川崎フロンターレ リレーションズ オーガナイザー
中村憲剛×ワクセル
元サッカー選手で川崎フロンターレ リレーションズ オーガナイザーの中村憲剛さんにインタビューさせていただきました。
インタビュアーは元山形放送所属、2014年度のNNNアナ ウンス大賞新人部門で優秀賞を受賞されたフリーアナウンサーの川口満里奈さんです。
中村さんは2003年に川崎フロンターレへ入団、2006年には日本代表へ初選出、2016年に はJリーグ年間MVPを獲得されています。J1リーグでは通算3回の優勝も経験され、日本を 代表するサッカー選手でした。
2021年1月に現役を引退し、現在は川崎フロンターレリレーションズオーガナイザーとし て活躍。
同月には18年間の活躍をまとめた書籍『THE LEGEND 中村憲剛 2003-2020』 (三栄書房)を発売されました。
その他、ミズノブランドアンバサダーやJFAロールモデルコーチ、JFA Growth Strategist(JFA グロース・ストラテジスト)、育成年代への指導、解説活動など、多方面で 活躍されています。
今回は、18年間の現役時代や引退してからの生活についてインタビューしましたので、最後までお楽しみください。
サポーターに喜んでもらうことをして、サポーターを増やす
川口:川崎フロンターレはユニークなグッズがたくさんありますが、なぜグッズが多いのですか?
中村:川崎フロンターレはJ2リーグからスタートし、僕が加入した2003年の時点 ではサポーターもあまりいませんでした。
ホームスタジアムである等々力陸上競技場(神奈川県川崎市)に足を運んでもらうためには、自分たちからアプローチする必要がありました。
そのため、選手が考えたグッズや記念グッズなど、なんでもグッズにして多くの人に興味をもってもらおうとしました。これが現在も受け継がれ、いろいろなグッズが販売されています。
例えば、真っ白のミニサッカーボールは選手からサインを書いてもらえるようになっていて人気がありますね。
ほかにも、ご祝儀袋やポチ袋といった珍しいグッズも販売しています。
「プロサッカー選手はボールを蹴ることで稼ぐ」というイメージをもって入団したのですが、グッズの企画やイベントへの参加など、ほかの役割も多くて驚きました。
川口:サポーターと銭湯に行ったこともあるんですよね?
中村:はい、引退してからサポーターと銭湯に行かせていただきました。現役時代にはきっかけがなかっただけで、もし機会があれば行っていたと思います。
ただこれには裏話があり、銭湯に入ることは事前に知らされていませんでした。
銭湯に到着して「ロッカーの中を見てください」と言われたので開けると、桶とタオルが入っていたんです。それを見た瞬間「あ、入るんだな」と思いました(笑)
そして、サポーターと裸の付き合いをさせていただきました。
自分でも何をやっているんだろうと思いながら入っていましたが、サポーターや浴場組合の方々が喜んでくれたのは嬉しかったです。
そして、この写真や記事をインターネットにあげることで興味をもち、スタジアムに足を運んでくださる方もいらっしゃいました。
このように、最初は川崎フロンターレや中村憲剛を知らない人も、イベントやインターネットを通じて興味をもってくれます。
そして、スタジアムに試合を観にきて、応援してくれるようになるのです。
このようなことを地道に継続してきて、川崎フロンターレは今のような知名度の高いチームになりました。
もちろん、お客さんとの交流が苦手という選手もいるので、それぞれの得意分野を活かし合えたらと思います。
川口:中村さんはお客さんとの交流はお好きですか?
中村:好きですね。お客さんの反応がダイレクトにわかるので楽しいなと思います。
自分が楽しめて、来場者も増えたら最高じゃないですか。
サッカー選手はスタジアムに足を運んでくださる方たちが払ってくれる入場料やグッズ収入などからお給料をいただいています。
そのため、自分たちから積極的に知ってもらい、スタジアムに足を運んでもらい応援していただくことも重要だなと感じます。
新型コロナウイルスの影響でサポーターのありがたみを再認識した
川口:昨シーズンは現役ラストシーズンでしたが、サポーターへの特別な想いはありましたか?
