ合わせて新しいものをつくろうと思ったきっかけをお聞かせください。

MB:媒体の選定は、実は7年前から決めていました。良いものが無条件に売れるのだとしたら、僕の好きなブランドは消えないはずだったので、良いものをちゃんと伝える方法は必要だろうなと思っていました。どうやってマーケティングしていこうとか、どうやって人に伝えていくべきなんだろうって、さっきの話と同時に考えたのです。

そして、教育構造が必要だなと思いました。これはショップスタッフの時に学んだことなのですが、洋服屋さんにいって、いきなり20万円のレザーとか勧められないじゃないですか。ではショップスタッフはどんなアイテムから勧めるかなと考えた時に、2,000円〜3,000円のカットソーや、4,000円〜6,000円のラインナップなど、お客さんにとって手が出しやすい金額のものから勧めると思うんです。

洋服って面白くて、セールスが成立するとお客さんが着てくれる。そこからお客さんへの教育が始まるんです。

例えば、このTシャツを着ていて「カッコいいからブランドも良いかも」と思います。そうやって気に入って来店してもらえると、もう少し高いアイテムのセールスが成立する。2万円のデニムにも興味を持ってくれるようになる。ブランドをだんだん好きになっていく。ここで20万円のライダースを提案してはじめてお客さんは検討し、気に入ったら買ってくれる。

これってすごく当たり前の話だと思うのですが、意外にも「今月の目標は20万のライダースを20枚売る」というショップスタッフは単純に1日1枚売ろうとしがちです。はじめてお店に来た人に20万円レザーのライダースを勧めても、ブランドを好きになってもらえる過程をとっていないので、そんなセールスが通るわけがないのですよね。

ものを売るには順番が大事なんです。なので、僕のビジネスも三層構造にしてみたのです。一層目が無料の構造で、ブログやSNSで、誰でもアクセスできて、誰でもタダで読めて、僕のことがわかるもの。しかもファッションのことで役に立つ。「足が長く見える、小顔に見える、実際に鏡の前でどうかやってみてください」と。実際にやればわかってもらえるという自信がありました。

実際にやってみた人は、もっと情報を知りたいとなるはずなので、二層目として500円のメルマガを提案する。そのメルマガも毎週送られてくるから、さらに先の情報が欲しくなる。そしてさらに三層目として、5,000円〜1万円のオンラインサロンを提案するという構造をつくり上げました。当時はオンラインサロンという言葉がなかったので、個人コンサルになるのかな。

個人でメールのやり取りをして、実際にやってみて上手くいってたのですが、途中でオンラインサロンというものができ始めたので、こっちの方が流れとしてはうまくいくだろうなと思いました。オンラインサロンにしようと思って切り替えたのが3年前とか4年前ですね。

近年、エシカルファッションやサスティナブルな取り組みに触れる機会が増えました。環境問題や労働環境の改善に対してはどうお考えでしょうか。

MB:僕の媒体の中では、そういった話はしないようにしています。ユニクロやH&Mを取り上げているというのもあるのですが、僕はファッションに対して、夢を持っていて欲しいんです。

実際に、ファッションには影の部分は存在していて、誰かが解消し、解決しなければいけないのは間違いありません。ただ、僕がやるべきことは7年前からしっかり決めていて、オシャレじゃない人にファッションを好きになってもらって、洋服の夢を見てもらうことが目的です。その周辺(夢の影の部分)に関することは、全部やらないでおこうって決めてました。無駄なことをやっていたらおかしくなっちゃうから。僕のことを知ってくれた人をひたすら格好良くさせようと決めたんです。

政治の話や影の部分は、僕の媒体の中では話題に出さないようにしています。そうすることで、ファッションはもっと明るいもので楽しいものだと伝えたいんです。それが虚像であったとしても、まずサービスを受けるお客さんが多くないと市場が成立しないと思いました。別に隠すわけではないですけれど、まず、夢を見させてあげようと思って触れていないんです。

さすがにおっしゃる通り、最近サスティナブルな流れがすごく強くて、ハイブランドもその方向にどんどん舵を切っています。ハイブランドやラグジュアリーのという言葉の解釈も変わってきている気がするんですよね。社会正義や社会的な責任という話でなくて、「社会や環境を考えている洋服を着るのがカッコいい」という価値観に海外の人が変わったんじゃないかなと思います。

でも日本はまだ感覚的に理解できていなくて、例えば「サスティナブルってレザーやファーを止めるのはいいとして、化学繊維を作る際に出るマイプラ(マイクロプラスチック)なんかはサスティナブルじゃないじゃないか!」などと批判してきます。その辺も詰めなきゃいけないと思うんですが、どちらかと言うとファッションがやれることって問題提起だと思うんですね。

「ファッションが物事を解決する」という役目はないと思っています。でも、人類全員着るものだから、問題を提起するものにはなり得るじゃないですか。だからファッションっていい意味でも悪い意味でも、もっと薄っぺらくていいんじゃないかなと思っています。

ひたすら厳密にサスティナブルを追いかけることも、制作側としては意識しなければいけないんですけれど、それがちょっと間違っていたからといって、そこまでつつくことでは無いのかなと感じます。サスティナブルというものがあって、みんなで洋服という身近なものから変えていこうよっていう、問題提起そのものに価値があるんじゃないかなと考えています。

労働環境も本当に同じことだと思うんですよ。どう改善していくかも、すごく大きな動きの中で決めていかなければいけないことだと思います。ファッションがきっかけで、いろいろな業界の課題解決に繋がっていければと思っています。

「内面のいちばん外側」が外見で、それが「モテる」という考えは素敵だなって感じました。

MB:内側と外側の話ですね、結構良い反響がありました。僕はショップスタッフさんに馬鹿にされた経験があったんですが、それは本当にカッコいいってことなのかな?と思いました。内面も外見もカッコいいほうが当然良い訳で、例えばランボルギーニから降りてきた人がボロボロのTシャツだったらガッカリするし、中も外もカッコいいって、すごく大事なことだと思うんですけれどね。

洋服の外面や外見って、結局内面のいちばん外側ってだけだから、内面を磨くことをしないと、本当のオシャレにはならないよってことを伝えたいです。ちょっと自己啓発みたいな内容ですけれどね。自分の軸を持つこと。周りを褒めること。第三者目線も、とても大事なことだと思います。

MBさんが語られる言葉は印象的なものが多くて「ファッションも最高の自己啓発だ!」みたいな言葉も心に残ります。MBさんの人生の座右の銘をお聞かせください

MB:「意思あるところに道はある(Where there’s a will, there’s a way.)」

昔からある座右の銘です。僕は偶然はないと思っています。この仕事を始める7年前に、今の結果を考えて取り組んできたから、結果になった。結果を狙わないと、その先にいけないなと思っています。

ぼんやり夢見て上手くいけばいいなとか、幸せになれればいいなって考えるのは、みんながやります。もちろん僕にもそういった側面はありますが、狙わないと!考えて努力して狙わないと、当然だけれど先にはいけないので、すべてのことに意思を込めようと努力しています。

インタビュアー:「まず考えて自分で答えを導き出せ!」って、かなり考えられていると思います。7年前に描いて、継続の期間に大事にされてきたことはありますか?

MB:嫌なことをしないということくらいですかね。先ほども言いましたが「意思を込めて、狙ってやる」ってすごい大事なこと。ただ人間はそんなに強くないから、嫌いなことで何年も続けられるほど丈夫にできていないんですよね。だから、好きなことしか僕はやらないようにしよう、無理はしないようにしようとは思っています。

経営者としては間違っているかもしれませんが、会社の売上や会社の規模を最大化させようとは思っていないんです。メルマガの読者さんは増えたらいいなとは思いますが、変に増やそうとはしていません。それよりも、みんなのために役に立つ、みんなに届くという過程の中で、結果がどうなるかだけしか見ていないんです。細かい測定はしていません。自分が好きなことをやっていれば、能率は一番上がると思っています。

洋服がどれくらい好きかって言われたら、僕は日本で少なくとも1,000人以内に入ると思うんですけれど、少なくとも1,000人以内に結果って出るはずじゃないですか。だから好きなことをやるってすごい大事なことじゃないかなと思います。

名刺の裏側に社名が書かれています。株式会社EIM(エイム)は、エグジスタンス(存在)のEと、インフォメーション(情報)のIと、メイト(友達)のMという、イニシャルの掛け合わせなんです。あんまり無理なことをするのではなくて、自分自身の魅力をシンプルにインターネットを使って情報化することで、友達ができて、それで仕事になるから、それ以上は望まなくていいよっていう、そんな想いを込めてエイムと名付けました。
裏の意味で、綴は違いますけれど、AIMで「狙う」ことも込めていえるため、ダブルミーニングの要素もあります。

インタビュアー:全て、すごい考えられて作られているんですね。

MB:プライベートはそんなに考えてないですけれどね。仕事のことしか考えないです。

インタビュアー:そういったきっかけになったエピソードはありますか?

