世界大会3位の実力を持つ清水さんが伝えたい「ダブルダッチの魅力」

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縄と縄の間を縦横無尽に動くスポーツ『ダブルダッチ』で世界大会3位の実績を誇り、ニューヨークにあるアポロシアターでパフォーマンスを披露した経験を持つ清水蒼太さん。ダブルダッチをもっと身近なスポーツにするための普及活動や、各種イベントを主催しています。清水さんが魅了されたダブルダッチの世界とはどんな世界なのか、詳しく語っていただきました。

ダブルダッチで世界を目指す

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現在僕はダブルダッチのパフォーマーとして、フェスやクラブイベントに出演しています。また。イベントの主催や、児童館に対しての働きかけなど、ダブルダッチを広める活動もしています。

元々は家系が剣道一家だったこともあり、物心ついたときからずっと剣道をやっていました。高校進学のタイミングで、剣道とは違うことをやってみたいと思って色々と探していた時に、父親から動画を見せてもらったことがダブルダッチを知ったきっかけです。部活の新入生歓迎で直感的に楽しそうと感じたので、そこからダブルダッチの世界に足を踏み入れました。

ダブルダッチは縄をまわす2人と、跳ぶ1人の基本3人以上ならできますが、一般的に5〜6名でやります。縄の中でダンスやアクロバットをしたり、高速で飛んだり、動き以外にもパフォーマンスの構成を考えたりと、さまざまなことができるのがとても魅力的です。

ダブルダッチは、1人だけすごい人がいたら勝てるというものではありません。メンバー全員が納得し、かつ個人の力が発揮できるように構成を考えていくことが重要です。コミュニケーションを取りながら団結力を高めて、それぞれの個性をどう引き出せるかを考えるので、お互いを高め合っていくスポーツだと思います。

幸いにも高校生の時には、30秒で何回飛べるかを競う「スピード」という競技で、世界3位タイの結果を残すことができました。

大学への進学はダブルダッチを基準に選びました。高校はあくまでも同好会だったので、「楽しくやろう」というのがスタンス。大学ではしっかりと基本を押さえて世界を目指したかったので、日本で1番強いサークル『乱縄』がある日本体育大学に入学しました。

ニューヨーク・アポロシアターでの経験

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これまでとことんダブルダッチの世界にのめり込んできましたが、大きくへこむことが2回ほどありました。

1回目はメンバーの離脱です。大学で5人のチームを組んでいて、途中で1人辞めることになりました。最初に組んだチームで4年間続けていくのがサークルの決まりなので、辞めるのはしょうがないことですが、この5人で上を目指したかったという気持ちでいたので残念でしたね。

2回目が主将になったときのプレッシャーです。主将になったからには勝たないといけないと感じているなかで、大会で僕たち以外のチームが目立つような成績を出していることに焦りを感じていました。メンバーが欠けたことでフォーメーションが複雑になったり、その分運動量が増えたりしているなかで、どうやって勝てば良いんだ悩みが尽きませんでした。

それでも僕の同期は強い世代だと言われていて、世界大会につながる全国大会の3位以内を同期のチームが総なめにしました。世界大会では、ニューヨークのアポロシアターでパフォーマンスをしたのですが、ダブルダッチの世界ではなかなかない快挙でした。だからこそ、そこで1位を取れなかったのは今でも悔しさが残っています。

ダブルダッチを身近なスポーツに

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ダブルダッチなどのストリートカルチャーは、団結力が強い世界です。イベントをすると経験者しか来ないこともあるので、もっと外に向けての活動をするべきだと感じています。

社会人になってからでも趣味のひとつとしてダブルダッチが普及したら良いと思っています。本当はやりたいけど一緒にやる人がいない、練習場所がない、と諦めてしまう人もいるので、そういう人たちのためにもダブルダッチができる環境をつくりたいと考えています。

僕のビジョンは、ダブルダッチがもっと身近なものになることです。「ちょっと集まってやろうよ」と、気軽に言えるようになってほしいですね。コミュニケーションツールにもなりますし、誰でもできるスポーツなので、ダブルダッチの魅力を少しでも多くの人に知ってもらいたいです。ダブルダッチ人口を増やしつつも、さまざまな形でダブルダッチに関われる人を増やしたいので、そのお手伝いもできればと思っています。

いろいろと活動して感じるのは、何事も行動しないと始まらないということです。僕は「イベントをやります」とまず宣言して、言ったからにはやるぞと行動をし始めました。もしうまくいかずに悔しい思いをしても、行動したからそういう経験ができたんだと思って、行動を重ねていってください。

そうするとまわりに見てもらえるようになり、協力してくれる人も現れます。応援してくれる人が増えるとできる幅も広がっていくので、まずは言葉に出すだけでも良いです。行動することがとても重要なので、何か少しでも考えていることがあるのなら1歩行動に移してみてください。

ベンチプレス世界王者が語る「パワーリフティングの魅力と課題」

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ベンチプレス世界王者の山下保樹さんは、会社員として働きながら、『8suki gym(ヤスキジム)』の運営もしています。ベンチプレス ・パワーリフティングの第一人者である山下さんに、パワーリフティング競技の魅力や、世界王者になるまでの道のりなどについて伺いました。

ベンチプレスで「日本一になれる」と確信

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私は小学生くらいのときから、漠然とですが「何かで日本一になろう」と目標を持っていました。しかし、初めからベンチプレス・パワーリフティング競技で日本一になるぞ!と決めていたわけではありません。

むしろ当時は野球をやっていて、高校生まで続けていました。自分で言うのも恥ずかしいですが、私は頭を使って何かに取り組むことが苦手です。正直、野球は運動神経や練習量はもちろんですが、頭脳戦ができる頭の回転も必要だと思い、高校の途中で野球を辞める決断をしました。

次に何をしようかと考えていたとき、たまたま学校の部活にパワーリフティング部がありました。「これなら日本一になれる」と、直観的に確信したので始めることにしました。

というのも、野球が頭脳も使う競技なら、ベンチプレスや陸上などは、『絶対値』を競うものだと私は考えています。つまり、自分の努力次第でいくらでも極めることができるので、頂点への道がより明確なところが魅力でした。

