スラックレールを通して世界中の人がつながる場所をつくりたい

高島 勇夫

高島 勇夫

2022.12.07
アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_高島勇夫さん_本人②

シルバニアファミリーなどを手掛けるおもちゃ会社・エポック社で「野球盤を復活させた男」と呼ばれた高島勇夫さん。おもちゃ業界で培った豊富な経験から、2017年にジリリタ株式会社を立ち上げ、体幹・バランス・集中力を養うことができるスポーツトイ『スラックレール』を開発。特許を取得したオリジナル商品で、世界に挑む高島さんのこれまでに至った経緯を伺いました。

『野球盤』を復活させた男

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_

僕は10歳から愛知県で育ち、大学では工学部に入学し、ぶっきらぼうで人と話すことが苦手な学生でした。愛知県なので就活では車関係の仕事を考えたのですが、勉強を全然してこなかったので就職は難しいと感じていました。

どの業界が良いかと考えたときに「おもちゃは作れるのではないか」と、ふと思いました。面接でも、おもちゃへの思いを褒めてもらったり、応援してくれる人もいて、最終的に『エポック社』に入社することができました。

開発希望で入社しましたが、最初に配属されたのは大阪の営業部署。心の底から人と話したくなかったのですが、関西のおっちゃん達に揉まれ、徐々に話せるようになりました。

その後、東京に異動してしばらくは開発と営業の橋渡しの役割を担っていました。また、当時はテレビゲームが主流で見向きもされていなかった『野球盤』というボードゲームをリバイバルして、「野球盤を復活させた男」と、当時一緒に頑張ってくれた後輩たちから呼ばれました。

野球盤はエポック社の創業商品ですが、当時は売上も低迷社内の雰囲気も非常に良くない状況でした。古参社員から若手までの社員の士気を統一する狙いもあったのですが、それを知る方はごく一部です。

エポック社でやり尽くした後、『食玩』と呼ばれるカテゴリーでミニチュアを作っている『リーメント』に転職。ニッチな業界ではあるのですが、営業としてアメリカなど海外にも行きました。

元々、自分でおもちゃを作りたいと思っていましたが、ずっと営業畑で働いてきたので生産する能力がないことに気づきました。試作は作れるが、いざ形にしていこうと思ったときに工場とどう折衝して良いのか分らない状態。「これはまずい」と思って、工場でのコミュニケーションを学ぶために町工場へ転職しました。

3年間の修行期間を経て独立へ

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_思いが大切

僕は我が強いので理不尽なことがあると、よく周りとぶつかります。思いよりも効率や売上に偏ってしまうのも仕方がない反面、「そもそも何がしたいんだ」と考えてしまいます。

おもちゃで遊ぶ子どもがいて、買ってくれる大人がいて、どうやったら子どもが夢中になれるかを考えるのが出発点。お金や効率など先を想定して、答え合わせをしている会社の方針に違和感を覚えてよく意見が衝突していました。

町工場の社長がワンマンで、社員が許せないほど冷遇されていた時期がありました。僕が3年で抜けることは既知の事実でしたが、辞めた後に皆がちりぢりになるのはもったいないと感じ、2017年12月にジリリタ株式会社を立ち上げた後、結果的に3人の社員を抱えることになりました。

銀行との交渉の仕方も分からないなか見切り発車で進みはじめ、とにかく皆が食べるために売上をつくる必要がありました。玩具メーカーは先行投資があり、売れるまでに時間がかかってしまうリスクがありますが、それに比べてアニメグッズは短納期の商売です。まずはそれで食いつないで、余裕ができたらおもちゃメーカーをやろうと考えていました。

スラックレールとの出会い

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_スラックレール

起業する半年ほど前に、スラックラインというスポーツに出会いました。弊社には『スラックレール』という商品があるのですが、最初は身内だけの練習用として作ったアイテムでした。

広まるきっかけになったのは、長野の小布施町のお坊さんです。その方がスラックライン推進機構という団体もつくっており、スラックレールの試作を試してもらいました。最初は半信半疑だったお坊さんも、実際に使ってみたところ大絶賛。「すぐに商品化してほしい」と言われて、一気に商品開発・販売までいきました。

ルートをつくるまで大変なことは分かっていたので、まずはスラックラインの練習用として、グループチームでテスト。次にスポーツの展示会である『スポルテック』に出展しました。

展示会の最初は、予想どおりみんな素通りしていきました。それでもスラックレールに乗ったら価値が伝わると分かっていたので、途中から『スラックレールマン』と名乗り、「僕より長く乗れたら一本上げる」と宣伝し、200人くらいの方にチャレンジしてもらいました。

「これこそ追い求めていたものだ」という人もいて、反応は上々。保育園、デイサービスの人たちから、プロのアスリートまで使ってもらえるようになりました。スラックレールは老若男女、障がいや国籍を問わず全員をつなげることをコンセプトに作っていて、子どもたちが自由に遊ぶ姿を見るとうれしくてたまりません。

コミュニケーショングッズとしても展開していて、おもちゃが間に入ることで接点が生まれて、コミュニケーションのつなぎになることも大切にしています。

世界中の人が知っている商品へ

見出し4画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_全員をのせる

僕は46歳で起業するまで、どこか自分でブレーキをかけてしまっていましたが、起業するには「勇気」しかないと思います。行動を起こそうとすると、お金・生活・家族などの言い訳がすぐに出てきます。お金なんていつまでたってもたまらないし、夢だけ語って動かなければ意味がありません。

起業前に、パパ友の内装の職人の手伝いに行っていた時期があり、どんどん上達して、「一緒に仕事をしないか」と声をかけられました。そのとき、自分に何かあったとしても、内装の仕事でも生活できると確信しました。

何も武器がないのは怖いですが、何かお金にできる武器を持つことで自信につながります。追い込まれたとしても、「いつでもそっちの道にいける」という感覚を持ちながら挑戦することが僕にはできました。実際に内装の仕事が簡単ではないこともわかっていますが、ある意味自分を洗脳したのです。

これからのビジョンとしては、ユーザー70億人のメーカーとしてスラックレールを世界のヒット商品にしたいです。縄跳びやフラフープのように世界中の人が認知していて、人々が仲良くなれるきっかけになるのが理想です。その先の世界平和につながると思うので、広める意味があると感じています。