MB:僕は社長の息子で、すごい裕福な家庭だったんです。ただ、僕が小学校6年か中学1年の時に会社が倒産して、極貧生活になった。豪華な一軒家からボロボロの公営住宅に移って、借金取りが来るみたいな家だったんですよ。

ドラマみたいに、襖をあけると母親が泣いていて、なんかしないといけないんだろうなと、人生の目標がそこで決まりました。母親が頑張って育ててくれたから、それの恩返しをしなきゃいけないと思い、当時はお金のことばかり考えてました。お金が幸せな基準なんだろうと。

同時に、嫌なことはできないからアパレルという好きな道に進むことも決めました。アパレルでお金って難しいなって考えながらも、ある程度は稼げたんですが、それでも中々うまくいかなくて。その時に、お金を目的にするのはよくないんだなと気づきました。お金はあとからついてくるものだから、人のために動いたらいいと。

親の教育というよりは、環境だったかもしれないですね。転落して家族が不幸になってしまったから、助けたくて引き上げたくて、ガッツが生まれたというのはありますね。

最後に、これから目指している若手の起業家に一言お願いします。

MB:座右の銘からリンクさせると、意思ですね。

なんとなくとか、流れでとか、そんな風に考えなければいいんじゃないかなと思います。僕は哲学が好きで、ひとつひとつのことに意味を考えちゃいます。

オシャレってそもそもなんだろう
お金ってそもそもなんだろう
ビジネスって何のためにあるんだろう

など、そういったことを考えてきました。
大事なものは見えていく。ひとつひとつに意思を込めるのは非常に大事なことじゃないかと思います。

考えるのはどうしてもエネルギーが必要で、サボりがちだけれども、ひとつひとつの一挙手一投足、言動に意味を込める。どういうことなのかを考えて、どういった意味があって今やっているのか。自分がやるべきことが何かを考えていくと、少しずつ行動は洗練されていって、結果に結びつくのではないかと思っています。

僕から言えるのは、「意思を込めて動きましょう!」ということです。


下積み時代を乗り越える自信とは

歌手でものまねシンガーの荒牧陽子さんにインタビューをさせていただきました。

荒牧陽子さんは、幼少期から地元の歌のコンテストで優勝や入賞を重ね、歌手になる夢を持って20歳で上京されました。シンガーソングライターとしての活動を経て、現在は「ものまねクイーン」として、多くのアーティストのものまねでテレビ出演をされていらっしゃいます。

長い下積み時代があったと語る荒牧陽子さんですが、インタビューの中で印象的だったことは「とにかく成功する自信があった」という力強い言葉でした。たくさんの経験、人とのご縁、そして成功への揺るぎない自信について、お話いただきました。

芸能界という厳しい世界で下積み時代を経て、荒牧さんがブレイクされた成功の理由をお聞かせください。

荒牧:もともとは歌手として成功したくて20歳で上京し、まずは人脈を広げるために色々な人に出会う方法を見つけました。「出会った人の先には、凄いプロデューサーがいるかもしれない」と思いながら接していましたね。色々な人に出会う中で、下積み時代の活動を見てくれる人がいました。その方に導いていただいたのが成功したきっかけです。

自分に自信を持つというのはとても大事だと思っています。「まだこれから」という時期でも、歌にだけは自信がありました。自信があるという土台があったからこそ、自分に納得した上で進めることができました。「私はこうです!ああです!」と言える状態にあったのは良かったと思います。

そして、歌のものまねをはじめたのが30歳のときです。30歳って節目の年ですし、とても焦る年齢じゃないですか。「おばさんになって終わってしまう!やばいな、何かを考えないといけない!」という時に、ものまねのお話をいただきました。

お話をいただいたタイミングが少しでも早かったら、きっとやっていなかったと思うんです。25、26歳だったら、頑固な自分が「自分の歌を歌いたいので、ものまねはやりません!」と言ってたんじゃないかと思います。

30歳という節目で丸くなった自分がいて、「なんでも挑戦しなければいけないんだ!」という意識になっていました。そういうタイミングもあり、すべてが合致して今があると思っています。

インタビュアー:「頑固な自分」とありましたが、最初はものまねをすることへの葛藤などがあったのでしょうか?

荒牧氏)すごい葛藤があったわけではありません。25、26歳でいただいた話なら葛藤したと思うんですけれど。30歳の時はこれからどうしていくか模索している状態だったため、テレビ番組からお話をいただいた時は「何でもやります!」という気持ちでしたね。

まず、人前で歌わせていただけるのが幸せでした。歌の活動をやっている人はたくさんいますし、ライブハウスで歌うことは誰でもできます。誰もができる場所じゃないところで一歩踏み出せるんだったら、やるべきだと思いました。もしかしたらその先に次の未来があるのかもしれない!など、色々なことを考えて進みました。なので、そんなに迷わなかったですね。

ひとつ迷ったことがあるとすれば、「ものまね」という世界を知らなかったこと。ものまねの土俵でずっと活動している人がいる中で、私がそこに突然入って大丈夫かな?とは思いました。

ステージに立ち続ける中で、荒牧さんは成功するためにどんなメンタル管理をされてきたのでしょうか?

荒牧:歌への自信は揺るがなかったので、漠然とですが、「続けていればいつか絶対、大なり小なり何かはわからないけれど、どこかで認めてもらえる。誰かに見つけてもらえるはず!」と信じていました。ほかのタレントさんも、テレビのトーク番組などで「根拠はないんだけれど、自分は絶対にいけるという自信があったからやり続けられた。続けられたからこそ、今がある。」と話しているのを聞くたびに、「あ、一緒一緒!」と思っています。

もしかしたら、そんな自信を持っていても駄目だった未来があったかもしれません。その時、上手くいかなかったとしても続けていれば、50歳くらいで花開いているかもしれませんね。

ただ単純に「歌が歌える」という自信だけではなく、「私は必ず成功できる!」という自信です。自分より歌が上手い人はいっぱいいますから。

インタビュアー:その自信はもともとおありだったのでしょうか?

荒牧:こればっかりはわかりません。「自信を持ちなさい!」と言われてできるものではないと思います。

今日、集まっている皆さんも夢を持っていらっしゃるわけじゃないですか。まず、夢を持っていることが凄いことじゃないですか!夢を持っていない人がいっぱいいる中で、あれだけのパワーを出せることが、それこそが自信だと思います。ステージで歌った倖田來未さんの『キューティーハニー』の時に、「ハニーフラッシュ!」を思いっきり、ピシッと振りつけられるのが自信です。自信が溢れているからこそできると思います。

今、皆さんがお持ちの「やってやるぞ!」という自信。「死ぬまでに何かを起こしてやる!」という自信。きっと私の自信と一緒だと思います。

ずっと自信を持って挑戦され続けている荒牧さんの座右の銘や、いつも自分に投げかけてきた言葉を教えてください。

荒牧:20代の時は、「謙虚なオラオラ!」を意識してきました。この言葉は、あるプロデューサーの方にいただいた言葉です。

人はそれぞれ個性があります。私の場合、個性ではありますが「見た目が怖い」とよく言われていました。雰囲気がきついから近寄りがたいと。だから人に挨拶するときも、30°くらいの角度ではなく、倍くらいの角度でお辞儀をしないと伝わらないと言われました。

見た目のオーラというか、人それぞれあると思います。自分では、そのつもりはないけれど、周りと同じことをやっていても、同じように伝わらないんだと思って、オーバーにやるようになりました。「君が頑張っているのはわかるけれど、容姿で損している」と助言をいただきました。金髪だった時もあり、「黒髪にしなさい!」と言われた時もありました。

そのような経緯から、「オラオラというのは心で燃やしていなさい。だけど常に謙虚でいなくてはいけないぞ。必要以上に謙虚で、中身は強く自信を持って、気持ちで前に進みなさい」という言葉をずっと持っていました。

未だに気にしているのは、「見た目がきついから距離が縮まりにくい」ことですね。

一同:お世辞でもなんでもなく、距離なんて全然感じなかったです!