中村:昨シーズンは新型コロナウイルス感染症の影響で、観客が少ない試合が多かったですね。
自分がリハビリ中のときに、1回だけ無観客試合があり観客席から観ていたのですが、正直 とても味気ないなと感じました。
ボールを蹴る音、選手と監督の声だけが響いていました。
そこから少しずつサポーターが増えたときに、声は出せなくても、サポーターのみなさんがいてくれるだけでこんなに雰囲気が変わるのかと驚きました。
チャンスになると、観客の念というのでしょうか、空気がガラッと変わるんです。
以前からサポーターの存在のありがたみは感じていましたが、昨シーズンはラストシーズンということもあり、特に感謝の気持ちが強くなりました。
サポーターに応援してもらうなかで「サッカーができることは当たり前じゃないんだ」と、改めて感じることができてよかったです。
日本代表に選出されたのは、プロに入ってからの努力
川口:2003年から2021年にかけての、現役時代18年間を振り返っていかがですか?
中村:長かったなと思います。
18年というのは、生まれた赤ちゃんが高校3年生になりますから。
若手の選手に「2003年のとき何歳だった?」と聞くと、「小学生でした」や「生まれていません」といった答えが返ってきて驚きます(笑)
キャリアのなかでも、2006年に日本代表に選ばれた経験は大きかったですね。
それまでアンダーカテゴリーと呼ばれる、世代別の日本代表(U-18など)にも入ったことがなかった ので本当に嬉しかったです。
日本代表に入る前に選ばれた大きな代表は、小学校6年生のときの関東選抜でした。
それ以降は代表に選ばれたことがなかったので、学生時代は劣等感も抱いていました。
ただ「プロになってからは自分の努力次第だ」と思って努力した結果、日本代表の座をつかみ取ることができました。
日本代表に選ばれたことに自信をもってプレーする
川口:はじめて日本代表に選ばれたときはどのような気持ちでしたか?
中村:試合から帰る途中で強化部長から電話があり、驚きのあまり「本当ですか!?」と言いました(笑)
最初に日本代表に合流したのは横浜で、オシム監督は近くで見るととても大きかったのを覚えています。
当然、周りは日の丸を背負ってきた有名な選手ばかり。ずっと日本代表を応援する側だったことので、気おくれするところや、お客さん感覚が抜けず変な感じがしました。
今振り返ると、自分も日本代表なので、もっと堂々としたらよかったなと思います。
川口:新しい場所に挑むとき、気おくれすることがあると思いますが、どう対応しますか?
中村:僕の場合は、ボールを蹴り出したらほかの選手と対等だと思ってプレーしていました。自分は実力を認められて選ばれているのだから、自信もってアピールすべきだと考えていました。
オシム監督の戦術は「考えて走るサッカー」がキャッチコピーでした。学生時代から考えてプレーしてきた自分にとっては、順応しやすく充実感もあって楽しかったです。
南アフリカW杯での後悔が成長に繋がった
川口:2010年の南アフリカW杯で悔しい経験をしたと聞きましたが、どのような経験でしたか?
中村:2010年の南アフリカW杯代表にも選ばれましたが、グループリーグでは出番がありませんでした。
それでも、自分は攻撃的な選手だったので、勝利することが大切な決勝トーナメントでは出場できると思って準備をしていました。
自分が得点に絡んで日本をベスト8に導こうと意気込んでいましたね。
予想通り、決勝リーグ1回戦のパラグアイ戦で起用されましたが、得点はできずPK戦で負けてしまいました。何回か得点のチャンスもあったのですが、決めきれず大きな後悔をしまし た。
特に、玉田選手からのパスを合わせられなかったことをとても悔やんでいます。
自分の選択ミスによってパスがずれてしまい、決められませんでした。正しい選択をしていれば確実に決められたシーンだったので、自分が決めたらベスト8だったと思うと忘れられません。
もし同じシチュエーションになったときに、今度は確実にゴールを決められる選手になろうという気持ちが、そこから僕を成長させてくれました。
サッカーにひたむきに向き合って努力をした結果、年間MVPを獲得できた
川口:その成長の先に得られたのが、2016年のJリーグ年間MVPだと思います。36歳での選出は歴代最年長、ギネス世界記録にも登録されていますが、選ばれたときはどのような気持ちでしたか?
