経営者対談

ミュージシャン
コウタ × ワクセル

アートディレクターをはじめ、野球界(以下、球界)での通訳・渉外担当など異色の経歴を歩んだ後、男性から女性へと性転換手術を受け、現在はミュージシャン、女優として活躍するコウタさんを、今回のトークセッションのゲストにお招きしました。

コウタさんのこれまでの経歴や経験を踏まえ、現在の活動や多様性を受け入れる価値観についてお話しいただきました。

MCは、ワクセルコラボレーターでエステサロンソフュージュ代表の萩野さんと、ワクセル総合プロデューサーの住谷です。

性別への違和感、17回の転校、葛藤した子ども時代

萩野: 私はプライベートエステサロンを運営していて、仕事柄こういった表舞台に立つことはなかったので今日はとても緊張しているんですが、ゲストのコウタさんにお会いできるのをすごく楽しみにしていました。

住谷: コウタさんはお会いした瞬間から明るく、すごいエネルギーを持っている方だと感じました。今日はまずコウタさんの経歴から、詳しく聞かせていただきたいと思います。

ニューヨークにあるパーソンズ美術大学に在学中の1984年にスカウトされ、アートディレクターになられていますが、そもそもコウタさんがアートの世界に入った理由が気になります。

コウタ: 私は東京生まれですが、父親が新聞記者で海外特派員だったため、4歳の時にロンドンに渡り、それ以降もニューヨーク、東京、インド、ロサンゼルスを転々とし、ハイスクールを卒業するまでに17回も転校しました。

さらに物心ついた時から、「僕は男じゃない、女の子なんだ」っていう思いを持っていて、あまりにも普通ではない育ち方をしたんです。

そういう背景もあり、いつしか感覚を表現する世界、何か自分で作り出す世界に入っていきたいと思い、ニューヨークの美大に入りました。

住谷: 在学中にスカウトされアートディレクターになられていますが、どういう経緯でスカウトされたんですか?

コウタ: 私が勤めていた広告代理店は世界中にオフィスを持っていて、国籍の違う人たちが集まって会議をしていました。

そのため、文化の違いや言葉の壁が生まれてしまい、意思の疎通が図れないことがあります。そういう問題が起きたときに、英語と日本語どちらも話せるアートディレクターを育てようとなったらしく、その条件に私がピッタリとハマりスカウトされました。

アートディレクターから球界への転身

住谷: その後は球界に入り、通訳や渉外担当をされていますが、アートディレクターから驚きの転身をされていますね。

コウタ: 1988年に福岡ダイエーホークスに入団しています。その当時、日本の球界では、異文化を理解し合っていない、通訳を担当されている方がご高齢の方であるなどの背景から、外国人選手との関係性に色々と問題が生じていました。

そういう状況の中で当時ダイエーのオーナーだった中内さんとご縁があり、通訳・渉外担当のオファーをいただいたんです。

萩野: 突然の異業種への転身に、周りのみなさんは驚かれたのではないでしょうか?

コウタ: ニューヨークのアートディレクターは花形の仕事だと思われていたので、みんなからは「何を考えているんだ?」「おかしくなったのか?」と言われましたね。

でも私は心の中で自分は女の子だという葛藤を常に持ち、自分が何者なのか、いつも自分探しをしていました。

大きな悩みを抱えている子どもの頃から野球はずっと大好きだったので、私が役立てるならぜひやりたいという気持ちになったんです。

住谷: その後WBC開催のためご尽力され、通訳・渉外担当という枠を超えた仕事をされています。

コウタ: 1997年に環太平洋事業部長という立場でニューヨーク・ヤンキースに入団したのですが、通訳・広報を担当していた伊良部選手の成績が振るわなかったので、解雇されることになりました。

しかし、すぐスカウトをされ1998年にニューヨークメッツに入っています。そしてニューヨークメッツが日本で開幕戦を行った時に、読売巨人軍にスカウトされたんです。

読売巨人軍に入団後、ヤンキースとの業務提携、今でいうWBCの企画運営に取り組みました。

萩野: 全く経験のない業界だったのにすごい活躍ぶりですね!

