【閲覧注意】限りなく「教育」に見える虐待。母が仕掛けた「ステルス虐待」の猛威を生き延びて ~母編 1/4~

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之

2026.03.17
column_to_YasuyukiHirata

自身の壮絶な半生を綴る平田泰之(ひらた やすゆき)さんのコラム第5弾です。教育という名の下で行われた「ステルス虐待」の実態を明かします。理想の母親を演じる影で、子の尊厳を奪い続けた母の狂気とは。愛情という言葉で塗り固められた歪な家庭環境に、あなたなら何を感じるでしょうか。

ここからは、僕を「製造」した父と母それぞれが、いかにして僕を追い詰め、その存在を否定し続けてきたか。その歪んだ虐待の在り方について綴りたいと思います。

この先、非常に陰惨な内容が続きます。フラッシュバック等の恐れがある方は、閲覧にご注意ください。

「レディーファースト」を意図したわけではありませんが、まずは10代に入り、僕自身も強烈な嫌悪感と敵意を抱くようになった母について書き進めます。

もし、世界中の半数の人間が僕の両親のような価値観を持ったなら、この社会はどう変質してしまうのか。そんな想像を巡らせながら読み進めていただければ、この違和感の正体がより鮮明に見えてくるかもしれません。

世間体という名の仮面、暴君の実態

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僕の母(専業主婦)は、家事においては徹底した完璧主義者であり、周囲との人間関係を構築する術にも長けていました。外の世界では「理想的な奥さん」を演じ切る達人だったのです。近所の人たちに向けられる、あの不自然に甲高い「あらぁ~!元気ぃ~!?」という声を、僕は生涯忘れることはないでしょう。

しかし家庭内、特に僕に対しては、些細な不機嫌をきっかけに「なぁぁぁにぃぃぃいいい~~!?」と激昂し、いかに僕が異常で欠陥のある人間であるかを執拗に責め立てました。 この激昂を日常化せず、要所要所で「抜き打ち」のように行う点に、彼女の狡猾さがありました。すべては「世間体」を守るため。いつ、どこで、どの地雷を踏むかわからない恐怖に、僕は常に怯えていました。そして、怯える僕を見てさらに苛立ちを募らせる母。自分の言動が子供を追い詰めているという自覚は皆無であり、その姿は親という役割を放棄した、血の通わない存在に見えることすらありました。

特に苦痛だったのは、外食時の振る舞いです。僕が少しでも粗相をしたり、体調を崩したりすれば、母は「修羅」のような形相で僕に対してすさまじい憎悪を向けてきました。周囲の目を気にする彼女は、決して声を荒らげません。しかし、無言で、雰囲気だけで僕の尊厳をズタズタにするのです。 

その結果、僕は重度の外食恐怖症となり、レストランなどで何かを食べようとすればとても強い嘔吐感に襲われるほど衰弱していきました。そんな僕の様子を見て、母はさらに憎悪を深めていく。多くの方々にとっては、外食の経験においてはポジティブな、楽しかった経験も多かったと思いますが、中学に入るまで、僕にとって外食は逃げ場のない「悪夢」そのものでした。 現在、僕が飲食に携わり、旅先でも地元でも店をリサーチすることを楽しめているのは、奇跡に近い変化だと言えます。

愛情という名の洗脳

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_平田泰之_暴君の実態

母との関係は、常に致死性の高いウイルスが充満しているような空間に縛り付けられているようなものでした。近くにいるだけで病まされる地獄を超える地獄のような環境。いつ感染するかもわからない恐怖の中で、僕は精神を蝕まれていきました。しかし母は今でも、「のびのびと育ててきた」と主張してやみません。 その認識のズレを指摘すれば、逆上して暴君と化す。彼女と父は、僕を追い詰めてきた事実を無視し、そのすべての行為を「愛情」という言葉ですり替えました。

母が激昂した後に必ず投げかけられる「洗脳の言葉」がありました。

「他の家の子はもっと厳しくされてるんや!私は優しい母親や!!」

この言葉によって、僕は「自分は恵まれた環境にいるのだ」と信じ込まされてしまったのです。今思えば、そこには、社交的な彼女というマスクの裏にある、他の家への根深い見下しも含まれていたように思います。僕もまた、後述する父に関することも含めて、周りをどこかで見下さないと生きていけない、それでいて極端に自尊感情の無い存在になっていったと思います。