中村:当時はどれだけいいパフォーマンスができるかだけを考えていたので、36歳という年齢は正直気にしていませんでした。純粋に自分がやってきたことを評価されて嬉しかったです。
今振り返ると36歳で獲得したのはなかなか凄いなと思います。Jリーグに36歳で現役の選手はほとんどいないので、ジワジワと実感しています。年齢に関係なく、努力次第で結果を変えられるんだと証明できたのが嬉しかったです。
川口:年間MVP獲得の際、サッカーに向き合う姿勢も評価されていたと思います。サッカーを続ける上で一番大事にしてきた考え方、向き合い方をお聞かせください。
中村:サッカーが好きな気持ちをもち続けることが大切だと思います。とにかく上手くなりたかったので「昨日より今日、今日より明日上手くなるためにはどうしたらいいか」を考えるのが楽しかったです。
あとは、年齢が上がるにつれて試合にも使われにくくなるので、試合に出るために工夫するのもやりがいがありました。
ベクトルは常に自分に向けて、失敗から学ぶ。
川口:自分を冷静に客観視することを大切にされていると思いますが、なぜでしょうか?
中村:自分の主観だけで話すと、失敗を周りのせいにしてしまいます。失敗したときに客観的に自分を見つめ、できない自分を受け入れることが先に進むために必要だなと思っています。
川口:日本代表に入れなかった時期は、どうやってメンタルを切り替えていましたか?
中村:自分が代表に呼ばれないようなパフォーマンスをしていたら納得できますし、呼ばれておかしくないパフォーマンスでも呼ばれないなら、それはしかたないと割り切っていました。
代表に呼ばれるまで高いパフォーマンスを維持しようと思っていました。
あとは、日本代表に入ることがすべてではないと考えていました。まず大事なのは所属クラブの勝利なので、クラブで結果を残すことを最優先にしていました。
代表に選ばれていた時期も、全力でクラブを勝たせたことが評価されていたので、クラブでの活躍があってこそ代表入りできたと確信しています。
代表に呼ばれないときは、「それはそれ。呼ばれない時期なんだな」と思うようにしていました。自分にベクトルを向けて、常にいいプレーをすることだけに集中すること。
誰もが「なんで中村を代表に呼ばないんだよ」と言うくらいのプレーをすれば、いつかは呼ばれるはずなので。
川口:やりたい仕事ができずに、やりたくない仕事をやらなければいけない状況のときは、どう捉えたらいいでしょうか?
中村:まずは自分ができることを100%やることが、あとでやりたい仕事ができたときに役にたちます。
大切なのは準備をしておくことです。今頑張ることが望む未来につながっているので、目を向けるべきは「今」。
何をやったらうまくいくか、自分にベクトルを向けて考えてみてください。
今与えられている仕事にも意味があるはずなので、それをどのように自分にとってプラスの理由に変えていくのかが重要です。
川口:いろいろな失敗を糧にしてきたと思いますが、失敗に対する恐怖心はありますか?
中村:致命的な失敗は避けるようにしているので、怖くはないですね。ある程度は失敗して、そこから学ぶことが大切だと思っています。
サッカー人生でも失敗と成功を積み重ねて、自分のプレースタイルができ上がってきました。失敗は積極的にするべきだと思います。
あとは、失敗をどう捉えるかも大切です。失敗からは何も学ぶものがないという人もいれば、失敗から学ぶ人もいます。
僕自身、失敗したあとは悔しくて「学ぶものはない!」と思ってしまうのですが、あとから振り返ると課題がわかってきます。
そして、課題を修正することで成長できるので、これを繰り返してきました。
これからはプレー以外で自分を表現する
川口:今後の目標をお聞かせください。
中村:「未定」ですね。今は指導者や解説者になるといった目標は、あえて立てていません。
今は見聞を広める時期だと思っているので、いろいろなお仕事をやらせていただいています。どんな方向にも行けるように準備している感覚です。
18年間狭い世界にいましたが、今は大海原に出た気分です。
それに伴い、自分の表現方法も変わってきました。以前はプレーで表現していましたが、今は今回のようなインタビューやテレビなどでの表現を求められています。
そのため、プレー以外に人としての深みと厚みを出す必要があります。
ありがたいことに、表現できる場をいただけているので、期待に応える必要があるなと感じます。なぜ呼ばれたのか、何を話したらいいのかを瞬時に判断する必要がありますから。
とはいえサッカーでもチームの勝利のために一瞬一瞬判断しながらプレーしていたので、似ているなと思います。