「自分に嘘をつきたくない」性転換手術へ

コウタ: かなり無茶な働き方をしていて、このままいけば球界で偉くはなっていけるだろうとは思ったんですが、でもやっぱりどこかで“自分は女性なのに、自分自身にずっと嘘をついている”と感じていました。

やっぱりもう自分に嘘をつきたくないと思い、安泰した生活を捨て2003年にホルモン治療を始め、その後声帯手術、性転換手術を受けました。

萩野: それまで抱いていた葛藤を乗り越え、行動に移されたんですね。

コウタ: 私が手術したころは、私のような人はみんなニューハーフと呼ばれていました。でも今では死語になっていますよね。

今後の日本でももっと多様な生き方を受け入れて、LGBTなんて言葉もなくなって、これが当たり前になってほしいと思います。

住谷: 2008年にアメリカから帰国後、ライブハウスでウェイトレスとして働きながら音楽活動に取り組まれています。

またこれまでと全く違う活動をされていますが、これはどういうきっかけでしょうか?

コウタ: ホルモン治療を始めると、それまで自分が慣れ親しんだ体が変わってきました。味覚も変わり、体が求めるものが変わり、脳への影響もあるのでアンバランスな状態になってしまうんです。

特に男性から女性へ性転換した人は自殺を考える方が多く、私も自殺未遂を図ったことがあり、一時期は施設に入っていました。

そこでレクリエーションの一環でギターに触れ、そのメロディが自分の琴線に響き「ようやく本当の自分になれたんだから、これからは表現者として表に立って生きていきたい」と考えるようになったんです。

「今が第二の青春」何歳からでも夢中になれる

住谷: 2010年になってからはさらに女優業に挑戦し、映画にも出演され、表現の幅をどんどん広げられていますね。

コウタ: つい1ヶ月前、演出家の松崎悠希さんが企画した『モザイク・ストリート』という映画の撮影をしていたんですが、その映画は多様性が受け入れられた日本が舞台になっています。

萩野: 多様性が受け入れられた日本とは具体的にどのような映画なんですか?

コウタ: 私が演じた役はトランスジェンダーの探偵、そのアシスタントは同性愛の女性、もう一人のアシスタントはアフリカ系と日本系のハーフの女性。人種や障がいの有無、性的指向などが特別視されず、当たり前にある世界観になっています。

ジェンダーを越え、一切そういう言葉も使わない多様性にあふれた世界があることを示してくれる映画です。

住谷: コウタさんは現在、音楽活動、女優業、翻訳家、講演活動、またご自身の経験からLGBTの啓蒙活動にも積極的に取り組まれているそうですが、現在特に力を入れられているものは?

コウタ: 今回の『モザイク・ストリート』という映画で松崎悠希さんに演技指導を受けて、改めて演技という分野の新しい局面を開けた気がしています。今はとにかく演技に夢中で、一番心を燃やしています。もう還暦間近ですが、私は今まさに第二の青春を生きているんです。

今回ワクセルさんに力を借りて、この歳になってもまだまだ新たなものに出会いポジティブに楽しく生きられる、人生捨てたもんじゃないってお伝えできることがとても嬉しいです。

住谷: 本当にイキイキされているコウタさんを見て、素直に素敵だと思います。

行動をしているとどうしても壁にぶつかりますが、今のコウタさんのメッセージで勇気づけられる人が多くいると思います。

コウタ: 私は海外でも日本人というだけで偏見の目で見られたり、日本に帰ってきても外人と言われたり、自分が何者なのかわからなくなっていました。

でも今になってようやく本当の「コウタ」を見いだせているような気がします。私の今までの経験は神様から与えられたものだと考えて、世の中に貢献できるメッセージを発信していきたいです。

私だけじゃなく、世の中には本当に多様性にあふれた色んな方がいますので、みんなで手を取り合って偏見や差別のない世界を作っていこうと伝えたいです。

住谷: 今後もワクセルのファミリーとして、多様性に富んだより良い社会を一緒に作っていただければと思います。


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