荒牧:え?!でも最初はそう思ったんじゃないですか?(笑)
でもよく言われるから、そこは気にしています。いい歳にもなったので、多少は丸くなったと思うんですが、特に20代の時はありましたね。

「謙虚なオラオラ!」ははじめて聞くかもしれませんが、私にとってはその言葉が支えです。一般的に言う「座右の銘」とはちょっと違うかもしれませんが、皆さんが持っている「座右の銘」と近い感じです。新しい座右の銘という感じですね。

最後に、夢を持って頑張っている、もしくはこれから見つけていこうという若手起業家にメッセージをお願いします!

インタビュアー:なぜ、プロデューサーの方のアドバイスを素直に聞けたのでしょうか?

荒牧:その方は、色々なアーティストを抱えてらっしゃいます。すごいオーラをもっている方で、一緒にいると「やれるんじゃないか!?」という気持ちにさせてくれます。皆さんの周りにもそういった方がいらっしゃいますよね。

「この人のそばにいた方が自分は幸せになれる」みたいなオーラを持っている人だったんです。一緒の仕事ができたわけではないので、ずっとそばにいられるわけではありませんでした。ただ、同郷だったこともあってか、すごく良くしてくださったんです。応援してくれて、そして成功している方だったから、納得して聞けました。

荒牧:私が何か言えることって、本当はそんなに無いと思うんですよ。目指しているものや生きてきた流れも、そして出会ってきた人も違っています。私なんかよりも色々な出会いがあって、色々なものを見て知って、今に至る方がいっぱいいると思います。

それを踏まえて伝えるとしたら、「信じて目標に向かっていくこと!」。絶対に自分が成功することを信じて、まずはチャレンジして欲しいと思います。そもそも、夢を持っていること自体が凄いことなので。大勢の中で、あれだけのパワーを皆さんからいただき、私が勉強させてもらったと思っています。

私は、まだまだこれからなので、皆さんと一緒に頑張りたいなって思います。

軍団を続けていくためのヒケツとは!?

「Bず軍団」のメンバーである、大橋ヒカルさん・TAIZOさん・ひでよしっとさんにステージでのパフォーマンスをしていただきました。

「Bず軍団」は、日本テレビ「ものまねグランプリ」に出演以降、Twitterでトレンド入りするほど世間の話題となったB’z
稲葉浩志のものまね軍団です。現在も学園祭やイベントなどでパフォーマンスされていらっしゃり、エンターテイメントを日本各地へ届けていらっしゃる皆さんです。

今回は、パフォーマンス後にお時間をいただき、インタビューをさせていただきました。

Q:ステージでのラストのメッセージがとても心に響きました。あの時の気分をお聞かせください。

ステージラストのメッセージ
大橋ヒカルさん:

この会場には何かにチャレンジしようとしている人が多いと聞きました。リスクを背負ってでもチャレンジする姿はとても素晴らしいです!僕らもBず軍団を10年続けています!!
B’z軍団のゆるキャラ的存在のTAIZOさんは、Bず軍団の活動中に脱サラをしました。元々はスーパーで24歳から13年間働き、結婚して子どもも2人いる中で、37歳であえて厳しいものまねの世界へ飛び込んできました!

TAIZO:
チャレンジを許容してくれたうちの嫁さんには、今でも感謝しています。人生一度きりですし、好きなことをやりたかった!リスクはありましたが、人間、死ぬ気でやればなんでもできる。プレッシャーを感じれば、逆境に強い人間になる。だから、皆さんも頑張ってください!

今回、こんなにたくさんのお客様の前で歌えた事に感謝します。鋭気を養うために、弱気や嫌なモノは「ウルトラソウル!」と一緒に全部出し切っていきましょう!!

ひでよしっと:TAIZOさんのMCいつまで続くのか、30分くらい喋っていたらどうしようかと思いました。

TAIZO:楽屋でそろそろ、ものまねに移行しようと考えていると相談したら、大反対されました。周りからは、「ドラえもんのネタが当たって、X JAPANができるくらいで成功できるわけがない!今現在、ちゃんとしたお給料をもらえていて、子どももいるに……。」という意見が多かったんです。スーパーを辞めて、ものまねでチャレンジするか、家族にも相談して、ぶっちゃけ2年悩んだんですよ。ものまねとスーパーの二足のわらじで、休みや振替休日の時にテレビの出演や収録をしていたため、とにかく休みがなかったんですよ。ドラえもんのネタで、「しゃべくりセブン」や「ナカイの窓」に呼ばれましたが、忙しさもピークで、身体を壊してしまいました。

ひでよしっと:糖尿で?(笑)

TAIZO:糖尿じゃないわ!(一同爆笑)
身体が弱っていたからか、風邪から気管支炎、副鼻腔炎になっていたのに気付かず、菌が脳に行く手前で緊急入院しました。入院している時に「しゃべくりセブン」のオファーがあり、どうしてもって出て欲しいと言われ、病み上がりで出演しました。今でもその頃の映像えお観ることができるかもしれませんが、その時はめっちゃ痩せてるんですよ。

ひでよしっと:しかし太ったよね。だんだん首がなくなって……。
いや、待って、めっちゃ痩せてるはない!(一同爆笑)

TAIZO:今より!

ひでよしっと:今よりだよね?それ言わないと。めっちゃ痩せてるだったら、大橋ヒカルさんくらい細かったのと思っちゃうよね。

TAIZO:今より10kgくらい痩せてた。

ひでよしっと:で?10キロ減らすと今、何kgになるんですか?(一同爆笑)

TAIZO:今、その話してない!
身体を壊してから、スーパーかものまねかどっちかに決めなきゃいけないと思って、あえてものまねを選んだんです。家族がいるので食わしていかないといけません。嫁も反対したかったんだろうけど、スーパーでのキャリアが長かったため「本当にダメだったら戻ってよ!」と言われた上で、1本化することにしました。内心は戻らないと決めていましたけどね。

大橋ヒカル:TAIZOさんが今こうして強くいられるのは、奥さんの力が結構ありますよね。僕もお会いすることがありますが、当たりが柔らかいですし、旦那様であるTAIZOさんを応援してくれます。家ではどう言われてるかわかりませんけれどね(笑)

TAIZO:嫁からは色々言われますよ〜。

大橋ヒカル:ちゃんとした奥様でいらっしゃるなと思いますよ。

ひでよしっと:恋人同士みたいに電話でしゃべってるもんね。

TAIZO:そう?普通にしゃべってるだけですよ。

ひでよしっと:いやいや!毎日、仕事帰りに車の中で、「今から帰るよって」電話してるじゃん。

TAIZO:それは普通でしょ!

ひでよしっと:普通だと思ってるけれど、それは普通じゃないです!

TAIZO:奥さんが夕飯を作って待ってるのに、何も連絡しないで食べて帰ってきたら怒るでしょ?

ひでよしっと:あれ?好感度あがっちゃうよ、これ。ねえ?結構、ラブラブな感じでしょ?(一同爆笑)

TAIZO:絶対ないから。結婚して18年なんですよ。18年?16年……あ、19年だ。

ひでよしっと:こうゆう人なんですよね。

大橋ヒカル:Bず軍団の中で、唯一の妻帯者ですからね!

Q:奥様のサポートはもちろんのこと、TAIZOさんがお考えになるご自身の成功の原因について詳しく教えてください。

TAIZO:1本化した1年目はさすがに大きな仕事はなかったです。ものまねショーパブに出演することが多いんだけれど、これは決してギャラは多くない。そういうのよりも、企業や団体のパーティや新年会、忘年会、夏祭りのステージ、学園祭や納涼祭などに呼ばれることでの仕事、いわゆる営業の方がギャラが多いんです。

1年目は営業の仕事もなかったので、収入がほとんど無かったんです。働いている人ならわかると思いますが、スーパーで働いていた時の税金が、1本化した1年目に来ました。当時の稼ぎが毎月10数万円くらいしかないのに、税金だけで毎月10万円程度払っていて。1年目は税金の支払いが大変でした。

あとは、それまでスーパーの仕事を傍らにものまねをやっていたくらいの頻度だったので、1本化した時に喉が慣れないんですよね。2、3日連続で歌うと喉が枯れちゃっていました。

ひでよしっと:Xやってドラえもんやって、Xやってドラえもんやって……。声質が違うものまねは、負担あるもんね。

TAIZO:そういったネタもあるんですけれど、喉が枯れてすぐ声でなくなっちゃうんですよ。喉が枯れると、似せられなくなって、要は仕事ができないので休むわけじゃないですか。そうなると嫁は、「は?!」って顔になる。「声が出ないからしょうがないだろ!これ以上無理したら2、3ヶ月できなくなるよ」って。ぶっちゃけた話をするとリアルで喧嘩になります。

ひでよしっと:喧嘩するにも喉使うもんね(一同爆笑)

