元アマンリゾーツのコーポレートエグゼクティブシェフ・的場圭司が世界に伝えたい「本物の和食」

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日本が世界に誇る『和食』が2013年にユネスコ無形文化遺産に登録され、海外での和食ブームがより一層高まっています。アマンリゾーツでコーポレートエグゼクティブシェフを務めた経験もある的場圭司さんは、海外に向けて「本物の日本らしさ」を日々発信しています。国内外でレストラン業に携わってきたからこそ見える現状を、的場さんがどのように捉えて行動に移しているのか、詳しくお話を伺いました。

日本のレストランを海外に発信したい

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私がシェフになろうと思ったきっかけは、高校卒業後にニューヨークに留学をしていた25年前のことです。マンハッタンのビルの中にある、水車がまわっているそば屋に行き、それを見て西洋文化と日本文化の違いがすごく面白いと感じました。そこから「日本のレストランを海外に発信したい」と強く思うようになりました。

最初は知り合いが経営している淡路島の旅館で働き、そのあとは大阪・中之島にある『リーガロイヤルホテル』で働きました。その後、海外での仕事につながりやすいと思って『ザ・リッツ・カールトンホテル』に7年ほどいましたが、なかなか海外での仕事にはつながりません。

それから『ホテルオークラ』がオランダに店を持っていると知り、30歳を過ぎてから『ホテルオークラ・アムステルダム』に5年間在籍しました。

『マンダリン オリエンタル 東京』の初代総料理長をやっていた山本秀正さんという方がいるのですが、当時日本にある外資系のホテルで日本人が総料理長を任されているところはなく、珍しい経歴の持ち主です。

山本さんの会社がシンガポールの『マリーナベイ・サンズ』にレストランを出していたこともあり、エリア担当の総料理長として私が行かせていただくことになりました。そしていろいろなプロジェクトで世界各地へ行くうちに、外国企業のレストランの実態や、飲食業界のことを知りたくなりました。

それからレストランでエグゼクティブシェフをやっていた経験が買われて、『アマンリゾーツ』のコーポレートエグゼクティブシェフとして採用いただきました。そこではアマン(AMAN)の文字を逆にした『NAMA』という和食ブランドを立ち上げました。

料理もさることながら、私たちはお客様を喜ばせるサービス業です。自分が提供するものでお客さまの期待に応えることに喜びを感じますし、究極の形の店舗がホテルだと思っています。

海外で出世するにはコネクションが必要

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海外の有名なホテルスクールを出た金持ちの子どもは卒業後、飛び級でアシスタントマネージャーからスタートします。出来レースのような世界ですが、そういう人たちが将来ホテルのGMや総料理長になっていくので、そこのコネクションがとても重要になります。

海外で和食の現場はたくさんあっても、その内部事情を知らないと現場のままで終わってしまいます。まずヘッドシェフになり、そこからホテルレストランのエグゼクティブシェフ、エリアシェフ、そして本部の統括と上がっていきます。

しかし、日本人にはその階段を上がれる人はいません。事情もわからないし、経験もなく、どうやって良いか方法もわからない人がほとんどです。私は運が良いことにそのポジションに人がいなかったのでうまく入り込み、コネクションもつくってこれました。

以前一緒に働いていた仲間がフランス―サントロペのホテルでGMになり、「そこでお店を出さないか」と誘いの声がかかりました。そして『的場』というブランドを出す形で2021年に契約をしました。

またアマンリゾーツからもお話をいただき、和食ブランドのコンサルタント契約を結び、念願のニューヨークで仕事をすることになりました。25年越しの夢がかなった瞬間でした。

私がシェフとして知名度を上げていき、海外に向けてビジネスができる形をつくりたい。そんな思いから、フラグシップ店として銀座の一等地に『まとい 銀座』をオープンしました。

『まとい』というのは、的場の“まと”と、井畑譲治オーナーの“い”から名づけられています。他にもまとい(纏)というのは、戦国時代の合戦時に大将がいるという旗の意味で、まさしくフラグシップの意味なんです。『まとい』をフラグシップとして、日本の文化や食材など全般を発信していきたいと考えています。

ユネスコ無形文化遺産に登録された和食文化の未来

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2013年に、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されたときから何か変わりそうでしたが、そこまで大きく進歩はしていません。逆に中途半端な和食が増えたという印象ですね。海外では日本人シェフをさまざまな現場で採用しようとしていますが、和食の情報は広く知れ渡っているので、外国人を使った和食レストランが増えています。

