捨てられるはずだったギターの弦に新しい命を吹き込む『弦アート』の世界

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何もないところから想像を膨らませ、作品に命を吹き込むアートの世界。アーティストの矢田祐介さんは、音楽活動をやっていた経験を活かして弦(げん)アートの作品を制作しています。デザイナーとしての長年の経験から、弦アートに辿り着いた経緯や、今後の活動について語っていただきました。

サカナクションなどのアーティストのデザインを担当

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僕はデザイナーとして、主に占いコンテンツのデザインをしています。最近テレビでも占いの番組が多くありますが、『ホンマでっか!?TV』などに出演している占い芸人のシークエンスはやともさんの占いコンテンツのデザインも制作しました。

その前はサカナクション、MISIAなどアーティストサイトのコンテンツデザインや、それに付随するノベルティのデザインなども担当していました。

元々、小学生から図工の成績だけはよくて、それなら「絵に関するクリエイティブなことをやりたい」と考えたことがデザイナーになったきっかけです。スクールに通ってAdobeなどの基礎を学んだあと、アルバイトでデザインの仕事を始めました。

当時は神奈川に住んでいましたが、デザイナーとしてやっていくタイミングで東京に移り、同時にバンド活動をスタート。バンドは高校生のときに文化祭などで演奏していて、オリジナルの曲でもやりたいという願望がありました。作詞・作曲を担当していて、都内でライブもたくさんやっていました。

バンドをやっているということもあり、当時の会社では着メロサイトの運営とデザインを担当していました。デザイナーの仕事と音楽を両立しながら頑張っていましたが、2010年にバンド活動が終了。その翌年に東日本大震災があって、そこから自分の人生を見つめ直すようになり、転職も経験しました。

転職してもデザイナーという肩書のままで、4社くらいの会社を転々として色んなデザインの技術を吸収することができましたね。

ギターやベースの弦を使った『弦アート』作品

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バンドを辞めてデザイナーだけでやっていくなかで、フラストレーションを感じることもありました。デザイナーはクライアントの依頼でデザインをする仕事ですが、自分が作ったサイトで名前がでることはないので、もどかしさを感じることもあります。

そこで、最初に個人で始めたのがオリジナルの『デジタルコラージュアート』です。展示会にも出展していましたが、まだNFTがない時代だったこともあり、デジタルアートは簡単に複製できてしまうと思ったんです。それならば「1点ものを作れたらいいのではないか」という考えが浮かんできました。

音楽をやっていた経験から、「使ったらすぐ捨てるだけのギターやベースの弦で、何かできたらおもしろい」と思いついたんです。それ以降は作品の制作を少しずつ始めていきました。

昨年末にギターの弦アートに関する商標を取得できたので、これからどんどん確立して発展していけたらと思っています。それでも弦だけだとどうしても煮詰まることもあるので、デジタルアートも並行しつつ、NFTにも力を入れようと考えています。

気づいたらもうデザイナーを15年くらいやっていますが、長く続けているという意識がないのは、同じ会社にずっと留まっていなかったからなのかもしれません。各会社で違うものを作っているので、マンネリを感じることはありません。

長年デザインをやってきて意識していることは、相手の意見を最大限に吸収することです。たとえばアイドルのデザインはかわいいイメージが多いと思いますが、クールや、シック、かっこいい方が向いていると感じたら、より良いものにするためにも前段階での調整、かみ合わせをすることが大事だと思っています。

アートストーンギャラリーなどの展示会に出展

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現在は色々な展示会に出展していますが、アートストーンギャラリーはインスタグラムで出展者の募集を発見したのがきっかけです。2021年末に出展させていただいて、大勢の参加者がいるフェスのような雰囲気でした。そこからアートストーンギャラリーが開催している企画展にたくさん出展しました。

また、京セラ美術館からは「弦アートで出展してみないか」とお誘いいただき、昨年の12月に展示しました。

グループ展や企画展に出展すると、さまざまな作家の作品を同時に見られるのでとても刺激を受けます。そうすると現状のままでは満足ができなくて、去年は色んな事を試しました。正直なところ、まだ答えは見つかってはいませんが、自分がやるべき方向性のようなものは固めることができました。

弦アートの商標もとりましたし、今後は去年以上に弦アートに注力してやっていこうと思っています。弦に限らず、今後はギターで弦を弾くのに使うピックの作品も増やしていこうと考えています。そのなかでも現役の第一線で活躍しているアーティストの弦を使って何か作品ができたらと考えています。

昆虫食デザイナーが探求する「デザインの新しい可能性」

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_新井将人さん_プロフィール

新井将人さんは工業高校のデザイン科を卒業後、グラフィックデザイン科の大学に進学。デザイン事務所を2社経験し、『アララトデザイン』を屋号にフリーランスとして独立。パッケージデザインとロゴデザインを中心に取り組んでいます。地元長野で馴染みのあった昆虫食を広めることを目的に、昆虫食デザイナーとしても活躍しています。日々、成長、挑戦し続ける新井さんに、デザインで独立するきっかけや今後の展望について伺いました。

「アララト」の由来は、ノアの方舟から

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独立する時につけた「アララト」は、トルコに位置するアララト山に由来します。みなさんは「ノアの方舟」をご存じでしょうか。旧約聖書の創世記に登場する物語で、大洪水により地上のほとんどが水にのまれ、方舟に乗っていた生物たちしか生き残らなかったという内容です。この「ノアの方舟」が最後に行きついた地がアララト山でした。

アララト山には、大洪水という困難からたどり着いた地で、新しい世界を作っていった逸話があります。新たな世界の挑戦とシンボル、商品やサービスの魅力・世界観を創造する一助になる思いで、日々成長、挑戦したいという理念のもと「アララトデザイン」と名付けました。

小さい頃からものづくりに興味があり、高校進学でも、自分に興味のあることしかやりたくなくて、ものづくりで生きていけるようにすると決めていました。いくつかある選択肢の中で「デザイン科」が目に入って調べてみると、自分の好きなことで食べていけそうだと考え、デザイン科に進学しました。