TAIZO:仕事もあまりないし、とても困ったんですが、自分で決めたことなのでどうにかしなくちゃいけない。待っていても仕事は来ないので、まず自分を知ってもらうことから始めました。
仕事を増やすにはどうしたらいいのかを考えたんですよ。そこでスーパーの経験が活きたんです。美味しいものを仕入れてきて「美味しいですよ」って伝えても、それだけで買ってくれる人はほとんどいません。でも、実際に食べてみて「美味しい!」と感じたら買ってもらえます。
ものまねの仕事に置き換えると、自分が商品なので、まず知ってもらうためにノーギャラでやろうと思いました。最初は地元から始めて、次に地方の知り合いの企業の全部に足を運びました。往復ともに自分の車ですし、もちろん自腹です。

ひでよしっと:それ、どこでもドアやタケコプターで行かないんですか?(一同爆笑)

TAIZO:「10分でも、5分でもいいからやらせてください!」と色々な企業さんにお願いしに行きました。月に10本くらい、ノーギャラで半年間くらい続けたんですよ。その結果、次の年には仕事が10倍になって返ってきました。月によって仕事の入り方には波がありますが、2年目からはほぼ安定しましたね。

何事も新しいコトに踏み出すことは躊躇します。どうしても失敗を恐れるじゃないですか。ましてや家族がいる、高収入の職に就いていて安定した生活を崩すなど、リスクがあればなおさらですよね。
僕の考えは「失敗することを怖がる事が、人生の失敗」なんじゃないかと思っています。

ひでよしっと:それ、名言だね!TAIZOさん本書けるよ。(一同爆笑)

Q:「失敗することを怖がるのが人生の失敗」と思うような出来事は他にもありましたか?

TAIZO:特にスーパーで学びましたね。もともとは歌手になりたくて、高校卒業と同時に山口から東京に出てきました。歌手を目指していたときは、色々なバイトをやりました。夜勤もやっていましたし、物干し竿を売ったり、網戸の張り替えもやっていました。

ひでよしっと:さすがドラえもん(一同爆笑)

TAIZO:歌手になる夢を24歳で諦めて、スーパーへ就職しましたが、実際はそこで骨を埋めるために結婚したんです。スーパーは13年やりましたが、出世しないといけないじゃないですか。そのため、売上を作って成果を手に入れたくて。その甲斐あって、スーパーでの青果の売上はナンバーワンでしたよ。さらに売上が落ちていた店を任せられ、改善してきました。

Q:スーパーでの売上が上がった理由はなんでしょうか?

TAIZO:「市場力(イチバリョク)」ですね。市場力とは、「市場の人との関係をどれだけ築いたか」です。市場の方は、誰もが同じ値段で売らないんですよ。大きいスーパーと小さいスーパーなら、大量に仕入れる大きいスーパーは安くしてくれるでしょうけれど、小さいスーパーは人間関係が肝心なんです。人間関係が良くなった方が勝ちなんですよ。

「おまえだからいいよ」って言ってもらえる。その代わり、相場が悪くて売れ残ってる商品があるときは、助けてあげたりもしないとね。いわゆる持ちつ持たれつの関係を構築するかです。

スーパーへ行けば、安いものはだいたい悪い、良いものは高いというのは当たり前で、良いものが安かったら売れるじゃないですか。でもそれは難しいんですよ。それを実現するには、市場で安く買う必要がある。そのためには人間関係が重要なんです。
つまり、市場の方々と関係性を築き、お互いに勝てるチームをつくるようなイメージです。

Q:人間関係をよくするために、普段から心がけていることってありますか?

TAIZO:ん〜、やっぱ、コミュニケーションですね

ひでよしっと:え?じゃあなんで、楽屋でいつも態度がでかいの?(笑)

TAIZO:態度がでかいんじゃなくて、身体がでかいからそう見えたんじゃないですか?

大橋ヒカル:僕らは普通に座ってるけど、TAIZOさんは背もたれに腕かけて座ってますよね?(笑)

TAIZO:これが、普通なの!

大橋ヒカル:リーダーとして、いつもヒヤヒヤしているんだからね。TAIZOさん「まっすぐ座って!」って思ってますもん。でもさぁ、まさかTAIZOさんからこういった話がでてくるとは思ってもいませんでしたよ。

TAIZO:スーパーのことを喋りだすとね。0からスタートして13年もやってきたからね。身内企業のスーパーなので、10店舗くらいで上がるところまで上がって、ぶっちゃけこれまで上がることができないというところまできて、なんだか逆に行き詰まっていたんですよね。

ひでよしっと:ものまね八百屋とかやったら良かったんじゃない?

TAIZO:それやったことあるんだけれど、お客さんが湧いちゃって逆に大変。以前、ドラえもんの声で「本日限定!本日、大根1本!なんと、10円~~~!!!」と録音した音声が、スピーカーから鳴ってるんじゃないかって、お客さんがみんな上を見てましたから。(笑)

大橋ヒカル:まさか店員であるTAIZOさんがしゃべってると思わないよね! TAIZOさんが初めてテレビに出たときは、そのお店の作業着のまんまX JAPANのネタやってましたよね?

TAIZO:調べればわかるんですけれど、X JAPNの「Forever Love」を歌ったのはフジテレビの「ものまね紅白歌合戦」での素人のコーナーでした。32歳のときにたまたまギャグで応募したんです。

大橋ヒカル:え?ギャグだったの?

TAIZO:コロッケさんの四天王時代からものまねが好きで、ずっと観ている世代でした。素人さんが出るたびに、素人ながらに「俺の方がうめーよ」って感覚があって、冗談で応募したら「お台場に来て下さい」ってなっちゃったから、「やべー、本当に行かないといけねー」って。それで行ったら受かっちゃったんです。

大橋ヒカル:でも実際、みなさん思ってると思いますよ。Bず軍団よりうめーよって。特にB’zのファンの人たちから見ると稲葉さんが大好きでしょうから、「絶対俺のほうがうまい」って思ってる方、絶対にいますよね。(笑)

TAIZO:根拠のない自信は、やっぱり大事ですよね。

大橋ヒカル:どんな事にも、きっかけはありますよね。それがどんなに小さな事でも。TAIZOさんの応募する、しないというのも同じです。

Q:Bず軍団が始まったきっかけをお聞かせください。

大橋ヒカル:最初は完全に番組の企画だったんですよ。ある日、打ち合わせに呼ばれて行ってみたら、数名のものまね芸人さんがいたんです。みんな稲葉さんの格好をしていれば、「この人達もB’zを…」って思いますが、みんな見た目も違ったので「なんだろうなー」って思っていたら、ディレクターさんから「皆さん今日から”Bず軍団”です!」と。

TAIZO:大橋さんは、Bず軍団の初期メンバーで初回からいます。僕は2期生です。2期生は今は僕しかいないですね。1期生は2人残ってて、河口こうへいさんと大橋さん。

大橋ヒカル:Bず軍団の延べ人数は20人になります。辞めた、離れたなど、理由はそれぞれあるんですけれど、現在は7人です。でも、最初はぶっちゃけすぐに終わるユニットだと思いました。当時から、同じものまねをする芸人さんを集めた企画はありました。例えば、アントニオ猪木さんのものまねをしている人や、松山千春さん、長渕剛さんのものまねの方。そういった方々を集めたら、絵的に面白いんですよ。でもそういうのって今までは、単発で終ってたんですよ。

当時、「ソロでB’zをやってきたけど、軍団としてまとめられたということはこれで使われなくなるのかな」って思ったのが正直な気持ちです。他のメンバーも、同様に思っていたんじゃないでしょうか。でも数回続いていく中で、どうにか続く方法はないだろうか?って考え始めたんです。

初期のBず軍団は「B’zの稲葉さんがたくさん出てきて、ちょっとずつ姿も変わって増えていくのが面白い!」というネタでした。それでもヒット曲を数曲やると、新しいものを観たいと思われてしまう。そんな頃、ちょうどAKBが流行っていたころで、衣装も赤チェックで少し似ていたんです。そこから、最初4人だったBず軍団が、6人になって11人にまで増えていたので、このまま増やして「AKBず48」にしようみたいな企画を僕が持っていったのですが、様々な理由から通りませんでした。しかしその次回で、AKBのメドレーをB’zの稲葉さんが歌ったらというネタが生まれて。11人でAKBメドレーをやったんですよ。

ものすごい会場が湧きまして、Bず軍団がブレイクした瞬間でした。

AKBのような団体ネタをやる時には、フォーメーションが大切なんですが、僕ら芸人はピンが多くて、ポジショニングを取ることに慣れてなくて。それに加えて、皆さんびっくりされるかもしれないですけれど、リハーサルって1回しかないんですよ。リハを1回やって、そのまま本番を迎えて、それがオンエアされるんですよ。

僕は舞台とかも踏んでたので、ナンバリングとか色々なコツをメンバーに伝えていくのを繰り返していたら、気づいたらリーダーになっていました。もともとリーダーを設けていなかったのも、すぐ終わる企画だったのかも、と今思うとぞっとします。そんなB’ず軍団が今年で10年って、本当に感謝でしかありません。本当に色々な事がありましたしね。

Q:Bず軍団の中で、続けている人と途中で離れてしまった人との違いは何なのでしょうか?