そこから1年後には高校チャンピオンになり、18歳になる頃には日本代表として選ばれるようになりました。

圧倒的な実績をつくる秘けつ

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高校チャンピオンや日本代表などの実績を出せた理由は2つあります。

1つ目は、シンプルに「取り組む時間を増やす」ことです。つまりは、めちゃくちゃ練習しただけです。高校のときでしたら、16時から19時まで部活で筋トレをし、部活が終わると栄養補給として食事をして、19時半〜22時までジムで筋トレ、そして、家に帰り寝る前に30分ほど筋トレをするという生活でした。

当時は、家には寝るために帰るという生活でした。そうやって、週に6日は筋トレをする生活を3年間やっていました。そのおかげで、数々の大会でタイトルを総なめにすることが出来ました。

2つ目は、「利益関係なしに、取り組んでいることが大好き」ということです。日本では、ベンチプレス・パワーリフティング競技はアマチュアスポーツです。大会に出るエントリー費や、会場までいく遠征費などすべて実費で出すことが当たり前です。

パワーリフティングをやっている方の多くは、会社員として働きながら活動費を自分で捻出しています。もちろん、私も例外なく会社員として働き、会社が終わると、自分で経営しているヤスキジムでの活動もしています。

パワーリフティングをするには資金がかりますが、それでもなぜ私がパワーリフティングを続けているかと言うと、答えはシンプルで「パワーリフティング競技が好きだから」の一択です。

敵はあくまで自分だけで、努力したら努力しただけ結果となっていく絶対値を競うこの競技が大好きなので、いくらでも練習できます。

パワーリフティング競技の現状と今後の目標

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ベンチプレス・パワーリフティングはとても魅力ある競技ですが、残念ながら、日本ではまだアマチュアスポーツとしての位置づけです。どれだけ努力しても「趣味を頑張っている」と言われてしまうかもしれません。

私が日本代表になったときは、日本代表専用のジャージを3万円ほど出して自分で準備しましたし、15年かけて念願の世界チャンピオンになったときでも、賞金などはありませんでした。とても夢がないことをお伝えしてしまっているかもしれませんが、これが今のパワーリフティング業界の現状です。

この業界は、ドーピングする選手がいることや、見栄えが良いと言える競技ではないのでまだまだ日本での認知はそこまで広まっていません。しかし、海外では正式にプロスポーツとして認めている国も多数あり、遠征費などの活動に対する手当もあります。

私は、ベンチプレス・パワーリフティング競技が大好きです。それなので、今ジュニアでやっている若い世代がより活躍しやすくなり、大人になったときに世界進出しやすくなる基盤をつくっていくことが今の目標です。

私自身がより活躍することで、パワーリフティング競技の知名度をさらに上げて、支援してくださる団体様と手を組めるように今後も実績をつくり続けていきます。

日本総合トレーニング協会会長が提案する「20年先を見据えた身体づくり」

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日本総合トレーニング協会の会長である黒川雄介さんは、“使える筋肉”、“20年先を見据えた身体”を造り上げる黒川式トレーニングを提唱。キックボクシングとトレーニングを主軸に、ストレッチ・整体・ヨガ・食育と総合的な身体づくりとケアを提案しています。今回のコラムでは、ジムを立ち上げたいきさつから、今後の活動の展望までお話を伺いました。

ファンが増えすぎてジムを設立

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_黒川雄介さん_ジム

私は日本体育大学に入学して、卒業する1年前くらいからとび職人をやっていたので、そのまま、とび職人として進路を進めようとしていました。しかし、両親から「一度で良いから就職をして欲しい」と言われ、大手企業の身辺警護要員(SP)として就職しました。

SPの部署で5年間、人事総務として5年間の経験を積むなかで、身辺警護の研修講師を任されるようになりました。護身術や逮捕術はもちろんですが、アテンドの仕方などホスピタリティについて講師をさせていただくことも。海外の要人や著名な方のSPを担当することもありました。

講師として活動するなかで、護身術を教えていた格闘好きな受講生の方から、「打撃系にも興味ないですか?」と声をかけていただきました。当時は合気道と護身術の経験しかなかったのですが、その受講生の方が、おすすめのジムまで調べてきてくださり、それがキックボクシングを始めたきっかけです。

気づいたときには、筋トレのレッスンの前身となる『黒川塾』というものがいつの間にか出来上がっていて、私のファン・お弟子さんがたくさんできました。ありがたいことに「指導してもらうなら、黒川さんに教わりたい」という声が多くなり、周りに背中を押される形で独立することを決めました。

当時を振り返ると、お金にそこまで執着がなかったので、損得勘定なしに相手に喜んでもらいたい一心で行動していました。また、自分の家族と思って皆さんに関わっているので、そうした「心でつながっていく関係」が良いと感じてくださった方が多かったから独立できたと思っています。

協会を設立し、総合的なトレーニングを提案

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_黒川雄介さん_キックボクシング

Body Make Studio LEO / LEO GYMでは、キックボクシングのジムとしての活動と、ヨガや食育の講演も私が自ら行ったりもしています。また、ジムの活動以外に、日本総合トレーニング協会を設立したのには大きく2つの理由があります。

1つ目は、「クライアントの未来を見据えた健康で総合的なトレーニングやケアの提案を主流にしていきたい」というものです。

現在のトレーニング業界で主流となっているのは、短期間で集中してトレーニングや減量を行うメソッドです。プロテインやサプリに頼ってマニュアルに従いながら短期間で一時的に体を変化させます。ダイエットできると勘違いされていますが、当然のようにリバウンドしますし、内臓にも大きな負担がかかっています。3か月ほど経てば関係性がなくなり、その後は知らないというようなやり方は、いかがなものかと思います。

お金儲けが先行していて、クライアントの健康に害を及ぼすような方法が蔓延している現状に、私は危機感を覚えています。

また、トレーナーが間違った指導をして怪我をさせてしまった場合、ほとんどのケースが「病院に行って診てもらって下さい」のひと言で終わります。私は、トレーニングからケアまで総合的な提案が出来て初めて一流のトレーナーだと考えているので、総合的なトレーニングの提案を形にするために協会を設立しました。

