
高卒・偏差値40以下の私が英会話教室を起業・経営するまでの道のり②~後編~
久山 絵里さんは株式会社フレンズの代表を務めています。高校卒業後、印刷工場で勤務していたところから、人生を変えるべく英語力ゼロの26歳のときに、オーストラリア一周一人旅を経験されました。帰国後、大手英会話教室の勤務を経て30歳で「フレンズ英会話」をスタートしました。そんな久山さんが英会話を習得する方法について書かれたコラム連載の第7弾です。
前回の前編では、生きる力をつけ、オーストラリア大陸一人旅へ行くことを決意した、というところまでお話をしました。引き続き、どうも暇を持て余してるし、私の人生ちょこっと知ったってもいいよ、という珍しい方がいらっしゃれば、ぜひお読みください(笑)
全部自分でやることで、実力がつく
今までの人生経験から「お金ができるだけかからないやり方が一番いい」と思い込んでいた私ですが、それも今思えば「実力」につながったように思います。家族全員、海外なんて行ったことない。そんな中、ビザの取得、旅行会社に行って航空券購入、現地での計画、全てを自分でやりました。留学エージェントは使いませんでした。
一番肝心な、英語力がないことに気づく
渡航直前、肝心な英語力が全くないことに気づきます。
「アカンやん!私英語全然でけへんやん!アホやん!!」
…あわてて電子辞書を買いに行ったのが、渡航前日。ここでも「お金をかけない=正解」だと思っていた私、音声が出ない、一番安い辞書を選んでしまいました。英語は音が肝心なのに。私、英語読まれへんのに。やはりアホです。
オーストラリア1年では英語力はそこまで身についていない
無理やり現地に乗り込んだのですが、英語力ゼロなので波乱万丈なのは当たり前です。でも、旅の恥はかき捨て。若さと勢い、行動力で乗り切る日々。それはそれで、かけがえのない経験なんですが「英語話せたら、もっといい旅やったやろうな」とも思うので、これから旅を計画している方がいれば、絶対英語は練習していくことをオススメします!
そして念願の「一周」を達成! 英語力アップが目的の旅ではなかったけど、あんなに嫌いだった英語は、必死で勉強するようになっていました。コミュニケーションを取ることの楽しさを、これでもかというぐらい体感したんです。新しく単語を知って、少しずつ上手になっていく自分が楽しくて。
ただよく聞かれるのですが、1年で話せるようになった?という質問にはこう答えます。「日常会話程度、身近な内容だけね」
「え~?」と少々予想と違った回答をする私に驚く人が多いのは、1年海外に行ったら話せるようになる、という指標?夢?みたいなものが知りたいのかと思います。(もっとも、レベル1でスライム相手に戦い始めた私と、日本で勉強していたレベル30の人では同じ1年でも違うのは当然だと思いますが)
テレビの内容は理解不能でしたし、難しい話にはついていくことができませんでした。帰国して受けた初めてのTOEICのスコアは、440。日本の大学生レベルらしいですね。でも、大学に行ってないのに大学生レベルの英語力をつけられたから、自分なりに上出来でご機嫌だったんですけど、友人に言うと「え、440!?」と笑われました(笑) やはりここでもアホです。このレベルで日本の英語教育業界に乗り込むことを考えるとは。
人生の使命を見つけた
英語力もつきましたが、人生をかけて達成したい夢を見つけて帰ってきたのが大きかったと思います。それが、今も継続中の「英語教室経営」。周りからすると、TOEIC440しかないアホの無謀なるチャレンジに見えたでしょう。「あなたなんて無理よ」と面と向かって言われることもありました。でも、当の本人である私には全くそう映らず、ただ、真剣かつ楽しく、人生の目標として淡々と進む道のりが目の前にキラキラしている、としか映りませんでした。
周りの目は、気にならなかった。
それは、海外で体感した「皆、自分の人生を歩んでいる」があったからかもしれません。
現在16年目、継続は力なり
オーストラリアのワーキングホリデービザを申請した時もそうでしたが、当時働いていた英語教室を辞め、起業までの間は1カ月。できることから、とっととやる、が信条です。経営学を学びに行く訳でもない、登記を代行してもらう訳でもない、これも自分でやったからこそ、実力につながったと思います。でも、16年経った今は「餅は餅屋」も正解だと思いますけどね。
どちらにしても、やってきたことが失敗か成功かは、後の自分の心が決めるものだと思うから、私の大失敗の数々は良い経験です。そして、やりたいと自分が思うことに対しては、努力は苦痛ではなく、一歩一歩階段を登り、よりいい景色が見える楽しみ、でしかありません。だからこれからも、地道な努力を重ねていこうと思っています。
