
INSHUTI(インシュティ)
雑貨ブランドINSHUTI代表
アフリカ布でつくる洋服や雑貨を通して、“尊厳ある雇用”の創出を目指すINSHUTI(インシュティ)。今回は連載コラムの第2弾で、テーマはアフリカ生活で体験した感情についてです。アフリカでの実体験を織り交ぜながら、INSHUTIが目指す未来をお届けします。
コラム2回目以降は、INSHUTIの活動を私が一生懸命取り組む理由の一つ一つの原体験をご紹介していこうと思います。今回は、アフリカ生活最初の頃に感じた貧しさから生まれる感情について。
初めてアフリカに住む事になったとき、夫婦2人の生活でした。その頃、週に2回来てくれていたハウスキーピングのイメルダという女性がいました。外国人駐在員の家で働くのは現地の女性にとっては良い働き口になります。そこも雇用を生むという事で来てもらっていたのです。家にいる間は、ザンビアのローカル言語の1つであるニャンジャ語を教えてもらったり家族の話をしたり仲良くしていました。
ある時、我が家の洗剤や砂糖がいやに減りが早い事に気付き、よく観察していると彼女が持ち帰って使っていたのです。20代だった私は腹を立てて、「これは盗みで、やってはいけないこと」と伝えました。怒りの感情が芽生え、嫌悪感や許せない自分がいました。その後、彼女にはマイクロファイナンスの様な仕組みで魚を仕入れて売るビジネスに出資して見事成功させて全額返してもらえました。
ザンビア駐在の後、マラウィに住んでいた頃、大家さんの敷地内にあるゲストハウスに住んでいました。その大家さんが夜中に見張りをしてくれるゲートボーイには大盛りの食事を出していました。「お腹がいっぱいになれば、悪いことはしない」と。守ってくれるはずのセキュリティパーソンが、お金をもらって内部の情報を流して犯罪に繋がるという事件は時々起こります。外国人大家さんの接し方を見ていて、持っている人が周りにシェアするという当たり前、が文化的に残っているアフリカを学んだのです。マラウィ人同士でもお金がない人も一緒に飲みに行って、今日はこの人が持っているからその人が払う、といった文化があります。そして今もルワンダでのINSHUTIが支払っている賃金も貰う人の周りに廻っていくのです。
ザンビアで私がイメルダに対して持った怒りは、違う感情にもなり得たのではないか、とマラウィの生活にて振り返りました。
家庭内のことが全て見えてしまうハウスキーピングの仕事。自分は一生出ることが出来ないであろう世界の国には、生きることに精一杯な人生からしてみると多くを与えられた駐在員の生活で、少しくらい洗剤を譲ってくれても、少しくらい砂糖を分けてくれても良いじゃないか?とイメルダが思っていたかはもう確認できませんが、私が彼女の立場ならそう感じて当然だったのかも知れません。
これが、アフリカ生活最初のころに実生活で感じていた世界の不均衡から生まれた感情でした。世界のほんの一部の超富裕層が、不均衡の穴を埋める経済循環がなぜ生まれないのか。私利私欲、排他、恨み、複雑に絡み合った争いごとが、なぜ止まないのか。足るを知り、与えられた環境において自分の命を全うに生きることしかできない。けれど、そこを諦めずに繋げる人でありたいと願います。