経営者対談

株式会社モンテディオ山形 代表取締役
相田健太郎 × ワクセル

今回のゲストは、野球やサッカーを代表するスポーツ業界で長年に渡って活躍され、現在は株式会社モンテディオ山形の代表取締役を務める相田健太郎(あいたけんたろう)さんです。

プロ野球チーム、プロサッカークラブで培われた力を生かしながら、モンテディオ山形の運営に尽力する相田さんのご経験について、お話を伺いました。

MCはワクセルコラボレーターでフリーアナウンサーの川口満里奈さんと、ワクセル総合プロデューサーの住谷です。

ワクセル×相田健太郎氏対談

川口: 相田さんは1974年、山形県南陽市に生まれ、その後4歳から9歳までと中学時代の3年間をアルゼンチンで過ごされました。日本に帰国後、東洋大学を卒業し、旅行会社に入社したのち、2003年には株式会社フットボールクラブ水戸ホーリーホックに転職されています。相田さんの、サッカーへの想いについてお伺いしたいです。

相田: 前職の会社でサッカー大会を開催する部門にいた時に、Jリーグに営業に行きました。そこでたまたま、アルゼンチンでサッカーを指導してくれていた人と再会したんです。

その方に「Jリーグで働かないか?」と誘っていただき、御茶ノ水にある日本サッカー協会ビルで働くものと思い承諾したんですが、結果的に縁もゆかりもない水戸に赴任していました(笑)

川口: そんなことがあったんですね。
その後、2007年に東北楽天ゴールデンイーグルスの運営会社に移られて、野球業界に参入されています。

相田: 野球は日本のプロスポーツ界で一番大きいので、業界を見てみたいという気持ちがあり、野球業界に移りました。
また、当時は自分自身が未熟だったこともあり、サッカー業界でお金を稼ぐということに限界を感じてしまっていたんです。
たまたま野球の話をいただき、「給料が高く、お金を稼げるところに行きたい」と思ったんですよね。

住谷: サッカー業界と野球業界の違いはありましたか?

相田: 全然違いましたね。
当時の野球業界は本当にキラキラしていました。

イーグルスは東北に新しくできたばかりの球団で、当時は平均年齢が30歳くらいだったので、特にそう感じたのかもしれません。
IT企業を代表する楽天が球団を作るというところから、驚きが凝縮されていて本当に面白かったです。

社長から任命され、再びサッカー業界へ

ワクセル×相田健太郎氏対談

川口: 野球業界に入られたのちに、楽天ヴィッセル神戸株式会社に出向されています。再びサッカー業界にいくことになり、心境はどうでしたか?

相田: ある野球の試合当日、立花社長(楽天野球団代表取締役社長)の向かいの席に僕が座っていたんです。
そこで突然「相田!」と呼ばれて、
「お前サッカーやっていたよな?サッカーの仕事をするなら、強化する部門の方がいいって言ってたけどやれるのか?」と聞かれました。
「どうでしょう…」と答えたんですけど、
「とりあえず2週間行ってこい。明日朝9時に神戸の練習場に立っておけ(笑)」と言われたんですよ。

住谷: とんでもない展開の早さですね。

相田: その後、立花社長に「明日は、仕事はあるのか?」と聞かれ、僕は一瞬返答に困ってしまいました。
立花社長がすごかったのは、会話をしている横で、秘書の方が僕が2週間泊まる宿と飛行機の手配を始めていたのです。その場で「今夜、最後のフライトで神戸に行けます」と言われました。
その時、誰か一人連れて行っていいと言われたので、球団にいた分析の男の子を一緒に連れて、急遽神戸入りしました。

住谷: まずは2週間とのことでしたが、その期間にどんなことをされたんですか?

相田: 僕が行った一週間後にポドルスキ選手(ルーカス・ポドルスキ氏:元ドイツ代表サッカー選手)が入団して、彼からは「クラブのここが良くない、もっとこうした方がいい」など数々の指摘をいただきました。
ハード面の改善は僕らも課題があると思い、僕が滞在していた2週間で課題をあぶり出して、その場でできることは急いで片づけました。

2週間の確認作業後、「残りの課題はこれです。誰に引き継ぎましょう?」と立花社長に聞いたところ、「誰って、お前がやるんだよ(笑)」と言われ、そこから出向で神戸に行くことになりました。
誰か別の人がやると思って課題をたくさん書いたのですが、失敗でしたね(笑)

「地元山形に貢献したい」という想いから、モンテディオ山形の社長に

ワクセル×相田健太郎氏対談

川口: そして2019年に株式会社モンテディオ山形の代表取締役になられていますが、これはどのような経緯だったのでしょうか?