もっと日本人や日本企業が現地に行って広めれば良かったのですが、寿司を握れる外国人はたくさんいるので、その人たちがやり始めているのが現状です。

その理由の一端は私にもあると思っています。海外では発信する立場にあったのにあまりできていなかったので、これから挽回しようと思っています。

海外のネットワークとレストラン事情を熟知しているので、そのコネクションを生かして、皿、装飾品、食材など、日本の文化を全部まとめて輸出できるようにしたいと考えています。

技術は個々のものですし、人も減っていくので、全部を継承するのは難しいかもしれません。それでもレシピで補うなどの形で実現できると思っています。まずは正確なレシピと、装飾品などを含めた組み合わせを海外に持っていけたらと考えています。

海外を含めて今後レストラン業がどうなるのかわかりませんが、今みなさんが考えているものと違うものになるのは間違いないと思います。たとえそうであったとしても、日本らしさは正確に伝えて輸出していきたいです。そこに日本人が携わったら、しっかり文化として守っていけるはずです。

Z世代部下を抱える上司専門家が指南する「Z世代との正しい関わり方」

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『Z世代部下を抱える上司専門家』として、コミュニケーションコーチのサービスを提供している江原健悟さん。ご本人もZ世代であることを活かし、「Z世代とどう関わったら良いか?」というジェネレーションギャップから生じるすれ違いを解消するために、さまざまな情報を発信しています。今回のコラムでは、Z世代の特徴やZ世代との関わり方などをお話いただきました。※Z世代とは2023年度に11-26歳になる人達のことです(年齢区分は諸説あり)

『Z世代部下を抱える上司専門家』として独立

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僕は大学時代に、福岡ソフトバンクホークスやテレビ西日本で働く機会がありました。そこで私より上の世代と働くなかで、仕事に対する考え方の違いが明らかになりました。

最初は、「なぜ分かってもらえないんだろう」と憤りを感じていました。しかし、30~40代と交流を深めていくなかで、価値観の違いはどちらが悪いというわけではなく、ジェネレーションギャップが原因だと気が付きました。また、30~40代へ「Z世代の関わり方についてアドバイスをすると、「そういうことだったのか」と目から鱗という反応でした。

このすれ違いを解消することは大きな価値になると確信し、『Z世代部下を抱える上司専門家』として独立しました。今では、企業向けにコンサルとして入ったり、弁護士と協業して、Z世代からハラスメントで訴えられないようにする対策セミナーなどを行ったりしています。

Z世代には、無条件で「受容的」になること

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Z世代の特徴は大きく2つあります。1つ目は、「女性脳化」です。たとえば、女性が相談するとき、男性は適切なアドバイスをしようとしますが、女性はただ話を聞いて欲しいときもあります。

Z世代もこれと一緒です。仕事について上司に相談するとき、適切なアドバイスよりも、まずは話を聞いて欲しいのです。これは一例ですが、そういった女性的な一面があることはZ世代の特徴のひとつです。

2つ目は、お金を稼ぐということよりも「自分が認められる」という自己重要感を満たすことに価値を感じるという点です。約25年間賃金指数が上がっていない現世だからこそ、Z世代は生まれてからずっと賃上げを経験していない世代です。

さらに、学校教育でSDGsなどについて触れる機会が多かったので、貧困者への支援などに興味を持つ人が多く、「稼ぐ」というよりも「誰かの役に立つ」など、必要とされるということに価値を感じる人が多いことが特徴です。

こうしたお仕事をしていると、「Z世代は褒めれば良いんですよね?」という質問を多くいただきます。確かに褒めることは重要なことです。しかし、褒めることだけをしてしまうと天狗になり、より周りの意見を聞かず、成長する機会を失ってしまいます。

重要なのは、無条件で「受容的」になることです。「あなたの意見はこれで、そんな考えもあるのか」と一度受け入れることが重要です。その後の残り1割ほどで「私はこう思うよ」という意見を伝えることで、Z世代の成長を促すことができます。

Z世代は、頭の回転が早く行動に移す力もある

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今後は、僕自身の発信力を高めていくことを目標として活動していきます。理由はZ世代との関わりをコンサルティングするこの事業の認知拡大をするためです。

事業に取り組むなかで、Z世代への関りに関して困っている人は、解決策をネットなどで調べないため、僕がSNSで発信するのも限界があると肌で感じています。僕自身がテレビなどのメディアに出演して、「Z世代の特徴」を発信できれば、さまざまな企業に情報をお届けできると考えています。

Z世代と聞くと、「扱いづらい」「何を考えているか分からない」など苦手意識がある方も多いと思います。しかし、Z世代は頭の回転が早く、行動に移す力があるということも事実です。今後もZ世代と社会で活躍する先輩とのすれ違いを無くして、Z世代の価値を正確に伝える橋渡し的な存在として事業を拡張していきます。