2つ目は、「賛同してくれる仲間や後継者を募り、黒川イズムを継承していきたい」という思いからです。仮に私が不運にも今日事故などで命を失ったり、このジムが何らかの事情で無くなったとしても、協会という場を活用して個人でも仕事をして生活していけるようにしていこうと思ったからです。

私のジムのスタッフだけでなく、外部の理学療法士の方やパーソナルトレーナーの方も在籍しているので、今後はより幅広い地域で展開していきたいです。

結果をつくるまで意地でもやり続ける

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_黒川雄介さん_子供たち

今では、ジムでも協会としても実績をつくったので活動ができていますが、立ち上げ当初の1〜2年はとても苦労しました。立ち上げ期なので、資金が潤沢にあるはずもなく、資金繰りに頭を悩まされました。ジムの内装などはすべてDIYでお金と時間はかかりましたが、その分、愛着が湧いてきます。

実績のない状態での独立だったので、同業者からの嫌がらせや周囲の妬みもあり、余裕がなく毎日泣きながら1つひとつ実績を積み重ねて、スタッフや会員の方を守るためにも奮闘していました。

ある程度やりたいことを形にする基盤が出来てきたので、今後の展望としては、身体能力が低下している現代の子どもたちに、土台となる身体能力を高めるお手伝いをすること。また、私のジムがきっかけとなって、周辺地域の方同士で助け合いができるコミュニティ形成の一翼を担うことができれば幸いです。

私自身まだ挑戦中の身ですが、前述したように現在のトレーニング業界の現状にメスをいれて、クライアントの未来を見据えた健康で総合的なトレーニング提案が主流となるよう活動を続けていきます。

一度始めたなら、意地でも結果を残すまでやること

格好良いことを言わせていただきましたが、この仕事に誇りをもっていますので、これからも格好をつけて活動していきます。

全日本選手権で優勝経験をもつテニスプレーヤーが描く「テニスと経営者のデュアルキャリア」

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_森崎可南子さん_テニスプレイヤー

茨城県出身の森崎可南子さんは筑波大学を卒業後、プロテニスプレーヤーとして現在も活躍しています。全日本選手権では、22年ぶりに学生でダブルス優勝を果たし、国際大会でも何度も優勝を経験しています。現役プレーヤーとして日々活躍している森崎さんに、テニスを始めたきっかけや、試合で意識していること、今後のビジョンについて伺いました。

母親のひと言で闘争心に火がつく

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_森崎可南子さん_テニスは挑戦

みなさん、はじめまして。プロテニスプレーヤーの森崎と申します。ありがたいことに、2017年と2019年の全日本選手権ではダブルスで優勝、混合ダブルスでは準優勝の成績をおさめました。ユニバーシアード日本代表としても試合に出させていただき、国際大会でも15回の優勝経験があります。団体では金メダルを獲得しました。

元々は両親が趣味でテニスをやっていたことから、3歳でテニスをやり始めました。幼稚園の頃は何にでも興味があったので、男子に交じってサッカーをはじめ色々なスポーツをやっていました。それでもプロのスポーツ選手を目指すならばとテニスを継続。テニスに打ち込む環境にも恵まれ、テニスひと筋の人生が始まりました。

小学校1年生からスクールに通うようになり、正直不安もありましたが、母親の「じゃあ、やめれば?」というひと言に闘争心が燃え、ずっとテニスを続けています。テニスは突き詰めるほど奥が深いと実感します。今までできなかったプレーができるようになると成長を感じ、ひとたびハマると続けたくなります。

大事なのはパートナーとのコミュニケーション

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_森崎可南子さん_テニスプレイヤー

一方、練習は楽しいことばかりではありません。一番しんどくてやめたいと思ったのは小学校4年生のとき。テニスクラブに入って、韓国人のコーチの指導を受けていましたが、周りは中学生や高校生、しかも男子がたくさんいました。体格がまったく違うなかで一緒に練習するのはかなり大変でした。

なかでもキツかったのが、ウォーミングアップとして取り入れていたタイヤ引きです。今の基礎体力の根幹となっているのは間違いないですが、当時は本当にハードでした。

「試合前に緊張しないですか?」と聞かれることがありますが、もちろん緊張を感じることもあります。特に団体戦で自分の勝敗がチームの命運を左右する場面では、よりプレッシャーがあります。実は、シングルスよりもダブルスの方が安心して試合に臨めます。1人でやるよりも、パートナーがいる方が心強いと感じるからです。

テニスはよく心理戦だとも言われますが、個人的には実践で積み重ねた経験が大事だと思います。一番大切なのはパートナーとコミュニケーションを取り合うことです。

幸い全日本選手権ではダブルスで優勝しましたが、振り返ってみると個々の調子はもちろんですが、パートナーとのコミュニケーションの質が良い時は自然と結果もついてきます。勝ち負けにこだわっているときよりも、パートナーとお互いを信頼しあい、声をかけあってプレーすることが楽しいと思えたとき、いつの間にか優勝していたような感覚です。

プレーヤーと経営者のデュアルキャリアが目標

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_森崎可南子さん_テニス以外の挑戦

今大事にしていることは、プロテニスプレーヤーとして世界中を転戦しながら、テニス以外にも領域を広げることです。イベントやYouTubeに出演し、Webライティングや経営についても学んでいます。

そこでは経営者としてもですし、ひとつの仕事に囚われず、アスリートだからこそできること、伝えられること、という新しい考え方に出会いました。将来的にはプロテニスプレーヤーでありながら、経営者としてのデュアルキャリアを描いています。

将来、テニススクールを設立したり、コーチとしてやっていくようなプランは立てていません。引退したあとも、テニス競技とはちがう緊張感を持って、毎日挑戦する日々を送りたいと思います。具体的にはカフェをやったりアパレルブランドを持ったりしたいですね。オシャレなテニスウェアや他のジャンルの服も手掛けていきたいです。

テニス以外の道でもうまくいくために意識していることは、人にたくさん会うことです。自分とはちがう価値観や考え方を持つ人に出会うことはとても大切だと感じます。

テニス以外のつながりを持つことで、自分の可能性が広がる感覚があります。テニスのダブルスでもコミュニケーションが大事となるように、人と出会うことで価値観を広げ、今までにやったことがないことに挑戦し続ける人生を歩みたいと思います。

