
美人秘書とボス、パラレルの力が結実する現在地

パラレル活動家Ⓡの岡田慶子(おかだけいこ)さんの連載コラムです。今回紹介するのは、稲敷市からはるばる90km近くをかけて丸の内で手作りランチ会を開催する、パラレル活動家の山﨑直子さんと村岡修次さん。その名も、『秘密結社33ぬか漬けLOVEフューチャー』。mixi(ミクシィ)から始まった2人のご縁から、コラボレートに至るまでの軌跡をお話しします。
「秘密結社33ぬか漬けLOVEフューチャー」という名のランチ会
とてもユニークな名のランチ会は、次世代のサステイナブルな社会の実現に寄与する場を掲げる丸の内の3×3Lab Futureで開催されています。自宅でも会社でもない第3の場所「サードプレイス」として業種業態の垣根を越えた交流・活動拠点というコンセプトにピッタリなイベントですが、経緯、内容が異次元です。

ランチ会は8人掛けのテーブルに、山﨑さんが自ら仕込んだぬか漬けと、地元の茨城県稲敷市のお米のおにぎり、スープジャーの味噌汁、卵焼きに副菜が所狭しと並びます。「ぬか漬けソムリエでもある直子さんのぬか漬けを食べたい」と言った主催者のMさんの声に応えた形で始まったランチ会は、「家にあるもので作るから、お金は取りません」です。
どれもこれも美味しいのですが、滋味なぬか漬け、そしてそれを引き立てる塩おにぎりが最高です!美味しい!楽しい!はもちろんですが、ランチ会当日にこれだけの準備をして霞ヶ浦近くの稲敷市から90km近くをかけて丸の内にやってくる、それを継続する直子さんと村岡さんには感動と尊敬ばかりです。
こんな驚異な活動をするふたりは、知れば知るほど“最強ペア”。今回は、聞けば遠い昔からパラレル活動家とも言えるキャリアをお持ちの山﨑直子さんと村岡修次さんをご紹介します。
パラレル活動の芽生え
山﨑さんは本来、イラストレーターとして進学しプロになるはずでした。けれども家の事情で進学を断念し、地元企業へ就職。データ入力に従事しながらも「描くこと」を手放さず、社内報の4コマや技術書の挿絵など、与えられた機会に応え続けました。本道ではなくても“好き”の線は切らさないキャリアを持った方です。
一方の村岡さんは、早い結婚で生活を背負い、清里での店舗運営、トラック運転手、印刷営業やデザイン、銀座のフリーペーパーづくりやイベント運営など、必要に迫られたり、面白がったり、人からの依頼を請けたりしながらキャリアを複線化してきました。さまざまな現場で磨いた実務力と「まず返す、すぐ動く」という姿勢で、縁を一つずつ育ててきた方です。

そんな二人の接点は(懐かしの!)ミクシィのコミュニティ。田町の居酒屋オフ会が広がり、IT関係者が集う場で、山﨑さんの「好きだから手放さない副線」と、村岡さんの「責任から生まれた副線」がゆるやかに交差しました。初対面の印象はどちらも「最悪!」だったそうですが、互いの仕事やプライベートな相談などをする流れになった頃から、経験も持ち味も全く違うふたりは活動を共にするようになりました。村岡さんの会社に合流した直子さんは、これまでの副線も“第二の主線”へと活かされていきます。
ボスと美人秘書——最強ペアの骨格
広告代理業をしていた頃のふたりを知りませんが、「外で線を増やし続けるボス」と「線と線を結び直す美人秘書」として、補完関係に収斂(しゅうれん)していた様子は、想像に難くありません。逆に、この数年のお付き合いである私にとっては、地元企業で内勤をしていた直子さんを想像する方が難しい。考えてみれば25年間、地元企業で内勤をしていた直子さん、東京の仕事の仕方、営業活動などには戸惑ったことも多かったのではないでしょうか。そんな直子さんに村岡さんが徹底したのは装い(どの場にも出られる準備)と即レスの徹底。そして、「まず返す、すぐ動く」。最強ペアの骨格が垣間見えます
ちなみに「美人秘書」と書かれた名刺のタイトルは、ある方の直子さんへの声掛けがきっかけ。覚えてもらうための”しかけ”として面白がったふたりは採用し、他でヒントを得たという「ボス」という呼び名には、敬意とユーモアが同居しています。

実は今のランチ会の原点は、東京時代の社名を冠にした“食堂アビシャス”にあります。食は最短で人と人の距離を縮める媒体となり、敷居を下げ、温度を上げ、会話をなめらかにしてくれるものだと実感したおふたりが、場を変えて今のランチ会へと活動を繋げているわけです。きっと当時も、今と変わらず直子さんの「ガハハハ!」と豪快な笑い声が会議室に響いていたことでしょう。
最後にもうひとつ貴重なエピソードを。彼らが一緒に仕事をするようになって、ずっと後に分かったのは山﨑家と村岡家が下町の商いを介して接点を持っていたこと。先祖の代から続く縁、もはや”最強”以外の言葉を見出すことができません
稲敷での現在地
転機はコロナ禍でした。東京の拠点を畳み、村岡さんは50代で地域おこし協力隊として稲敷市に根を下ろします。地元の状況にショックとともにアイデアを発した直子さんが、今度はボスである村岡さんと稲敷市でともに活動することを決めたのです。
これまでの知見を静かに生かして、彼らは少しずつ活動していきました。これまでとは違うアプローチで、しかしながらこれまでの知見を大いに活かして民間の受け皿を立ち上げ、地域づくり・観光・イベント・情報発信といった案件を推進しています。DMO構想の検討や、神社を起点にした文化・観光の仕掛け、将来的な雇用創出に向けた事業の企画…。最強ペアの歩みは、地域という新しい土壌に根を張りながら、確実に広がり続けています。


パラレル活動の価値と意味
パラレル活動は「掛け持ち」ではありません。今回のおふたりの過去を遡ると、それは自身の成長、開拓のプロセスであり、統合への過程なのだと感じます。
山﨑さんは“好き”と”得意”が転機のときに即、主線へ切り替えられました。さらに、新たな挑戦や活動が、経験知となり知見を広めることに繋がったことと思います。村岡さんの過去からは、常に責任から逃げない姿勢が伺えます。即動き、必ず爪痕を残し、寄り添い、結果にコミットし続ける経験が、地域案件に必要な実務と信頼の土台に繋がっているのでしょう。最強ペアは、それぞれの複線を差し出し合い、いま稲敷で新たな道をつくりだしています。
私にとって月イチのランチ会は、パラレル活動の結晶を“味わう”時間でもあります。
願ったわけでもなく、狙ったわけでもなく自然にパラレルな活動をしている人たちが集まっている場。本当に“いい人”しかいないのです。それは決して偉ぶらず、自ら動き、周囲に尽くし続けるいつも笑顔の二人を慕う人たちだからに違いないと思っています。
挑戦する人は美しい。逞(たくま)しいふたりの活動から目が離せません。私もまた励まされ、パラレル活動を続けていきたい。そしてそんな仲間をもっと増やしていきたいと思っています。