Z世代には、夢を持っている人が少ない印象もありますが、「夢って意外と叶うよね」ということを分かち合いたいです。夢が見つかれば、主体的になって働いて、企業も良くなりますし、稼いだお金を「オタ活」に使うのでもありです。僕と同じZ世代の方には、ぜひ夢を持ってほしいと思います。

『トクさんTV』でも紹介!名古屋の野球ユニフォーム専門メーカー・エイビス代表に聞いた事業継承にまつわるエピソード

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伊藤文典さんは、祖父の代から続く株式会社エイビスに27歳で入社。営業として活躍した後、家族間の事業承継で紆余曲折を経て、10年後に父から代表を引き継ぎました。野球ユニフォーム専門メーカーとして名高いエイビスは、『関東エイビスリーグ』の開催や、野球YouTuber『トクさんTV』に紹介されたりと、幅広く活躍しています。そんなエイビスの”ひげ社長”として愛される伊藤さんに、事業承継のいきさつや、今後のビジョンなどを伺いました。

事業承継で父・兄・自分の三つ巴

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子供の頃から、父の会社を引き継ぐものだと言われて育ってきました。小学校の文集では、「打倒MIZUNO」なんて書いていましたね。ただ、伊藤家の次男だったので、父の会社に関わることはあっても、継ぐ気はありませんでした。父も自分には継がせないと言っていましたし、結婚する時に妻へも「自分は継がない」と話していました。

何年間かは親に奉公するのが筋だと思って、27歳に親の会社である株式会社エイビスに入社しました。実は、入社当時には「10年したら別の道に進もう」と考えていました。37歳で自分の道を見つけることを意識して、社員とも距離をおき、経営層に関わらず、営業一辺倒でしたね。10年経って初めて父に退社の意向を伝えた時に、「お前が会社を継ぐんだ」と父から言われました。

ここで三つ巴です。

・父は私に会社を継がせたい
・兄は会社の代表になりたい
・私は継ぐ気はない

兄は優しくて真面目で、波風立てないタイプ。ただ、従業員は自分についてきていました。三つ巴の状態で、経営者が誰なのかわからない状態が半年以上も続きました。指示系統がバラバラなので従業員も混乱状態。経営陣が会社の足を引っ張るわけにはいかないので、自分が父の意思を継ぐと決意しました。

代表になる条件として提示したのは「父が兄を放出するなら」でした。兄弟で経営がコロコロ変わることは会社の方針がブレることになります。父は兄をかわいがっていましたが、兄が「自分が会社を継ぐ!」話しても、父は私を代表にする意思は固かったのです。

会社を継がないと伝えていた妻には土下座して「仕事をやめて一緒に働いてほしい。私の片腕になってほしい」と伝えました。そこから、今まで9年間ずっと一緒に頑張っています。

30対0で負けてる試合の監督を任された気持ち

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私が代表になる前の数年間、経営権が1本化していないことから売上が下降気味でした。兄は代表権を持たない社長、私は代表権を持った社長。資金繰りも任されるようになりました。

父が引退すると、父の時代にいた社員が次々と辞めていきました。正直不安にかられましたが、他の経営者の方々と相談していくなかで、「改革が進んでいる証拠だ」と言われました。そのあたりから「親の会社を守っていく」というところから「自分の会社を経営していく」という気持ちに、徐々にシフトしていきましたね。

社長になって3年がたったある日、「兄を戻してくれ」と父から言われ、元社長の兄が平社員として入社。ところが入社6年後に兄は自分から退社をしました。そのことをきっかけに、逆に会社を変えるチャンスだと思い、初めて私自ら採用活動をはじめました。

取引先の従業員にお声がけをして、その方が今は工場長として活躍しています。また、工場長から「自分の部下を入れてほしい」と紹介してもらい採用したところ、今や営業のトップにまで成長しています。そうやって体制を整え、「さあ、今から改革するぞ!」となった矢先に、コロナが流行りだしました。

事業を継承した当初から悪戦苦闘を繰り返していて、たとえて言うのであれば「30対0で負けてる試合の監督を任された」ような気持ちです(笑) それでも私の性格上、順風満帆なら社長にはなっていなかったと思います。こんな私を信じて、人生を私に託してきてくれた人たちに応えていくぞという思いで、常に前を向いて進んでいくことができています。

目の前にいる人を「ただ笑わせたい」

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_伊藤文典さん_仕事仲間

心掛けてきたのは目の前にいる方を「ただ笑わせたい」ということです。そして、「お前がいてよかった」と、出会えたことを喜んでもらえるような人間になりたいと思います。

これからチャレンジをする人には、諦めなければ方法がきっと見つかることを伝えたいです。たとえば会社の課題に直面したときには、補助金を得ることによって新しいサービスが展開できるようになりました。

