にじのわコーヒー&ビアスタンド 平田泰之
コーヒー&ビアスタンド
『にじのわ』代表
おそらく日本一不器用な珈琲屋

さまざまな経験を乗り越えた平田泰之(ひらたやすゆき)さんが、メンターとの出会いからコーヒーにまつわる活動を始めることになります。今回の連載コラムでは、アスペルガー症候群がどんな障がいで、どんな特徴があるのか、そしてその障がいとどう向き合い続けてきたのか、経験を交えて詳しくお話しします。
1988年10月6日、午後2時半ごろ、大阪府高槻市にて……
新快速も停まるJR高槻駅からも近い、高槻病院にて、僕は産声を上げました。
そして僕は、この産声を上げ、母をICU送りにしてしまったこの時から、ある障がいと共に生きることになります。
その障がいは『アスペルガー症候群』。今では『自閉症スペクトラム障がい(ASD)』とも呼ばれます。いわゆる『発達障がい』の一つです。
この障がいについては、特に昨今は、のちに僕が診断を受けた2012年1月と比べ、かなりの数の本が出ており、その特性についてもご存じの方も増えてきた印象です。
発達障がいの診断を実際に受けたのは、2012年1月21日、僕が23歳の時のことです。
前年の2011年に入ってから発達障がい関係の本を読み始め、自覚も持ち始めていた数々の障がい特性も、診断のお陰ですっかり腑に落ちました。

診断を受ける前は、僕が僕を自責する原因になっていたことも、もう自責することをしなくてよくなったと同時に(これも、自分が反省を超える自罰をしてしまうことで、他の当事者の方々、そのご家族ご友人を傷つけてしまうと考え、止めるようにしました)、
強みとなる特性があるのなら、自分の特性を正しく、世のため人のために使いたい……という想いもまた、強くなりました。
診断を受けた特に驚きだったことの一つは、診断を受けるまでに受けた『WAIS』で判明した知的指数です。
WAISにおける平均的なIQが90-109と言われるのですが、僕のIQが130-135くらいあり、これは極めて高い数値だと言われているそうです。
高IQが多いとされるアスペルガー症候群ですが、これだけ高いのはあまり多くないらしく、
つい最近(2025年7月頃)も、訪問看護に来てくださる方にこの話をしたら、『こんなに優秀な人は私も見たことがありません』と言われました。
2012年の序盤、この診断の後に自ら望んで通うことにした『(大阪)障がい者職業センター』では「(平田は)こんなに能力が高いのに、こんなに自己評価が低い…!!」と、度肝を抜いてしまうような反応をされたことがあるほどです。
…とはいえ、『優秀』とはなんなのか―――後述しますが、僕も苦手なことや弱点はたくさんあり、しかもその度合いがとても強いものもたくさんあります。
特に両親はこの弱みに付け込む虐待を、執拗かつ周囲にばれないように狡猾に進めてきましたが、虐待の内容や歴史については詳しくはまた後のコラムにて開示します。
しかしながら、だからこそ思ったことがあります。
聞いた話なのですが、僕への虐待を至高の喜びとしていた僕の父もIQが非常に高いらしいのですが、その父が大好きなことが『知識マウント』です。ちなみに、発達障がい全般は遺伝する可能性もまあまああると言われています(両親は未診断ですが、どちらともその可能性は高いと思われます)。
父は、口にこそ出しませんが、『俺はこんなこと知ってるんやで!どや!!』という見下しをさりげなくしながら、それでいて隠すことをせず、人を見下し続けないと生きていけない哀れな生き物だと思います―――何を隠そう、父に洗脳され、父の尖兵にされていた、高校~大学時代の僕こそまさに、この父の、ゴミ以下の非人道的なマインドセットをインストールされ、それを崇高とすら思っていた、まさに『人間のクズ』『狂人』『ろくでなし』でした。先ほど、僕は自分を自責しすぎるのを止めるようにしたと言ったのと矛盾するようですが、それくらい最低最悪な人格および思想を持っていたことも、また事実です。懺悔(ざんげ)をする意味でも、このような酷い過去についてはきちんと話しておこうと思う次第です。
イギリスの哲学者、フランシス・ベーコンの言葉『知は力なり』は有名ですが、同じ”力でも、”暴力”にはしたくない…と今でも本当に思います。
そんな自戒が今は功を奏しているのか、今となっては『平田さんは博識だよね!』と、ポジティブな雰囲気で人様から仰って頂けることも増えました。ありがたいことです。

