29歳までギャンブルで生計を立てていた男がキッチンカーを始めたワケ

辻村 千春

辻村 千春

2024.10.16
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辻村千春(つじむらちはる)さんは、高校時代に野球の夢を断たれ、遊びに没頭する中でギャンブルに目覚めました。18歳で自衛隊に入隊し、空いてる時間はギャンブルに没頭する生活を続けたのち、31歳でキッチンカー事業をスタートさせました。持ち前のフットワークの軽さを活かして全国を駆け巡り、今では地元食材を発信し、地域に貢献する取り組みに力を入れています。そんな辻村さんに、これまでの経緯や今後の展望を伺いました。

怪我によって目標を失い、遊びに没頭する

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現在、私は『京風たこ焼き福篭(ふくろう)』というキッチンカー事業を営んでいます。

これまでの経歴についてお話しますと、私が通っていた中学校は、全国大会に3年連続で出場するほどの強豪校でした。私も野球部に誘われて入部し、3年生のときにはレギュラーとして活躍できるまでになり、そのまま高校に野球推薦で進学しました。

中学時代の軟式から硬式に変えて練習を続けていましたが、肩が硬式に慣れず、入学後すぐに肩を壊してしまいました。それまで「巨人の星」のようなハードな練習をしていたので、その体力をどこに向ければよいのかわからなくなり、野球部を辞めて遊びに走るようになったのです。

遊びにも真剣で、たとえば焼き芋パーティーをする際には、農家からサツマイモをもらい、新聞屋さんに木材をもらいに行き、道具をすべて自分たちで調達していました。他にも釣りなどの活動もしていましたが、次第にみんながついて来なくなり、一緒に遊ぶ仲間が減っていきました。

そんななか、悪い友人に誘われてギャンブルを覚えました。2年生の3学期には学校に通う意義を見失い、退学を考えるように。しかし、厳格な親から「辞めるなら家を出ていけ」と言われ、未成年のまま家を追い出されてしまったのです。その後は友人の家を泊まり歩き、18歳になるまでそのような生活を続けていました。

キッチンカーを始めたきっかけは、妻からのひと言

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18歳になったとき、親に呼び戻され、久々に帰った家で知り合いの自衛隊のおじさんから「自衛隊の試験を受けてみたら」と勧められました。ジェットエンジンの飛行機に乗れる航空自衛隊に興味を持ち、試験を受けてみたところ、受かってしまいました。

そのまま4月に航空自衛隊に入隊し、約3年間勤務しましたが、飛行機に乗る体験をしたあと、すぐに退職願を出して辞めました。自衛隊勤務中もギャンブルは続けていて、夕方5時には仕事が終わり、土日や祝日は休みが取れる公務員の生活を利用してギャンブルに没頭。自衛隊の給料は積立貯金に回し、ギャンブルの資金だけで生活していました。

その後は海上自衛隊に入隊し、京都の舞鶴で働いているときに現在の妻と出会ったのです。結婚を機に、将来の仕事や収入について改めて考えるようになりました。そんななか、家でたこ焼きパーティーをしているときに妻が「こんなに上手にたこ焼きを焼けるなら、商売にしてみたら」と声をかけてくれたことが、私がキッチンカー事業を始めたきっかけです。

いま考えると無鉄砲だったかもしれませんが、もともと私は興味があることには全力で取り組む性格です。次の日にはすぐに開業届を提出し、キッチンカーの会社に直接足を運びました。そして、軽自動車のキッチンカーを即決で入手して、夫婦でビジネスをスタートさせました。

「誰もやらない場所にこそ、事業拡大のチャンスがある」と信じ、新しいことにもたくさんチャレンジしました。元々ギャンブラーとして全国を飛び回っていたのもあり、そのフットワークの軽さが活かされ、軽自動車でさまざまな場所に出店することができました。

キッチンカーで得た人とのつながりが財産に

もちろん、良いことばかりではなく、すべてが上手くいったわけではありません。新型コロナウイルスの流行により、仕事がほとんど無くなった時期もありました。

そんな中でも何ができるのかを試行錯誤した結果、近隣の厚木市で、チラシ配りの人たちを雇うことを検討しました。しかし、出費を抑えて今あるリソースで戦うため、自分たちの足で地域の人々に直接チラシを配ることに決めました。夫婦で4万部ものチラシを配布した経験は、とても良い経験でした。

キッチンカー事業を通じて得た人とのつながりや経験は、お金以上の価値ある財産です。この業界で必要なノウハウや人脈を、誰よりも多く学んだと自負しています。

今後は、キッチンカー事業のスタートアップ支援やイベントの企画も行っていく予定です。キッチンカーという業態は大きな産業であり、参入したい人も多い一方で、巧みな広告により、相場以上の金額を請求される人も少なくありません。

だからこそ情報を一元化し、業界の基礎をしっかりと理解したうえで、安心してスタートできる環境をつくりたいと考えています。私の経験を活かし、多くの方々の協力を得ながら、キッチンカー業界をさらに発展させていきます。

現在は、キッチンカー事業を行いながら、各地の地元食材を全国に発信する試みを行政と協力して進めています。また、インバウンドや地方創生に関する課題に触れるなかで、地域に貢献したいという思いが強まりました。同時に、これからの社会を子供たちのためにどのようにつくり上げていくべきかについても考えるようになりました。

私は、子供たちが将来就きたい仕事に触れ合う機会を作りたいと考えています。キッチンカーを通じて全国のさまざまな業種の方々と出会うなかで、将来を担う子供たちのために、各地で企業展示会を開催できたら面白いんじゃないかと思うようになりました。そのためには、行政や教育委員会、さまざまな業種の方々が日本の未来について真剣に考え、一丸となって取り組むことが必要です。

かなり壮大なプロジェクトですが、まずは小さなコミュニティから始めます。たとえば、ひとつの町の子供たちを対象にしたイベントからスタートし、少しずつ規模を拡大して、多くの人が参加できるイベントに育てていきます。

私のビジョンや思いを伝えていくなかで、共感してくれる人や協力者も増えてきました。この動きをどんどん加速させて、後世に残る仕組みをつくり上げたいと考えています。

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