スラックレールを通して世界中の人がつながる場所をつくりたい

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シルバニアファミリーなどを手掛けるおもちゃ会社・エポック社で「野球盤を復活させた男」と呼ばれた高島勇夫さん。おもちゃ業界で培った豊富な経験から、2017年にジリリタ株式会社を立ち上げ、体幹・バランス・集中力を養うことができるスポーツトイ『スラックレール』を開発。特許を取得したオリジナル商品で、世界に挑む高島さんのこれまでに至った経緯を伺いました。

『野球盤』を復活させた男

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僕は10歳から愛知県で育ち、大学では工学部に入学し、ぶっきらぼうで人と話すことが苦手な学生でした。愛知県なので就活では車関係の仕事を考えたのですが、勉強を全然してこなかったので就職は難しいと感じていました。

どの業界が良いかと考えたときに「おもちゃは作れるのではないか」と、ふと思いました。面接でも、おもちゃへの思いを褒めてもらったり、応援してくれる人もいて、最終的に『エポック社』に入社することができました。

開発希望で入社しましたが、最初に配属されたのは大阪の営業部署。心の底から人と話したくなかったのですが、関西のおっちゃん達に揉まれ、徐々に話せるようになりました。

その後、東京に異動してしばらくは開発と営業の橋渡しの役割を担っていました。また、当時はテレビゲームが主流で見向きもされていなかった『野球盤』というボードゲームをリバイバルして、「野球盤を復活させた男」と、当時一緒に頑張ってくれた後輩たちから呼ばれました。

野球盤はエポック社の創業商品ですが、当時は売上も低迷社内の雰囲気も非常に良くない状況でした。古参社員から若手までの社員の士気を統一する狙いもあったのですが、それを知る方はごく一部です。

エポック社でやり尽くした後、『食玩』と呼ばれるカテゴリーでミニチュアを作っている『リーメント』に転職。ニッチな業界ではあるのですが、営業としてアメリカなど海外にも行きました。

元々、自分でおもちゃを作りたいと思っていましたが、ずっと営業畑で働いてきたので生産する能力がないことに気づきました。試作は作れるが、いざ形にしていこうと思ったときに工場とどう折衝して良いのか分らない状態。「これはまずい」と思って、工場でのコミュニケーションを学ぶために町工場へ転職しました。

3年間の修行期間を経て独立へ

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_思いが大切

僕は我が強いので理不尽なことがあると、よく周りとぶつかります。思いよりも効率や売上に偏ってしまうのも仕方がない反面、「そもそも何がしたいんだ」と考えてしまいます。

おもちゃで遊ぶ子どもがいて、買ってくれる大人がいて、どうやったら子どもが夢中になれるかを考えるのが出発点。お金や効率など先を想定して、答え合わせをしている会社の方針に違和感を覚えてよく意見が衝突していました。

町工場の社長がワンマンで、社員が許せないほど冷遇されていた時期がありました。僕が3年で抜けることは既知の事実でしたが、辞めた後に皆がちりぢりになるのはもったいないと感じ、2017年12月にジリリタ株式会社を立ち上げた後、結果的に3人の社員を抱えることになりました。

銀行との交渉の仕方も分からないなか見切り発車で進みはじめ、とにかく皆が食べるために売上をつくる必要がありました。玩具メーカーは先行投資があり、売れるまでに時間がかかってしまうリスクがありますが、それに比べてアニメグッズは短納期の商売です。まずはそれで食いつないで、余裕ができたらおもちゃメーカーをやろうと考えていました。

スラックレールとの出会い

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_スラックレール

起業する半年ほど前に、スラックラインというスポーツに出会いました。弊社には『スラックレール』という商品があるのですが、最初は身内だけの練習用として作ったアイテムでした。

広まるきっかけになったのは、長野の小布施町のお坊さんです。その方がスラックライン推進機構という団体もつくっており、スラックレールの試作を試してもらいました。最初は半信半疑だったお坊さんも、実際に使ってみたところ大絶賛。「すぐに商品化してほしい」と言われて、一気に商品開発・販売までいきました。

ルートをつくるまで大変なことは分かっていたので、まずはスラックラインの練習用として、グループチームでテスト。次にスポーツの展示会である『スポルテック』に出展しました。

展示会の最初は、予想どおりみんな素通りしていきました。それでもスラックレールに乗ったら価値が伝わると分かっていたので、途中から『スラックレールマン』と名乗り、「僕より長く乗れたら一本上げる」と宣伝し、200人くらいの方にチャレンジしてもらいました。

「これこそ追い求めていたものだ」という人もいて、反応は上々。保育園、デイサービスの人たちから、プロのアスリートまで使ってもらえるようになりました。スラックレールは老若男女、障がいや国籍を問わず全員をつなげることをコンセプトに作っていて、子どもたちが自由に遊ぶ姿を見るとうれしくてたまりません。

コミュニケーショングッズとしても展開していて、おもちゃが間に入ることで接点が生まれて、コミュニケーションのつなぎになることも大切にしています。

世界中の人が知っている商品へ

見出し4画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 高島勇夫さん_全員をのせる

僕は46歳で起業するまで、どこか自分でブレーキをかけてしまっていましたが、起業するには「勇気」しかないと思います。行動を起こそうとすると、お金・生活・家族などの言い訳がすぐに出てきます。お金なんていつまでたってもたまらないし、夢だけ語って動かなければ意味がありません。

起業前に、パパ友の内装の職人の手伝いに行っていた時期があり、どんどん上達して、「一緒に仕事をしないか」と声をかけられました。そのとき、自分に何かあったとしても、内装の仕事でも生活できると確信しました。

何も武器がないのは怖いですが、何かお金にできる武器を持つことで自信につながります。追い込まれたとしても、「いつでもそっちの道にいける」という感覚を持ちながら挑戦することが僕にはできました。実際に内装の仕事が簡単ではないこともわかっていますが、ある意味自分を洗脳したのです。

これからのビジョンとしては、ユーザー70億人のメーカーとしてスラックレールを世界のヒット商品にしたいです。縄跳びやフラフープのように世界中の人が認知していて、人々が仲良くなれるきっかけになるのが理想です。その先の世界平和につながると思うので、広める意味があると感じています。

