経営者対談

フリーアナウンサー
笠井信輔×ワクセル

元フジテレビアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとして活躍されている笠井信輔(かさいしんすけ)さんにインタビューさせていただきました。

笠井さんは、2021年3月に最終回を迎えたフジテレビの長寿番組「とくダネ!」で、2019年までなんと20年間レギュラーを務められていました。

現在はフリーアナウンサーに転身されております。

2019年12月には自身が悪性リンパ腫に罹患していることを公表、闘病生活をブログで発信しながら治療を受けられ、2020年6月に完全寛解されています。

入院時には、患者がオンライン面会などに使用できるWi-Fiが病院にないことに驚き、「#病室WiFi協議会」という活動を通じて、病院への患者用Wi-Fiの設置を推進されています。 今回はワクセルコラボレーターの渋沢一葉(しぶさわいよ)氏、ワクセル総合プロデューサーの住谷知厚(すみたにともひろ)をインタビュアーに、フリーへの転身や癌との闘病生活を通して、笠井さんが世の中に伝えたいことをお聞かせいただきました。ぜひ最後までご覧ください。

現場で活躍することへこだわるためにフリーアナウンサーへ!

住谷:本日はよろしくお願いいたします。早速ですが、なぜフジテレビを退社し、フリーアナウンサーになろうと思ったのでしょうか?

笠井:フジテレビに所属していた32年半は、ほとんど生放送の帯番組の司会を担当していました。とても居心地よく働かせていただきましたが、年月が経つと自分の立ち位置も変わってきます。

わたしは「とくダネ!」という番組を放送開始から、小倉智昭(おぐらともあき)アナウンサーと一緒に20年間やってきました。そのなかで、若手アナウンサーの加入などもあり、最終的に自分の出番が減ってきたのです。

わたしは喋ることが好きなのですが、取材やリポートの仕事は減り、部下の指導などを任されることが増えてきました。このままフジテレビにいては、自分の望む活躍はできないのだな、と強く感じました。

自分の限界は自分で見極める必要があると思い、慣れ親しんだフジテレビを離れる決意をしました。同時に、フジテレビの外にはまだ自分を必要としている人がいると思い、フリーランスの道を選びました。

渋沢:「現場に出たい!」という気持ちがとても強いんですね。

笠井:現場が大好きなので、現場に出続けることにはこだわっていました。とはいっても、準備万端で独立したわけではなかったので、清水の舞台から飛び降りるような気持ちでしたね。

最近は、元日本テレビの羽鳥アナウンサーや福澤アナウンサーのように、フリーランスとして活躍する男性アナウンサーも増えています。

しかし、フジテレビは定年まで局に残る人が多く、独立するには勇気が必要でした。「定年まで残れば、退職金を満額もらえるのにもったいない」と言ってくれる人もいましたが、自分自身がアナウンサーとして活躍できる残りの時間を考えての選択でした。

渋沢:奥様は独立することに対してどのような反応でしたか?

笠井:賛成はしてくれました。ただ「もう5年早ければもっと勢いのあるタイミングでよかったのに。5年遅かったわね」とも言われました。さらに、小倉さんにも「5年遅かったね」と同じことを言われたんです。

5年前は「とくダネ!」の喋りの半分ほどを任されていて、たしかに脂がのっている時期でしたが、これだけ仕事を任してもらっているなかで、独立という選択肢は頭にありませんでした。

しかし、客観的にみると独立に絶好のタイミングだったようです。この経験で、人からの見え方と、自分の感情が入った見え方はまったく違うんだなと感じました。

奥様は「ママアナ」の先駆的存在

渋沢:奥様とはどのように出会ったのですか?

笠井:アナウンサーの専門学校で同じクラスだったんです。そこから一緒に就職活動しているうちに仲良くなり、お付き合いしました。

一言で言うと ”リクルートナンパ” ですね(笑)まわりの人からは就活中に何やってるんだと非難されました。

住谷:いやー、女子アナウンサーと結婚するのは男性の夢です!