大橋ヒカル:ものまね番組って実はそれほど多くないんですよ。実際はフジテレビと日テレしかなくて、各局、年に3回程しかないんです。ものまねから有名になった原口あきまささんやコージー冨田さんがいますけれど、司会やパーソナリティとして出ていく人って本当に少ないんですよ。最近は、お笑い芸人さんが司会されていますが、ものまね芸人さんで、司会されている方やCMに出ている人はほとんど見ませんよね。

例えば、何かしらの商品をドラえもんの声でやったとしても、著作権などの関係で、そのものまね芸人さんには身入りは少ないでしょうし、そもそもやらせてもらえないでしょう。個人での露出は少ないのが現状で、ましてや、僕らはBず軍団というくくりになってしまい、ひとりひとりの名前が出ないんですよ。

例えば、ひでよしくんは松竹芸能で、僕らはフリーなんですけれど、事務所からは、ピンでも頑張れよっていうのが通例だと思いますし。違うネタでもオーディション受けて、Bず軍団より売れてくれっていうのが、本音だと思いますしね。でも僕は、Bず軍団が特別なものになるんじゃないかって。これを継続させていくことの方に価値があるんじゃないかと思ったのを憶えてます。

Bず軍団が続けていくことで、その後、山崎まさよし軍団、倖田來未軍団、中島美嘉軍団、藤原竜也軍団などが誕生して。そういった意味では、軍団の走りになったのかなと嬉しく思います。でも、一度、軍団をやめたメンバーは、戻れないなんて話もありますね。

TAIZO:企画として、1回だけ出戻りして人数を増やすというのはありましたが、基本的に出戻りはいませんよね。

大橋ヒカル:あと、1回Bず軍団から卒業する対決というのもありましたね。「Bず軍団vs河口こうへい」というのもありました。結局、負けて戻ったんですけれどね。その後に、河口こうへいくんは「ものまね三太郎」という違うユニットネタを生み出し、Bず軍団を離れた時期もありましたね。結果的にまた戻って来てくれて、今も一緒にやれてます。

毎回視聴率を求められるのがTVですが、僕らからすると番組に出させてもらって「あ、Bず軍団!」って言ってもらえる事で、色々な仕事や営業に呼んでもらえるということもあります。最近はツイッターをはじめ色々なSNSで、ランキング上位に上がってくることがあります。
長く続いている理由の一つは、TVの視聴率以外にもあるのかもと。Bず軍団というひとつのキャラクターになってきているということなのかもです。そして、なぜ20人から7人になってしまったのかは、実は礼儀というのも関係してます。

Q:礼儀というのを具体的に教えてください。チーム内やグループ内のこと、もしくは対外的なことですか?

TAIZO:常識がなさ過ぎる人がたまにいるんですよね。僕も他人の事、あまり言えませんが。

大橋ヒカル:言い方が難しいですが・・・芸人さんたちって、どこか変じゃないとだめだと思うんですよ。もちろん良い意味でです。度が過ぎると扱いにくかったり、間違った方向に行ってしまったり、テレビ局側に迷惑が行ってしまう場合もあります。ただ、そういった芸人の方が、人前に「わー」っと出てくる。きっと芸能人にとって必要な要素なんですが、ただ、その中にも礼儀とか常識が伴ってないとな、と。

僕らは、周りにすごく助けられました。経験や歳を重ねてくると、叱られる事が少なくなるんですよね。「あそこはだめだったよ」「ここはこうだったよ」などのフィードバックやダメ出しで気づかせてもらえる。とてもヒントになります。周りの環境ですよね。ダメ出しをしっかりしてくれる先輩や仲間がいる環境。それがないと、結局いつの間にか赤信号や黄色信号が出てる事に気づかずに、突っ走ってしまうのだろうと。

TAIZO:僕も一度、失敗しましたし。

大橋ヒカル:ある日、TAIZOさんから相談がありましたもんね。懐かしいなー。

TAIZO:素人だったのでまったく知らなかったんですよ。とてもいい勉強になりました。

大橋ヒカル:歴史だけを軽く言うと、「ものまね四天王」というのがコロッケさんとビジーフォーと清水アキラさん、栗田貫一などがいらしゃって、その後、コロッケさんが離れて立ち上がったのが、日テレの番組です。そのため、仲も良好ではありません。

昔は収録日も一緒で、「片方に出たら、もう片方は出ない」というのがあったんです。元々僕らは日テレ側なんですよ。でも、TAIZOくんのデビューはフジテレビなんです。そこから、日テレの方にオーディションを受けたんです。

TAIZO:フジテレビが、素人向けのオーディションを継続的にやってて受けていたら、「色々反響があるけれど何したいの?」みたいな感じで言われたので、同じ素人は出してくれないんだと思ってしまいました。それで日テレのオーディションもあるよって言われて受けてみたら、Bず軍団のオファーがありました。

ひでよしっと:こんな形の人が入ったら面白いじゃないですか(一同爆笑)

TAIZO:当時はこんなに太ってないですよ(笑)

大橋ヒカル:そのあとに違う番組のオーディションを受けちゃったんだっけ?

TAIZO:違う違う。Bず軍団入ってて、3回連続で出させてもらったんですよ。その後、フジテレビからオファーがあったんです。Xでもう一回出てくれないかって。知らなかったから、受けてしまって。
ほぼ同時くらいに何も言わずに収録して、オンエアの日もそんなに変わらないタイミングで出たため、日テレから電話かかってきて、「なんで、フジに出てるの?TAIZOさんBず軍団ですよね?」って言われました。「あれ、出ちゃだめなんですかね?」って聞いたら当たり前ですよと。僕、素人ですけれど?って聞いたら、「素人でもだめですから」って。

大橋ヒカル:TAIZOさんから、「ディレクターさん怒らせちゃった」って電話がありました。知らなかったということを、ちゃんと正直に担当の人に言ってごらんと伝えたんだよね。それでなんとか収まった。

TAIZO:失敗したことをちゃんと素直にごまかさずに認めて、「すいませんでした」って謝ることって大事なんじゃないかなと思います。

大橋ヒカルさ:うちにはTAIZOさんみたいなキャラクターもいれば、ひでよしっとみたいな、僕ともまた違ったキャラがいます。誕生日は同じなんですけれど、性格はまったく違くて。あ。そろそろ誕生日だよな。

ひでよしっと:なにかありますか?(一同爆笑)

大橋ヒカル:ひでよしには僕らにはない、人と繋がる能力があるんです。全然違う切り口で人の心をつかみ、仲間にしていく男なんですよ。ものまねのショーでは、それを連続していかないとショーって成り立たないんです。

色々なパターンのお客さんがいらっしゃいます。特にショーパブなんて、ファンとして見に来るなら何しても大丈夫なんですけれど、ただ連れられてきましたというくらいのお客さん相手にも、最終的に満足してもらわないといけません。それぞれのお客さんの引き出しの中に入り込んでいく必要がある。それが出来るひでよしは、いつの間にかなくてはならないメンバーになっています。

ひでよしには、僕らにはできない話し方というか、「なんでそういう風に切り込んでいけるの?」っていうことがあるんです。ひでよしが新人としてBず軍団に入った時のことです。ちらっと僕のところにきて、「大橋さん。僕、誕生日2月8日です」って囁かれて、僕はびっくりして「は?!」と思いました。普通そんなこと言いませんもん。

握手した瞬間に何かしてきて、記憶に残る人っているじゃないですか。そういったタイプで、いつの間にかショーパブに出だして、いつの間にか安定しているし。今はひょうひょうとしていますが、彼なりに色々と考えてやってると思います。

Bず軍団が続いている理由のひとつは、各々の個性が強いことです。ここにいる他にも4人のメンバーがいるんですけれど、全員キャラクターが違いますね。だからメンバーが入れ替わっても今日とはまた違う魅力あるショーになりますし、僕がいつもまとめているときに、ひでよしがステージ上で盛り上げてくれるなど、色々な支え方があります。先程チームをつくるというのがありましたが、いつの間にかチームができあがって、そこに関係なくなった人は、いつの間にか離れています。