オーナーはボクシング元日本王者。逆境をバネに地域で愛される整体サロンの秘訣

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_プロフィール

元ボクシング日本チャンピオンである金光佑治さん。試合中の大きなけがでボクシングを引退せざるを得なかったところから、ボートレーサーになり、現在は大阪府堺市でオーダーメイドの整体サロン『ほぐし屋KID』を経営されています。まったく異なる世界に飛び込んだのはなぜか。そして今後の展望について、多くの経験から感じたことも織り交ぜながら語っていただきました。

『ガチンコファイトクラブ』に憧れて

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_ボクシング優勝

ボクシングを始めたきっかけは、高校時代のときに観たTBSの『ガチンコファイトクラブ』という番組です。元ボクシング世界チャンピオンの竹原慎二さんが出ていて、「ボクシングってかっこいい」と思って興味を持ちました。ちょうどクラスの友達がボクシングジムに通い出したので、一緒に連れて行ってもらったのが始まりです。

最初はプロボクサーや、チャンピオンになりたいという気持ちはありませんでしたが、やり始めたら次第にボクシングの世界にのめり込んでいきました。ジムの会長やトレーナーからも「いいものを持っている」と言っていただき、プロボクサーを目指して本気でトレーニングに励むようになりました。

努力の甲斐もあって日本チャンピオンになることはできたのですが、その試合で網膜剝離と硬膜下血腫になり、引退を余儀なくされました。このタイトルマッチは本当に激しい試合で、1ラウンドから最終ラウンドまで一進一退で殴り合いの展開。両者ともダメージがひどく、僕は網膜剝離と硬膜下血腫でしたが、対戦相手は3日後に亡くなりました。

世界チャンピオンを目指していたので、志半ばの引退に未練のような複雑な気持ちはありましたが、対戦相手が亡くなったという現実もあって、当時はボクシングに対する怖さも感じていました。

ボクシングをやっている人は危険なスポーツだと認識していると思いますが、自分が大けがをすることだけでなく、対戦相手が亡くなる可能性があることも考えて取り組んでいる人は少ないと思います。格闘技は命を懸ける覚悟を持つ競技なので、中途半端な気持ちでやるべきものではないと自分の経験から強く思います。

表舞台に立ち続けたい一心からボートレーサーに転身

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_ボードレーサー

25歳でボクシングを引退し、そこから就職を考えていたときに、ボクシング時代にお世話になった人からボートレーサーを勧めてもらったんです。ボクシングの指導者をしながら企業に勤めるという道も考えましたが、表舞台で活躍できる場を探していたので、そこは直感でボートレースをやろうと決めました。

これまでも自分が「これだ!」と思ったときは迷いなく選択してきました。ボクシングとボートレースはまったく違う世界ですが、やってみたいと心が動いたので、やることに対しての抵抗はありませんでした。

ボートレーサーは全国に1,500人いて、半年に1度30人の新しい選手が誕生します。逆に言えば、入ってきた分、成績が振るわなかったら切られるということです。プロスポーツなので、成績を残せないのは、需要がない・価値がないということ。プロはどこも厳しい世界です。

僕は「日本一ヘタなボートレーサー」と言われていました。元ボクシング日本チャンピオンがボートレーサーになったので、デビュー当時は少し注目されていましたが、蓋を開けてみたらお粗末なものでした。結果がなかなか残せず、7年で実質クビになりました。

今では笑い話にできますが、当時はつらかったですし、誹謗中傷で精神も病みました。きつい時期を過ごしましたが、それでも自分のなかでは7年間やりきりました。

僕のモットーは、「途中で諦めない、逃げない」ことです。つらい状況から逃げてしまったら、この先にまたつらいことがあったときに逃げ癖がついてしまうと思います。やりきったと思えたら辞めたらいいですし、それは逃げではないと思います。僕は自分の気持ちを1番大切にして生きています。

整体サロン『ほぐし屋KID』を開業

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_金光佑治さん_リラクゼーションサロン

『ほぐし屋KID』を開業したきっかけは、アスリート時代に自分の体のケアをしてきた経験と、マッサージを受けるのが好きだからです。好きだからこそ、お客様目線の気持ちが分かると思っています。お客様が求めていることを理解し、それを自分の経験の付加価値をつけて提供することが、このお店のコンセプトであり強みです。

大阪府堺市で開業したのが2020年3月。その2カ月後に1回目の緊急事態宣言が発令され、最悪のタイミングでした。開業当時はまともに営業ができず、再開してもステイホームと言われている時期だったので、お客様がまったく来てくれない状態でした。

思うように売上があげられず、2年連続赤字です。それでもお店のコンセプトを基に真摯に仕事に取り組んだ結果、少しずつ立て直してきています。ただ赤字が続いて厳しい状況なので、クラウドファンディングを始めました。

コロナ禍の開業は、言ってみれば底辺からのスタート。生き残ってさえいれば後は上がるだけという気持ちです。現実は変えられないですし、自分がどう変わっていくかしかないので、同じことをやるなら、前向きに取り組んだ方がいい結果を出せると思っています。

クラウドファンディングをきっかけに、連絡をくださった方、支援・応援をしてくださる方も現れ、改めて人の優しさ、温かさ、自分は人に恵まれていることを感じました。クラウドファンディングに挑戦して良かったですし、お店の継続が応援してくださっている人たちへの1番の恩返しだと思っています。

僕には家族がいるので、家族の笑顔を守るために、そして家族と同じくらい自分の人生も大事なので、好きでやっているこの仕事をこれからも続けていきます。

コロナ禍を機に生まれたオンラインマラソン。健康経営のIT社長が着目するオンラインスポーツの可能性

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山内祐司さん_ITDESIGN

世界で推進してるSDGs17の目標のひとつに、「すべての人に健康と福祉を」とあるように健康に対するニーズは、年々高まっている傾向にあります。コロナ禍による自粛モードのなかで、ITとデザインの技術を駆使してオンラインマラソンを開催している株式会社ファインシステム社長(取締役COO)の山内祐司さん。IT技術と共に進化していったマラソン大会を軸にお話しいただきます。