入学してみると実態は工業高校であったため、家具などのものづくりが中心で、デザインを学ぶ機会はほとんどありませんでした。

大学ではデザインのことをちゃんと学びたかったのでグラフィックデザイン科に進学。特に印象深かったのは「感覚を磨く」授業でした。たとえば長い廊下を走り、そのままの勢いに任せて、床一面に貼ってある画用紙に身体の感じるままバーッとクレヨンで全身を使って描く授業があり、とても新鮮で楽しかったのを覚えています。

「まずはやってみること」が成功への近道

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大学を卒業後は、食品・飲料メーカーのパッケージデザインを中心としているデザイン会社に就職。会社員として務めるかたわら、副業である程度稼げるようになり、正直不安はありましたが、本業に出来るのではないかと思い一本化することにしました。

企業に勤めていると社会的に信用度が高く、毎月安定してお金が入る安心感があります。一方、独立すると一人で全部やらないといけないですし、毎月の収入も安定しません。新規開拓の営業や、事務書類の整理などが特に苦労しました。

独立してから自分に足りない部分が見えてきて、人間的にもデザインの技術的にもどう補填するかということを考え、試行錯誤しながら取り組んでいます。

今後独立することを考えている人がいたら、「まずはやってみる」ことが成功の近道になると伝えたいです。自分がやっていて楽しく、わくわくすることが自分の人生を豊かにするうえで大事ことだと思います。そして、独立・起業した方が絶対に楽しいと思っているのであれば、やってみてください。その方が楽しい人生を歩めると思います。

昆虫食をデザインの力で変えていく

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_新井将人さん_コオロギ餃子

私は長野県出身で、地元には昆虫食の文化が今も残っている地域があります。保育園の頃、田んぼでイナゴを獲って給食センターで佃煮を作ってもらい、食べた記憶があります。他にも祖父の家が山にあったので、蜂の巣を採り、蜂の子を炒めて食べたりしていました。

昆虫を食べることが普通という環境で育ってきたので、大学で友人に話したら「なにそれ!?」と驚かれ、ゲテモノとして扱われていることに気付きました。

昆虫を食べるとびっくりされる方が多いですが、実は世界的に非常に注目されている食材でもあります。タンパク質が多く含まれているという報告もあり、牛や豚などの家畜に比べると飼育に手間がかからず、育つまでの期間も短いので環境負荷が少ないのが特徴です。

独立したら自分のやりたいことをやろうと考えていたので、昆虫食のイメージ改善の助けになるのではと思い、昆虫食のデザインに取り組みました。実際に、昆虫食活動家のカズキさんのプロジェクトで『コオロギ餃子』のパッケージのデザイン等に携わらせてさせていただきました。他にもさまざまな昆虫食のデザインをしています。

日本では昆虫食が普及していませんが、ゆくゆくはスーパーに惣菜と一緒に並ぶような世の中になっていたら嬉しいです。

「福島を変革する男」が東日本大震災から復興する福島の魅力を発信

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 大川翔さん _黒板

自ら「福島を変革する男」を名乗る大川翔(おおかわかける)さんは、SNS総フォロワー数1.8万人を持つインフルエンサーとして、福島の魅力を若者に発信しています。また、学生コミュニティ『Spread From Fukushima』の運営を通じて、次世代の人財育成と地域の共創コミュニティ形成を担っています。今回のコラムでは、これまでの活動に至るいきさつや、今後の展望について伺いました。

「福島を変革する男」が誕生するまで

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 大川翔さん _ふくしまのみらい

僕が「福島を変革する男」と名乗りはじめたのは20歳のときでした。大学に進学して自己紹介したときの周りの反応がきっかけです。「福島出身です」と言うと、「震災大丈夫だった?」「原発とか、放射線とかの影響ない?」という反応が多く、福島の印象は震災などが大半なんだと感じました。

また、20歳のときに地元の同級生と会って進路について話すと、「福島は何もないから、地元では働かないよ」という意見が大半でした。地元の人も県外の人も共通して、福島に対してマイナスのイメージを持っていることに対して、「福島のイメージをプラスにできたら面白いんじゃないか」と思い、「福島を変革する男」と自ら名乗り始めました。

最初の活動として大学2年生のときに、『NPO法人 きたまる』という団体を社会人の先輩と立ち上げました。活動内容としては、東京にいる学生を福島に連れて行って、スタディーツアーをするというものを2年くらい実施しました。

僕の地元以外にも、大玉村や昭和村、会津美里町などに毎月一緒に行って、農業体験をしたり、地元の夏祭りのお手伝いをしたり、学生のアイディアを元に廃校をイルミネーションで飾る提案などをする活動の代表を務めていました。

他には、僕の父が郡山で会社もやっていて、福島の県産品を東京に届けるという仕事を震災後に始めていたのもあり、東京で販売会をする際のスタッフとして参加していました。

福島の県産品を東京で販売している父の仕事を手伝うなかで、お客様から「福島のものはおいしいね」という声を聞くことで、福島に関する仕事に対してより興味と面白さを感じることもできました。

学生コミュニティ『Spread From Fukushima』を設立

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 大川翔さん _仲間と

大学卒業後は、東京の人材系のベンチャー企業に就職。福島で働きたいという思いもあったのですが、正直、「福島に魅力的な仕事がない」とも思いました。将来的に起業をして福島で事業を展開するためにも、企業のコンサルをしている会社で学ぼうと考えました。

しかし実際働くうちに、「外から福島を変えるのは時間がかかる」と実感。それなら中に入って経験を積もうと考え、会社を退職し福島の南相馬に移住して、区役所から委託を受けて、移住促進のツアーなどをする活動を始めました。

大学4年生のときから「福島の方とつながっていくことが大事だ」という思いと、コミュニティをつくりたかったので、『Spread From Fukushima(通称:SFF)』の活動を、Instagramから始めました。「福島の人を発信する」という名目のもと、福島の方との関わりを持っていくことが目的です。

