「花と女神の画家」誕生のきっかけとなった紆余曲折の人生とは

谷口 公太

谷口 公太

「花と女性」をテーマにPOSCA(ポスカ)を使用した絵を描く画家の谷口 公太(たにぐち こうた)さん。現在は大阪を中心に活躍されています。幼い頃から絵を描くのが大好きで絵の道に進むと信じていたはずが、思わぬ挫折を経験。現在の活動のきっかけにもなったという、これまでの人生のお話を伺いました。

絵の道に進むと信じて疑わなかった子ども時代と大学での挫折

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物心がついたころから絵が好きで、いつも絵を描いていました。勉強や運動は苦手でも絵だけはクラスで一番、絵だけは褒められる、という子ども時代を送っていたので、将来自分は絵を描く人になるんだろうな、と当時から思っていたのです。当然のように中学でも美術部に入り、絵の道に進むために、当時住んでいた富山では唯一のデザイン系の高校に進学しました。そして、大学でも芸術を追究するために、大阪芸術大学に進学して、少しずつ絵の道に進んでいきました。

絵の道を進む判断に迷ったことはありませんでした。『踊る大捜査線』を見て警察官になりたいと思ったこともありましたが、絵の道を志す気持ちは、それと比べようもないほど真剣でした。絵の道はたやすくはないことも、裕福にはならないことも覚悟の上でした。

ところが当時の私は、大学に無事進学できて4年間通えば、大学のつてで絵描きとしての道が開けると思っていました。そこでひとつ挫折があって。大阪芸術大学は私学で学費が高く、私の家は裕福ではなかったので、一年通ったところで学費が払えなくなり、学校から除籍されてしまったのです。若かったので、お金がないという理由で辞める、と友達に言うのは恥ずかしかったですね。私学なのでお金持ちの子が多く、格差社会のようなものをひしひしと感じ、「自分のほうがよっぽど本気なのに」と悔しい気持ちになったり、「親がお金を出せないせいだ」と親を恨んだりもしました。

画家とは方向が異なる仕事を経て本当にやりたい絵の道に再挑戦

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大学を辞めてからも、うだうだと悩みながらバイトをして過ごしていました。ただ、ふと自分の高校の同級生の8割程度が大学に進学できず、就職していたことを思い出して。1年だけでも大学に行って大学の空気を吸えたのは幸せなほうだと気がついたのです。子ども1人を育てるのにお金がかかるのはあたりまえなので、親を恨むのは違う、自分も自立していかなければ、と考えを改めました。

ずっとアルバイトを頑張っていたら、当時働いていたローソンの店長をやってみる?と言われて。自分の目指していた道とは違うしコンビニの仕事はしんどい、と思ったのですが、これからの人生で店長をやることはないだろうし履歴書にも箔がつく、と思って引き受けました。19~23歳ぐらいまでがっつり店長をやっていましたね。その地域はちょっとしたヤンキーが多くて、夜中にバイクが店に入ろうとするとか客層もあまりよくなかったです。

次の仕事に悩んでいたら、InstagramでUSJのハリー・ポッターエリアがオープン間近だと知りました。もともと大阪に進学したのはUSJのハリー・ポッターエリアのオープンが近かったからで、年間パスを買ってたくさん通おうと思っていたからです。そのときちょうどオープニングクルーを募集していたので、3年ぐらい働くことにしました。

USJで働くのは楽しかったのですが、ずっとアルバイトでいるのもどうかなと思い、印刷会社に就職することにしました。もともとローソンを辞めたときに働きたかったところなのですが、当時は募集していなくて。この先どうしようと悩んでいるタイミングで募集があったのです。

クリエイター系の印刷会社で応募者300人ぐらいいたので、これはもう終わった、と思っていたのですが。300人のうちの3人に選ばれて無事就職することができました。念願の働きたかった職場で働いていたのですが、一人の社員さんに最初から何故か毛嫌いされていて。他の人に相談したらそういう人だから気にしないでいいよ、と言われたのですが、自分だけ挨拶を無視されたりすることが5カ月ぐらい続いて、気持ち的にしんどくなってきたのです。また、その会社はクリエイティブ系の人が使う会社で、クリエイティブ系の生業の人がつくる発注書を見る機会が多かったんですね。自分もデザインとか絵の才能があるのに、活かせないまま人のものを印刷しているだけでいいのかな、と思うようになって。そういうフラストレーションと無視されたストレスが溜まって初めて仕事に行けない、半分鬱のようになってしまったのです。無断欠勤みたいなことをしてしまって。真面目なのでそういうことはしないタイプなのですが、そのとき初めて心が無理、となってしまいました。結果、自分は5カ月ぐらいで印刷会社を辞めることになりました。やっぱり自分がやりたいことは絵を描くことだ、才能を無駄にして死んでいくことは良くない、と思って画家になったのです。

自分の生まれてきた意味ってなんだろう。何を世の中に残していくんだろう、生まれてきた使命って何かな、と考えたときに、「絵で人を幸せにするんだ」と思ったのです。当時Facebookに画家やります、と宣言して、画家を始めました。

紆余曲折に見える人生もすべてに意味があった

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今はお花と女性をメインのテーマとして掲げています。絵を描くときは文化祭で使うようなペン、POSCAを使っていますね。発色がいいんですよ。絵具と違ってグラデーションとかぼかすことはできないので、表現の幅は狭くなるのですが。もともと油絵を描きたくて大学でも油絵を専攻していたのですが、当時の狭い部屋で油絵を描くとにおいが籠ってしまうので、大学を辞めるとき家ではできない、と諦めていたのです。何か手軽なもので絵を描けないかと思って、家にあったのがPOSCAでした。片付けしなくていいのも自分の性格にすごく合っていますね。ローソンのときに辞めていく子に似顔絵を描いて、花言葉とお花の絵を描いてあげていたので、それが今も続いているという感じです。当時は大学に行けなくていろいろと感じることがありましたが、今思うと結果オーライになっている人生で面白いな、と思いますね。

今は画家として売れている、活躍できているという状態ではないので、自分を知ってもらうために大阪府以外にも京都、東京と絵を出店したいですね。もともとフランスが好きで、フランスの景色を見ると行ったことがないのに懐かしい気持ちになるんですよ。だから将来的にフランスで自分の絵を出したいと思っています。自分のお金ではなく、向こうから招待してもらって、全部のお金を向こうに負担してもらって現地に行く、というのを大きな目標として掲げています。あとは影響力をつけて、子供たちの感性を磨く、教育もしていきたいと思っています。

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