筋ジストロフィー当事者が気づいた“今を生きる”大切さ「夢は車いすでパラグライダーを単独飛行すること」

鳥越 勝

鳥越 勝

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鳥越勝(とりごえまさる)さんは、12歳で難病の『ベッカー型筋ジストロフィー』の診断を受け、30歳まで周囲に話さず過ごしていました。病気を公表してからは難病当事者としての経験をYouTubeやイベントで発信することに情熱を注いでいます。障がいや難病に立ち向かいながらも「今を生きる」姿勢を大切にする鳥越さんの、これまでの人生や今後の夢について伺いました。

12歳で『筋ジストロフィー』と診断

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僕は現在、『筋ジス活動家』として活動をしています。『筋ジストロフィー』という難病の当事者として、情報発信に力を入れてきました。

小学校低学年の頃から頻繁に足の痛みを感じ、「他の人と何か違う」という違和感がありましたが、診断に至るまでには時間がかかりました。そして、12歳でようやく『ベッカー型筋ジストロフィー』と診断されたのです。

診断を受けてからも、僕は30歳になるまで病気を周囲に話さずに生きていました。就職活動でも病気については話さず、大手のハウスメーカーに就職。そして30歳のとき、病気のことをオープンにし、理解を得ながら働き続けました。

その会社は昨年4月に退職し、現在は『とりすま』というYouTubeチャンネルや『とりすま座談会』を運営しています。この座談会は、難病の当事者やそのご家族がオンラインで交流できる場で、たとえばALS(筋萎縮性側索硬化症)の集まりや、筋ジストロフィーの種類別の座談会などを、これまでに170回以上開催しています。他には、車椅子でパラグライダーを飛んだり、バリアフリーeスポーツにも挑戦しています。

僕が情報発信を続ける理由は、障がいや難病を抱えている人たちが前向きになるきっかけを提供したいからです。YouTubeでは、難病の当事者がどのように障がいや病気を乗り越えてきたのか、そして今どのような挑戦をしているのかをインタビュー形式で紹介しています。彼らの考え方や言葉を聞いて「自分もやってみようかな」と思ってもらえたら嬉しいです。

難病や障がいを持つ方々の人生は、波乱万丈であることが多いです。彼らが課題や挫折を乗り越える中で培ったメンタルのコントロール方法は、非常に役立つものです。辛い時期にこそ、彼らの経験が何かのヒントになればと思っています。

障がいや難病当事者のためのYouTubeチャンネル『とりすま』

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僕がYouTubeの配信を始めたきっかけは、知り合いから勧められたことでした。30歳を過ぎてから病気を公にし、SNSで情報発信をしていた頃、ある方から声をかけていただいたのです。その方は僕の発信を見て、「絶対にYouTubeをやったほうがいい」と思ってくださったようです。

YouTubeを始めた当初は、毎日動画を編集するのが大変で、自分の話術の未熟さに落ち込むこともありました。それでも今ではだいぶ慣れ、人と話すことがとても楽しくなってきました。

最近では動画編集の一部を外注するようになり、その結果、チャンネル登録者数も少しずつ増えています。外注を取り入れることで発信の量を増やせるようになり、より楽しさが増しています。

僕の人生の基盤にあるのは「感謝すること」です。こうして発信活動を続けられているのも、応援してくれる皆さんのおかげです。そのため、応援してくれる方々に対して、「最近はこんなことをしています」という形で活動内容を伝えることを心がけています。

継続して発信を続けること、そしてYouTubeで顔を見せることで視聴者とのつながりを保つことは、とても重要だと思っています。これまで活動を続けてこられたのも、応援してくれる皆さんや視聴してくれる方々を大切にしてきたからだと感じています。

大切なのは、今を生きること

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これから僕は、寄付を集める仕組みを整えたり、補助金を活用したりしながら、現在の活動を事業として発展させていきたいと考えています。

また、大きな目標として掲げているのが、『車いすパラグライダー』で補助なしで飛ぶことです。5年前に一度、そして1年前に再び車いすと一緒にパラグライダーで空を飛びました。空を飛ぶことは本当に楽しく、僕にとって大きな喜びです。

過去2回はいずれもプロのインストラクターとのタンデムフライトでしたが、次は1人で飛ぶことを目指しています。その練習のために山形県への移住も検討しています。山形県には”パラグライダーの聖地”と呼ばれる場所があり、今年は準備期間として、来年には移住したいと考えています。

僕が大切にしているのは、「今を生きる」ということです。これまで18年間ほど病気を隠して生きてきましたが、「病気に左右された人生を歩んできたな」と感じていました。たとえば「病気だからこれをしなければならない」「体が思うように動かないから勉強を頑張らなければならない」といったように、さまざまな制限や葛藤がありました。

「病気だからスポーツはできない」と自分で決めつけ、人生の選択肢を狭めていました。しかし、30歳で病気を公表してから、多くの人々と対話するなかで「自分の人生を生きたい」と強く思うようになりました。

制限をかけていたのは、実は病気ではなく、自分自身でした。病気だからといってやりたいことを諦めるのではなく、「自分が今やりたいことを優先しよう。だってこれは“僕の人生”だから」という考えに変わったのです。病気である自分もひとつのアイデンティティですが、病気が人生の中心ではありません。

僕の人生なので、やりたいことはどんどん叶えていくつもりです。そして、僕と同じように難病や障がいを抱える人たちが、夢を追いかけられる社会を目指して、これからもさまざまな挑戦を続けていきます。

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