笠井:奥さんは結婚した当時は報道記者だったので、正確には女子アナと結婚したわけではないんですよ(笑)

うちの奥さんは少し変わっていて、結婚して子供が生まれてから女子アナになったんです。

いまは子供がいるアナウンサー、いわゆる「ママアナ」はたくさんいます。しかし、当時は妊娠した時点で他部署へ移動するのが当たり前だったので、ある意味先駆的な存在でした。

渋沢:子育てと仕事の両立は大変でしたか?

笠井:奥さんはとても苦労していました。奥さんとわたしの両親も手伝いに来てくれて、そのおかげでどうにかやってこれました。

「革新」と「柔軟な変化」が長続きする秘訣

住谷:フジテレビに入社してから「とくダネ!」がスタートするまでは、どのような仕事をされていたんですか?

笠井:ワイドショーのアナウンサーとして働いていました。「めざましテレビ」にも1年半くらい出ていました。あとは、夕方のニュースのメインキャスター、朝のワイドショーの司会などをやらせていただきました。

住谷:なぜ「とくダネ!」は20年以上続いたと思いますか?我々もワクセルを長く繁栄させて、よりよい社会をつくりたいと考えていて、ぜひ長く続くコツをうかがいたいです。

笠井:まずは、新しいタイプの情報番組をつくったことですね。従来の番組はリポーターとキャスター、評論家がサロン的に話しながら番組をまわしていました。

それに対し、今では一般的となった「大きなボードを入れてプレゼンテーションする」スタイルを導入したのが「とくダネ!」でした。

渋沢:いまの情報番組の先駆け的な存在だったんですね。

笠井:ボードやテレビに映した映像をつかったプレゼンテーションがとても好評で、ほかの番組もどんどんマネするようになり、気づけば一つのスタンダードになっていました。こうして老舗的な存在になったことは大きな要因だと思います。

そして、マンネリ化したときはキャスティングを変更したり、内容を変えたりして乗り越えてきました。社会情勢に合わせて、柔軟性をもって番組を変えてきましたし、ときにはプロデューサーが変わることで番組を変化させることもありました。

なかでも一番大きな変化があったのは、5~6年前にインターネットに詳しい方がプロデューサーになったときでした。

「とくダネ!」はもともと新聞や雑誌から情報収集していたのですが、Yahoo!ニュースの人気ニュースを紹介することになったんです。加えて、YouTubeで人気があるおもしろ動画も流すことになりました。

当時はテレビとインターネットはライバルという認識が一般的で、自分たちで取材したものではないインターネットの情報を放送することに抵抗はありました。しかし、このおもしろ動画が大人気となり、視聴率も1位になりました。

これをきっかけに、インターネットの流れをつかみながら番組をつくるということが、テレビ業界の常識になっていきました。このように、世の中の変化を敏感に感じ取り、順応してきたことも長続きできた理由だと思います。

住谷:世の中の変化を感じ取るために工夫していることはありますか?

笠井:自分の得意な分野に関して掘り下げることですね。すべての分野に詳しくなるのは難しいので、自分が人より秀でていると思う分野についてより情報収集しています。

立場関係なく、優秀な人から学ぶ

住谷:フジテレビ時代に部下の育成をされていたとおっしゃっていましたが、人の育成に関して大事にされていることをお聞かせください。

笠井:上司と部下ではなく「少し経験の長い先輩」という立ち位置で指導するようにしていました。

あとは年齢で判断しないことですね。どんなジャンルで経験を積んできたのかを知り、自分が知識のないジャンルに関してはむしろこちらが教えてもらっていました。特にスポーツはまったく知識がなかったので教えてもらうことが多かったです。

一方で、「事故、事件」に関しては負ける気がしなかったので、徹底的に教えこみました。

現代ではライフワークバランスを大切に

渋沢:趣味が映画と舞台鑑賞とのことですが、どれくらいの頻度で鑑賞されるんですか?