バーコードからICチップへ。進化したマラソン大会

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山内祐司さん_タイム測定

私が、株式会社ファインシステムに新卒で入社したのは25年前になります。当時は5、6名くらいの会社で、初めてパソコンができる専門学校卒の学生として、私が採用されました。

コンピューターの専門学校を卒業しましたが、実は勉強を全然してこなかったので、入社してから期待に応えようと必死になりました。営業職を経てシステム開発をするようになり、デザインもできないかと打診されてデザインにも取り組みました。

入社した頃から、マラソン大会におけるタイム計測のデータ化という技術の導入に会社が着手し始めていました。当時のマラソン大会の多くは、1,000人、2,000人のランナーがゴールするのを手書きで記録して、その隣でストップウォッチを押す人がいて、あとで突き合わせて記録を出すという流れでした。それを簡単にできないかと、とあるご縁のあるイベント会社の方から先代社長が相談を受けて、課題解決に取り組んでいったことがきっかけとなります。

その頃はまだバーコードシステムが使われていました。バーコードシステムとは、パソコンをゴール前に置いて、エンターキーを押すことでタイムを記録します。ゼッケンの横にバーコードが印字されているので、ゴールの先でバーコードを読みとってタイム(記録)と、ゼッケン(個人)を照合することで結果データができあがり、集計が可能となる仕組みです。

そうすると、ランナーがゴール地点にたくさん並んでしまって、並んだ先で順位が変わってしまうという問題も発生します。ゴールの先まで人が並んでしまい、ゴールができないなんてこともありました。記録がデータ化され始めてきていましたが、さまざまな課題を抱えていました。

そこから技術が発達して、バーコードからICチップを導入したタイム計測に変わっていきます。ICチップの良いところは、ゼッケンや足につけたICチップがゴール前のマットを通過することで、ICチップに記録されているデータとゴールしたタイムが同時に測定できることです。これで記録がスピーディーかつ正確に出せるようになりました。ITを使うことで、マラソン大会のタイム計測の課題解決ができました。

このような技術はマラソン大会だけではなく、国体やインターハイでボート・カヌー・アーチェリー・相撲・レスリングといった競技の集計でも活用しています。

走る機会を失ったランナーを救ったオンラインマラソン

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山内祐司さん_オンラインマラソン

2、3年前に新型コロナウイルスが流行ったことで緊急事態宣言が出て、リアルなイベントは次々と中止になりました。マラソン大会は会場にたくさんの人が集まるものなので、もちろん自粛せざるを得ませんでした。ランナーは走る場所を失ってしまったんです。

携帯や時計に内蔵されているアプリを使って自分で計測する仕組みはありますが、ひとりでやってもモチベーションがあがらず、継続するのが難しくなることもあります。

リアルなマラソン大会は、大会に出るために練習しようとか、記録を作りたいからやろうとか、ランナーの目標になります。その思いに応えるために始めたのが、オンラインマラソンです。

私たち以外が主催するオンラインマラソンもあります。そこで私たちはITとデザインの技術を使って特設サイトを立ち上げました。サイトでエントリーをしたら番号が発行され、専用の投稿フォームから自分のタイムと走行距離をアップしてもらいます。GPSやアプリで計測した結果の画面キャプチャーもアップしてもらうことで、記録の信ぴょう性を図っています。

今まで培ってきた技術を土台にしているので、技術的には難しいものではなかったのですが、開催をしていくとさまざまなニーズや課題も出てきます。「こうしてほしい」「こうならないのか?」など、たくさんの意見をいただきます。その声を反映させて、より使いやすく、よりシステム化させていきました。

オンラインマラソンも色々な意見があり、リアルの方がいいという方もいらっしゃいます。

リアルの利点は、同じ場所に人が集まって一緒に走ることで共感が生まれることです。一方でオンラインはその場に行かなくてもよくて、自分でコースや走る時間帯が選べるなど、自由度も高く参加しやすいのが利点です。

オンラインマラソンでランナーとメーカーをつなぐ

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_山内祐司さん_お ンラインスポーツ

オンラインマラソンはリアルのマラソン大会の代替えですが、その先に何かもっと価値が提供できるんじゃないかなと思いました。さらなるお役立ちにつながるようにならないかと考え、商品のPRと効果計測を同時に行う試みをはじめました。

スポーツする人が好むような商品を参加賞として配って、それを履いたり身につけたりして走ってもらうルールにするのです。ランナーは2,000円くらいの参加費で4,000円相当の商品がもらえるので、とてもお得なんですよ。商品を提供するメーカー側からすると、参加賞としてグッズを配ればそれだけ利用者が増えます。

専用サイトで記録を投稿するときに写真をアップしてもらったり、コメントをアップして盛りあげてくれたりしたら景品が当たる、としたらみんながアップをしてくれます。それがお客様の声になり、使用事例の写真にもなります。マラソン後のアンケートに答えてもらったら、それは使用した人たちのリアルな声なので、次の商品開発につながります。

ランナーには楽しんで走ってもらえて、メーカーは自分たちの商品のPRをしてもらいながら効果測定ができます。うちの会社は参加料が収益になり、その収益で大会継続や企業の利益につながります。こうやって運動機会を生み出すことで、健康経営や健康寿命を延ばしていくという部分で、世の中に寄与できると考えています。

私はスポーツの可能性に注目しています。スポーツそのものがSDGsとの親和性がいいので、全17項目すべてを満たす可能性があるんです。オンラインスポーツをきっかけに、世の中へ運動促進や、心と体の両面が健康で元気である状態になれるように貢献できたらと思っています。

師匠との出会い

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_師匠との出会い

14歳の時にプロレスの試合を観て「俺のやりたいことはこれだ!」とひらめき、以来自己流でプロレスラーを目指し、23歳の時にアマチュア大会で全国制覇した池本誠知さん。その後も第3代DEEPウエルター級チャンピオンを獲得し、現在も現役格闘家として活躍しています。今回のコラムでは、森会長との出会いから、現役格闘家としてこだわっていることなどを語っていただきます。

師匠は自分の可能性を見出してくれた

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_みんな

全日本プロレス入門を目指していた池本少年は、高校卒業式の日に、学生服を着たまま、目をキラキラ輝かせて河内天美駅前にあるライルーツコナンに入会しました。念願の格闘技ジム入会の日です。