Instagramで運用したのは、僕自身が「福島の魅力を誰に届けたいか?」と考えたときに、僕の同世代や下の世代に知ってもらいたいと思ったからです。

さらに発信力を高めていくために、クラウドファンディングで支援を募りました。学生500人に福島の県産品を無償で提供する代わりに、Instagramで県産品をタグ付けしてシェアしてもらう企画です。

結果、20万人くらいにリーチしてフォロワーを大幅に増やして、「見たことあるロゴだな」と、ある程度の認知度を獲得。集まった学生でコミュニティ化して、企業や自治体の方と接点を持って福島に関するプロジェクトを走らせる団体として活動するまでになりました。

他にも、会津の人々の魅力を発信する『あいづっぺでぃあ』という活動もしています。名前のとおり、会津で活動している事業者の方へのインタビューを行い、会津の方との交流を深めています。

「その選択はカッコいいか?」が判断軸

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 大川翔さん _

 

こうした活動をしていると、不安になることもたくさんあります。だからこそ「その選択はカッコいいか?」という判断軸を持ち、行動するようにしています。僕のなかでカッコいいとは、「素の自分を表現して、多くの人を前向きにできる人」と定義しています。

僕は小学生のときから、『ONE OK ROCK』のTAKAさんに憧れています。TAKAさんの場合は、自分の素の思いなどを歌詞にして曲に表現することで、多くの人を前向きにしていると思います。そういう人に僕はなりたいと思っています。

そのためにも、30歳になるまでに福島での活動を、さらに形にしようと計画しています。期限を決めることで、どこまで自分がやれることか明確になると思うので、10年というスパンで行動しています。

具体的な目標は、地域のプラットフォームの土台となるものをつくることです。今の日本は、人口が減少して地域の過疎化が進んでいるのが現状ですが、世界的に見たら人口は増加しています。そのなかで、ひとつの地域で「どれだけつながり続けられるか?」ということが、今後の需要になってくると思っています。

たとえば、過疎化してリアルでは人口が減少していても、オンライン上でつながれる世の中になっています。リアルとオンラインが融合してアクセスできるものをつくっていきたいと考えています。

どう実現するかはまだ未知数ですし、長期的なプロジェクトになると思います。僕の世代で基盤となるコミュニティをつくり、実現していくためにも次世代にこの活動を紡いでいければと考えています。そのために、僕らより下の世代をどう巻き込んでいけるかに重点を置いて、今後も福島の魅力を伝えていく活動をしていきます。

著名なアスリートも数多く愛用。ANGLE(アングル)創設者が開発した磁気ネックレスで健康をサポート

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近年、健康についての関心が深まるなか、医療機器の分野から健康をサポートする商品を創り出している岡本直樹さん。自ら磁気ネックレスを開発し、阪神タイガースの選手など多くのアスリートに愛用されています。岡本さんが手掛けるANGLE(アングル)の商品でのこだわりや、そこに賭ける熱い思いについてお話しいただきました。

自信を持って勧められる商品をつくる

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長年、医療機器メーカーに勤めていましたが、現在は起業して、磁気ネックレスの販売をしています。この業界に長くいるのは健康に対する意識が高かったこともあると思います。20代後半くらいからサプリメントを摂っていましたし、自分の髪質が猫っ毛で細く、中学くらいから将来はげると言われていたので、頭皮ケアも20代からやっていました。

医療機器メーカーに勤めていたときは商品企画をしていました。そのときは営業のようにお客様と接する機会はありませんでしたが、まれにお客様からお礼の手紙をいただくことがあり、やりがいを感じていました。

メーカーを退職し、別の仕事に5年ほど就いていましたが、あのときのようなやりがいを感じることができませんでした。そんな時に、今までにないような機能性を持った商品のアイデアが思い浮かんだので、それを実現したいと思い株式会社アングルを創業しました。

会社に所属していると、健康を売りにする商材でもデザインを優先したり、大事なものを割愛したりと、会社の方針に従わないといけません。そうならないためにも創業した当初から、大切な人に自信を持って勧められるものだけをつくっていきたいという気持ちを持ち続けています。

デザインだけでなく効果を体感してもらうこと

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仕事でのこだわりは、安全性と効果をしっかりと体感してもらう商品をつくること。24時間365日身につけ続けても商品が劣化しにくい、かつ人の体や肌にも優しい材料を選んでいます。

他には、デザインにもこだわっています。最終的にはプロダクトデザイナーの方にお願いしていますが、コンセプトなどは僕が考えています。おしゃれに着こなす磁気ネックレスとして、人前でつけてダサいと思われないような商品になるように工夫しています。

多くのメーカーさんは自社ブランドのアルファベットを使っていますが、それらとはまったく違う形で、シンプルでかっこいいものにするにはどうしたら良いか考えました。『ANGLE e.MODEL 01NECKLACE(アングル e. モデル 01 ネックレス』はロゴマークをモチーフにデザインしていますが、このロゴマークはANGLE独自の同極平行配列=磁石は2つ並んでいる形状をモチーフにしています。

弊社の商品の大きな特徴は、磁石の同極同士の反発力を使って、強制的に磁力線を筋肉の深くまで届けるところです。この磁石の力で血流を改善し、血液に含まれる栄養と酸素をしっかりカラダの隅々まで届け、かつ老廃物と二酸化炭素を回収することで、リカバリー力をあげる仕組みです。医学的にも血流は見直されていて、そこを改善することで万病に通じると言われています。

磁気ネックレスの成果だけではないですが、これをつけるようになってから髪の毛が伸びるのが早いように感じています。昔からはげると言われていたのですが、血流が良くなって49歳の今でも白髪もなくフサフサしているので、身を持って体感しています。

中野拓夢選手など多くのアスリートが体感

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ありがたいことに多くのアスリートの方々が、磁気ネックレスを愛用してくださっています。商品のアンバサダーになっていただいているアスリートも多数いて、きっかけのほとんどが商品提供からです。実際に2週間ほど試していただき、気に入ってくださればアンバサダーへの就任をお願いしています。

アスリートは、自分の身体のコンディションを見つめる機会が多く感覚も優れているので、つけたときの違いも体感してもらいやすいです。車椅子バスケでパラリンピック代表選手だった網本麻里選手と村上直広選手は、「つけてから30分ほどで視界が広がってきた感覚がある」と話していました。