相田: 楽天イーグルスにいた時に、モンテディオ山形の株主であるアビームコンサルティングのスタッフとお話する機会があり、それをご縁に前任の社長から声を掛けてもらいました。
これまで培ってきたさまざまな経験を活かして、地元山形に直接貢献できることが嬉しいですし、引き受けることにしました。

川口: 私は山形の放送局でアナウンサーをしていた経験もあるので、サポーターとしてモンテディオ山形の紹介をさせていただきます。始まりは1984年、NEC山形サッカー同好会として発足し、1991年に「モンテディオ山形」にチーム名が変わりました。
イタリア語で山を意味する「モンテ」に神を意味する「ディオ」つまり「山の神」です。山々に囲まれた地域なのでピッタリの名前ですよね。

相田: スタジアムの周りも全部山です。
僕はスタンドから見るあの風景がすごく好きです。

川口: チームの主な経歴として、2009年に初のJ1昇格を果たしましたが、2012年にJ2に降格。再度、2015年に4年ぶりのJ1復帰を果たす。
2019年にまたJ2となりましたが、J1参入プレーオフに進出しています。
そして2021年シーズン途中にピーター・クラモフスキーさんが監督に就任して現在に至ります。

選手だけではなくスタッフの戦い方が重要

ワクセル×相田健太郎氏対談

相田: 2015年に僕はまだいなかったですが、話を聞くとすごいんです。
J1昇格プレーオフで6位から優勝してJ1に上がり、本当に奇跡的な勝ち方をした一戦があるんですよね。

川口: 当時山形でアナウンサーをしていて、取材でパブリックビューイングの会場にいたんですが、会場のカメラが揺れて音も割れて、みなさん大喜びしていました。
2015年J1に上がった年は、県内がいつも以上に「モンテブルーカラー」で溢れて、地域にプロチームがある素晴らしさを実感した年になりました。

相田: 地元のチームが優勝するとかタイトル取ると本当に盛り上がるんですよね。
でも2015年のシーズンに、最速でJ2降格を決めてしまったのも山形で、そういう不名誉な記録も持っています。
J1に上がるだけでなく、戦い続けてより上に行くことを目的にしないとダメだと思いました。

住谷: 当時はJ1に上がることがゴールになってしまっていたんですね。

相田: イーグルスで学んだことは選手だけが頑張るのではなく、フロントスタッフがどう戦うかが重要だということです。
我々だったら観客動員とか、売上を作ってチームの強化費に回すとか、選手だけじゃなく運営側も一丸となって、「みんなでJ1に行こう!」という共通意識が大事だと思います。

平均観客動員数6,000人から8,200人にアップ

ワクセル×相田健太郎氏対談

相田: 僕が入った時は観客動員数の平均が6,000人程度だったので、まずはこのベースを上げることを考えました。
過去J1で盛り上がった時の動員数が平均で1万人くらいだったので、正直あまり良い数字とは言えません。
J1に上がった時には、満員にすることが重要だという話をスタッフとして、動員数を7,500人まで伸ばすことを目標にしたのが2019年でした。
選手だけではなくスタッフも含めて全員が共通の目標に向かったことで、観客動員数が8,200人を超えて、全試合の累計動員数が一番多い年になりました。

住谷: しっかり結果が出されているのがすごいですね。観客数を増やすためにはどういった工夫をされたんですか?

相田: 就任する前に一度、モンテディオ山形の試合を観に行ったことがあるんですが、言葉を選ばずに言うと、当時はすごい「つまらない興行」だと感じたんです。モンテディオ山形を知っている人しか行きたくないような内輪な空間という印象でした。

そもそもスタジアムが山形市内にあると思っていたのに、山形駅に着いてからさらに20分かかると聞かされた時は「もう帰りたい」って思ったほどです(笑)
公式サイトを見ても、スタジアムの行き方の案内もなく、お客さまを呼び込む施策というのが全くありませんでした。

そこで、イーグルスに行った経験が活きたのです。イーグルスは元々「1.5軍選手が集まったチーム」と言われていたので、初年は全然勝てませんでした。
だからイーグルスは、たとえ試合に負けていても人を呼ぶために何をしたらいいか、徹底的に追求する球団になったんですよね。
イーグルスのスタジアムに行くとわかりますが、観覧車があったり、外野に人工芝の広場があったり、まるで遊園地のようで、野球にあまり興味がない人でも楽しめる作り込みがされています。

一流の外国人選手を誘致し、地域をさらに盛り上げる

ワクセル×相田健太郎氏対談

川口: あまり興味がない方にも試合を観にきてもらうことはハードルが高いと思いますが、他にも何か工夫はされていましたか?

相田: 幸い、我々のスタジアムは運動公園の中に立地していて自然に恵まれているので、そこを最大限活用することを考えました。
より多くのお客さまに来ていただくために、僕らの力でできることはなんでも変えていこうと今も試行錯誤しています。

住谷: 今後の展望については、どのようにお考えでしょうか?

相田: すごく不本意なんですが、今年クラブの歴史上初めてシーズンの途中で監督を解任しました。でも今回初めて外国人の監督を採用して、僕らが目指すサッカーチームになってきています。

そもそも山形県自体、外国人が少ないところなので、外国人の一流選手を呼ぶことに課題を感じています。
外国の一流選手は、5LDK以上の広い家や、お子さんがいたらインターナショナルスクールに入れたいなどの要求があります。行政の方とも話し合いながら、今後は外国人の方々が家族で安心して住めるような場所に変えていきたいと思っています。 モンテディオ山形の活動によって山形がさらに注目される都市にしたいですね。また、今後はワクセルともコラボレートして、演出映像なども一緒に作ったりなどしながら、山形をさらに良くしていくことに尽力したいと考えています。


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