そのライルーツコナンで、格闘技の師匠、森会長と出会いました。森会長は、旧UWFで活躍されていた選手です。この会長との出会いで、プロレスの道から総合格闘技の道へ行きたいと夢を方向転換したのです。

会長とスパーリングした時に、僕に対して「センスあるから格闘技でプロを目指せへんか?」と言ってくれました。「お前ならいける」そう言われて、正直嬉しかったです。周りからは、「ガリガリやから」とかで、みんなに夢を反対されていた自分にとって、会長の言葉は勇気や希望を与えてくれました。自分の将来の可能性を見出してくれたのです。

会長からは、たくさんのことを学びましたし、当時は、道場破りみたいな人もたまに来たので、会長が制裁するところも見ました。今では、考えられないことがたくさんありました。毎日練習で顔を合わせ、一緒に試合や遠征にも行ったし、合宿、飲みにも行きました。練習は、半端なく厳しかったです。いつも竹刀を持ってましたね(笑)

でも、会長の追い込み練習をやると、「こんなにきつい練習してるやつはいない」と思えて、自分に自信が持てました。

言い訳ではなく状況をプラスに考える

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_少年時代上半身裸ガッツポーズ

ある日、足を痛めて今日は練習できないと僕が言うと…

「足が折れていても、寝技ならできる」
「片腕が折れたら、反対側の動く方を鍛える」

と、無茶に思うかもしれないけど、怪我を言い訳にせずプラスに考える、できることをするという考えは、今も人生に役立っています。

当時、周りの同級生やジムの仲間は、大学などに進学すると金曜日や土曜日の週末は、コンパや飲み会へ行ってました。自分は、格闘技でプロを目指すからには、週6日練習して当たり前と考えてました。

休むことは、まずありえなかったし、休むと普通の選手で終わっちゃうと思っていました。周りが遊びに行っても、成功したら、いくらでも遊んだらいいと自分に言い聞かせて、練習に明け暮れましたね。

ジムの練習で意識していたのは、レッスンなどで会長に技を習ったら、その動きを誰よりも早くできるようにするということです。自分には、パワーが無いと分かっていたから、スピード、スタミナ、気持ちを強化しないと、トッププロには通用しないと感じてました。

常に人に観られている意識を持つ

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_観客

常にこだわっていたことは、練習中でも、人に観られる意識を持つことです。その意識で練習していると、お客さんがいても緊張したりあがったりしません。むしろ人に見られたら燃えると、普段以上の力が出ることも…

戦いに関しては、「冷静かつ残虐、獰猛に戦え」と、会長から言われていました。すぐにカッとなって自分を乱すのではなく、冷静に相手の弱いところを躊躇なく攻めていく。これは、戦いにおいて非常に大事なことです。

また、おとなになってから、「プロを目指すのを諦めたことは⁉️」という質問を良く受けます。

諦めたことは、もちろんありません。なれなかったらこっちにいこうという選択肢は無かったし、とにかく格闘技が好きで、他に格闘技より魅力的なものはありませんでした。

ライルーツコナンは、師匠との出会いもありましたが、仲間との出会いもあり青春の場でもありました。その内容は、YouTubeで一度酒を飲みながら撮影しましたが、放送できない内容になりました(笑)

次回は、その辺りの話せる範囲。
一応、校長の立場なので…

書いてみようかな⁉️と、思います。
でもやめておきます(笑)

将来の夢は、プロレスラー

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_筋トレ

14歳の時にプロレスの試合を観て「俺のやりたいことはこれだ!」とひらめき、以来自己流でプロレスラーを目指し、23歳の時にアマチュア大会で全国制覇した池本誠知さん。その後も第3代DEEPウエルター級チャンピオンを獲得し、現在もなお現役格闘家として活躍しています。今回のコラムでは、どんなきっかけでプロレスラーを目指したのか、どんな信念で夢を実現したのか、語っていただきます。

中学時代に魅了された”リングで戦うオトコ”

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_少年時代

14歳の頃の自分は、塾に3つ通っていた。私立受験を目指すメンバー達と毎日、深夜まで勉強。勉強は、嫌いでは無かった。それまで習い事は、野球、スイミング、そろばんあたりをやってきたかな。

中学に入った時は、サッカー部。当時Jリーグが無かったので将来できないのならと熱が冷めてしまい退部。成績は、クラスで男子で2番だった。将来は漠然と良い大学に入ろうと思って勉強を頑張っていた。

いつも深夜まで勉強してて、母親が、夜食や紅茶とか作ってくれた。勉強を頑張るひとつの楽しみだった。勉強の合間にひと息ついてなんとなく、TVをつけると全日本プロレスの試合中継が流れていた。

TV画面に流れた光景は、天龍源一郎というプロレスラーが気持ちのこもった熱い戦いを繰り広げていた。お客様も大熱狂していた。その瞬間に、池本少年はリングで戦うオトコに魅了された。魂が震えた。「人をこんなに熱くさせる仕事あるんだ

衝撃的だった。自分もあのリングに上がりたい。プロレスラーになりたい。それから、勉強に興味が無くなり必要最小限しかやらなくなり塾も辞めて、毎日、腕立て、スクワットを自己流でトレーニングを始めた。

プロレスマンガや雑誌を買い漁り、毎週プロレス番組を録画した。間近で、勉強からプロレスにシフトするのを見ていた親はビックリした。いつまで続くのかな?って感じていたのかと思う。

「いつか絶対に見返してやる」プロレスラーへの誓い

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_ラリアットブレーンバスター

学校でもプロレス協会を作って、休み時間になると、廊下や教室の後ろをプロレスのリングに見立てて、友達とプロレスごっこを楽しんだ。あまりにプロレスをしたくて学校が休みの日に体育館のガラスを割って侵入して、セフティーマットやロールマットを使いリングっぽく作ってプロレスごっこをした。

最後は、パワーボムという技で1人の肩が脱臼して体育館を出れなくなり、用務員のおっちゃんに鍵を開けてもらってなんとか出られたが、次の日呼び出されてこっぴどく怒られた。中学のアルバム整理してたら、修学旅行でブレンバスターしてる写真を見つけたよ。

