在り方を差し出すという選択〜自分→相手への物事の伝え方編〜

峰島 新

峰島 新

2026.01.27
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峰島新(みねしまあらた)さんは、システムエンジニアとして働く傍ら、映像制作やWeb制作やホームページ制作、さらには画像編集やライティングといった複数の仕事をしています。さらにPC業務だけにとどまらず、ダンスインストラクターのお仕事や趣味でもダンスをされています。そんな峰島さんがワクセルと出会ってから約1年以上、そしてコラムを書き始めてから約1年以上が経ち、今ではより一層活動の幅を広げていらっしゃるので、今回はその取り組みの際に、峰島さんがコミュニケーションの中で普段から心がけている、相手へ物事を伝える際に意識している事について、綴っていただきました。

成功事例のない道を選ぶということ──それでも私は我が道を語る

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私は今、あえて「成功事例のない道」を選んで歩んでいる。

それは、誰かがすでに切り拓き、安全が保障されたルートではない。緻密な市場データをなぞれば誰でも再現できるようなビジネスモデルでもない。いわば「前例のない我が道」を、自覚的に、そして一歩ずつ踏みしめている。

この話を周囲の知人や、あるいは仕事の場で口にすると、決まって強い反発が起きる。「考えが甘い」「到底共感できない」「そのやり方では有名になれるはずがない」「どれだけ頑張っても無駄になる」。時には、初対面の相手や、まだ関係性が浅い段階の方から、まるで人生の正解を教えるかのような説教じみた言葉を投げられることもある。正直に言えば、それは不思議だった。なぜ理解できなくても放っておく、という選択肢がないのか。なぜ共感できないだけで、上から目線の否定に変わるのか。

だが、私は次第に気づいた。問題は、私のやり方そのものではない。成功事例のない道を「言葉にしてしまうこと」が、社会にとって非常に刺激が強いのだ。

基準という名の「安心」の外側

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多くの人は、成功事例を基準に人生を設計している。それは怠惰でも臆病でもない。失敗のリスクを下げ、生き延びるための合理的な判断だ。だからこそ、前例のない道を進む人を見たとき、人は「理解できない」で止まれず、「止めなければならない」に移行する。

私は誰かに真似をしてほしいわけではない。自分の選択を正解だと言いたいわけでもない。ただ、自分が何を引き受けて生きているかを、隠さずにいたいだけだ。成功事例のない道は、確かに不利だ。失敗の確率も高いし、結果が出る保証もない。時間もかかるし、評価も遅れる。それを承知の上で進んでいる。それなのに「甘い」と言われるのは、私の覚悟が足りないという意味ではない。相手の基準に照らすと、測定不能だからだ。

相手を尊重し、可能性を広げる「言葉の変換」

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前例のない道を進むからこそ、私は他者との関わりにおいて、自分の正解を押し付けないことを信条としている。特に仕事の現場では、相手の思考を止めず、共に未来を模索するために、無意識に使ってしまいがちな言葉を、より建設的な表現へと変換するように心がけている。

例えば、プロジェクトの懸念点を伝える際、「それは危険だ」「ダメだ」と断定的な否定はしない。代わりに「それは少し危ういかもしれませんね」と伝える。否定で終わらせず、含みを持たせることで、相手が自らリスクを再考する余白を残すためだ。

また、不測の事態に直面したときも、「マズイ」「ヤバい」「困った」といった感情的な言葉をぶつけることは避けている。そうした言葉は周囲に不安を伝染させるだけだからだ。私はあえて「さて、どうしようかと考えています」と口にする。問題を感情で捉えるのではなく、解決すべき課題として思考のテーブルに乗せる。この一言が、場を混乱から建設的な議論へと導くスイッチになる。

さらに、アドバイスを求められた際にも「〜してください」や「〜したほうが良い」といった誘導的な表現は使わない。私は「〜するという手段もありますよ」と提示する。最終的な決定権は常に相手にあるべきであり、複数の選択肢の一つとして私の意見を置く。それが、成功事例のない道を自らの意志で選んできた私が、相手の主体性に対しても払える最大の敬意だと思っている。

可能性の幅を最大化する戦略

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私は、短期的な成功確率を最大化する戦略を取っていない。代わりに、可能性の幅を最大化する戦略を選んでいる。現在はシステムエンジニアとしての軸を持ちつつ、映像制作、Web制作、画像編集、ライティング、そしてダンスインストラクターといった多角的な活動を展開している。

これらを「バラバラの活動」と捉えるのは、成功事例に縛られた見方だ。私の中では、エンジニアの論理、映像の感性、ダンスの身体性が、一つの人格を通じて統合されている。どれか一つを切り捨てて「普通」の成功ルートに乗ることは容易だが、それでは私が求める「可能性の最大化」は成し遂げられない。

これは賭けだ。だが無自覚な賭けではなく、意図した選択だ。私は人を説得しない。自分の道を正当化するために、誰かを否定もしない。ただ、引き返さず、丁寧な言葉選びを続けながら、自分の在り方を言語化し続ける。

成功事例のない道を進む孤独は、時として深い。しかし、言葉を研ぎ澄ませ、他者の価値観と丁寧に共鳴しようと努めることで、その道にも新しい「繋がり」が生まれる。私はこれからも、自分の選択を信じ、言葉を尽くしながら、この「我が道」を歩み続けていく。