Q:お話を聞いていると、Bず軍団を続けるために意図的にブランディングし、勝つためにロイヤリティの高いメンバーが残っているイメージです。

大橋ヒカル:先ほども言ったように、番組は年に3回しかないんです。そうするとモチベーションが保てません。僕も毎回ヒヤヒヤしていますが、番組の企画なので、番組が「辞めます」と言ったらそこで終わりなんですよ。10周年迎えられるかどうかも不安なところもあったんですけれど、次の5月にあるのもオファーもあるので一安心です。今のところは「次のネタをつくらなきゃ」ってなっています。

今でこそ、皆さんに知っていただいているBず軍団があるから、他の芸人さんも「Bず軍団に入りたい」と言ってくれているのかもしれません。ただ、番組はあるものの、テレビばかり意識していてもダメだと思っていて、「このBず軍団で営業の仕事を獲得できないか」と楽屋で話してます。それをしないと、しっかりしたギャラに繋がらないから。

みんなのモチベーションが上がってきたのは、営業にまわしてみるという話を僕が持ちかけたことで、色々ありましたけれどOKがでて、ちゃんとギャラを貰えるようになってきてからですね。営業メンバーは一緒に地方を回ることもあるので、ちゃんとコミュニケーションが取れます。1泊すれば、お酒を飲んで本音が聞けます。そうすると協力体制もできてくる。そうなってきた頃から、チームとしての関わり方が出来てきました。

僕は、バンド時代に仲間の意識を高める感覚を持っていましたし、お芝居の経験から一団をひと月でつくり込んでいくプロセスもわかっていたため、できると思っていました。しかし、みんな一匹狼だったんですよ。だから「そーっすねー」って反応しながら、内心は「何言ってるの?」だったと思う。結果的にうまく営業に回れてよかったなと思って。カンパニーに関わっているメンバーとそうでないメンバーとでモチベーションが変わります。あとは、所属事務所も影響ありますね。事務所の意向もありますので、営業するのに許可が必要だし、ギャラも変わってくる。それだったらフリーで集めたほうが安くなっちゃう。ある意味、この3人が良いかもしれませんね。

ひでよしっと:一応、それなりに大手の事務所に入ってますけれど(一同爆笑)
僕の場合は、事務所にほっとかれている。

大橋ヒカル:僕らがこれからやれたらいいなと思っているのは、今日みたいなショーを増やして、Bず軍団の存在を変えていくことです。Bず軍団は、「B’zの声で色々な曲を大勢で歌っている」「いつも対戦では負ける人たちだ」と思われています。今日みたいなショーをやると盛り上がっていただけるので、お客さんからの反応も変わってきます。

ものまね番組以外のところで、使ってもらえるような違う切り口。今や「B’zはあんまり好きではないけれど、Bず軍団は好きです」という変な現象も起こり始めています。こないだもAbemaTVやNHKの「グッと!スポーツ」という番組に出させてもらいました。テレビも最初は「他局は出ちゃだめだ!」って言われてて、民放っていわれない放送局のNHKに出たことがあります。楽天の則本投手がゲストの会でした。則本投手はB’zが好きで、その話題になり「実は今日、来ていただいています!」と伝え、スタジオが「ワ~!」って湧いたら、僕らが登場する。このような使われ方も増えています。

メンバーにはこういったことに対応できる人になってほしい。どうにかして、ひとつのブランディング商品をつくらなければいけない。切り口は難しいですけどね。でも、今日みたいなのに呼んでいただけると、これから起業されるような方に聞いてもらえます。何気に一般のお客さんに聞いてもらえるより、起業家の方々に聞いていただいたほうが、僕らも使っていただけます。

僕らは、ただ単にB’zの偽物ですよ。何かステージからおこがましいなと思いながらモノ申していたんですけれど、笑いやエンターテイメントがみんなの原動力や信じる力になるんだったらと思って、今日はやらせていただきました。あんまり深く考えると「俺たちのライブなんて行ってる場合じゃねーぞ」と思ってしまいます。素直に受け取っている今日の方々は、ものすごく成功されていくと思っています。

それと僕らは、ものまねからちょっと離脱したいんですよね。例えば「Tokyo Street Collection」は、ショーですけれどひとつのフェスみたいなものなんです。次は、2万人の会場でやると聞いています。そこにB’zの曲が流れ「B’zが出てくる!と思ったら、偽物がでてくる!」みたいな。あとはFUJI ROCKでB’zの放送が流れたら、みんなびっくりすると思うんですよね。盛り上がれる技術は10年間のあいだに作ってきたので、自信はあります。

平成が終わる時代は、「愉しむものを愉しもう」「頑張ることは頑張ろう」で、「頑張るためには、愉しもう」「愉しむために頑張ろう」と、わかりやすくなってきたような気がしています。成功している人が成功しているし、ダメな人は年上でも教えを請う。そういった図式が出てきているのかなと思っています。

今日は、Bず軍団としては初めてのキャパでした。ものまねで1万人のキャパでやっている人はいないと思います。そこに関しては、先程はステージで拍手をもらいましたけれど大感謝です。

TAIZO:本当に、途中から申し訳ないと思ったもん。いいのかなと。

ひでよしっと:俺は最初から申し訳ないと思っていたよ。(一同爆笑)

TAIZO:あまりに盛り上がりすぎるから、本当に偽物でごめんなさいと。(笑)

Q:最後に、本日来場していたチャレンジする若者たちに向けて一言お願いします!

大橋ヒカル:今でこそBず軍団は約10年かけて、ものまねのファンの以外の方にも知ってもらえるような存在に少しずつなってきました。世間一般では「たかがものまね」と言われることがあり、僕たちの中ではチャレンジしたいという気持ちがあります。TAIZOくんの最初のきっかけは、ど素人から入ってきた。ひでよしの場合は、松竹芸能に入るきっかけもあった。何も保証はありませんが、根拠のない自信とチャンスをつかもうとする一歩だけかと思いました。

僕も一番最初はCDデビューなんですけれど、はがきを出すか出さないかで決まりました。TAIZOくんだったら、オーディションにたまたま遊びで出してみた。それでも出さない人がいる中で、出してみた。その第一歩は踏み出していると思うので、あとは信じて突き進むだけだと思います。皆さんは、僕たちとは全然違う方向に向かわれると思いますが、最終的には根拠のない自信と感謝の気持ちはすごく大事だと思っています。今日のステージもそうですし、今まで関わってくれた人たちがいなければ、今の僕たちはありません。

あとは、周りの意見をちゃんと聞くこと。自分の信念、芯だけは絶対に曲げないでチャレンジしていく。その繰り返しをしていけば、大丈夫じゃないかなと思っています。僕たちもまだまだ、中途半端ですけれど、そんな風に今日は感じました。みなさん、頑張ってください!!

良いクリエイティブは、良いチームから

CMディレクターの中島信也さんに、インタビューをさせていただきました。

中島信也さんは、日清食品カップヌードルCMの「hungry?」シリーズでカンヌ国際CMフェステバルでグランプリを受賞し、その後もサントリー『燃焼系アミノ式』『伊右衛門』など数々のヒットCMを手掛けていらっしゃる、まさに広告界の巨匠でいらっしゃいます。

今回は、時代のながれや流行りの変化を捉えながら人々の印象に残る数々のCMを生み出し続けている中島信也さんに、経営者として現場がどれだけ大事な場所であるかや、人々を喜ばせる仕事の価値観についてお聞きしました。

本日はありがとうございました。まず、ご講演いただいた感想をお願いします。

中島:参加された方々のエネルギーがすごく高かったです。声を上げて笑ってくれてましたね。僕のほうが、皆さんのパワーを存分に浴びさせてもらったというのが、正直なところです。

森林浴、半身浴などと同じようなイメージで、人間浴を本当に浴びました。ネガティブなエネルギーの人間浴を浴びると沈んでしまいますが、会場の皆さんは360度ポジティブに溢れていました。

すごいですよ、びっくりしました。本当に素敵な時間を過ごさせていただき感謝です。あっという間でした。

インタビュアー:普段の生活から感性が豊かでいらっしゃるのでしょうか?

中島:そうですね……。誰よりも早く、雨が降ってくる気配がわかりますね(一同爆笑)

やはり、天地の動きには敏感なところがあるのかなと思います。私たちは自然の中で生かされています。人間も含めて自然環境なので、周りの環境と調和するように生きていきたい。森や、空、水、人などは全部同じで、できるだけ気持ちを開いて感じるように心がけています。

感性を豊かにすることが、中島さんがこだわっている”喜んでもらえる仕事”に繋がっていますか?

