自然食バーの代表がこだわり抜くオーガニック食と日本の未来

松永 陽太

松永 陽太

2023.09.13
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松永陽太さんは「天然」「無農薬野菜」「無添加」にこだわった料理を一つひとつ丁寧に手作りしている、京都市中京区にある自然食バー『AiNA Organic Kitchen(アイナオーガニックキッチン)』の代表を務めています。高校時代から飲食に携わり、海外へ行くなかで食の問題に気づきました。自然食のプロフェッショナルである松永さんにお店をオープンしたきっかけや、今後の展望を伺いました。

歴史から学ぶ日本の食の未来

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私は現在、自然食カフェバー『AiNA Organic Kitchen(アイナオーガニックキッチン)』を経営しています。

もともと料理を始めたきっかけは高校生のときです。地元は京都の貴船にあり、川床に料亭が並んでいる有名なところです。ここの料亭出身の幼なじみがいて高校時代はバンド活動しながら、そこでアルバイトをしていました。

そのとき、料理長に気に入られて料理を教えてもらっていたのが現在の飲食業につながるきっかけです。そこからずっと飲食業を続けていて、「将来は小さなお店を開きたい」と淡い考えを持っていました。

大きな目標があったわけではないですが、その頃はバンドを頑張りたいと思っていました。しかし、ドラムをやっていたメンバーがメジャーデビューする他のバンドに引き抜かれてしまい、新しいメンバーとも相性が合わず解散になりました。

僕もずっと音楽を続けることはしんどいと感じていたので、親戚にお金を借りて『たこ焼BAR』なるものをオープンさせました。地元だったので友達や外国人が来てくれて面白かったです。

しかし、2年半ぐらい経ったときに1人で続けることに疲れ、もう少し色々なことを経験したいと考え始めました。貴船で沖縄料理屋をやっている人のところでお世話になることを決め、自分のお店は閉めることにしました。そこで2年間アルバイトをして27歳で店長になり、4年間勤めました。

その当時、京都で藍染を伝導されている方にお世話になっていたのですが、その方がグリーンカードの宝くじに当選し、ハワイの永住権を手に入れたんです。伝統行事は廃れ、この先はないだろうということですべてを売り払い、ハワイへ渡ってハワイ大学で藍染の先生になり、日本文化や藍を育てるところから教えていました。

当時、僕はお店の店長をやっていたのですが、「お前も来い」と言われ、どうなるか分からないなかでハワイに飛び立ちました。ハワイでは、藍染の研究の他にもオーガニックや、食について勉強をしていました。すると、日本に帰国したときに、日本の食の闇がだんだんと見えてくるようになったのです。

元々、日本の歴史に詳しくなかったのですが、そういうことに触れると日本の歴史や戦争について目にする機会が多くなりました。興味が湧いていろんなことを勉強したら、今日本はどこを向いて進んでいて、未来を考えるとこのままでは大変だと実感しました。

キッチンカーから店舗開業へ

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これからの日本について多くの人が気づく機会をつくり、興味を持つようになれば面白いと考えるようになりました。いきなりお店を持つのは難しいと思ったので、いろんなオーガニックの店を周らせてもらって勉強し、キッチンカーを始めました。

オーガニックをコンセプトにしたキッチンカーは京都からスタート。さまざまなイベントに出店し、オーガニックのパン・京野菜を使って、素材にこだわったハンバーガーやポテトなどを販売しました。

好調に売れていたのですが、新型コロナウイルスの影響で観光客が減り、イベントも激減し仕事がなくなりました。アルバイトをしながら週末には空き地でお弁当の販売をしていましたが生活は厳しい状況でした。

今後のことを考えていたとき、貸しビル事業をしていた幼なじみの父親から、「ビルの一角が空いたけれどテナントに入らないか」と、その一角を優遇して貸していただき、店舗を開業しました。それが京都の1号店で、オーガニックのお弁当をメインに幅広く展開しました。

生計が立つめどがついたとき、2店舗目となるファーストキャビン大阪店の立ち上げに声をかけていただきました。ファーストキャビンの社長さんも1号店の京都店に来てくださり、気に入っていただきオファーをもらい、約2ヶ月でオープンしました。

京都は固定費が少ないので、総出で大阪へ行き立ち上げを頑張っていたのですが、なかなかうまくいかずにしんどかったです。最近はやっと盛り返してきて、京都店の盛り上げに再度力を入れています。

伝えたい思いをキッチンカーに乗せて

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お店をやるうえでは、ご縁を大事にしています。声をかけてもらったり、来ていただいたからにはお客さんの求めているものは聞いてあげたいし、やってあげたいと強く思います。商売なのでお金は必要だと思うのですが、「リーズナブルでおいしいオーガニックのものを食べてもらいたい」という目的でやっているので、全然儲からないですが、最初から覚悟はしていました。

オーガニックのお店を周らせてもらったときも、ボランティアでやっている人や熱意ある人が多かったので、やるって決めたなら覚悟してやらなきゃいけないと思っています。

今後はお店をやりつつ、土日はまたキッチンカーの出店をやりたいです。大阪出店の話が決まったとき、キッチンカーを持っていても宝の持ち腐れだし、何かを得るには何かを捨てなきゃできないと思い、泣く泣くキッチンカーを手放しました。

今後はクラウドファンディングを利用して、キッチンカーの出店を考えています。たまたまお店に来た人がクラウドファンディングの斡旋をしている社長さんで、そのご縁でクラウドファンディングに挑戦することにしました。

日本で3番目くらいにクラウドファンディングを始めた方で、ジーパン屋を大成功させた方です。そのことで有名になり、ジーパンじゃなくてクラウドファンディングについて教えて欲しいと人が殺到したそうです。

その方に出店の概要や詳細を話したところ共感してもらい、「ぜひやりましょう」となりました。キッチンカーをもう一度やりたいと強く思っていたところだったので、とんとん拍子で話がまとまり、クラウドファンディングを進めています。

将来的にはオーガニックでつくった駄菓子を売りたいです。子どもや親御さんに伝えたい熱い思いがあって、駄菓子は子どもが好きだし、オーガニックの黒砂糖を使った綿菓子ってないので面白いと思っています。

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