「子どもの可能性をもっと広げたい」元オリンピック選手が目指す教育のあり方とは?

ワクセル編集部

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勅使川原郁恵(てしがわら いくえ)さんは元ショートトラックスピードスケート五輪日本代表。選手引退後は一般社団法人を立ち上げ、子どもたちにスポーツをはじめ、たくさんのエンターテインメントを経験できる場を提供しています。選手時代のお話から現在の活動を始めるきっかけや今後の展望などを伺いました。

誰よりも強いスケート愛で日本一にまで急成長

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3歳からスケートを始めました。始めたきっかけは父で、スケートの選手でもあり岐阜県のコーチをしており、私は生まれて間もない頃から父がコーチをしている現場に行っていました。私は三姉妹で姉が2人いるのですが、姉もスケートをやっていて、スケート場に家族で行くのが日課でした。

小学校に上がる時までは父に習っている選手の横で遊び感覚で滑っていましたね。小学1年生の時に「もっとスケートがうまくなりたい!」と思って、父親にスケート靴を買って欲しいとおねだりしたところ、買ってもらったのがスピードスケートのシューズでした。

マイシューズがうれしくてしょうがなく、毎日楽しく滑っている中で、小さいながらに父の元で練習をしているお姉さんお兄さんに追いつきたいと思っていました。私の最初の目標は実の姉を追い越すこと。中学生になる頃には姉を追い抜いてしまったのですが(笑)。

昔は外のリンクしかなかったので冬しかスピードスケートができなかったんです。小学5年生のある時、1年中滑りたいと思い、父に相談しました。すると父からショートトラックスピードスケートという競技はフィギュアスケートと同じ室内のリンクで行うものだから見てみないかと言われたんですね。

見学に行った時にショートトラックの選手を見てとてもかっこいいなと思い、その瞬間にショートトラックをやると決意。それからすぐに練習を始めました。スピードスケートもショートトラックも両方練習していたのですが、小学6年生の時にどちらで世界一を目指そうかと考えた時に、私は小柄の方なのでショートトラックの方が合っていると考えてショートトラックに専念しました。

中学1年生の時にはショートトラックの全日本選手権に出場するようになり、中学2年生でオリンピック選手を全員抜いて日本一を達成。日本代表選手として世界大会にも連れて行ってもらいました。

スピードスケートが好きで好きでしょうがなくて、毎日練習していたら日本一になっていたという感覚です。誰よりもスケート愛が強かったんでしょうね。両親から練習しなさいと言われたことは一度もなくて、自分で考えて練習できる環境を作ってくれていたのもありがたかったです。氷の上で転んでも誰も助けてくれません。自分で立ち上がるしかないので、自発的に動くことが身に付いたのだと思います。

高校時代は3年間ずっと日本一で全日本選手権5連覇を果たしました。みんなが練習場に来る前に来て練習して、練習していなかったフリをしてみんなと同じ時間にまた練習場に入っていましたね。あと、食事にも気を付けていて、お菓子を食べずにすぐエネルギーに変わるものを食べるようにしていました。もともと食事に関しては両親が気遣ってくれていたので感謝しています。

メダル獲得とスポーツキャスター、2つの夢を抱えてオリンピックに出場

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1998年の長野五輪に大学1年生で出場してから、2002年ソルトレイクシティー五輪、2006年トリノ五輪と3度のオリンピックに出場しました。実はトリノ五輪に出場する前に引退を決めていたんです。オリンピックに出てメダルを取りたいという夢があったのですが、長野でもソルトレイクシティーでもメダルを取ることができませんでした。3度目のオリンピックにチャレンジする時に自分ができることはすべてやり切って臨もうと決意しました。

それと同時にオリンピックでメダルを取ることの他にもう一つの夢ができました。それはスポーツキャスターになること。もともと中学2年生の時にスポーツキャスターになりたいと思っていたんです。当時、インタビューを受けることがあって、その時のインタビュアーの女性がとてもキラキラして見えて憧れていました。

2度目のオリンピックに出場するまではオリンピックでメダルを取るという夢の方が大きかったのですが、3度目のオリンピックに出場することが決まった時にはメダルを取るという夢とスポーツキャスターになるという夢が同じ大きさになっていました。そこでトリノ五輪が終わったら引退しようと決意し、スパッと引退できましたね。

オリンピックの時は非常に多くのメディアの方と接します。スポーツキャスターになりたいと言える絶好のチャンスですよね(笑)。インタビューを受けるたびにスポーツキャスターになりたいと話していました。トリノ五輪の後に世界選手権にも出場して引退しているのですが、世界選手権が終わって日本に帰国したその日にスポーツキャスターになるために10社ほどの芸能事務所を突撃訪問。引退してのんびりする期間はなくすぐ次の行動に移していましたね。

子どもたちの可能性を広げるために『さまざまな体験の場』を作り続ける

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今一番思っているのは、次世代を担う子どもたちが育つ環境を良くしたいということです。自分が母親になったことで、とにかく子どもたちのために何かがしたいと考えるようになりました。

現在小学6年生と小学3年生の二人の息子がいます。子育てをする中で不便なことやあったらいいなと思うものが出てきて、ないのならば作ってしまおうと思いました(笑)。

そのために立ち上げたのが『一般社団法人ナチュラルボディバランス協会』です。子どもたちにスポーツ、自然との触れ合い、食育など幅広くなんでも体験できる場を提供しています。理想としているのは子どもがやりたいと思うことはすべてできる社会です。いろいろ経験してみないと夢が広がらないと思います。子どもの可能性を広げたいという思いが強いですね。

日本は閉鎖的な部分が多くて、みんな一緒であることが良いという文化です。画一的な教育で同じものを学ぶのではなく、好きなものを学べる場所があっても良いのではないでしょうか。海外を見ると教育もスポーツも年間で様々なカリキュラムが体験できるんです。スポーツに関しても幅広く経験できていない子どもが多くて可能性を狭めてしまっているのではないかと感じています。

その可能性を広げるためにスポーツも芸術も体験できる場所を作り続けたいですね。子どもたちの可能性が広がって、夢が増えて、自分の好きなことができることにつながります。子どもだけではなく親にも個性が輝いているのは素晴らしいことだと伝わったらいいですね。こういう生き方や考え方があるということを親子で学べる場所も必要だなと思います。子どもに一番影響を与えるのは親なので、親にも一緒に学んで欲しいですね。「親子の学校」が作りたいんです。

私は『一般社団法人コドモジブンケンキュウ』という団体の理事としても活動しています。そこでは、音楽、アート、スポーツなどさまざまな体験ができるブースを広場に作って子どもたちが自由に参加できる場所を提供しているのですが、こういった環境も増やしていきたいですね。


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