中島:最終的には、みんなで笑顔になりたいねってことですからね。

大勢の人がいる中でひとりだけ沈んでいる人がいたら気になってしまいます。スタジオでも、各方面を明るい気持ちで進めていきたいです。仕事が終わった時に、今日もいい仕事したなと思っていたいです。

タレントさんは仕事が早いのです。それを察知して、早く進めるように心がけています。早く終わるとタレントさんがとても喜ぶし、後に声をかけていただけることもあります。タレントさんから「中島さんだったら安心です」と指名されることもあります。

現場には色々なものが渦巻いています。それらを整えてひとつの作品を完成させるために、みんなの気持ちをポジティブに、明るくしようと意識しています。単に出演者のことを「監督」するのではなく、現場全体を作っていくことが監督の役割だと思っています。

「明るく、仲良く、気持ちよく」これができればいいなと。

もちろん仕事なので、大変だったり、苦しかったり、しんどかったりすることは必ずあります。ですが、しんどい仕事こそ、「明るく・仲良く・気持ちよく」ができるかを考えていますね。

仕事に対する現役度について聞かせてください。

中島:すべて現役度の問題なのかなと思っています。

現場から離れてしまうと、若者と目線を合わせるのが億劫になったり、アドバイスができなくなったりします。質問に答えられたとしても、具体的ではなく曖昧な内容になってしまいます。

現場をやっているからこそ、若い人たちといつでもコミュニケーションをとっていける。会社を動かしていくためには、若い方とコミュニケーションできなくなったらダメだと思います。このような話を嶋村さんとしているときに、「なるほどそうか!」と気づかされました。

これから会社に入って、創る人たちとコミュニケーションを取れるかが重要です。自分が現場にいる理由は、趣味ではなく会社のためにも大事なことだからです。若者たちに一番開かれた役員になっていればいいのかなと思いました。

現役で現場に居続けることは、楽しいです。

広告業界も伸びゆく業界ではないですが、魅力は広がっては来ていると感じます。これまでは、コミュニケーションを創る仕事は4大メディアとされてきましたが、現代ではそれ以外にも広がりを見せています。映像でのコミュニケーションは極めていけるし、テクノロジーが開発されているので、おもしろく魅力ある仕事でありつづけます。

これまでのようにテレビコマーシャルが儲かる時代ではなくなってきました。だけど、ますます面白くなって、仕事の幅は広がっていきます。その魅力を僕らが意識していないと若者が入ってきませんからね。こういった内容は、学生さんにもお話しています。

人々の記憶にながく残るCMヒット作のアイデアはどのようにして生まれたのでしょうか。

中島:基本的には僕が0から100まで企画していることはないです。プランニングのチームが知恵を出しあい、そこにクライアントさんが乗っかって初めて企画が実現します。

僕はいいチームに恵まれているのです。普通では思いつかない発想をする天才プランナーや、天才的な絵作りをするアートディレクター、今をときめく売れっ子CMプランナーとも出会っています。僕がそういった方々の受け皿となり、相手とかけ算できるようにお付き合いさせていただいています。とてもありがたいですね。スーパークリエイターと呼ばれている人たちと出会えるのは、企画を考えられた方の期待以上のものを創っていこうという気持ちから来ていると思います。

また、作品づくりは、自分ひとりの努力だけではなく、本当に色々なことが影響してきます。例えば、天気や現場の雰囲気などもそうです。現場の雰囲気が滞ってたら、絶対にいい作品はできません。流れが滞っていると、どうやってもダメなものはダメなのです。

作品づくりは、大きな流れの中で行われます。目に見えない流れのようなものを意識しているのと同時に、目に見えない流れには一人では刃向かえない。どんなスーパーディレクターでも流れが来てなければ、できないんですよね。

インタビュアー:流れを掴むことこそ、現場感も関係しているのでしょうか?

中島:現場感や現役度ですね。私たちはその中を流れて生きています。動いているからこそ現役で、陸に上がってしまうと現役引退かなと思います。

会社も同じで、川は流れていても、上から見ていたり、遠くから見ていると人ごとになってしまいます。大きな動きがある中で、流れにどぶんと浸かっている必要があります。

日本の企業において苦しいところがいっぱいあるのは、川から上がったおじさんがうごめいているからじゃないでしょうか。一緒に流れようよと努力をしていると良いのですけれどね。どこかで上がりと決めることなく、いつまでも一緒にやっていくことを決めることが大事だと思います。

これが、会社としてエネルギーを絶やさないことに繋がるのではと感じます。

これまでたくさんの天才と呼ばれる方々とお仕事をされてきた中で、特に印象的だった人は誰ですか。

中島:僕にとって印象的だった人は2人います。東京藝術大学の教授をやられている佐藤雅彦さん。そして、多摩美術大学の教授をやられている大貫卓也さんです。

佐藤雅彦さんは天才クリエイターで、広告にとどまらず、今でも若手と一緒に色々なプロジェクトで活躍されています。彼は右脳のチカラがすごいのです。彼の手がけたCMは『ポリンキー』やNECの『バザールでござーる』など。『ピタゴラスイッチ』の監修もされています。奥様方や女性、子どもなど、右脳が柔らかい人に響いて、いつの間にか入り込んで、みんなの記憶に残る作品が多いです。

仕事の進め方で印象的だったエピソードがあります。何も映っていないテレビのモニターを置き、「この状態から何が出てきたらいいか、3分で考えましょう」と企画を進めるのです。そして3分後にはしっかりと生み出すのです。本当に天才です。

2人目の大貫卓也さんは、カップヌードルの『hungry?』を創られた方です。去年は、『Advertising
is』という作品集を出されました。この人は一言で言うと、努力の天才です。作品集を見ると、「これ程やらなければいけないのなら、広告の世界には入らない」と憂鬱になるくらいの努力の内容です。

佐藤さんは電通、大貫さんは博報堂さんを出られて、どちらも年代は僕と同じくらいすね。僕はディレクターとして、このふたりと仕事をしました。スーパークリエイターはこの人たちのことを言うのだなと、生涯忘れない方々です。

新しい才能も出てきていますが、昭和平成にかけたら、このおふたりです。

中島さんの座右の銘を教えてください。

中島:「明るく・仲良く・気持ちよく!」これは絶対に大事だなと思います。意識しているだけでなく、できているかどうかが大事です。

3つとも絶対に同時に揃うものだと思っています。「どないしよう」と、なかなか上手くいかないことは今でも多いです。ただ、それはまだ伸びしろがあると解釈しています。

この年になってからも、色々な問題があるんだなと。広告業界で35年やってきても、世の中がどんどん変わり、驚くようなことがあります。でも、まだ驚くことができる自分でいるのがいい。

今後チャレンジしたいことはありますか。

中島:CMにとどまらず、色々なクリエイティブをやっていますが、あえてコマーシャルという秒数が決まった映像の演出を極めていきたいと思っています。

動画広告は色々出されています。ウェブ媒体では長いCMも創れますが、長いCMは見ないようになってくる。今は15秒でも長いと言われ、「6秒CM」も出てきてますね。6秒にかけるのは面白いと感じます。

日本は『hungry?』以降、賞が取れていません。それは(外国のCMは長いことから)「CMが長くないからだー」って言う人もいますけれど、日本人は長いCMが好きではない。若者向けにはどんどん短くなっています。短い中でも、どれくらいすごいものが創れるか、と言うCMの世界が楽しみです。

これからも、頼まれごとは全部やってみるつもりです。会社としては、新しく入ってくる若者たちにとって「楽しい、面白い、成長できる」会社に変えていきます。

高度経済成長期を一緒に歩んできた古い会社なので、意識を変えようとしています。今日の会場の皆さんのように、若い社員がハッピーになって一緒に盛り上がれる会社を目指したいです。

それと同時に、広告コミュニケーションも変わっていきます。昔は「CM業界面白いぞ」って言っていましたが、本質はコミュニケーションを創っていく仕事です。この世界に、今日の会場の皆さんのような元気な若者が入っていくようになったら良いなと思っています。

僕のこのキャラクターとしては、率先してこの業界自体を熱くしていきたいですね。

最後に、これからチャレンジしていく今日の会場の若者たちに一言お願いします!