海やプールに行っては、プロレス。
ベッドやセーフティーマットを見つけては、プロレス。
とにかくなりたい職業を見つけた中学時代。

また、アマチュアプロレス団代JWAにも入団した。そこではあのCIMA選手と出会った。中2の時の夢は、プロレスラーだった。

中3の時には、進路相談の面談が始まった。自分は、プロレスラーになるから高校は行かないと決めていた。

担任の先生からは、「成績上位だし、高校に行かないのはもったいない」とか、なによりめちゃくちゃ身体の線が細かった(ガリガリ)自分のカラダを見て「プロレスラーは、危ないしなられへんよ」と言ってきた。

自分は悔しくて「いつか絶対に見返してやる」と心に誓った。

出来ないと決めつけず出来ることに目を向ける

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_池本さん_筋トレ

最終的には、塾にいつも通わせてくれた親が、「高校生活は、友達を作ったりたくさんいろんな経験を積めるから行ってほしい」と言われて、勉強する気はないけど、行ってみようという気になった。

もちろん行って良かったが、進学校に入ったため勉強についていけず、遅刻は3日に1回、昼から行ったり途中で帰ったり、そんな感じだった。

高校に入ってまず考えたことは、プロレスラーになるためのクラブ探しだった。一番に気をひいたのは体操部。バク転ができたら派手な技が出来るし、何よりセフティーマットがあるのは、技の練習ができるから魅力的だ。

体操部に見学に行く前に柔道部に寄ったら「タッパがあるから」とスカウトされて入部になった。柔道部は2年間やった。自分は向いて無かったが、格闘技の基礎の部分を叩き込まれた。

足を骨折した時に「運動場を走れません」と顧問に伝えた時に、「ケンケンで走れ」と言われ、当時は、ムカついた記憶があったが、今思えば当たり前のことであり感謝しています。

簡単に出来ないと決めつけずに出来ることをする。これは、凄く大事な考えです。多くの人は、出来ないことに目を向けがちなのではないでしょうか。そんな中学時代から高校時代を歩んだわけです。

次回は、高校卒業の日に格闘技ジムに入門してプロデビューするまでをご紹介したいと思います。

人生に第2の希望を灯すゴルフの魅力

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関西学院大学法学部に通う大学生でありながら、株式会社ゴルフ部のCEOでもある網干さん。ユニークキャリア株式会社にインターン入社しメディア『フリーランスの攻略本』の事業責任者に就任した後、姉妹会社である株式会社ゴルフ部の代表取締役に就任しました。今回のコラムでは、網干さんに「ゴルフをした方が良い理由」についてお話いただきます。

皆様、こんにちは。

「人生に第2の希望を灯す」をミッションに、ゴルフ特化のWebメディアを運営しております、株式会社ゴルフ部CEOの網干です。

私自身、株式会社ゴルフ部にてCEOを担っている傍ら、関西学院大学に通う22歳の大学生でもあります。

この記事では、22歳になってゴルフを始めてみて分かった、「ビジネスパーソンがゴルフをした方が良い理由2つ」と「初心者がゴルフを楽しむポイント」をご紹介。

ゴルフやゴルフメディアの運営をしている実体験を元に記事を書いております。

最後まで読めば、「実際ゴルフを始めるかどうか」悩んでいる方の判断材料になるでしょう。

ビジネスパーソンがゴルフをした方が良い理由2つ

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_網干拓馬さん_ビジネス人脈

①ビジネス上の人脈が広がる

ゴルフを始めると、打ちっぱなしやラウンドを通じて人脈が広がります。

「〇〇会社の〇〇さんが来られる打ちっぱなしに参加しませんか?」など、打ちっぱなしを目的に人脈が広がることも。

経営者が集まるゴルフコンペに参加することで、日常生活では交われない先輩経営者との繋がりを得られる場合もあります。

私の体験としては「ゴルフが出来ると人脈が増える」というお話は本当だなと感じております。

②話のテーマになる

ゴルフについて知識があると、話をするネタになります。ゴルフの話で盛り上がって意気投合することも。

また、ゴルフをきっかけに「最近ゴルフどう?」と話しかけられやすくなるというメリットもあります。

初心者がゴルフを楽しめるポイント

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_網干拓馬さん_ゴルフ道具

初心者がゴルフを楽しめるポイントは様々ありますが、私がゴルフを始めて特に楽しい!と思ったポイント3つをご紹介します。

①成長実感を得られる

ゴルフを始めたての時は、練習に行く度に成長実感が得られます。
・クラブがボールに当たるようになった日
・ボールが真っ直ぐ飛ぶようになった日
・飛距離が出るようになった日

最初の頃は、まず基礎的な打ち方から始めるので、誰か上手い人に基礎を教えてもらうだけで、クラブがボールに当たるようになったり、真っ直ぐ飛ぶようになったりと、新鮮な気持ちのまま成長実感を味わえるでしょう。

ビジネスの現場で毎日働いていると、中々成長する実感がなくなっていくもの。ビジネスを始めた頃のように何もかもが新鮮で、毎日成長しているような感覚がゴルフを始めることで蘇ってきますよ。

②打ちっぱなしもコースも非日常を味わえる

打ちっぱなしもコースも開放的な空間で非日常を味わえます。日頃のデスクワークで凝り固まった体も、開放的な空間でのゴルフでほぐされるでしょう。非日常を味わう体験がリフレッシュになり、結果的に仕事へのモチベーションアップに繋がるでしょう。

「疲れが溜まってアイデアが出てこない」
「なぜか最近集中出来ないんだよな」

という時に近くの打ちっぱなしにサクッと行くと意外と回復出来ますよ。

③ゴルフファッションを楽しむ

新しいゴルフウェアを買った時はテンションが上がるもの。ただゴルフウェアではなく、トータルコーディネートで楽しめるのもゴルフの特徴です。

例えば、サングラス・アップルウォッチ・シューズ・ゴルフ距離計…など、身につけるものつけないものでトータルして、ファッションを楽しめますよ。

まとめ

株式会社ゴルフ部では、「人生に第2の希望を灯す」をミッションに、ゴルフ業界を盛り上げて行きます。(特に若者から)

この記事を読んで、ゴルフを始めるかどうか悩んでいる方の判断材料になっていれば幸いです。