経営者対談

シンガーグループ「human note」リーダー
寺尾仁志 × ワクセル

今回のゲストは700名のシンガーグループ「human note」のリーダーを務める寺尾仁志(てらおひとし)さんです。寺尾さんは「歌の力で世の中に貢献したい」と2007年にhuman noteを結成、発展途上国や被災地でコンサートをするなどの活動を続けています。

ワクセルコラボレーターの渋沢一葉(しぶさわいよ)さんと総合プロデューサーの住谷が、寺尾さんの活動や歌の力について伺いました。

「歌の力」を世の中に届けるためhuman noteを結成

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渋沢:本日のゲストは、歌を通して世界中の人とコラボレートし、700名のシンガーを率いる寺尾仁志さんです。まずは寺尾さんのシンガーとしての経歴を伺いたいです。

寺尾:もともとシンガーとしてソロ活動をしていたのですが、2000年にゴスペルグループのリードシンガーとしてメジャーデビューしました。そこから2003年にソロ活動に戻り、音楽教室のゴスペル講師とアーティストの二足のわらじを履いて活動をしていました。

おそらく、どのアーティストも「自分の音楽で人を元気にしたい」「癒したい」という思いを持っているのと同時に、「有名になりたい」「お金持ちになりたい」「モテたい」などさまざまな葛藤を抱えながら活動をしていると思います。

僕ももちろんそうで、友人の河口恭吾さんが紅白に出場したり、身近な人が売れていったりするのを見て悔しい思いをしました。悔しい経験もありますが、うれしい経験も多く、複雑な気持ちを重ねながら活動をしているアーティストがほとんどだと思います。

渋沢:どのような経緯があって human noteを結成されたのですか?

寺尾:音楽教室のゴスペル講師をして生計を立てていたんですが、当然アーティストだけで身を立てていきたいという気持ちで活動を続けていました。そんなある日、ゴスペル教室の皆さんと大きなコンサートをする機会があり、コンサート後に「生活の中に歌があることによって、パニック障害やうつが治りました」とメールをくれた方々がいたんです。「歌の力」に改めて気づかされましたね。

歌の持つ力と自分が培ってきた経験や歌唱スキルを合わせることができたら、世の中に対してとても価値のあるものを提供できるのではないかと思い、2007年にhuman noteを結成しました。

責任を持ちステージに立つことで「心が躍る」体験ができる

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渋沢:human noteにはどういった方々が所属されているのですか?

寺尾:下は12歳から上は79歳のおばあちゃんまで。イギリスやフランス、オーストラリア、マレーシアなど、海外にもたくさんのメンバーがいます。

human noteという名前には「一人ひとりの声は違う。あなたの声であなたの歌を歌ってほしい」という意味が込められています。過去に600名でステージに上がったことがあるのですが、どうしても大勢いると「私ぐらい口パクで大丈夫でしょ」って思う人がいますよね。でも僕は絶対にそれをさせません。

ステージに立って口パクをするなんて、僕には自分を大切にしていないように見えるんです。ステージに立つときは責任を持っていないと楽しめません。だから600名いようが、何千名いようが「あなたの声で歌おう」と伝えています。

僕は「ワクワクする」「楽しい」といった感情のもう一つ深いところに「心が躍る」という感覚があると思っています。責任を持ち、自分と向き合い、人と向き合い、ドキドキしたり冷や汗をかいたりするような経験を通して「心が躍る」体験ができるんです。

世界中の人との交流、歌ってきたからこそできた貴重な経験

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住谷:寺尾さんがhuman noteの活動で世界中の人とコラボレートしているエピソードを伺いたいです。

寺尾:これまでケニアやハイチ、カンボジア、バリ島、ニューヨーク、タンザニアなどに行き、現地の子どもたちや、過酷な状況で生きている人たちに向けて歌ってきました。東日本大震災の後、仮設住宅に何度も通い、熊本などの被災地も訪れています。

被災された方に「頑張ってくださいね」と歌を歌うのではなく、一緒に歌うことを大切にしています。そっちの方が絶対に元気が出ると思うんです。

タンザニアでの経験は特に印象に残っています。縁があって狩猟民族と知り合い、狩りに連れて行ってもらい、槍で鹿を捕まえてその場で捌く様子を見せてもらいました。

そして、狩りが終わったら「歌合戦をしよう」という話になり、まず僕らが歌って、その後に狩猟民族の人たちが歌ってくれたんですが、一人が歌い始めるとそれに対してハーモニーをつくっていたんです。当然楽譜もないのに、感覚的にハモる技術を持っていることに衝撃を受けましたね。

渋沢:狩猟民族の人たちとご縁があるなんて普通では考えられませんね。それも音楽があったからこそつながったご縁ですよね。

寺尾:歌ってきたからこそできた経験がたくさんあります。もう一つとても印象に残っているのが、ハイチに行ったときのことです。ハイチは2010年に20万人以上が亡くなる大地震が起きたのですが、そのとき日本からたくさんの千羽鶴が送られていました。

ハイチの人から「日本からいっぱい送られてくるけど、これはいらないと伝えて」と言われたんです。祈りの込められたものだとはわかったそうですが、「いらない」とはっきりと言われ、良かれと思ってやったことが、一歩間違えるとただの自己満足になってしまうことを知りました。

渋沢:千羽鶴は最近SNSでも話題になっていましたよね。本当に相手のためになっているのか、考えさせられる出来事ですね。

「心が躍る」体験を多くの人と共有したい

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渋沢:human noteには700名ものメンバーがいるので、まとめたり指揮を執ったりするのは、とても大変ではないですか?

寺尾:まとめるのは無理ですね。大阪のおばちゃんなんか絶対まとまらないですから(笑)。歌の力って本当にすごいので、僕はそれをたくさんの人と共有したいだけなんです。

自分がやりたいことを伝えると、それを5mの距離で見てくれる人もいれば、20m向こうから見てくれる人もいて、それぞれの距離感で700名がいます。ですから、まとめるつもりは本当になくて、自分が面白いと思うことを楽しんでやって、その楽しさが伝わり、結果的にまとまって見えたらいいなと思っています。

住谷:今までも歌を通してさまざまな活動をされてきたと思いますが、これからどのような活動をしていく予定ですか?

寺尾:僕は「楽しい」のもう一歩深いところ、「心が躍る」という体験をたくさんの人と共有していきたいと考えています。よく子どもに対して「夢を見ろ」という人がいますが、僕は「大人こそ夢を見ろ」と思っています。

大人が元気だとそれを見た子どもが「大人って楽しそうだな」と感じると思うんです。だから音楽をつくるプロセスのなかで、大人がワクワクする活動をしたいですね。

歌い続けてきたことでお二人にも出会うことができましたし、これからも歌を通してたくさんの仲間とつながっていきたいです。そして、みんなで一緒に大きなステージに立って、最高のエンターテイメントを届けることができたらうれしいです。

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