車椅子バスケは選手同士の接触が激しいスポーツで、むち打ちになって首の痛みに悩まされている方が多く、引退理由の多くがむち打ちと言われています。視界が広がったと体感したのは、それだけ首がカチカチに凝り固まっていたようです。商品を気に入っていただき即答でアンバサダーになってくださいました。

阪神タイガースの中野拓夢選手からは、「ハードな試合やトレーニングの疲れが翌日に残りにくくなった」と感想をいただいています。他にもキックボクシングの鈴木真彦選手や、モデルの夏海さんなど、たくさんのアンバサダーの方に愛用されています。

スポーツネックレスや健康ネックレスと呼ばれるような商品はいろんなメーカーからたくさん出ています。そのなかでパッと見る限り「これは良いな」という商品は実はひと握りです。弊社は間違いなく良い商品を開発して、グレーな商品がお客様の手に届かないようにしていきたいです。

SNSがあってお客様との距離が近くなっているからこそ、購入したお客様からさまざまなメッセージをいただきます。それはとても励みになりますし、もっと良いものをつくっていこうとより一層思っています。

『野菜寿司』で世界を目指す板前が語るプラントベース食への思い

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プラントベースのお寿司、野菜寿司を専門に出張寿司板前として、イベントやお宅に伺い握りたてのお寿司を提供する谷水晃さん。なぜ、野菜寿司に着目したのか?そもそも、野菜寿司とはどんなものなのか?これまでの独立するまでのいきさつや現在の活動、今後の展望についてお話を聞かせていただきました。

プラントベース食との出会い

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私が料理の道に進もうと決めたのは、家族とお寿司屋さんに行ったことがきっかけです。板前の方がお寿司を握る姿や、巻物をつくる姿が子供ながらにとても格好良く見えました。

お寿司は酢飯・魚・ワサビにしょう油とシンプルな材料なのに、握る人で味わいが変わります。そのような奥深さが面白いと思ったことと、日本人として日本の伝統文化であるお寿司をつくりたいと思い、寿司職人になることを決意。高校を卒業してからは、お寿司に取り組む時間を少しでも増やすために住み込みで働き始めました。

『プラントベース食』に興味を持ったのは、私の家系がガンになる傾向があり、何か対策できることがないか考えたことがきっかけです。食生活の書籍を何冊か読むなかで、「動物性の食品が良くない」というものもあれば、正反対の意見があったりと、何が本当か分かりません。

私の場合は植物由来の原材料を使用した食生活が身体に合い、ひとまずプラントベース食を取り入れていこうと少しずつ変えていきました。そこから、お寿司でも野菜をメインに提供することはできないか?と考えるようになりました。

野菜寿司で大事にしているのは『一体感』

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「野菜のお寿司を試してみたい」と、家の冷蔵庫にあったレンコンでお寿司をつくったことが始まりでした。思いのほか美味しく、魚のお寿司とは違う魅力があると思い、そこからパプリカやブロッコリーなど野菜寿司の研究に没頭するようになりました。

周りは、魚を専門とする寿司職人ばかりですので、そのなかで野菜寿司というあまり前例のないものに挑戦するのはとてもやりがいがありました。使用するネタが魚でなく野菜なので、勝手が違うと思われるかもしれませんが、考え方はほぼ同じで”一体感”が大事です。

通常のお寿司は、口の中でパラッとほどける米の固さとネタの旨味があって、ワサビでまとめるという一体感があるのが美味しいと思います。これに倣って、野菜寿司もシャリとネタの固さ、歯ごたえ、口の中で一体感が出るように考えてつくっています。

野菜寿司と聞くと、人によっては物足りない印象を持たれるかもしれません。しかし、私の握った野菜寿司を味わっていただくとその印象は変わると思います。そのなかで、『トロパプリカ』というネタがあるのですが、見た目からマグロ寿司のようなふわふわした仕上がりにしています。

野菜寿司はヴィーガンにも対応できる

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野菜寿司という新しいことに挑戦してここまで継続できたのは、この分野が好きであることが大きいと感じています。未知の分野であるので、もちろん批判されることもありました。しかし私は批判に対して「そういう考えもあるのか」とひとつの意見として耳を傾けながらも、「自分のやりたいことを実現する」と思い、今でも挑戦しています。

今後は、野菜寿司を海外に向けて発信・活動していこうと決めています。野菜寿司は、ヴィーガンなど食生活を意識している方にも、日本の伝統文化である握り寿司を楽しんでもらえるのが魅力のひとつです。海外ではすでにヴィーガン寿司として一般的になっていますが、そのなかでも、日本人特有の握り寿司としての野菜寿司を広めていくのが今の目標です。

私の周りでは、魚のお寿司の経験を持ちながら野菜寿司に取り組んでいる人は少ないので、この強みを活かして今後も日本の伝統文化のお寿司の魅力、そして、野菜寿司の魅力を多くの方へ届けていきます。

就労継続支援B型の人たちに向けたWebワークの働き方とスキル

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_働き方

就労継続支援B型でWebワーク特化型の事業所を運営する『GIF-TECH’s(ギフテックス)』によるコラム第2弾。GIF-TECH’sはブロックチェーン業界も視野にいれ、労働時間や在宅支援の観点から、その方にあった働き方を提供しています。実際に事業所で働くとしたらどんな働き方なのか、そして今後の展望についてお話を伺いました。

その人に合った働き方をしてほしい

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_ブロックチェーンゲーム

GIF-TECH’sは就労継続支援B型の方を対象とした事業所です。B型の方を対象に展開しているのには、明確な理由があります。まずは「就労移行支援」と「就労継続支援」の種類や違いについて簡単に説明します。

「就労移行支援」とは、就職する一歩手前の方が対象となるイメージです。雇用契約がなく、賃金の支払いは基本的には発生しません。たとえば、以前に就職はしていたけど、けがなどの理由で今までの仕事ができなくなってしまって、パソコンスキルを学び直して事務職に就きなおすという感じです。