笠井:若い頃は年間で新作映画を130~150本、 舞台を150本、観に行っていました。スケジュールをパズルのようにはめこんで観に行く時間を確保していましたね。

映画を観るアナウンサーは多かったのですが、舞台を観に行くアナウンサーはいなかったので、差別化のために観に行っていました。何度も観に行っているうちに、出演者とも仲良くなり「インタビューを受けるなら笠井さんにお願いしたい」とオファーが来るようになりました。

ただ、テレビの仕事もしていたので、体への負担は相当だったと思います。当時は夜10時に帰り、夜中の2時に起きるような生活をしていました。そしてその結果、癌になってしまったのです。

今の時代は健康やメンタルの管理も大事といわれています。ワークライフバランスを意識することが健康に働くためには重要です。自分はワークばかりでバランスが取れていなかったので、みなさんは自分を客観視して気をつけてください。

日本の病院に患者さん用のWi-Fiを普及させる

住谷:病院Wi-Fiの設置活動も含め、これからの展望をお聞かせください。

笠井:健康を維持して、今まで通り一生懸命働きたいですね。病気をしたことで健康の大切さを実感しました。

新型コロナウイルスにより、なかなか思い通りに生活できない時期だと思います。しかし、いずれは今の事態も落ち着いていくでしょう。そのなかで、いままで通りの生活に戻して精一杯働きたいです。

この時期に入院したことで、さまざまな経験をしました。一番驚いたのは病院に患者さんが使えるWi-Fiがないことでした。

病院にお見舞いの方が来れない状況が1年以上続いていて、オンラインでの面会が唯一のお見舞いの方法となっています。しかし、日本で患者さんが使えるWi-Fiを設置している病院は3割しかありません。

そこで、一つでも多くの病院が患者さん用のWi-Fiを導入できるように、「#病室Wi-Fi協議会」を2021年1月に立ち上げました。そして、政治家の方々に補助金を出してほしいと話しに行ったところ、2021年4月には補助金が出ることになりました。

補助金は税金が財源なので、社会的意義と必要性が認められる必要があります。そのため承認のハードルが高いのですが、今回は国が国民を救うために素早く動いてくださり、とても感謝しています。

ただ、補助金の締め切りが2021年9月30日と設定されていて、これが問題になっています。現在、半導体が不足しておりWi-Fiの送受診機がなかなかつくれない影響で納期が遅れているんです。契約してから納品までに1年ほどかかるケースもあるようなので、期限の延長をお願いしているところです。

自分が経験してきたものを、可能な限り社会に還元しようと思って活動させていただいています。

住谷:以前出版された著書『生きる力 引き算の縁と足し算の縁』もその活動の一つですよね。

笠井:現在、世界で年間100万人の人が癌になっています。さらに、日本人の2人に1人が癌になり、男性は3人に2人が癌になるというデータが出ています。自分は癌になって運が悪いと思っていましたが、実はそうではなかったんです。

「どのような治療があるのか」「どのような態度をとれば最適な医療が受けられるのか」「病院でどう過ごしたらいいのか」などについて、自分の経験を通してお伝えしたいと思い書きました。

渋沢:これだけ世の中でWi-Fiが普及しているのに、病院にWi-Fiが通っていないことに驚きますよね。

笠井:政治家の方々にお話ししたときも驚かれていました。入院したことない人はみなさん驚かれますね。また、先進国の病院はほとんどWi-Fi通っているので、外国の方にも驚かれます。

日本の病院にWi-Fiが普及していない状況には理由があります。約20年前に総務省が「Wi-Fiは危険である」と通達し、今もそれを信じている政治家の方々がいらっしゃるからです。技術の進歩によりいまのWi-Fiは安全だということを知ってもらう必要があります。そのためにわたしは「#病室 wifi 協議会」を通じて情報発信を続けていきます。