「効率化」が重視される昨今、大手でもやらないことが増えてきています。私たちは既製品を作るのではなく、チームにとって、その人にとって価値のあるもの、「世界にひとつだけのオリジナルウェア」を作っていきたいと思います。効率化にデジタルは割けて通れませんが、だからこそ人と人の接点をサポートしていけるような仕事をしていきたいです。

そして、目の前にいる人を幸せにすることが私のゴールだと思っています。社長としては失格かもしれませんが、「こんな会社があってくれてよかった」と思ってくれる人がひとりでもいたら幸せです。杓子定規でドライな仕組みばかりではなく、泥臭く暑苦しくてもいいじゃないか。そんな思いを大事にしていきたいです。

女性が自分の気持ちに正直に自分らしく生きる社会を目指す

アイキャッチ画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_中尾有希さん_プロフィール

女性のエンパワーメントやジェンダー平等に関わる活動をされている中尾有希さん。女性が自分らしく生きていくことをサポートするHerStory Japanを立ち上げていて、ご自身の体験や気づきが団体設立の基となり、活動のミッションにもなっています。本コラムでは、中尾さんが辿ってきた道や、どんなヴィジョンを描いているかなどをお話しいただきました。

摂食障害を経験して得た「自分の生き方」

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_中尾有希さん_海外旅行

自分の生き方を決定づけた経験はいくつかあります。

1つめは幼少期を海外で過ごしたことです。海外生活の中で、「あなたはどうしたいの?」と聞かれていたことが、物事を取捨選択するときの礎になっています。

また、中学3年生のときに摂食障害になったことが大きな分岐点でした。拒食と過食を繰り返すなかで、自己肯定感の低さや周りと比べてしまうことに悩まされていました。

そのときは自分の価値を必死に追い求めていて、自分の見た目や美しさに価値を見いだせなかった分、それを補うために勉強に力を注ぎました。その結果、望んだ大学に進学することができ、留学もすることができました。

何ひとつとして無駄な経験はなかったと摂食障害から学びました。当時は人生のどん底だと感じていましたが、このどん底がなかったら、これまで私が得てきた色んな経験や知識はなかったと思います。

その経験から、「辛くてもなんとかなる」というマインドセットと、「この経験がなかったら将来自分が得られるはずのギフトは得られない」と思うことが、前に進む原動力になっています。

当たり前を疑い、自分を解放すること

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留学や大学での経験から、世間一般から当たり前だと押し付けられているものを疑うという『クリティカルシンキング』の考え方を学びました。

幼少期に教えられてきた「あなたはどうしたいの?」という考え方に通じますし、摂食障害になった背景には「女性は美しくなければならない」「美しいとは細いこと」という、社会通念を打破できなかったことがあったとも思います。

まずは当たり前を壊して、本当にそうなのかと自分の頭で考えることを学んだおかげで、社会的な通念によって自分の生き方や考え方が否定されていることや、そこからどうやって自分を解放できるかという考え方になりました。

それが女性のエンパワーメントの活動につながっています。自分で自分を制約してしまっている考え方から、どうやったら1人でも多くの人が解放されるかを考えることが、女性のエンパワーメントやジェンダーに関する活動のバックボーンになっています。

HerStory Japanという団体は、2020年1月に立ち上げました。この団体のミッションは女性にとってのロールモデルを多様化することです。さまざまな生き方やキャリアの築き方をしている女性を、1人でも多く後押しするコミュニティになるように活動しています。

コミュニティはとても大事です。自分ひとりだけが世の中の在り方に違和感を覚えたとしても、自分だけだと第一歩を踏み出すのは難しいと思うんです。そう感じている人は実はたくさんいるんですが、ひとりだと思っているから声に出せない。

HerStory Japanや、学生時代に立ち上げたWomEnpowered Internationalを通じてメッセージを発信することで、違和感を覚えている人たちにも「自分だけじゃないんだ」と気づいてもらいたいと思っています。

私は考える前に動くタイプなので、大きな挑戦の前にも構えることはあまりありません。始めてみると思ったより大変だったと感じることはありますが、とりあえずやってみることを大事にしています。計画しても計画通りにいくことはほぼないですから。大きな目標と、そこに至るまでのシナリオをいくつか考えて準備はしますが、あとはやりながら考えています。

行動するなかで大切にしているのは、あまり自分にプレッシャーをかけすぎないことと、今までの自分の実績と結果を信じることです。とりあえずやってみてからでも大丈夫だろうというのが経験知としてあるので、きっと考える前に動いてしまうんですよね。だから挑戦に対するハードルは低いんだと思います。

