寿司職人からアートの道へ「日本文化の素晴らしさを世界中へ届けたい」

本間 志穂美

本間 志穂美

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双子の妹と一緒に板前として働いていた本間志穂美さん。書家だった祖父の道具を譲り受けたことをきっかけにアートの世界へ入りました。今では、全国のお寺に奉納用として龍を描くなど、“元・寿司職人”とは思えないほど活躍の場を広げています。どのようなきっかけがあったのか、これまでの活動と今後のビジョンについて伺いました。

双子の妹に誘われて寿司職人に

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私は3年前まで双子の妹と一緒に寿司職人として働いていました。コロナ禍に入った3年前、書家だった祖父の道具を譲り受けたことをきっかけに水墨画を描きはじめ、今では、さまざまな場所でライブペイントをしたり、掛け軸に龍や鳳凰など日本の守護神を描いたりと、アーティストとして活動しています。よく「寿司職人だった」と話すと驚かれるのですが、そうなるまでにもドラマがありました。

寿司職人になったきっかけは、双子の妹です。10年前、彼女はフランス語を学ぶためにスイスのジュネーブに留学しており、その時に寿司屋のホールとしてアルバイトをしていたんです。そのお店の板前が辞めることになり、オーナーから「誰か日本人の職人はいない?」と聞かれ、「双子の姉が日本にいるので、すぐにスイスに呼びます」と答えたそうです(笑)

そして妹から「日本に『すしアカデミー』という学校があるから、そこで資格を取ってスイスに来て」と連絡がありました。当時、私は英会話教室で働いていて、寿司とは縁も所縁もありませんでした。妹とはとても仲が良くて、「いつか妹と一緒に仕事をしたい」とずっと考えていたので、仕事を辞めて寿司アカデミーで資格を取り、スイスに渡りました。

スイスでは、板前として3年間勤務しました。その後、2人で日本に帰国し、妹は寿司アカデミーに入学。妹も資格を取ったので、2人で一緒に働けるお店を探しました。

ちょうど虎ノ門に活魚専門店がオープンするところで、2人一緒に雇ってもらえました。そこで7年間、板前として刺し場に立っていました。メニューづくりから提供まで、なんでもやらせてもらえたので楽しかったですね。

自然な流れでアートの世界へ

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妹が結婚して妊娠したのをきっかけに、店を辞めることにしました。最初は妹と一緒にお店を出そうかとも考えたのですが、まずは2人で外国人観光客向けに「寿司クラス」というワークショップをはじめました。

寿司を握るところから楽しんでもらおうというワークショップで、双子の女性で板前という経歴が面白いということで、いろんなメディアにも出演させてもらいました。

ワークショップで日本土産を渡したいと思い、桜や富士山など、和のモチーフをテーマにしたアクセサリーを作り始めました。それがとても好評だったので、試しに外国人向けのショップを出店したら、とても忙しくなってしまいました。コロナ禍になってワークショップをストップし、妹も子育てが忙しい時期だったので、私はそのショップに集中することになりました。

ちょうどその時、書家だった祖父の道具を処分するという話が出たので、私が譲り受けました。経験がなかったのでYouTubeで描き方を調べながら、水墨画を始めました。

ある日、竹の絵をなんとなくショップに出品したら、とても評判がよかったんです。「次はこれを描いてほしい」「子どもの名前を入れて絵を描いてほしい」といった、いろいろなリクエストが来るようになりました。そこから気が付いたらアートの世界へ入っていたというくらい、自然な流れでしたね。

その後、妹は旦那さんの母国であるフィンランドに移住することに。最初のうちは、大好きな妹がいなくなって心に穴が開くレベルを通り越して、「ここからどうやって生きていこう」と考えるくらい寂しかったですね。妹が移住してから、半年たってやっと会いに行けました。

フィンランドから日本に帰国するとき、「私はこうやって妹に会うために生きるのか?」と思ったんです。もっと自分に焦点を当てようと思い、自分の絵をいろいろな人に見てもらうために展覧会へ出品することに決めました。

日本文化の素晴らしさを世界中へ発信したい

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展覧会をきっかけに、いろいろな人との出会いがあり、ある時、『写経』に誘われました。「写経ってなんのためにするの?」という感じだったんですが、住職から「心の中の掃除が瞑想」と言われとても感動しました。

そこから毎日、瞑想をやっていたら、自分の心の中に大きな変化がありました。「当たり前だと思っていたことが、そうじゃなかったんだ。私は生かされているんだ」ということに気が付いたんです。

その時、ふと「龍を描いてみよう」と思いました。本とか、どこかで見た龍ではなくて、自分の内側から湧き出るパワーの化身のようなものでした。

そうしたら、その龍に対して「エネルギーを感じる」「すごくいい」というお声をたくさんいただいたんです。お寺から声をかけていただき、奉納用として龍を描かせていただく機会もありました。

龍を描くようになってから、本当にいろいろな縁がつながるようになりました。自分でも説明がつかないようなこともあり、驚いています。

今年は、妹がいるフィンランドでも展覧会が決まっています。日本を発信するというテーマのイベントです。私はスピリチュアルと聞くと、逃げ出したくなるような人間だったんですが、今では「龍がご縁を手繰り寄せている」と本気で思っています。

龍を描くというのは、あくまでもツールであって、私自身を使って「日本の精神性の素晴らしさ」を世界中へ発信したいと思っています。妹が命名した、私たちの団体である『Japan Cross Bridge』という名前も、“日本と世界との架け橋”という意味でつけたものです。

日本と海外をつなげ、日本文化の素晴らしさを世界中へ発信することが私の使命だと感じています。これからもいろいろな人と関わりながら、みんなで一緒に大きな輪となって、発信し続けたいと思っています。