「就労継続支援」には「A型」と「B型」の2種類あります。

「就労継続支援A型」は雇用契約があり、雇用するときは都道府県の最低賃金が必須となります。職場で障がい者の方も一緒に働き、業務内容に応じた賃金を払っていることが一般的です。

「就労継続支援B型」は雇用契約がなく、出た利益を分配するような仕組みが多いように感じます。一概には言えませんが、たとえば、ボールペン1,000本を組み立てて出た利益を、みんなで分配する、という感じです。比較的、中度〜重度の障がいがある方などが多く通所されている印象です。

以上の枠組みがあるなかで、なぜ就労継続支援B型を選んでいるのかといいますと、雇用契約がなく、最低賃金の縛りがないので自由な発想がしやすいからです。最低賃金があると高単価の仕事を中心に受けなければいけなくなりますし、パートナー様たちにも毎日働いてもらうようにしなければいけません。就労継続支援B型はその縛りがないので、働き方の融通が利くことがメリットのひとつです。

一般的に、就労継続支援B型は簡単な作業になりがちです。仕組み上、生産性やマネタイズ能力が低くても運営できてしまうので、平均工賃はずっと上がらないのが実状です。最初はなぜこれに甘んじているのかと疑問でしたが、生活保護をもらっている方は、収入が15,200円を超えると、国に返納する義務があると分かりました。

一方で、生活保護は受けずに、収入を増やしたいという要望を伺うこともあります。GIF-TECH’sでは、その方のご希望やスキルに応じて高工賃を稼げる仕組みにしているので、生活保護を抜け出せるように努力している方もいます。

ブロックチェーン関連事業も視野にいれた働き方を提供

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_働き方

GIF-TECH’sは働き方に決まりがありません。週5回の勤務が適している人、週1回くらいに抑えたい人、何が適するのかはその方次第です。毎日通所される方の場合で10時〜15時で休憩1時間、それを週5日間です。

週間の労働時間は最大20時間なので、障がい者雇用で一般企業へのトライアル就職の基準を満たしています。この20時間で安定して仕事ができれば、一般企業でも働ける可能性がみえてきます。就職をしたいと考えている方はそこを目指しています。

長時間働けない方では、週に1回2時間だけの方もいますし、一時的に稼働をストップしている方もいます。ここでは働いて売上をあげることが目的ではありません。GIF-TECH’sは福祉施設なので、長期的に皆さんの生活が安定し前に進むことを目的としています。

在宅支援も行っていて、現在では5、6名がオンラインで就労しています。Web会議ツールで打ち合わせをしているので、通常のオフィスワークとまったく変わらないですね。また、在宅と通所をかけ合わせたハイブリットでの働き方もあります。世の中に価値を提供することができれば、働く形は何でも良いんです。

現在この事業所はWeb2.0領域を中心に扱っていますが、試験的にブロックチェーンゲームも取り入れています。2023年春にもうひとつの事業所をつくる予定で、そこはブロックチェーン関連事業を積極的に導入させようと考えています。

例えば、可能性があるなと感じているのは、NFTゲームやブロックチェーンゲームをプレイしてお金を稼ぎ、報酬は日本円で支払うというモデルです。ゲームの種類は、カードゲームやRPG、シューティングゲームなどさまざまあります。簡単なパソコンワークとブロックチェーンゲームを組み合わせた事業所をつくれば、今まで受け入れられなかった方も受け入れられると考えています。 

ブロックチェーン業界に着目したのも、同じ中学校出身の友人が、『CoinPost』という国内最大級のブロックチェーンメディアの創業者であることが大きく影響しています。

その友人と共同出資でジョイントベンチャーの『株式会社WAVE3』を立ち上げていることもあり、ブロックチェーン業界とは縁があります。そのつながりがあるから、GIF-TECH’sにさまざまなゲーム企業から協力してもらうことができたと思っています。もともとブロックチェーン業界と福祉には垣根があると感じていたので、僕たちが橋渡しの役割を担っています。

インターネットの力で障がい福祉の世界を変える

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_プロフィール

インターネットの力で障がい福祉を変えることが僕たちの経営理念です。PCを使うことが正解ではなくて、「Webワークを通じてどのようにその方の人生を豊かにしていくか」を一人ひとり考えています。

PCを使うことが出来さえすればいろいろとできると思う人が多いですが、順番は逆です。必要性を感じてから、それに応じたPCスキルを学んだ方が圧倒的に伸びます。働きながら学べるというのは専門学校にも近いかもしれません。本格的なWeb3.0ワークに触れながら、実践練習の場として活用していただければと思っています。

将来的には、日本全国どこの障がい者施設でもブロックチェーンゲームやWEB3.0ワークがすぐにできて、暗号通貨が稼げるプラットホームを作っていきたいです。これが実現すれば働き方の大きな変革になります。今後は僕たちだけではなく、いろんな福祉企業などと協力して5大都市から地方へ広げていきたいと思っています。障がい者就労の現場をWebのチカラで前進させていくのが今後の展望です。

就労継続支援の常識をITで変える!Webワーク特化型の事業とは?

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福祉業界において障がい者雇用はまだまだ発展途上の業界です。その現状を踏まえながら異業種であるIT業界から、Webワーク特化型の就労継続支援B型を運営している『GIF-TECH’s(ギフテックス)』どんな思いを持って事業所を立ち上げたなどの経緯について、副社長の近藤さんに伺いました。

就労継続支援の現状を知り「ないなら自分たちでつくる」

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_事業所

GIF-TECH’sは、代表取締役社長である平山と僕の共同創業ではじめた、Webワーク特化型の就労継続支援B型の事業所です。2021年12月に開所しました。

僕の経歴を少しお話ししますと、大学3年生のときに先輩と麻布十番に飲食店をオープンさせ、25歳まで飲食店の経営に携わってきました。その後、会社員と並行してWebの個人事業として活動し、27歳で独立。タイなどで飲食店コンサルに携わりながら、さまざまなネットビジネスについて勉強しました。

