「ママ死なないで」離別の夜

男装くん

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2026.03.30
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SNSの総フォロワー数が約60万人のコスプレイヤー『男装くん』。インフルエンサーの傍らイベント運営支援システムの開発やSNS運用代行なども行い、精力的に活動を続けていますが、実は余命1カ月と宣告されたことからTikTokでの発信を始めています。コラム連載第2回目は、闘病生活での奮闘と転機について綴って頂きました。

余命1か月と宣告されたその日、私はそのまま九州がんセンターへ向かいました。生後10か月の息子は突然の断乳、そして娘は「ママ死なないで」と泣き叫ぶ。母として強くあろうとした私と、本当は崩れ落ちそうだった心。子どもと離れた最初の夜を、今も忘れられません。

泣き叫ぶ娘と交わした約束

見出し1画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_男装くん_交わした約束

余命宣告を受けたその足で、私は九州がんセンターへ向かいました。

車の中の記憶は、ほとんどありません。

ただ、涙で滲む窓の外、雨の景色と両手に感じた子どもたちの小さな手の温もりだけは、はっきりと覚えています。

「絶対に死なない。絶対に死なない。」

強い願いを込めて何度も何度も心の中で唱えていました。

病院に着くと、淡々と検査や処置が始まりました。

説明、同意書、治療の準備。

感情だけが置き去りにされたまま、時間が過ぎていきました。

そして、ついに家族と別れる時間。

生後10か月の息子は、今日で突然の断乳。

「ママ死なないで!!」

娘は喉が枯れるほど泣き叫び、私の服を強く握りしめました。

その小さな手の力が、必死さが、怖さが、全部伝わってきました。

私は強く抱きしめました。

「ママは死なない。絶対に死なないよ。

1年後ママは元気になって絶対に帰ってくるからね。いつでも電話しておいで。」

約束できる確証なんてどこにもありませんでした。

それでも、絶対に生き延びなければ子どもたちの心に大きな傷を負わせてしまう。

娘の不安をこれ以上大きくしてはいけない。

だから私は、笑顔で言いました。

家族が病室を出ていくときも、

娘の泣き声は廊下に響き続けていました。

その声が遠ざかっていくたびに、

胸が引き裂かれるようでした。

欲しかった‘‘一人時間‘‘のはずが…

見出し2画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_男装くん_ひとりの時間

ドアが閉まり、私はひとりになりました。

静かすぎる。

今までの生活は、家事と育児に追われ、

泣き声、笑い声、「ママ!」と呼ぶ声に囲まれていました。

ゆっくり食事をする時間もなく、

睡眠も足りない日々で、「ゆっくりできる一人時間が欲しい」
そんな風に思っていました。

その騒がしさが、大変な日々が、どれほど愛おしいものだったのか
…まさかこんな形で知ることになるとは。

病室では、点滴の電子音だけが虚しく鳴っていました。

「余命1か月。」

その言葉が、静寂の中で何度も反響しました。

もし本当に1か月だったら?

もし明日、目が覚めなかったら?

子どもたちは、私のいない人生を生きることになる。

「ママ死なないで」と泣いたあの顔が浮かび、

涙が止まりませんでした。

私は「急性骨髄性白血病」と診断されました。
あと少しでも発見が遅れていたらもう命は助からなかっただろうと。


自分のいない世界を想像して

恐怖が胸を締めつけました。

生きると決めた日

見出し3画像_嶋村吉洋社長が主催するワクセルのコラム_男装くん_生きると決めた

その日、先生から白血病の治療内容など細かい説明を受けました。
その内容は今まで体験したことのない痛みと恐怖を
長期間にわたって繰り返し行うといった内容でした。

これから私は、想像もできない痛みを経験する。

抗がん剤で髪は抜け落ちる。

体は思うように動かなくなる。

後遺症で下半身不随になった人もいる。

治療が辛くて自殺した人もいる。
視力を失った人もいる。

怖い。


怖い。

怖くてたまりませんでした。

それでも――

私は死ねない。

娘の成人式を見たい。

息子の結婚式で泣きたい。

孫を抱きたい。

当たり前だった未来が、突然“奇跡”になりました。



生きたい。

どんなに苦しくても、

生きる。

必ず生きて帰る。

静かな病室で、ひとり涙を流しながら、

私はそう誓ったのです。

(次回:抗がん剤治療が本格的に始まり、体が壊れていく現実へ)