ルールや当たり前に囚われない社会をつくる

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世界中すべての女性が、女性であるということを理由に制限されない社会をつくることが私の夢です。HerStory Japanでは、今までのルールや当たり前に囚われない生き方をしている人のストーリーを、より多くの人に届けることが使命です。

これは会社員の仕事の外でやっていることなので限界はあるにしても、着実に実績を積んで継続することが大事だと思って活動しています。

勤務先でも、従来になかった女性のネットワークを立ち上げました。今まではボランタリーの活動をしていましたが、今度は自分がいる組織の内側から組織の在り方を変えていくという挑戦です。

勤務先の会社はグローバルなネットワークを持っている会社なので、テリトリーの違いを超えて、女性が働きやすい職場や、女性の自由なキャリアビルディングについて発信と交流をしていきたいです。

まずやってみることを大事にして、私が当たり前に囚われずに私らしい生き方をしていきたいと思います。

今のままじゃ、嫌なキミへ~人生は変えられる②~

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人生はいつだって変えられる。だけど大半の方は変えられない。いや変えようとしない。変えられる人はホンの一部の人だろう。でも多くの人は変えたいと思っているはず。なぜ変えられないのだろう?答えは簡単でシンプルなんです。「奇跡的に人生を変えてきた実話をシェアしたい」という思いから始まった、和僑ホールディングス代表取締役社長の坂田敦宏さんのコラム。今回は21歳の時に起業した当時のリアルな経験談をお話いただきます。

起業を決める

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20歳の時、とりあえず起業すると決めた。でも何で起業するか決めてなかった。先に起業することを決めたのだった。そして何で起業するかを真剣に考え始めた。ただ当時の人生経験なんて大したことはない。

最初は、鳶・土建と塗装の仕事ならそこそこ技術があったので、このどちらかで起業を考えたが、どちらで起業するにせよ資金が500万くらいかかる。当時の20歳の少年にはそんな資金も稼ぎ方や情報も融資制度もなかった。

今から30年以上前は、まだクレジットカードさえなくて、若者がお金を借りるという行為は不可能だったのだ。せいぜいローンがあるくらいだ。当然インターネットもない時代に、資金調達の情報もなく、起業の選択肢はさらに狭かった。

そんな悶々と過ごしていた時に、建築現場で「洗い屋さん」と呼ばれる清掃業の方を見かけたのだった。この時に「これだ!」と思い、清掃業で起業したいと考えるようになった。これからの時代に流行るだろう。そして資金がほぼかからないというのが安易な理由だった。

知り合いに聞きまくり、掃除屋さんを探したところ先輩が経営している会社があると聞き、そこで半年くらいバイトさせてもらい、仕事を覚えて、21歳の時に起業(独立)した。

今思えば、とにかく先に決めるということは良かったですね。自分の経験だけで考えていくと、自分がやりたいことができず、できることになってしまう。常識的には経験の中から選択するのでしょうが、当時の僕はやったこともない仕事での起業を決めて、決めてからバイトで少し経験してから起業という非常識な決断をすることも時には必要でしたね。

創業期は笑い話がいっぱい

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起業はしたものの、掃除の仕事は全くなかった。結局、自分の経験がある鳶・土建や塗装の現場へ自分を手伝いに行くという形の応援の仕事しか取れなかったのだ。そして空いている日にひたすら営業を繰り返した。

昼は電話帳を片手に電話でアポ取りをして、アポが取れたら営業。そして営業に行ってめちゃくちゃダメだしされて、資料作りをしたり、夜は原付バイクに乗って、永遠にチラシ配りの毎日。

そして半年くらいしたころに、ようやく初めて掃除の仕事を受注しました。22歳の誕生日を過ぎていましたね。準備も万端ではなく、ノリで起業してしまった典型的なタイプだったのでしょうね。

僕の場合こんな感じでしたので、仕事をしたら給料みたいにお金をもらえると思っていたので、起業後にお客さん(先輩の会社)にこんな質問をしていました。

「この働いた分って、いつもらえるんですか?」

すると、お客さんはこう教えてくれました。

「月末で締めて、その月の分の請求書をもらえれば、翌月末日に支払いますよ」と。

さらにびっくりしたのが、翌々月20日の支払いがあると聞いて、来月どうやって生きていこうみたいに悩んだ時もありましたね。今の起業家はこんなことないと思いますが、情報がなかったので、こんな凡ミスばかりの起業でした。

