心を斬るは、己なり―― 感謝が導く強さの哲学

野寄 聖統

野寄 聖統

2025.12.11

オーガニック製品の販売やコンサルタント、飲食事業を展開されている野寄聖統(のよりまさのり)さんの連載コラム第2弾です。中途失明した母と生活をしていく中で、障がい者の方との接点も多くなり、現在では障がい者の方、高齢者の方、外国人の方も積極的に雇用して一緒に働く場も創っています。

■ 批判よりも、感謝を選ぶ人でありたい

居合に限らず、どんな世界でも
「教わった人」「共に歩んだ人」をどう扱うかで、
その人の“器”が見えてきます。

お世話になった道場や仲間を悪く言う人は、
自分を正当化するために、他者を批判してしまう。
けれど、そんな姿勢では技は伸びません。

ちなみに――
元カノ・元カレの悪口って、何の役に立つのでしょうか?(笑)
悪口を言っても自分は強くならないし、誰も幸せにならない。

武道の世界にも「下手になるために教える師匠」など一人もいません。
環境を恨むより、
“思いどおりに動かない自分” を素直に受け入れて、一歩ずつ進むこと。
上達しない理由を環境に求め始めた瞬間、成長は止まります。

上達しないのは環境のせいではなく、
自分が変わらないから。

これは武道に限らず、仕事も人間関係も、人生のすべてに通じる真理です。

■ 流派の違い=価値観の違い

武道の世界には、実に多くの流派が存在します。
構え方、間合い、歩法、斬る角度――すべてが異なる。

しかし、その「違い」があるからこそ、世界は豊かになります。
異なる考え方や技術が存在することで、学びは無限に広がっていく。

自分の流派や価値観と異なるものを目にしたとき、
それをすぐに“間違い”と決めつけてしまうのは、
視野を自ら狭める行為です。

本来、流派の違いとは 考え方の違い であり、
価値観の違い であり、
どれが正しい・間違っているという話ではない。

どの道も、その人の人生と選択が形になったもの。
斬り方が違うからといって、心まで否定する必要はありません。

批判は、一見すると相手を斬っているようで、
実は 自分自身を傷つけている 場合がほとんど。

違いを受け入れる度量こそ、本当の「強さ」。
相手を認めることは、そのまま 自分の器を広げる行為 なのです。

■ モテない人の合コン理論(笑)

物事は、やればいい。ただそれだけ。
やるべき事をやらずに結果を求めるから、余計に難しくなる。

たとえば――
モテない人が合コンでうまくいかなかったとします。

すると出てくる言い訳の数々。

「お店の雰囲気が悪かった」
「料理がいまいちだった」
「同席した男が目立ちすぎた」
「相手の女性がタイプじゃなかった」
最後は「おしぼりが紙だったから」まで言い出す(笑)。

しかし、本当は変えるべきは環境ではなく、自分自身

うまくいかなかった原因を“外側”に求めている限り、
次のチャンスも同じ失敗を繰り返すだけです。
結果の原因を明確にし、改善し次に活かすしかない。

これは武道でもまったく同じ。
力が入る、間合いが崩れる、斬れない。
それを畳表(斬る巻き藁)の状態や刀のせいにしたところで、成長はない。

結局、何をするにも必要なのは
自分の癖を見つめる覚悟

■ 自分を照らす ― 仏教の教え

仏教ではこう説かれます。

「起きた現象は変えられない。
その現象をどう受け取るのか、そう思う、そう感じる自分がただいるだけ。

自分の受け取り方だけが変えられる。」

周囲や環境を責めるよりも、
“そう受け取っている自分” を照らすこと。

ご飯を食わせてくれた気持ち。
袴の帯を直してくれた手。
掃除の甘さを指摘してくれた声。
言われた通りになかなかできず、根気強く指導してくれて愛情。

そんな小さな恩を忘れないことが、
道を歩む者の“基本”だと、自分は思っています。

離れてから悪口を言う人を見ると、
心の中で静かにこう思います。

「だから上達しないのだ」
(だからコンパでモテないのだ)
と。

得た力を、
愛や感謝ではなく“批判”に使ってしまう人は、
どれだけ時間をかけても強くなれない。本当に強い人は、
批判ではなく 感謝を選ぶ 人だからです。