国内外を行ったり来たりしながら活動していた時に、新型コロナウイルスが蔓延し始めました。その頃は主にパタヤを拠点としていたのですが、帰国してみると国内市場は激変していたんです。ビジネスの再構築を考えたときに、日本でやるなら業種を絞った方がいいと考え、福祉に絞りました。

麻布十番でレストランを運営している時に、お店を懇意にしていただいてるお客様の1人に、平山のお父様がいました。医療法人の経営を始めさまざまな事業をされている実業家の方で、出会ってから8年ほど経ちますが、ずっと仲良くさせていただいています。あるとき「息子と仕事してみないか」と誘われたことで、平山と知り合いました。

平山と事業について検討した結果、「グループホームが面白そう」という結論に至り、得意分野であるITに特化して、Webに親しみやすくなれるグループホームをつくれないかと、模索しました。いろいろと調べていくうちに、就労継続支援というものがあることを知りました。

給料についても調べたら、就労継続支援B型の場合は全国平均で月額16,000円前後。「なんでこんなに低いのか」と衝撃を受けました。たとえばサムネイルや動画をつくるのも何千・何万円とかかるのに、なんでこんなに違うのか疑問が浮かびました。原因はWebに特化した事業所がないからではないかと推測しました。あったとしても名刺作成や代行入力などの事務作業です。

どこにもないなら僕たちでやろう」というのが最初のきっかけでした。世の中のニーズにもマッチしていて、片道2時間かけて通所している方もいます。それは東京だけではなく、関東一円にそれだけ選択肢がないということになります。

目指したのは「自分たちが働きたいオフィス」

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_GIF-TECH’sさん_オフィス

この事業所の強みは、フリーランスや個人事業主でも成り立つレベルのWebスキルを提供しているところです。あとは事業所の「見た目」も、他とは違うのが売りですね。

就労継続支援を受けている人は、1日の行動のなかで役所・福祉施設・病院を往復していることがほとんどです。僕らビジネスパーソンも全く同じですが、雰囲気が暗いところばかり行くと気持ちが沈んでしまいます。でも行き先がホテルやきれいなところだと、自然と気持ちも上がると思います。行動範囲のどこか1ヵ所に、非日常的な空間を提供したいと考えました。

事業所の場所も重要なので、決めるときは徹底的に考えぬきました。各市区町村の障がい者の人数、手帳取得数などすべて調べました。交通手段についても、都営電車だと障がい者パスで無料になることもわかりました。みんなが通所しやすいことを考え、都営電車が使える板橋で事業所を構えることに決めたんです。

自己肯定感を高めることのひとつとして空間提供をしたかったので、内装にもとことんこだわりました。ホテルのロビーをイメージしていて、細部にまでこだわっています。

まずは自分たちが、「来たい・使いたい」と思うような場所にしようと心がけました。他企業の訪問をしたときに、きれいなオフィスだと働きたいと思うことがありますよね。シェアオフィスもきれいで使いやすいところを選んで利用すると思います。

デスクは広さがあって電動昇降式、椅子はちゃんと上下するもの、間接照明にして、部屋には植物を置いています。僕がパソコンで作業することが長いので、僕が使いやすいと思うことをひとつずつ実現させました。「テンションがあがる」というのは仕事において重要です。重たい気分になっているときに面白いものなんてつくれません。

他にも、寝れる部屋をつくったり、壁を防音にしたり、ここを利用する人がもう一度頑張ろうかなと思えるような空間になればうれしく思います。

福祉のIT化に立ちふさがる「認可」という壁

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関連企業が僕らにあればあるほど、皆さんの選択肢が増えるので、他の企業といろいろとコラボレートをしています。自分たちだけでやっていこうとは全然思っていないですし、会社同士のつながりがたくさんあった方が、人と情報と案件の行き来も増え、さまざまな案件に触れられます。

それでも東京都の福祉において、IT化がまだ十分ではないという現状にはジレンマがあります。僕たちの事業は国の認可事業なので、新しいことをはじめるにしても、東京都が理解を示さないと基本的に認可はされません。全国的にみても東京都は認可が厳しいと言われていて、IT化に関しても同様です。それもWeb1.0で止まっているんです。

実際、今の事業所の認可がおりるまでに4、5カ月ほどかかりました。世の中からしたら新しいことをやろうとしているわけではないですが、福祉の業界でITは新しい試みというだけです。東京都には、ITを活用する施設がまだ少ない理由はここですね。

この現状としっかりと向き合い、利用者の人たちが安心して活躍できる場をつくっていきたいと考えています。

「障がい」の概念を変える!オンライン就労支援で格差のない社会へ

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松川力也さんは、14歳のときに左半身が麻痺する障がいを抱えました。それでも状況をポジティブに捉え、国際医療看護福祉大学校にて言語聴覚士の資格を取得。その後、一般社団法人『tsunagari』と、合同会社『RESTA』を同時に設立し、オンラインでの就労支援サービスを展開しています。障がい者のスキルアップを支援する場所をつくるために奔走する松川さんに、その思いと今後のビジョンを伺いました。

就労支援サービスを始めたきっかけ

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_  松川力也さん_病室

私は、14歳のときに10万人に1人の病「脳動静脈奇形(AVM)」にかかり、左半身が麻痺して動かなくなりました。将来は漠然とお金持ちになりたいと思っていましたが、障がい者となって今までできていたことができなくなり、「これからどうなるんだろう」と不安になりました。

それでも状況をポジティブに捉えて「この経験を強みに変えていこう」と思って、21歳で言語聴覚士の資格を取得。最初に病院で働いていましたが、患者を退院させるかどうかを病院都合で決める体制に違和感を覚え、「退院後の人生が知りたい」と思って起業を決意しました。

障がい者の年収は決して高くありませんが、障がい者年金をもらいながらも生活できる資金はもらっています。一方で、就労支援B型でも働きたい人が働けないのを間近に見てきました。自分も左半身に障がいがありますが、同じ境遇の人が年収面で困らずに過ごせる環境づくりがしたいと考え、一般社団法人『tsunagari』と合同会社『RESTA』を立ち上げました。