ただ、はっきり言えることは、創業時の失敗や経験はすべて笑い話になります。その時は、必死でびっくりすることばかりですが、それは初回だけなんです。1年後には必ず成長してますから、ほとんどの経営者は笑い話になってますので安心してくださいね。

大切なことは、なんでも恐れずにチャレンジすることなんです。そして失敗して、経験値を積んで成長していくのが起業家です。ですから何かを成し遂げたいと思った人に、失敗を経験したことがない人はいません。むしろ失敗を恐れて何もチャレンジしない人の方が、僕からすると恐れることですね。

今のままじゃ、嫌なキミへ~人生は変えられる①~

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人生はいつだって変えられる。だけど大半の方は変えられない。いや変えようとしない。変えられる人はホンの一部の人だろう。でも多くの人は変えたいと思っているはず。なぜ変えられないのだろう?答えは簡単でシンプルなんです。「奇跡的に人生を変えてきた実話をシェアしたい」と今回から始まった、和僑ホールディングス代表取締役社長の坂田敦宏さんコラム。坂田さんご自身の実体験を交えながら、熱く語っていただきます。

野球少年が、社会のレールから外れた

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東京の田舎(西東京)で生まれ育ち、小学生時代は、朝から晩まで野球に明け暮れていた典型的な野球少年だったが、中学生になると人の道から外れていった。

1980年代の東京は荒れていた。まさに漫画『東京リベンジャーズ』のような世界。多感な10代、流行りを追うように、ツッパリ(ヤンキー)が格好よく見えた。そして気が付くと、親や先生の言うことよりも、先輩の言うことが絶対と思ってしまい、社会のルールから完全に外れていくのだった。

そして人生の選択肢も、普通の人と違う状況となり選択肢がおかしなことになっていった。例えば普通の中学3年生と言えば、「どの高校を受験しようか」「この高校でやりたいことがある」など将来のことを少しずつ考え始めるころだろう。

しかし当時の僕らは違った。先輩から暴走族をやるかやらないかを毎日のように詰められるような環境だったのだ。まだ15歳の少年はそんなに精神的にも強くない。毎日頭がいっぱいいっぱいになり、よくわからなくなっていった。当然、この頃は普通の生徒とも交流がほとんどなかったため、相談することもできず毎日が苦しかった。

15歳の春、早すぎる社会人

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中学を卒業すると、すぐに働きだすことになり、社会人として早すぎる一歩を踏み出した。学校に紹介された月給8万円の工場は、なにも感じず選択せず、色々なアルバイトをしてみた。

もともと独立心が強く、親の世話になってたまるかと思っていた当時は、自分でお金を稼ぐことに感動すらしたものだ。(実際に育ててもらったことに当時は、感謝を感じていなかったのだ)

ただ、社会人デビューしたものの、想像とは違い、現実を知ることになる。お金を稼ぐこと、給与をもらうことなど、まともな教育も受けず社会人になったので、なんの覚悟もできておらず、それどころか中学を卒業すれば自由だと、素敵な勘違いをしていたので、働くことの大切さと大変さを知らず、すぐに社会との壁を感じたのだった。バイトが決まってもすぐに1日~3日で辞めてしまう日々が続いた。

こんなはずじゃなかった

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社会に出れば、自由にできたのは、遊びの部分だけだった。プライベートはやりたい放題になり、仕事に関してはクズのような状態だった。

こんなはずじゃなかった。

いつもこんなことを考えながら、過ごしていたある日、先輩から建築現場で職人として働かないかと誘われ、建築職人となった。当時ヤンチャな自分からすると建築職人の格好が、かっこよく見えたこともあり、なんとなくはまった。というか初めて仕事が続いたのだった。

成り上がり

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そして建築職人になっても日当が高い仕事を転々とし、鳶、土建屋、解体、塗装と色々なことをやってみた。そんな19歳の時、生まれて初めて買った本に衝撃を受けることになる。

矢沢永吉さんの『成り上がり』

この本に出会い、自分の中で、「ビッグになってやる」と熱くなった。特にやりたいことも、何でビッグになるとかも決まっていなかったが、とにかくビッグになってやるという感情があり、人生を変えなきゃ、なにかやらなきゃと感じたのだった。

〜次回へ続く〜

働く時間を”いきいき”と充実した時間にするために

今回からスタートする臨床心理士の重光咲希さんのコラム。働く時間をいきいきと喜び、満足感を持って過ごすためのヒントをお伝えしていきます。第1回は、周りの人を気にかけること、自分の強みを発揮することについて教えていただきました。

あなたにとって働くとは、どういうことですか?

