ONE PIECEの記念ムービーや数々のCMを手掛けるディレクターの原点とは
松田広輝さんは数々のCMやミュージックビデオなどを手掛けているディレクターです。アメリカの大学で映像について学び、ディレクターの仕事で活躍したのちに帰国。好きなこと、やりたいことをするために行動に移し、今の仕事にたどり着いた経緯や、今後の展望について伺いました。
きっかけは映画監督への憧れ
僕はCMやミュージックビデオなど、主に映像のディレクターの仕事をしています。代表作としては、映画『ONE PIECE FILM RED』のキャラクターであるウタの『新時代』で、CMのメインラインを手掛けました。
アメリカの大学を卒業してから、海外で6年ほどディレクターの仕事をやり、1年だけCGのプロデュース業もやりました。そこからまたディレクターに復帰したので、今年で日本に帰ってきて10年目くらいになります。
僕が高校生だった当時は、ミュージックビデオのディレクターが映画を撮るというのが徐々に増えてきた時代でした。有名なところだと、スパイク・ジョーンズやミシェル・ゴンドリーなどです。今だと大御所の映画監督になっていますが、最初はミュージックビデオのディレクターをしていた人たちです。
高校のときに映画制作に興味はあったものの、ハードルが高いと感じていました。その点、ミュージックビデオだったら若者たちのカルチャーのような気がしました。
普段よく聴いている音楽のミュージックビデオを撮っている人が映画を撮っているということを知ってから「自分でも映画が撮れるんじゃないか」と、思うようになりました。あのときはまだ若かったので、そういうことを簡単に思ってしまったんでしょうね。
映像を学びに海外へ
アメリカの大学に行ったのは、当時の日本で映像について教えている大学が、日本大学の芸術学部くらいしかなかったからです。アメリカの映画や監督が好きだったので、それだったらアメリカに行って勉強をしに行こうと思ったのがきっかけです。
ファインアーツの学部だと、基本的に何をつくっても良いという方針です。そこで映画を作ることは充分できましたが、専門的にちゃんと学びたいと考えて『New York Film Academy』にもダブルスクールとして入学しました。そこでひと通りのコースを勉強してから四大の方に戻ったので、2つの大学を卒業した形です。
大学卒業後は、アトランタやその周辺のローカル地域向けの映像制作会社で働いていました。映画のショートフィルムの制作をしていたものの、メインの業務としてはCMやミュージックビデオの制作をする会社です。
今僕が日本でやっているような映像業界とは、単純に働き方を比較するのは難しいです。アメリカの方はローカルだったので時間にはシビアでしたが、日本の方が結構大変な気がしますね。
心がけているのは、常に期待を超えること
この業界の仕事をやっていると、依頼された内容よりも「こっちの方が良いのではないか?」と感じることがよくあります。特にミュージックビデオに関しては、そういうエゴでつくっていた時期もありました。
僕としては満足いくものができたとしても、必ずしもお客様に満足してもらえるわけではありません。極力自分よがりにならないようにしようと日々心がけています。
僕のなかで「こうしたらもっとよくなる」という気持ちと、お客さまが求めているものの間でうまく落としどころを見つけていくようにしています。そうすると、やってほしいと期待された以上のものになるので、双方にとって良くなると思っています。
今後は、どこかで映画に関わる仕事をやりたいという思いはありますが、最近はその情熱が薄れてきている感じが少しあります。今やっている仕事自体がそこそこ楽しいので、それがモチベーションになってはいますね。
今手掛けているCMやミュージックビデオなどで、もっと規模の大きな仕事や新しい表現をやっていけたらと思っています。僕がこの業界の仕事を始めたきっかけが映画だったので、ストーリー性のあるものや、尺が長いものに挑戦していきたいです。