経営者対談

スポーツキャスター
寺川綾 × ワクセル

今回のゲストはロンドンオリンピック100メートル背泳ぎと400mメドレーリレーの2種目でメダルを獲得した寺川綾(てらかわあや)さんです。選手時代は「もっと頑張らないと」という気持ちでやっていたと語る寺川さん。競技から離れた後は後進の育成にも携わり、スポーツキャスターとして活躍しています。

ワクセルコラボレーターでフリーアナウンサーの川口満里奈(かわぐちまりな)さんと、総合プロデューサーの住谷が、寺川さんのこれまでの経験やスポーツキャスターとしてのこだわりなどを伺いました。

レベルの高い環境に身を置いたことでオリンピックを意識

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川口:本日のゲストは競泳元日本代表、オリンピックメダリストの寺川綾さんです。寺川さんは、2012年ロンドンオリンピック100m背泳ぎと400mメドレーリレーの2種目で銅メダルを獲得。競技活動を卒業された後は、テレビ朝日の番組『報道ステーション』のスポーツキャスターとして活躍されています。最初にオリンピックの話を伺いたいのですが、寺川さんが水泳を始めたきっかけは?

寺川:水泳を始めたのは3歳のときでした。小児ぜん息を発症して、病院の先生に「水泳は全身運動だからぜん息にも良いよ」とおすすめされてスイミングスクールに通うことになったんです。当時は泳ぐのが楽しいというより、友達に会いに行くという感覚で通っていましたね。でも気づいたら選手育成コースに入っていて、いつの間にかレベルの高い人たちに囲まれていました。

周りには自分より泳ぎがうまかったり、速かったりする子がたくさんいたので、自分が水泳に向いていると思ったことは一度もないです。だから選手時代は「もっと頑張らないと」という気持ちでやっていましたね。周りにオリンピック選手がたくさんいて、オリンピックに出たいというよりは、「出なきゃいけないんだ」という感覚が強かったです。

チームとしての団結力がメダル獲得への原動力に

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川口:選手時代にたくさんの苦労があったかと思いますが、ご自身のなかで最も大きい挫折というと何が思い浮かびますか?

寺川:初めてのオリンピックに出場したのが、大学2年生のときで2004年のアテネオリンピック。決勝に残ることが目標で、実際にその目標は達成することができました。でもやっぱり日本代表として出るからにはメダルをとらなければいけない、それなりの成績を残さなければいけないという周りからの期待があったんです。

決勝には出られたのですが、8人のなかで8位という結果でした。自分のなかでは当初の目標は達成できていたので、泳ぎ終わった後も「よし」という気持ちでプールから上がったんです。でも最初に掛けられた言葉が「残念でしたね」という言葉でした。

自分では納得のいく結果だったんですが、その言葉を聞いて「これじゃダメなんだ」って挫折したというより、へし折られた気持ちになりましたね。自分は満足していても、もっと上の結果を求められていて、そこに対応しきれていない自分に対して悔しくなりました。オリンピックの厳しさを教えてもらった経験でしたね。

川口:オリンピック2回目の出場となる、2012年のロンドンオリンピックでは2種目で銅メダルを獲得されています。念願のメダルだったと思いますが、いま振り返ってみてメダルをとれた一番の要因は何だったと思いますか?

寺川:競泳って個人種目なんですけど、団体競技のようにチームとしての団結力があって、誰かが活躍するとみんな「私たちも!」という気持ちが強くなります。日本のチームとしてメダルを獲得するという目標があって、そこに向かってみんなでクリアしていこうという団結力があったんです。

やっぱり先輩方がオリンピックで代々築き上げてきた結果を「私たちの代で崩してはいけない」という気持ちが強かったんだと思います。そういったチームの力がメダルをとるうえで大きかったですね。

水泳好きの人間としてまだまだ先がある

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川口:ロンドンオリンピックでメダルを獲得された翌年の2013年に競技を卒業されていますが、この時『引退』ではなく『卒業』という表現を使われたのはどのような思いがあったのでしょうか?

寺川:実は引退会見のときまったく話す言葉を準備できていなかったんです。引退会見というと、多くの人が「寂しい」と涙を流すイメージだったのですが、私の場合まったく悲しくありませんでした。自分の感情が想像していたものとまったく違い、うまく考えがまとまらなかったんです。

もちろん競技者としては引退なんですけど、水泳というものは一生続けられるスポーツです。選手ではなくなるけど、これからは選手以外の人たちともプールで触れ合っていけるんだとワクワクする気持ちもあったんです。

水泳が大好きなひとりの人間としてはまだまだ先が続くという思いだったので、引退という言葉は何か違うって思いました。

川口:競技から離れた後は後進の育成にも携わりながら、いまではすっかりおなじみの姿になった『報道ステーション』のスポーツキャスターを2016年から務められています。スポーツキャスターという仕事にもともと興味はあったのですか?

寺川:全然なかったです(笑)。選手のときはテレビ取材があってもあまり表に出ないように意識して、カメラから隠れる感じでした。そのため、声を掛けてもらったときは「絶対できない」と思っていました。

でもやり始めてみるとさまざまな競技に出会えて、色んな選手の話を聞かせてもらって「こんな楽しいことがあるんだ」って思うようになったんです。

話を聞いていくなかで、その選手ならではの競技に対する考え方やプロセスを知れて、これまでの自分とはまったく違う考え方ができ、すごく刺激になっています。だからいまは現場が大好きで、その楽しい仕事を続けさせてもらっていることが幸せでしかないですね。

選手のことをたくさんの人に伝えていきたい

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川口:話を聞くときに意識していることは何ですか?

寺川:私自身、頑張ってきたことに対しての結果に「残念」って言葉を付けられたときの悔しいのか、悲しいのかよくわからない複雑な感情がいまでも強く残っています。他の選手にはこういった思いをさせたくないと思っていますね。

どんな結果であれ、そこに向けて頑張ってきた選手に対して、「この言葉は失礼になるのではないか」と、常に意識をしながらお話を伺っています。

あと、お話を伺っている選手に対して、別の選手について聞くことも失礼なことだと私は思っているので、あまり聞かないようにしています。

カンペには「これ聞け!」と書いてあるんですが、見えていないふりをして……(笑)。私は選手だったこともあるので、どうしても選手に寄り添い過ぎている自覚はあって、反省することもあるんですけどね。

住谷:最後に寺川さんが今後どんなことに挑戦していきたいのか伺いたいです。

寺川:どちらかというと新しいことではなくて、いまやっていることを土台にして続けていきたいです。

スポーツ選手ってたくさんいて、どんどん世代交代をしていきます。多くの競技があり、そんななかでベテラン選手が頑張っていたり、その壁を越えようと若い選手が頑張っていたり、本当にたくさんの選手が努力を重ねています。

今後もそういった多くの選手の話を聞いて、それを自分の言葉でさまざま人に伝えていけたらいいなと思っています。

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