オーナーはボクシング元日本王者。逆境をバネに地域で愛される整体サロンの秘訣

金光 佑治

金光 佑治

2022.12.05
アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_プロフィール

元ボクシング日本チャンピオンである金光佑治さん。試合中の大きなけがでボクシングを引退せざるを得なかったところから、ボートレーサーになり、現在は大阪府堺市でオーダーメイドの整体サロン『ほぐし屋KID』を経営されています。まったく異なる世界に飛び込んだのはなぜか。そして今後の展望について、多くの経験から感じたことも織り交ぜながら語っていただきました。

『ガチンコファイトクラブ』に憧れて

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_ボクシング優勝

ボクシングを始めたきっかけは、高校時代のときに観たTBSの『ガチンコファイトクラブ』という番組です。元ボクシング世界チャンピオンの竹原慎二さんが出ていて、「ボクシングってかっこいい」と思って興味を持ちました。ちょうどクラスの友達がボクシングジムに通い出したので、一緒に連れて行ってもらったのが始まりです。

最初はプロボクサーや、チャンピオンになりたいという気持ちはありませんでしたが、やり始めたら次第にボクシングの世界にのめり込んでいきました。ジムの会長やトレーナーからも「いいものを持っている」と言っていただき、プロボクサーを目指して本気でトレーニングに励むようになりました。

努力の甲斐もあって日本チャンピオンになることはできたのですが、その試合で網膜剝離と硬膜下血腫になり、引退を余儀なくされました。このタイトルマッチは本当に激しい試合で、1ラウンドから最終ラウンドまで一進一退で殴り合いの展開。両者ともダメージがひどく、僕は網膜剝離と硬膜下血腫でしたが、対戦相手は3日後に亡くなりました。

世界チャンピオンを目指していたので、志半ばの引退に未練のような複雑な気持ちはありましたが、対戦相手が亡くなったという現実もあって、当時はボクシングに対する怖さも感じていました。

ボクシングをやっている人は危険なスポーツだと認識していると思いますが、自分が大けがをすることだけでなく、対戦相手が亡くなる可能性があることも考えて取り組んでいる人は少ないと思います。格闘技は命を懸ける覚悟を持つ競技なので、中途半端な気持ちでやるべきものではないと自分の経験から強く思います。

表舞台に立ち続けたい一心からボートレーサーに転身

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_ボードレーサー

25歳でボクシングを引退し、そこから就職を考えていたときに、ボクシング時代にお世話になった人からボートレーサーを勧めてもらったんです。ボクシングの指導者をしながら企業に勤めるという道も考えましたが、表舞台で活躍できる場を探していたので、そこは直感でボートレースをやろうと決めました。

これまでも自分が「これだ!」と思ったときは迷いなく選択してきました。ボクシングとボートレースはまったく違う世界ですが、やってみたいと心が動いたので、やることに対しての抵抗はありませんでした。

ボートレーサーは全国に1,500人いて、半年に1度30人の新しい選手が誕生します。逆に言えば、入ってきた分、成績が振るわなかったら切られるということです。プロスポーツなので、成績を残せないのは、需要がない・価値がないということ。プロはどこも厳しい世界です。

僕は「日本一ヘタなボートレーサー」と言われていました。元ボクシング日本チャンピオンがボートレーサーになったので、デビュー当時は少し注目されていましたが、蓋を開けてみたらお粗末なものでした。結果がなかなか残せず、7年で実質クビになりました。

今では笑い話にできますが、当時はつらかったですし、誹謗中傷で精神も病みました。きつい時期を過ごしましたが、それでも自分のなかでは7年間やりきりました。

僕のモットーは、「途中で諦めない、逃げない」ことです。つらい状況から逃げてしまったら、この先にまたつらいことがあったときに逃げ癖がついてしまうと思います。やりきったと思えたら辞めたらいいですし、それは逃げではないと思います。僕は自分の気持ちを1番大切にして生きています。

整体サロン『ほぐし屋KID』を開業

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_リラクゼーションサロン

『ほぐし屋KID』を開業したきっかけは、アスリート時代に自分の体のケアをしてきた経験と、マッサージを受けるのが好きだからです。好きだからこそ、お客様目線の気持ちが分かると思っています。お客様が求めていることを理解し、それを自分の経験の付加価値をつけて提供することが、このお店のコンセプトであり強みです。

大阪府堺市で開業したのが2020年3月。その2カ月後に1回目の緊急事態宣言が発令され、最悪のタイミングでした。開業当時はまともに営業ができず、再開してもステイホームと言われている時期だったので、お客様がまったく来てくれない状態でした。

思うように売上があげられず、2年連続赤字です。それでもお店のコンセプトを基に真摯に仕事に取り組んだ結果、少しずつ立て直してきています。ただ赤字が続いて厳しい状況なので、クラウドファンディングを始めました。

コロナ禍の開業は、言ってみれば底辺からのスタート。生き残ってさえいれば後は上がるだけという気持ちです。現実は変えられないですし、自分がどう変わっていくかしかないので、同じことをやるなら、前向きに取り組んだ方がいい結果を出せると思っています。

クラウドファンディングをきっかけに、連絡をくださった方、支援・応援をしてくださる方も現れ、改めて人の優しさ、温かさ、自分は人に恵まれていることを感じました。クラウドファンディングに挑戦して良かったですし、お店の継続が応援してくださっている人たちへの1番の恩返しだと思っています。

僕には家族がいるので、家族の笑顔を守るために、そして家族と同じくらい自分の人生も大事なので、好きでやっているこの仕事をこれからも続けていきます。

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