ベコベコ弁当と10000時間――居合が教えてくれた師弟の絆

オーガニック製品の販売やコンサルタント、飲食事業を展開されている野寄聖統(のよりまさのり)さん。連載コラムの第1弾では、居合にかける思いとそこから学んだ大切なことについて実体験を通じて綴られています。
「真剣のオリンピック」に挑んだ日
三年に一度、世界中の剣士が技を競い合う最高峰の舞台。
それが 第十回 国際抜刀道試斬世界大会 です。
日本はもちろん、ウクライナ、フランス、韓国、アメリカ……
国境を越えて多くの剣豪が集まり、会場には異なる言語と気迫が混ざり合う独特の緊張感が漂っていました。
まさに“真剣のオリンピック”。
流派ごとに斬り方も納刀も、呼吸や気迫の出し方まで違う。
その「違い」が衝突ではなく尊重として存在している。
そんな空気に身を置きながら、
「よし、やってやろうじゃないか」
と静かに心の刀を抜きました。
せっかくの世界大会。
勝ち負けだけにこだわるよりも、自分の流派の「勇進流」らしさを示す方が、自分にとっての“戦い方”でした。
そこで、あえて難易度を上げ、二刀流で挑戦。
https://www.youtube.com/watch?v=uR5D41-xX-o
緊張で手が汗ばみながらも、一本一本の試し斬りに集中し、結果として宗家の前で優勝することができました。
終わってみて胸に残ったのは、誇りよりも 「感謝」 でした。
会場を準備してくださった龍星剣の皆さん、
遠く海外から集まった戦友たち、
そして何より、武道を通じて育ててくれた師匠や先生方。
世界の舞台に立つと、技の違いよりも「志の共通点」が鮮明になります。
技を超えたところにある、武道の普遍性を強く感じました。
バレンタインの日に始まった「居合道」

居合との出会いは、実は劇的でも運命的でもありません。
バレンタインの日。予定もなく(笑)、ふと思い立って献血に行き、帰り道に「このまま帰るのも格好つかない」と寄り道したのが、今の道場でした。
「見るだけ」のつもりが、同じ時間を過ごすのであれば、見ても分からんしと気づけば、考えもなしにもう入門届を書いている。内心、合わなければ辞めたらいいしと安易な気持ち、 そんな勢いだけのスタートでした。
ところが、いざ稽古が始まると何もできない自分に衝撃(笑)
刀を抜くたびに変な力が入りどこかが痛い。
そもそも着替えの段階で袴も帯も分からない。
納刀抜刀も時代劇の真似をしてみても、宗家の動きと比べると「美しさ」の意味がまったく違う。
理にかなった身体の使い方は、驚くほど静かで、そして強い。
最初の「力み」が取れるまでに、多くの人が挫折する理由が、痛いほどわかりました。
「思っていたのと違う」ってやつです。だから教わるんですけどね。
10000時間の法則とベコベコ弁当の思い出

武道もスポーツも、仕事も、そして人間関係すらも同じ。
力が抜けるまでが本当の勝負であり、そこからが本当の成長。
基礎を繰り返し、自然体になって初めて、自分の持つ力が発揮できる。
よく言われる 「10000時間の法則」。
一流になるには、積み重ねるしかない。
毎日1時間なら28年、3時間なら9年、8時間なら3年半。
私が入門したのは38歳。
宗家に「まだまだヒヨコやな」と笑われた意味が、今ではよくわかります。
稽古後、片付けが終わるころ、宗家はいつも待ってくれていました。
「独りもんが家に帰っても何もないやろ」
そう言って、スーパーのお惣菜お弁当を手渡してくれる。
夕方の割引シール付きのお弁当は、チンしすぎて容器がベコベコになってるのはもう“お約束”。
有害物質や添加物や電磁波がどうとかよりも、
「未熟でも人として尊重し大切に扱ってくださる」
その温かさが忘れられません。
味でも量でも金額(笑)でもなく、心が満たされるお弁当でした。
師匠は一人!目移りの危うさ

居合を続けて気づいた大切なこと。
それは、
師匠は一人である ということです。
うまくなり、世界が広がれば、魅力的な人はたくさん現れる。
技が派手な人、有名な人、褒めてくれる人。
しかし――師を変えるというのは、
ただの「乗り換え」ではなく、
自分の未熟さと向き合い続ける勇気から逃げること でもあります。
目先の技や名声に惹かれれば、
短期的には強くなったように見えるかもしれない。
けれどそれは、
「過去の自分」を裏切る行為。
スターウォーズのダース・ベイダーのように、
都合の良い力を選べば、形は強くても心は堕ちていく。
技に迷ったら、師に返る。
そこからしか、本当の強さは育たない。
今の自分があるのは、
あのベコベコ弁当と、師匠の存在があったからこそ。
今回世界一になってみて改めて感じました。
技も道も、人の温かさの上に成り立っている。