「幼い頃からの夢を叶えている。」あるいは、「生きるためのお金を稼ぐ、仕方ないこと。」「仕事は辛いもの。」「言われたことだけをすれば良いもの」など、様々な考えの人がいるかと思います。

どのような人でも、人生において「働くことに費やす時間」は多く、その時間をどのように過ごすかによって人生の満足度にも影響があるのではないでしょうか。私は、臨床心理士として、働く時間を“いきいき“と充実した時間とするためのサポートを行なっています。

今回の記事が、あなたが働く時間をいきいきと喜び、満足感を持って過ごすための視点の一つとなれば幸いです。

「働く」とは「はた(傍)」を「らく(楽)」にすること。

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『「働く」という言葉は、「傍(はた=周りの人)」を楽(らく)にする」ことから成り立っている、誰かの役に立つことが「はたらく」である、という見方があります。』

(引用:野口雄志「君たちはどう「はたらく」か?」セルバ出版,2021年8月13ページ)

こちらは諸説あると言われておりますが、私は「働く」をこのように考えることは自分の仕事を誇らしく思うことができる、素敵な考え方だと思っています。

「あなたの仕事、働きは誰かの役に立っている。」

組織の規模や携わるフェーズによって、直接お客様の喜んでいる姿が見える人と見えない人がいるとは思いますが、全て繋がっていて必要な存在なのです。当たり前のことに感じるかもしれませんが、改めて「自分の仕事は誰かの役に立っている」と自分自身で自覚することが大切だと考えます。

その時に、どんな人の役に立っているのかも具体的に想像できると、もっと自分自身も嬉しくなるのではないでしょうか。そのような視点を持つと仕事が“辛いもの”や“仕方なく”という時間でなく、自分にとっても周りにとっても嬉しい時間にできると思います。

とはいえ、仕事をする上では苦しい時や辛い時、自分ではどうしようもできない問題にぶつかることもあるかと思います。

一人で抱え込まずに相談しよう

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そんな、悩みやストレス、不安や課題を抱えたときには、一人で抱え込まずに誰かに相談することを手段の一つとして心に留めておいてください。職場や身近な人で相談できる人がいると心強いですが、いきなり職場の人に相談するのは、ハードルが高かったり誰に相談したら良いかわからないと感じる方もいると思います。

そんな時には、厚生労働省の「働く人の『こころの耳相談』(https://kokoro.mhlw.go.jp/tel-soudan/)」など外部機関に相談することも一つの手段です。一回の相談ですぐに解決!とまではいかなくとも、話すことで考えがまとまったり具体的な解決のための行動が見えてくるかと思います。

また、職場の関係づくりの工夫としては、自分に余裕がある時には、自分から周りの人を気にかけてあげることも大切だと考えています。自分が話を聞いてあげる、または、解決のサポートをするということではなくても、相談できるところを一緒に探したり、気にかけているよという姿勢を見せることも助けになっていると思います。

普段から職場全体で助け合う雰囲気が築けていれば、自然と自分が助けたり助けられたりできる温かい環境をつくることができます。

強みを活かす

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また、働く時間を“いきいき”とする上で欠かせないことは、「自分の強みを活かすこと」です。

しかし、自分の強みは、“当たり前だ”と思いやすく自分ではなかなか気づくことが難しいものです。そのため、自分で自己分析をすることも大切ではありますが、周りの人に聞くことや強み診断ツールを使うなど客観的に自分の強みを知る方法もおすすめです。

強み診断ツールは、いくつもありますが、私が最もおすすめする「強み診断ツール」は、ストレングスファインダーです。

ストレングスファインダーは、強み心理学の父ドン・クリフトンが開発した、自分の強みを診断できるテストです。この診断でわかる自分の強みは、単に長所という意味合いではありません。

その人が意識しなくても自然とできる行動・思考・感情のパターンを表します。そのため、どんな時でも強みが+に働くとは限らず、時には、強みがマイナスに働いてしまうこともあります。

自分の強みを理解することで、強みを状況に応じてコントロールすること(強みをより効果的に使い、弱みを管理すること)ができます。

さいごに

“いきいき”と自分の強みを活かして働くことからメンタル不調の予防までの施策は、個人の努力だけではなく職場全体での変革が必須と考えます。また、適切な施策は職場ごとに違うため、ご興味を持ってくださった際にはぜひお気軽にお問い合わせよりご相談ください。

お問合せ窓口
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家事にどのくらい協力的?「兼業主夫」チェックリストで確認!

家庭の仕事は女性がやるべきという文化は古くなり、「主夫」「イクメンパパ」「兼業主夫」なんて言葉を耳にするようになってきました。男性がどのくらい家庭に貢献できているか、『兼業主夫協会』の会長である、“兼業主夫パパ”と一緒にチェックしてみましょう。

こんにちは!9歳・6歳・3歳の子供の子育てと仕事に奮闘する兼業主夫パパです!