オンライン就労支援を活用し、能力で採用してもらう仕組みづくり

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就労移行型支援と、就労継続支援A型・B型をつなぐ部分がやりたくて独立をしました。当初は医療従事者を就労支援に呼びたいと考えていましたが、障がい当事者がオンラインで学べる場所をつくれば、医療従事者がいる場所に就労支援をつなげられるという逆転の発想が浮かびました。

近年では日本でも障がい者雇用が義務付けられてきていますが、障がい者だから雇うのではなく、「●●さんを雇いたい!」というロジックを考えています。ただの人材紹介ではなく、障がい者の能力・スキル・パフォーマンスを上げていく場所をつくりたいです。

障がい者の方がスクールに通えないのは、情報を知らないことと、お金がないことの2つの理由があります。プログラミングなどのスクールに通うには何十万円と費用がかかりますし、人材紹介会社に紹介してから働くまでは半年近くのリードタイムがあります。そこで、障がい者向けのサテライト型のオンライン就労支援をつくるイメージで動いています。

アメリカでは、転職をすることで自分に合う職を見つける「ジョブ型雇用」という日本と異なった考え方があります。たとえば、人材紹介会社から「この人、仕事ができます!」と紹介された方が、スキル不足でアンマッチとなることはしばしば生じます。

障がい者の就労支援で同じ壁に当たると思い、一人ひとりと向き合ってスキルを伸ばし、資格を身に着けられるようにしたいです。客観的評価が資格によって証明できれば、仕事も依頼しやすいと思います。

障がい者に対する社会の概念を変えていく

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_  松川力也さん_卒業

私自身、障がいを持っていても「明るいですね」と言われることが多々ありますが、普段から明るくしようと意識しているわけではありません。Instagramで4年間毎日「今日も最高な1日にする」とストーリーを投稿していて、今では当たり前となって習慣化しています。

始めようと思ったきっかけは、視覚的に文字を入れると、人は意識するようになると本で読んだことでした。SNSマーケティングを考えると、ポジティブな人や憧れる人に、人はついていきます。「この人はポジティブだ、明るい人だ」と自分を認識してほしければ、皆に発信していこうと、心理学的観点から始めたことが明るさにつながっているのだと思います。

私は、自分が代表を務める社団のメンバーには、いつか独立をしてほしいと思います。「私はここでしか輝けない。私が抜けたらつぶれる」といった状態にはしたくありません。「君はどこでも輝けるんだ」と、一人ひとりの「色」を自分で出せるようになってほしいです。

最終的には、「社会を変えてインパクトを与えた人」として教科書に載るような人物になりたいです。起業家としても、「障がい」という言葉の概念を変えていきたいと思います。

概念と戦うには世界を変える必要があるため、日本の障がい雇用の底上げに貢献しながら、ゆくゆくは海外へ進出することを決めています。そして、障がい福祉の関係に関わらず、障がいのハンデがあっても活躍できるチームをつくっていきます。

標本の概念が変わる!?透明標本作家・冨田伊織さんが魅せられる「生物の造形美」

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_冨田伊織さん_標本アソート

大学時代に、水産学科の研究室で透明標本を見たことをきっかけに、「作品としての透明標本」を制作している冨田伊織さん。サイエンスのみならず、アートとしても透明標本を世界に広めた第一人者として、日本各地での展覧会の他、海外でも注目を集めています。本コラムでは、作品名【新世界『透明標本』】として10年以上活動を続けている冨田さんに、作品にかける思いや今後の展望を語っていただきました。

標本の概念が変わる『透明標本』

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_冨田伊織さん_標本シャーレ

もともと透明標本は、「小さな生物」の骨格を研究するための技法です。骨の標本というと、いわゆる骨格標本をイメージする方も多いと思いますが、あちらは一度バラバラにした骨を組み立てて作るなど、比較的大きな生き物に適しています。

それに比べ透明標本は、さまざまな薬品や酵素を使うことで、生き物の姿や大きさはそのままに、硬骨を赤紫色、軟骨を青色に染色します。さらに肉質を分解し透明にすることで、指先ほどの小さな動物の形を変えることなく、骨格を観察することができます。

透明標本との出会いは大学時代。企業に就職するも、漁師見習いを経て透明標本作家へ

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幼い頃から生き物が大好きで、父親によく釣りや生き物採集に連れて行ってもらいました。成長してもそれは変わらず、大学は水産学部に進学。透明標本とは大学生活中に出会いました。はじめて見た造形に感動をして、「自分で手にしたい、作ってみたい」と思い、見よう見まねで制作をはじめました。

大学卒業後は一般企業へ就職しましたが、海や自然にもう一度身を置きたいと思い、しばらくして大学のあった岩手県で漁師見習いへ。そして忘れることができなかった透明標本の制作を再開し、少しずつ自分の理想であった色合いへ近づけていきました。

その頃作成した標本をSNSで紹介していたのですが、見ていただいた方からデザイン系のイベントへの出展を勧められました。漁師さんにお暇をいただきイベントに参加しましたが、透明標本が来場した方にどう見られるかとても不安でした。ですがブースは人だかりができるほどの大盛況。自分が好きな透明標本は、他のひとも同じように好きなんだと感じました。

その体験がきっかけとなり、生業にしてみたいと「透明標本作家」としての生活をスタートさせました。

学術としての透明標本と、作品としての透明標本

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_冨田伊織さん_標本ヒメイカ_IdiosepiusParadoxus

前述の通り、学術分野での透明標本は骨格研究をするための手法です。あくまでも目的は「研究結果」であるため、美しさに重きは置くことはありません。観察ができれば必要十分であるため、数日〜という短期間で作成することも多いです。

一方で自分の作品は「自身の思う生物の美しさ」を追求したものです。透明感や色合いを引き出すために、指先ほどの生き物でも半年以上、手のひらほどでは一年を超える時間をかけ作成をしています。

学術的データとしての標本、美しさを追った作品。どちらも生物への探求という目的に沿った素晴らしいものであると思います。

作品は大きく分けて2種類があり、透明標本自身である「標本作品」と、その姿を撮影した「写真作品」です。標本作品は生物ごとの造形美を引き出せるように、写真作品はまるで生きている姿を切り取ったような瞬間を目指して制作・撮影をしています。

