水害からの復興と伝統の継承。志賀理和氣神社が次世代へ伝えたいメッセージ

ワクセル編集部

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2024.04.12
アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_鎮守の杜

岩手県にある志賀理和氣神社は、近年の豪雨や水害による被害が多発したことを受け、移転を余儀なくされました。現在では、内陸部へ神社を移転し、地元の人々を巻き込みながら新たな歴史を築いています。本コラムでは、消滅した『鎮守の杜』を再建すべく奮闘する宮司の田村寛仁さん、鎮守の杜の守り人の髙橋知明さん、林学博士西野文貴さんに詳しくお話を伺いました。

『鎮守の杜』再生に向けて、クラウドファンディングを立ち上げる

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私たちの故郷、岩手県にある志賀理和氣神社は、1220年もの長い歴史を誇る神社です。しかし、最近の台風などの影響により、神社が位置していた北上川の河口付近一帯が被害に見舞われることが多くなってきました。

これらの水害に対応するため、志賀理和氣神社は内陸部への移転を決断せざるを得ませんでした。北上川の大規模な堤防整備計画に合わせて、新たな境内地へと神社の建て替えを行うことになりました。長年の歴史に終止符を打つ苦渋の選択でしたが、人命を第一に考えたうえでの判断でした。

移転に伴い、以前の社殿は解体されることになりました。また、その周りにあった鎮守の杜がなくなってしまい、神職の方や地元のみなさんにとっての喪失感は大きなものとなりました。

神社の周りに森があることは、”らしさ”が際立ち、「移転先にも鎮守の杜がほしい」という声が高まりました。これらの要望に応えていくべく、クラウドファンディングを活用することを決めました。鎮守の杜づくりは、とても意味があることです。その意味をクラウドファンディングを通じて、より多くの方に知っていただきたいと思います。

移転先に残された喪失感。鎮守の杜なき境内

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江戸時代中期に建てられた以前の社殿は、歴史的価値が高く、趣のある佇まいを誇っていました。しかし、川のすぐそばにあったために被害が酷く、修繕は困難な状況でした。移設ではなく、新築にせざるを得なかった状況で、神職や地元の方にとって心の痛む決断となりました。

新しい境内地に立派な社殿を建て直したことで、興味を持ってくださる参拝者もいます。また、新しくなった社務所も非常に使いやすく、集会所の代わりにしていただくなど活用されています。

けれども同時に、周囲を覆っていた美しい森の荘厳な景観が失われたことを惜しむ声も聞かれます。周囲を防風林で守る森が無く、境内は寒風に手荒く曝されてしまっています。正月の時期には、多くの参拝者に寒い思いをさせてしまい、露店の方が営業するための風対策など、過酷な環境なのが実情です。そういった色々な観点から、鎮守の杜が求められているのです。

次世代へ残す鎮守の杜づくり

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鎮守の杜は何百年もの間、その地域にいる多くの動植物たちによって大切に保たれてきた、まさに”生命の宝庫”といえます。さまざまな生き物たちが調和を保ちながら共存する場所であり、日本人はそこから自然との共生の知恵を学んできました。しかし現代では、都市化や開発の波にさらされ、人と自然の共生が失われつつあります。

鎮守の杜は多様な動植物が共生し、絶妙なバランスを保ってきました。そして日本人はそこから、”和の心”を育んできたと思います。人々は、鎮守の杜を神聖な場所として神々に感謝の祈りを捧げ、まさに心の拠り所であります。だからこそ、鎮守の杜と神社というのは、双方にとってなくてはならないものだといえます。

鎮守の杜づくりは、決して容易なことではありません。多様な生物が集まる拠り所、つまり自然界にとって神社をつくっているようなものです。命が共存し循環する鎮守の杜は、人工林とは大きく異なります。この鎮守の杜をゼロからつくる経験はとても素晴らしいことだと思います。

この鎮守の杜を次世代に残していくべく、この度クラウドファンディングを立ち上げました。皆さまの温かいご支援をお待ちしております。

岩手県紫波町・志賀理和氣神社|御鎮座1220年、フクロウがいた千年の森を再生!