峰島 新
② インフラエンジニア
③ エンジニア講師
④ 動画クリエイター
⑤ 動画編集講師
⑥ Webデザイナー
⑦ イラストレーター
⑧ 編集・ライター
⑨ ダンスインストラクター
⑩ 俳優・ダンサー

峰島新(みねしまあらた)さんは、システムエンジニアとして働く傍ら、映像制作やWeb制作やホームページ制作、さらには画像編集やライティングといった複数の仕事をしています。さらにPC業務だけにとどまらず、ダンスインストラクターのお仕事や趣味でもダンスをされています。本日2026年3月24日(火)をもって30歳のお誕生日を迎えた峰島さん。そんな彼が歩んできたここまでの軌跡とこれからの豊富についてお話を伺いました。

30歳になった今、改めて自分の人生を振り返ると、私は一度も「正規ルート」を走ってきた感覚がない。学校、就職、キャリア形成、生き方、考え方。そのどれにおいても、常にどこかで想定外の分岐に入り込み、例外処理として処理され続けてきたような感覚がある。
それは、自分が意図して反抗してきた結果ではない。むしろ逆で、「普通にやろう」とすればするほど、どこかでズレが生じ、噛み合わなくなる。私はそのズレを修正するのではなく、観察し、理解し、受け入れ、最終的には利用することを選んできた。
多くの人が安定や再現性を求める中で、私は一貫して「なぜこの違和感が生まれるのか」を考え続けてきた。その問いこそが、私の思考の起点であり、今の仕事や表現活動の根底にある。

システムエンジニアとして働く中で、私は世界の見え方が大きく変わった。
プログラムは嘘をつかない。条件が満たされなければ動かず、想定外の入力があればエラーを返す。そこに感情は介在しない。だが、現実世界は違う。人は感情で動き、論理を後付けする。仕様書通りには生きてくれない。
だからこそ私は、人間社会を「不完全なシステム」として捉えるようになった。エラーが起きるのは異常だからではない。最初から、完全な設計など存在しないからだ。
この視点は、私自身の人生を肯定する助けにもなった。例外処理が多い人生=失敗の多い人生、ではない。むしろ、例外処理が発生する場所には、まだ最適化されていない可能性が眠っている。私はそう考えるようになった。

映像制作、Web制作、デザイン、ライティング、ダンス、インストラクター。
私の肩書きは、よく「多すぎる」と言われる。器用貧乏だと言われたこともあるし、「何が本業なのか分からない」と言われたこともある。
だが私にとって、それらは分断された仕事ではない。
すべては「伝える」という一点で繋がっている。
言葉で伝える。
映像で伝える。
身体で伝える。
設計で伝える。
手段が違うだけで、やっていることは一貫している。私は世界とのインターフェースを複数持っているだけだ。
一つに絞らなかったのではない。
絞れなかったのでもない。
最初から、複数同時に扱う前提で生きる方が、私にとっては自然だった。

20代の頃は、理解されないことが怖かった。
説明しても伝わらない。真剣に話しても軽く流される。あるいは、善意のお説教として否定される。
そのたびに、
「もっと分かりやすく話すべきだったのか」
「自分の考えが間違っているのか」
と自問した。だが、ある時から考え方が変わった。
理解されないのは、私の言葉が足りないからではない。
相手の世界観の中に、まだその概念が存在していないだけだ。
その事実に気づいてから、私は無理に納得してもらおうとするのをやめた。代わりに、自分の思考や選択を、歪めずに言語化することを優先するようになった。
理解されるかどうかは、結果でしかない。
だが、語るかどうかは、私の選択だ。

30歳になったからといって、何かが劇的に変わるわけではない。
急に完成するわけでも、答えが手に入るわけでもない。
ただ一つ、確実に言えるのは、私はもう「例外であること」を否定しなくなったということだ。
平均値から外れていること。
前例がないこと。
再現性が低いこと。
それらはすべて、欠陥ではなく特性だ。
そして特性は、使い方次第で武器にもなる。
私はこれからも、成功事例の後追いはしない。
誰かの人生をテンプレートとして借りることもしない。
代わりに、自分自身を観察し、記録し、言語化し続ける。

これからの30年で、私は「完成」した人間になろうとは思っていない。
むしろ、未完成であり続けることを選びたい。
変わり続けること。
問い続けること。
ズレを感じ取ること。
それらを手放さずに、生きていきたい。
もし私の言葉や生き方が、誰かの人生にとっての「別の選択肢」になったなら、それ以上のことはない。正解を示すつもりはない。ただ、「こういう生き方もある」という事実を、これからも淡々と提示していくだけだ。
例外処理のまま生きてきた30年。
そして、これからも私は、例外処理のまま生きていく。
それは逃げではなく、私なりの最適解だ。