加害者を礼賛し、被害者である僕を切り捨てる

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_平田泰之_愛情という名の洗脳

母が最も生き生きとする瞬間があります。それは、僕を誰かと比較し、貶めている時です。 勉強も運動も得意だった従兄(いとこ)を語る時の、あの悦びに満ちた表情。僕が惨めな気持ちになることなど、彼女にはどうでもいいことでした。

僕の容姿についても同様です。いわゆる「流行りの美男子」とは程遠い僕の外見を、彼女は暗に否定し続けました。たとえ素行の悪い少年であっても、容姿が優れていれば手放しで賞賛する。その目は、「私が欲しいのは、あなたのような不完全な”個体”ではない」と告げているようでした。

小学5年生で激しいいじめに遭った際も、母は「あんたがそんなんだからいじめられるんや!」と吐き捨てました。その声すら、どこか活気に満ちていました。 成人してからもこの傾向は変わらず、僕を攻撃する人間が現れると、母は加害者側を擁護し、僕を責め立てました。

彼女は本能的に察知していたのかもしれません。 僕を苦しめ、追い詰め、存在を消し去ってくれる人間が誰なのかを。 そして、「不良品」である僕を消し去ることに貢献してくれる人たちのことが大好きでたまらないのでしょう。

母と父の真の目的は、僕という存在を、誰の手も汚さずに社会から抹消することだったのではないか。そう解釈することで、ようやく合点がいくことばかりだったのが、ここ数年で至った結論です。

絶たれたSOSと崩壊への道

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中学時代、クラス1位の成績を収めても、母の反応は「なぜここが満点ではないのか」「なぜここは〇ではなく△なのか」という非常に激しい叱責でした。努力が報われることのない、精神的搾取の連続。当時の僕は、「民主主義の日本で、なぜ我が家だけが独裁国家のようなのか」と絶望していました。

中学2年生の時、耐えかねて担任教師に助けを求めました。しかし、担任は守秘義務を破り、僕のSOSを母に密告したのです。 その日の家は、修羅場と化しました。「なぜあの先生に言うたんや!」と狂乱する母。暴力的な言葉の津波に耐えきれず、僕は自らの顔を何度も殴りつけながら絶叫しました。一方で、その自傷行為をしたら、「あんたはなんで自分を殴るのッ!!」と途端に、口先だけでは僕をかばうような口調をし始めたりもしました。

この事件を境に、僕は「助けを求めること」を完全に諦めるようになったかもしれません。両親の「洗脳」で、「孤軍奮闘は美徳」だと教え込まれてしまったことも関係していると思います。そのため、進学した高校には、スクールカウンセラーがいましたが、3年間、一度もそこに行くことはありませんでした。彼らの「息子抹消計画」は、着実に、完璧に進んでいました。

塗り替えられる記憶

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高校、大学と進むにつれ、母の支配はさらに陰湿さを増しました。特に僕が高校3年生の、大学受験時、母は毎日、憎悪を全身から放ちながら台所に立っていました。 その負のエネルギーに当てられ続けた僕の顔は、入学式には生気を失い、母自身から「犯罪者みたい!!」とありったけの侮蔑の意思をもって嘲笑されるほどに変貌していました。自分のせいで息子がこうなったことは全く頭にない様子でした。

第一志望を諦め、現役で進学を決めた僕に(最低でもここには入ろうと思っていた大学に入れたのと、浪人をすれば母に「僕が完全に破壊されてしまう」と本当的に感じたのも現役進学にした理由です)、母は「あんたそんな大学でええねんなぁっ?!」と激昂しました。しかし後年、この件を問い詰めると、彼女は「あの時、私は優しく確認したはずだ」と、息を吐くように事実をすり替えたのです。

すべては、母の虚構です。 もし過去を記録したり、見に行くことができるタイムマシンのような装置があるのなら、あの密室で行われた言動をすべて白日の下にさらしたい。僕のような「見えない虐待」の犠牲者を、二度と出さないために。

僕の10代、20代は、彼らの手によって空虚なものへと作り替えられました。 次回のコラムでは、両親との初めての「直接対決」等についてお伝えしようと思います。