Jリーグ3連覇と日本代表を経験した男が地元・宮崎で描く新たな挑戦
増田誓志(ますだちかし)さんは、プロサッカー選手として16年間のキャリアを築き、引退後は飲食店経営や地域スポーツ振興に力を注いでいます。現役時代に培った経験と情熱を活かし、宮崎県出身の選手たちと共に『TEAM MIYAZAKI project』を立ち上げ、地元に新たな風を吹き込む活動を展開しています。多くの人々に勇気と希望を与え続ける増田さんに、これまでの軌跡を伺いました。
プロサッカー選手として16年間続けられた要因
僕がサッカーを始めたのは、兄の影響です。兄の試合を何度か観戦し、そのまま地元のサッカー少年団に入りました。それから18歳で高校を卒業するまで、宮崎でサッカーひと筋の生活を送りました。
その後にプロ選手への道を切り開けた要因は、負けず嫌いな性格にあると思います。時にはミスをして落ち込むこともありましたが、「必ず見返してやる」という強い気持ちを常に持ち続けていました。
プロ選手になってからは毎日が精一杯でした。その当時、宮崎県出身のJリーガーの先輩方は2、3年選手としてやり切り、引退して社会人になる方がほとんどでした。その中で僕がサッカーを16年間続けられて、日本代表にまで選ばれるようになったのは、失敗や悔しさをそのままにせず、努力で乗り越えようとしたからです。
もうひとつ、サッカーを続けられた理由は、鹿島アントラーズというクラブチームとの出会いが大きかったです。高校卒業後に運よく入団した鹿島アントラーズは、選手育成に非常に力を入れている素晴らしいクラブです。この環境がプロ選手としての基盤を築く大きな助けとなったので、そこが1番最初で本当に良かったと思っています。
引退後、『韓国酒場 チャン』を始めたきっかけ
サッカー選手として16年間活動した後、引退してからの数ヶ月は、知人の紹介で営業代理として企業に勤めました。そこから現役時代の収入を効果的に運用する方法を模索する中で、飲食店の会社を立ち上げました。
プロ選手の時から興味のあった飲食業ですが、当時はサッカーに専念すべきだという周囲の意見を受け入れ、挑戦できずにいました。引退後、自由に選べるようになったので、自分が興味のあるもので経営の経験をするために何がいいだろうと考えを巡らせました。そこで、現役時代に韓国・Kリーグでプレーした経験を生かすことを考え、『韓国酒場 チャン』を、山形県にオープンしました。
飲食店経営に取り組む一方で、宮崎のサッカーに携わる活動にも力を入れています。同じ宮崎出身で、鹿島アントラーズ時代に共にプレーした伊野波選手や興梠選手とともに会社を設立しました。この3人は、Jリーグで3年連続優勝した時期に苦楽を共にしたメンバーです。
その後3人が各々別のチームに移籍となり、「宮崎のために何かやりたい」という話を会う度にしていたものの、なかなかスケジュールが合わず、具体的な活動を進めるのが難しい状況でした。それから自分が引退して時間ができたタイミングで率先して動いて、始まったのが『TEAM MIYAZAKI』です。
宮崎の未来をスポーツでつなぐ『TEAM MIYAZAKI』の挑戦
『TEAM MIYAZAKI』が最初に取り組んだのは、宮崎県内の子どもたちを対象にしたサッカー指導イベントです。この活動では、宮崎出身の僕たち以外にも、現役選手や元サッカー選手を招き、少人数の子どもたちに対して指導を行いました。
最初は利益を追いかけるよりも、本当に自分たちの価値を伝えることを最優先にしました。指導の対象を、プロ選手や代表選手を目指す意欲のある子どもたちに限定していたため、最初の2年くらいは世間に広く知られることはありませんでした。
しかし、活動資金や報酬をすべて自費でまかなっていたため、3年目には予算の問題が現実化しました。このままでは活動を継続するのが難しいと判断し、地元企業に協賛をお願いする方針に切り替えたのです。企業からの支援を受けることで、宮崎県内での活動を広く一般の方々に知ってもらい、サッカーの楽しさをより多くの人に届ける取り組みを始めました。
現在では、教える側のプロ選手や元選手たちも柔軟に協力してくれるようになり、応援してくださる方々も県内で増え続けています。また、活動の幅をサッカーにとどめず、宮崎県出身のトップアスリートたちとの連携を視野に入れています。
野球や陸上、水泳など、さまざまなスポーツの第一線で活躍する方々と力を合わせ、地元・宮崎のスポーツ振興や地域活性化に貢献したいと考えています。
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