YouTube150万回再生!圧倒的な歌唱力をもつヴォーカリストが信じる「音楽の無限の力」
『クイズヘキサゴン』や、中居正広さんが司会を務めていた音楽番組『Momm(モム)』に出演した実績があるヴォーカリスト森一馬さん。自身のYouTubeチャンネルで公開したカバーソング「糸」は、150万再生を突破し、幅広いレパートリーで老若男女を問わず支持されています。20歳から歌手になることを目指し、現在に至るまでのいきさつを伺いました。
20歳で歌手になることを決意
僕は小学校の低学年のときから、歌手になりたいと思っていました。物心が着いた頃には、両親が離婚していたので詳しく分かりませんが、歌が好きだった両親の影響だったと思います。
小さい頃は野球部に所属していて、卒業式で夢を語るシーンがあって、チームメイトが「◯◯球団のプロになりたい」と言っているなか、僕だけ「歌手になりたい」と言って監督に怒られました。
高校卒業後、専門学校や音楽の大学進学を希望していたのですが、母子家庭でそんな余裕もなく、成人になるまでは働こうと決めて18〜20歳までサラリーマンをしました。
19歳でのど自慢に出場して、運よくチャンピオンを獲得。静岡の港町にある1,500人程収容できる大きな会場で、チャンピオンだけが収録後フルコーラスを歌う権利をもらえました。当時はそんなに広い会場で歌った経験がなかったので、会場からの拍手がとても気持ちよく、本気で「歌手になりたい」と思うようになりました。
成人になったタイミングで母親に思いを伝え、応援してもらえたので、そのまま脱サラして音楽活動を始めました。
脱サラ後、「ギターの神様」と言われていた方の唯一のお弟子さんが組んでいるバンドに、男性ボーカルとして加入。バンドだけではなく、音響や照明、楽器の販売、タレントのブッキングなどもやっていましたが、始めの半年間は無休で働きました。
年間170本程イベントを開催している会社だったので、お客さんの前で歌を披露し、チップをもらっていました。今思うと良い経験ですが、当時は歌うことはできてもステージを回すことやMCができず、どうしたら認めてもらえるかを毎日考えていました。
そこでは5年間働きましたが、ギターがメインのバンドだったので、顔と名前を覚えてもらえないと思い脱退。その後はソロになり、日中はコンビニでバイトをしながら、夜は歌手の活動をする生活を約4年間続けました。
楽しいかどうかが判断基準
それから歌だけでも少しずつ稼ぐことができるようになってきたのですが、営業活動や資料作成、売り込み、お金の精算などすべて自分たちでやらなければいけないのが大変なところ。これまで歌以外の仕事を全部やってもらっていたんだなと感じます。音楽の世界って経営者の方と畑が違うので、経営者さんのことを本当に尊敬しています。
僕は何かを始めるときに、まず楽しいか楽しくないかで判断します。「楽(らく)」じゃなく、「楽(たの)しい」方を選びます。苦労や大変なこともありますが、楽しければ乗り越えられると思っています。
会社員として過ごす10年と、自分ならではの「楽しい」に挑戦しながら過ごす10年。80年間生きるとして、少しでも楽しい10年の方が良いと思うなら、無理してでも挑戦した方が良いと感じます。
どんな仕事でも頑張らなくてはいけないなら、楽しいことで頑張った方が豊かじゃないでしょうか。僕はコロナの影響で3年間収入がなかったですが、社会人に戻りたいとは思わなかったです。
コロナを通して、音楽業界での働き方も変わってきました。真っ先にクラスターが出たのがライブハウスだったこともあり、音楽をやる人には大きな影響がありました。
そのなかでも観に来てくれる方がいていつも支えてもらったので、まず恩返しをしていきたいです。恩返しとは、ヒット曲をつくり、テレビに出て、紅白に出場することかなと思っています。
音楽を通じてやりたいこと
僕は今年で40歳になり、歌の道で20年やって分かることがあります。音楽はひとりで何万人もの人を笑顔にしたり、人生を変えることができるくらいのすごいコンテンツだと思っています。
幼い頃、周りと馴染めなかったりコミュニケーションが取れなくて悩んでいたとき、助けてもらったのが音楽でした。音楽がもつ無限の力を、今度は自分が発信する側になれたら幸せです。
また、身体に障がいを持っている子供たちの支援は、今後も続けていきたいです。ある成人式のイベントで、障がいを抱えている子供がいるお父さんのスピーチが本当に心に残っています。
「子供には障がいがあることがわかり、将来が大変だと思いました。子育てするなかで子供も自分たちも楽になりたいと思い、寝ている子供の首を絞めようと思ったことがあります。けれど、天使のような顔で寝てる姿を見た瞬間、一緒に腹をくくって生きていくことを決めました。その子供が本日、成人になりました。この子たちが働ける場所を今から探して行きます」
この言葉にとても感動し、僕にできることをサポートをしたいと思って続けてきました。僕が人前で歌う意味を教えてもらった気がしています。ひとりでも喜んでくれる人がいるならば、歌手になって良かったなと心から思います。
今は『ドレミファダンスコンサート』という障がい者の方が見に来れるコンサートを開催しているのですが、子供が叫んだり何をしても大丈夫なコンサートで、スタッフ全員がボランティアです。障がいを抱えているお子さんがいるご家族の方々に、こういった場をもっと知ってもらいたいですね。