世の中の多くの男性に、“兼業主夫”という道を示したいと思い、日夜実践そして布教活動に従事しております。

皆さんは、“兼業主夫”という耳慣れない言葉を聞いて何をイメージしますか?

「兼業主婦」=ワーママは聞いたことあるけど、「兼業主夫」って“イクメン”?でしょ?と思っている方も多いのではないでしょうか?

しかし、兼業主夫を侮る事なかれ!

これからの時代の新トレンド「兼業主夫」についてご紹介できればと思います!

兼業主夫の守備範囲を確認☆

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_兼業主夫パパさん_チェックリスト.jpg

早速ですが、パパの家事・育児の協力度チェックリストを用意してみたので、どれぐらいパパ自身もしくはパートナーの方が行っているか確認してみましょう。

(育児編)
□ おむつの取り換えをしている
□ 子供の着替えをサポートしている
□ 保育園への送迎どちらか一方をしている
□ 子供の勉強・宿題をサポートしている
□ 子供を公園に連れて行っている
□ 子供の食事をサポートしている
□ 子供を入浴させている
□ 子供の爪切りをしている
□ 絵本の読み聞かせを行っている
□ 予防接種を一人で連れて行っている
□ 歯磨きのサポートをしている
□ 寝かしつけをしている

(家事編)
□ 朝ごはんの準備をしている
□ ゴミ出しを行っている
□ 掃除を行っている
□ 皿洗いを行っている
□ 洗濯を行っている(干す作業や取り込む作業)
□ 食事にかかる買い物に行っている
□ 夕ご飯の準備をしている
□ お弁当を作っている

これらの20個のチェックのうち、何個が該当したでしょうか??

チェックの数が0~2個

奥さんは大変不満に思っているかもしれません、まずは今すぐにでもチェック数が増えるように行動をしましょう!

チェックの数が3~7個

ご自身としては結構家事・育児を行っているという感覚の方が多いのではないでしょうか。確かに、一昔前ならば家事・育児に協力的なパパという印象かもしれませんが、共働き家庭においては最低限のサポートだと認識したほうがいいレベルだと思います。

チェックの数が8~12個

イクメンパパレベル!このチェック数の方は、ご自身がイクメンであると認識している可能性が高いですし、非常に家庭に協力的だと思います。これぐらい協力的な世のパパが増えると、よりよい家庭が増えるのではと思っています。

チェックの数が13~20個

兼業主夫レベル!このレベルまで来ると協力的という言葉ではないと理解してください。協力ではなく、主体となって家事・育児を行っています。非常に先進的なイメージを持たれるかと思いますが、私が目指しているパパの家事・育児の貢献度はこのレベルです。

大事なことはチェックリストを100%にすることではない

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_兼業主夫パパさん_家事分担

実際にすべてを100%しなくても、ほぼすべてのチェックボックスの内容を一通りパパだけで行えるというのが、ママが仕事に本気で従事するためには重要だと思います。

そもそも主婦(主夫)の定義って何だろうかと思い調べてみました。

主婦(しゅふ、英:「housewife」あるいは「homemaker」)は、一般に家事・育児を主にする既婚(もしくは内縁)の女性をいう。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア』

皆さんも定義を見て、2つの考え方が出るのではないかと思います。

1つは、「主に、家庭で家事・育児を担当する女性」

もう1つは、「家庭の中で家事・育児を主に担当する女性」

多分、今までの認識の多くは1つ目の考え方なのではと思っています。一方で、定義だけを見ますと2つ目の考え方も十分に主婦ととらえることが出来るはずです。

男性も家庭進出して兼業主夫に

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_兼業主夫パパさん_パパと子供

それでは私が考えている、兼業主夫の定義です。

「兼業主夫とは、家庭の中で家事・育児を主に担当しながら、仕事をして収入を得ている男性」と考えます。そして、主婦の定義にもあるような「PTAや自治会などで役員を務めて地域社会に貢献している」という家庭外でも、「収入を得るため以外の活動にも従事している」という点も重要なポイントだと考えています。

このように定義を見ていくと、なかなかハードルが高そうだと感じますが、大事なことは自分ができる事から少しずつコツコツと担当可能な領域を増やすことだと思います。

女性の社会進出が叫ばれている世の中において、男性側も家庭進出が非常に大事だと思っています。特に、少子高齢化の中で子供を多くのパパが主体的に育てる事はこれまで以上に重要になってきます。

これから家事や育児も積極的に頑張ろうとしている男性の方も是非、一緒に少しずつステップアップをしながら兼業主夫を目指していきましょう!