中島:今日来てくださった皆さん。僕は本当に、パワーを頂戴しました。パワーを僕にくれるということは、ちゃんと体の中に潜んでいるということです。出てないものがいっぱいあると思いますが、信じて自分の中の木を大切に育ててください。

感謝しかありません。

KITEから学ぶダンスから切り拓くパラレルキャリア

ダンサーのKITE(カイト)さんにインタビューをさせていただきました。

KITEさんは、Juste DeboutやUK B-Boy
CHAMPIONSHIPSなどの多くの国際大会で優勝、世界大会では2008年から毎年優勝を勝ち取るなど、圧倒的な成果を創り出している世界的なダンサーでいらっしゃいます。その腕前は、世界各国でのコンテストの審査員ライセンスを持つほどだそうです。

現在は、ダンススタジオを設立しインストラクターとしての活動や、イベントオーガナイザーとしてダンスバトルの開催など、ダンスを通じて様々な人と触れ合い、繋がり合う架け橋のような存在でいらっしゃいます。

そんなKITEさんが、なぜ講演家としての活動もスタートされたのでしょうか?
インタビュアー全員が興味津々でお話を聞かせていただきました。

講演家としての活動をはじめたきっかけは何ですか?

僕のレッスンを受けていた生徒さんに、10年以上の付き合いになるドクターヘリの先生がいます。
その方がしばらくして忙しくなり、自分も仕事が増えて、通ってくれていたスタジオでのレッスンが出来なくなってしまったのです。久し振りにそのお方とお会いし、お話をする機会がありました。

ダンス大会の映像をご覧になった先生から、「この動きは何でこうやったのですか」など細かい質問に答えていると、演技中の空気感や他の演技者に対抗する戦略的なポイントの話題になりました。そして先生から、「戦略と流れができているストーリーなので、ダンス以外にも活きるはずです」と評価をいただいたんです。

先生と話しているうちに、「自分で観察して、攻略して、一部をリカバリーする」といったことを無意識にやっていることがわかりました。大会だったので当たり前のようにやっていたわけですが、自分の戦略になっていることに気づかされました。

この体験をIT企業で話して欲しいとお話をいただきました。そして、僕自身の生い立ちや活動、海外で戦った時のモチベーション、戦略の立て方、まわりの観察など、どのように行なっているかを話したら、講演会終了後にものすごい量の質問が来ました。ダンスのことを話していたので、正直わかってもらえないだろうなと思っていたため驚きでした。ダンスとIT、ジャンルは違えど、参加者が自分の状況に置き換えて聞いてくれたため、理解していただけたようです。

例えば、IT企業としての海外企業とのやり取りなどにとても参考になったそうです。僕の視点で、ダンスだったらこうしますと。その方法論が生きていて、本やネットで出ているものではなく、よりリアルな体験だったため、重宝されました。それを皮切りに講演に関して様々なお話をいただくようになり、新たなアイデアから提案を出し、講演会のスタイルが確立していきました。講演会の中で大事にしているのは、同じテーマではやらず、違ったアプローチからやることを心がけています。

講演会のテーマにはどんなものがあるのでしょうか?

これまでの講演会は、以下のようなテーマでお話しました。

◇戦略の立て方
◇海外で活躍する子どもに必要なもの
◇シルバー層に向けた脳科学の活性法

戦略の立て方については先にお話したことがメインです。海外で活躍する子どもに必要なものについては、僕が海外に行って感じたこと、苦労したこと、良かったことをお話しました。それを踏まえて、語学や現地での生活についての質問に答えます。シルバー層向けの脳科学と絡めた講演会では「物忘れについてクローズアップし、脳がイキイキするテーマはどうですか」と提案をいただきました。まったくわからない分野だったのですが、先生から簡単な資料が送られて、はじめて見るような用語や記憶力のメカニズムを理解して、ダンスに置き換えて話すことを考えました。

ダンスの場合は、音楽を聴くという行為と、内容を理解して身体を動かす動作があるため、脳が働くのは複数になります。それをご年配の方に伝えるにはどうしたら良いかを考えました。アイデアを出すために祖母と話していると、笑点やサザエさんなどおなじみのメロディが使えるかも、とイメージが湧いてきました。実際の講演では、サザエさんのテーマソングを使ったんです。

ご年配の方のなかには足が悪い方もいるので、座ったままできるような動きを考えてみました。座りながらできる動作や、音楽の中に登場する効果音のタイミングに合わせて、アクションをしてみましょうと。

例えば、サザエさんのテーマ「タタンタンタタン♪タタンタンタタン♪タタンタンタタン♪タン♪カン!」の「カン!」の部分で、鳴らしてもらうアクションを行いました。リズムに合わせて身体を動かすことに慣れている方はぴったり叩けるんですけれど、タイミングがずれる方もいます。

「音はこのタイミングでくるので、それに向けて準備してください」「数を数えるのではなく、音楽を聴いた上でやってみてください」とコミュニケーションをとりました。なかなかリズムが合わないかたには、僕が横にいて合図を出すなど様々なアプローチでやりました。そうすると、徐々にタイミングをつかめるようになってくるんです。
その次に、「カン!」以外のところにも動きをつけてみます。さらに、音楽を使わずに自分で歌ってみましょうと。そこで記憶力を使うので、音のフレーズを覚えているかそうでないかがわかります。

これらのワークでは、楽しいことと、明るくなることの体感をしてもらいました。音楽には人をのせる力があるので、それが当たりましたね。みんなができるようになってから、脳科学的なアプローチを説明します。​

様々なチャレンジをし続けていらっしゃいます。その原動力は何ですか?

新たなものをやりたいと思ってます。誰かがやったものはやりたくなくて、みんなのリアクションが「うそっ!」って思えるものがやりたいんです。
僕のショーケースでは普通に踊ることもあれば、「えっ?この曲使うの?」とか、「サザエさん使うの?」みたいに、サプライズの部分を出していきたい。意外性のある曲のほうが、観客も強い興味を持ってくれます。講演会をやっているのも、ダンスを通じて経験してきたことを講演会として伝えていますし、映画館を使ってスクリーンに映像を映し、踊るような企画も行なっています。

今回のように、ビジネスセミナーで踊らせていただくことも新しいトライと言えますね。普段とは違う雰囲気で踊ることが、自分自身のチャレンジに繋がります。

多くのチャレンジのなかで、課題をどのように乗り越えてきましたか?

チャレンジしてきて思ったことは、基本的にできないものはないということ。

自分には専門知識もないため、脳科学の勉強を今からやっても時間がかかりすぎます。ですが、専門に特化した方がいるため、一緒にやることで新しいものができます。今までは自分一人でやろうとして、労力も時間も負担もかかり、コントロールできなくて、途中で投げ出していました。

任せられることは得意な人に任せて、できることは自分が率先して行う。任せる場合は、イメージを伝え、どうやったらできるかのアイデアをもらい、すり合わせながら創り上げています。

それらを頼む場合は、人間関係ができていないとできません。もちろん、深い話もできない。100%の仕上がりに近づけるために、言いやすい環境を作ること、相手が伝えたいことを理解しやすい環境を作ることを意識しています。仕事以外でもコミュニケーションを取って、関係性を作っていくようにしていますね。

一緒に仕事をする仲間に対しての想いを聞かせてください。

元々、野球やダンスをやっていたため、周りに仲間がいました。仲間がいたからこそ出来たこともあって、一人でやってきたという気持ちはないんですよね。

必ず自分の横には誰かがいて、前にいる方は背中を見せてくれたり、下の世代は背中を押してくれたり。自分の中で、仲間たちは宝だと思っています。これまでの人生で良かったと思えるのは、仲間をつくれていたことですね。

大切にしよう!ではなく、大切なのが当たり前。

常に仲間と共にやりたいですし、新しく仲間になるためにやれることがあるなら進んでやりたい。世の中には、様々な人がいるため、どのような事を考えているのかを知るために、あえて一緒に組むこともありますね。

今後、やってみたいチャレンジはありますか?

その時のアイデアや、ぱっと思いついたことについてはやってみたいと思います。しかし、やる前には必ず仲間に相談します。すると、仲間は僕の目線とは違った発想で考えてくれるんですよね。話し合っていくと、「今の僕らでは無理じゃん!」と結論にいたることもあるので、やる場合は、新しい仲間や機材が必要だと明確になります。新しい場所でチャレンジするなら、色々と知っていく必要がありますね。

ダンサーがいない場所で、ダンサーとしていきたい。立ち位置も現場もそうですが、周りからは「なんでここにダンサーがいるんだ!?」と思われるのが良いですね。

先日、講演会を行なった際には、はじめは年配の方々がいらっしゃいました。そのうちに、色々な方が集まってきました。講演という形で話して感じたことは、行くことによって、興味を示してくれる方は少なからずいるんだなということ。あとは、どれだけ自分の想いを伝えられるかだなと思っています。これからも、自分の活動の熱の部分を伝えています。