知能指数以外でもまだまだ特性はあり、特に強力なものの一つが『五感の過敏』です。
なお、当事者によっては鈍感な人もいるのですが、僕は全部が敏感に出たタイプです。
(※なので、以降に紹介する僕の障がい特性も、他の障がい当事者の方には当てはまらないことがございます)
ちょっとした騒音や悪臭で集中力や認識力が下がったり、イライラが増加するのは日常茶飯事。なので、ウォークマンとイヤホンは外出時の必需品です。
また、じっくりと興味関心があることを覚えていくのは苦にならない一方で、臨機応変な対応や要領よくパッパッパッと物事を覚えていくことが非常に苦手です。これは、アスペルガー症候群は『ワーキングメモリー』=短期記憶力が平均的な人より低いことが多いことが関係しているとされています。
言葉や口頭表現にも非常に敏感で、冗談や皮肉がいわゆる平均的な人たちほど受け止めることが難しく、内容によっては頭では冗談と分かっていても激しく傷ついてしまうことがあります。この時、こちらからの障がい由来の事情を説明や陳謝させて頂いた際、きちんと謝ってくださる方や言動に気を付けてくださる方とは、その後もうまくいくことが多いです。
ちなみに僕の母は、この特性について話すと『そんなん何も話されへんわ!!!』と喚き散らし、脅迫してきたことが何度もあります。僕の父は、僕が強い不快を感じる下劣な冗談を言い、それに対して抗弁したら『冗談やんか!!!』と気持ち悪い笑顔をしながら嬉々とした声を上げる、卑怯者の極みのような男でした。こうした、過去の、痛みに満ちた経験が、この特性を生涯にわたって大きく強化している可能性もありそうです。
『空気が読めない』、特に僕は良くも悪くも、コミュニケーションが『まっすぐ』になりがちです。言外の意味を理解できず、うっかり頓珍漢なことを言ってしまうこともあります。
また全体が見れず、一点に『過集中』してしまう特性も、やはり見逃せません。この特性は現在のコーヒーの活動においてはかなり役立っていることもあるのですが、全体を見渡せないことを侮辱されたり嗤われたりしたこともやはりあります。
こうした特性ゆえに、やはり僕に対して嫌悪感を覚える人もいます。そうした憎悪が差別や虐待へと変質していくこともあります。僕はその嫌悪感を敏感に察知し(アニメで言うなら、”ガンダム”に出てくる『ニュータイプ』『強化人間』のような感じでしょうか)、強い抑うつに襲われることもあります。酷い場合は露骨に嘲笑してきた人もいます。嘲笑してきてもなお、僕の友人であるかのようなふるまいをしてきた人もいます。
僕はそうしたトラウマや負の記憶が強烈かつ鮮明に残りやすいのも、発達障がいの特性です。人に聞いてもらったりができないと、溜め込んだ末に最悪発狂してしまうこともあります(なお、相手が真剣に心から聞いているのか、耳だけで聞いてて心や魂では無視しているのかを察知する能力も高いようです)。
それでも、どうしようもないほどのトラウマの津波に塗れさせられた時、皆様にお聞かせできないような非常に強烈な罵詈雑言を、一人の時に吐きまくってることは過去数えきれないほどあります(=フラッシュバック)。それくらい苦しいです。
なのでどうしてもつらいことを人一倍吐き出さざるを得ないこともあるのですが、その時に、医療者や支援者ではなくても少しでも寄り添って話を聞いてくださる方々への感謝は、絶対に忘れないでいたいと思います。
特に診断を受けた20代の頃は、支援者を名乗る人間も含め、周りは『耳でしか』話を聞いてくれない、ろくにコミットしてくれない人ばかりが周りに溢れていて、本当の意味では365日24時間、ずっとずっと孤独で、毎日が望まぬ狂気と絶望と隣り合わせでした。そして両親は僕がそのような状態にあることを常に、わざと、『ガン無視』していました―――きっと僕がそうして不幸になっていく、壊れていくのが、嬉しくて仕方なかったのだと思います。
以降のコラムでは、親から受けた虐待のことも書こうと思いますが、その親、特に母親から僕が自ら診断を受けたことをこれでもかというくらいに罵倒され、侮辱され、障がい者としてこの世で生きていくことの恐怖を、潜在意識レベルで徹底的に植え付けられました。
そしてそれらの言葉を浴びせられた時は、僕の心が人生で最も弱っている時のことでした。
2023年頃から、僕が虐待に次ぐ虐待を受け続けてきて、心の中では全身の隅々まで血だらけになっていたこの当時の僕の様子を聞き、僕が『生存率1%以下の人生』を生きてきたと聞き、納得して下さる方々も増えつつある気がします。
それでもなお、障がいの診断を受けたからこそ分かった長所と短所があり、その認識があったからこそ、戦争に次ぐ戦争のようだった20代を生き延び、31歳にして僕の人生を変え、救うに至った『コーヒー』とその仲間たちとの出会いがあったこと、そのおかげで―――僕の死や破滅を望んでいる人たちには申し訳ありませんが―――今も自殺を選ばず、生きていられていることは、厳然たる事実でしょう。
なので僕は、診断を受けたことは100%ポジティブに受け取っています。
たとえその診断を受けるまでの道のり、そしてその後の道のりが、望まぬサバイバルのために血まみれになったとしても、僕が障がいを抱えていてもなお、仲間でいてくれる人たちへの感謝と共に。
なお、最後にもう一度繰り返しになりますが、今回紹介した僕の特性は、あくまで『僕・平田泰之の場合』であり、他の発達障害当事者の方には当てはまらないこともあります。
実は、濫用されているきらいもあるので僕はあまり好きな言葉ではないのですが、『発達障害は個性』と言われるゆえんはそこにもあるかもしれません。