伝わりやすい表現として「作品」ということが多いですが、自分自身が作っているという認識は適切ではないとも感じています。僕も先人の方々が築き上げた手法を使わせてもらっている一人ですし、そもそも造形を作っているのはその生き物自身です。その気持ちと敬意を忘れずに、自分の思う生物の美しさを探求していければと思います。

作品を通して感じてほしい世界。「作品は生き物」

見出し4画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_冨田伊織さん_標本キューブ

僕が透明標本に感動したきっかけは、生き物が大好きで、その美しさを自分自身でもっと感じたいと思ったからです。生物は生きている瞬間がなにより力強く綺麗だと思いますが、それだけでは見えない世界もたくさんあります。透明標本となった生き物たちを見てもらうことで、今まで感じられなかった一面を見てもらえたら、「やっぱり生き物は美しい」と感じてもらえたら嬉しいです。

2022年は自分の出身である埼玉県狭山市での展覧会をはじめ、さまざまな場所で作品たちを見ていただくことができました。これからも新しい作品たちをたくさんの方に見てもらえるように活動していきます。

冨田伊織  新世界『透明標本』HP

コンプレックスを強みに変える全盲のキャラクターデザイナー「解釈を変えれば世界が広がる」

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_広山侑加 YUKAYUKA さん_ご本人

YUKA YUKAさんは、緑内障により27歳で視力を失うもキャラクターデザイナーとして活動を始め、『きのこ姉さん(通称きのねぇ)』というキャラクターを使ったグッズを販売。また、視覚障がい者の選択肢のひとつになるように、点字つききのこ姉さんタロットカードを制作しています。そんなYUKA YUKAさんに、これまでの経験や今後の展望についてお話しいただきました。

全盲になって見つけたキャラクターデザイナーの道

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 広山侑加 YUKAYUKA さん_イラスト

私は8年前に失明したのがきっかけで、キャラクターデザイナーになりました。点字も読めないし、スマホも使えない、一人で外出も出来ない。何をするにも時間がかかって、目が見えない自分に何ができるのかまったく思い付きませんでした。

失明したあとはとても落ち込み、不安や恐怖に支配されていて、「明日なんて来なくていい」と日々思っていました。どこにもぶつけられないごちゃ混ぜになった怒りや悲しみといった感情を神様にぶつけてメンチを切ってました。見えてないのに(笑)

前向きな考えはできず、ネガティブな方向ばかり考えて沼にはまっていく感覚で、恐怖心から抜け出したい一心で没頭できるもの、希望を持てる何かを探しました。

けれども働かなくては生きていけません。目が見えなくなった自分にどんな仕事が出来るのか?と考えまくりまくって、小さい頃に何をしてどんなときが楽しかったのか?自分は何をしたいのか?と、向き合いながら記憶を掘り起こして考えました。記憶を辿っていくと、子供の頃に自然とお絵描きをしていて、私の落書きを見たお母さんが喜んでいたことを思い出しました。

だれにも教わらず落書きをしていたなら、目が見えなくなった今でも描けるんじゃないか。描いたらお母さんは喜んでくれるんじゃないかと思って、イラストを描き始めたのがきっかけです。

大好きなポップなきのこに、自分の思いを込めたキャラクターを作りたい!と思って誕生したのが『きのこ姉さん(通称きのねぇ)』です。きのねぇはコンプレックスを抱えて悩んできたキノコ。だけど、葛藤してきた悩みや弱さを認めてコンプレックスも逆に生かしてチャームポイントにしています。

私も全盲になった事がコンプレックスでした。でもそれを強みに変えて愛おしいものに出来たらいいなと思って、その想いをきのねぇにのせました。

目が見えないから気づいたこと

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 広山侑加 YUKAYUKA さん_3人

レーズライターという絵を描く道具があって、まずは落書き程度の絵を描き始めました。失明して自分ができることが見つかったことがめちゃくちゃ嬉しかったので、うまいとか下手とかは考えず、絵の道に進むことにしました。

目が見えないので色づけするのが難しく、イラストレーターの方に色づけをお願いして、イメージを共有しながらグッズや作品をつくっています。

苦労した点は、イメージして絵を描くことです。現物を見て絵を描くことはできないので、自分の記憶をたどるのですが、目が見えていたときにちゃんとものを見ていなかったことに気付きました。

たとえば、自画像を描こうと思ったときに、過去の記憶だけではうまく描けず、描き直すために触ってみるけれどうまくいかず、悶々としながら描いていました。

幸いにも四天王寺のご住職さんにバッタリ出会うことができ、絵を教えてもらう事でコツを掴んで徐々に上達していきました。

タロット占いが視覚障がい者の選択肢に

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_ 広山侑加 YUKAYUKA さん_タロットカード

失明後、自分のしたいことや目標を立てるにも、自分自身を知ることが大事だと思いました。そこで生年月日から自分の特徴や深層心理を知れる占いや統計学にはまって、そのうちのひとつがタロットカードでした。

また、タロットカードをコレクションしている方も多いので、きのねぇのアート作品にすると面白いんじゃないかと思いつき、2022年の半ばに実施したクラウドファンディングでは、200名以上の方のご支援により300万円の資金を調達することができました。

失明した時に楽しめる趣味や職業の選択肢が少なくて苦労したので、視覚障がい者の方の選択肢が増えるようにきのねぇタロットを楽しんでもらえたらと思っています。

今後のビジョンとしては、視覚障がい者に対してタロット占いの育成や、雇用などの仕組みづくりをしたいと考えています。また、きのこ姉さんには「THIS IS ME.これが、あたし」というキャッチフレーズのもと、私自身が全盲になってから気づいたこと、ありのままの自分を受け入れる大切さなどの思いを込めています。

そんな思いのあるきのこ姉さんが一人立ち出来るように講演や絵本づくりなど、さまざまな国に展開して元気を届けたいです。それが少しでも早く実現するよう、一歩一歩地道に頑張ります。